第11話「引き寄せるもの」

「おっはよ。ちゃんとやってる?」

 まだ太陽が顔を出したばかりの涼やかな早朝、共に歩いてきた霞祥かしょう彩花さいかより少し足を早めて門前にやってきた茗凛めいりんは、にこやかに声をかけた。

 その声に、ゆっくりと振り返ったのは珂惟かいである。

「俺あんたより掃除うまいぜ、悪いけど」

 しれっと言い、彼は再び背を向けて箒を動かしだした。

 確かに、壁際もキッチリ掃いてるし、箒の音もいい。彼が来て五日、法恩寺前は見るからに美しくなった。

 ついでながら、霞祥とともに早朝の参拝を日課とする茗凛から見て、ここのところの参拝者が妙に増えた気がする。「朝は苦手」と言っていた彩花まで一緒について来る始末だ(これは別の目的だろうけど)。

「おはようごさいます」

 やってきた若い娘に、自分に向けるのとは全然違う晴れやかな笑顔を向ける珂惟。ちょっと、その違いは何よ! 茗凛がキッと目を向けると、珂惟はこちらに向き直り、

「営業用っての? だってあんたは呼ばなくたって来るじゃん、兄貴目当てに」

 茗凛が目尻を吊り上げ、反論しようと口を開きかけたその時、

「あ、琅惺さま」

 声に振り返ると、彩花が小走りで境内へと入っていく。その先には法恩寺の沙弥と共に朝の勤行に向かう琅惺の姿があった。「まあ大変」と言いながら霞祥が慌てて後を追いかける。

 彩花ったら。いつもだったら物陰から恥ずかしそうに見てるだけなのに今回は随分積極的な……。

「ふーん」

 その声に振り返ると、珂惟は右の口角だけをあげてにやりとした。

「あいつって意外とモテるんだよなあ。あんな堅物なのにさ」

「そーなの? じゃあもしかして長安で待ってる人がいたりするとか」

「鋭い。実は俺の幼馴染が――あ、でも誤解すんなよ。あいつが琅惺の帰りを心待ちにしてるのは確かだけど、だからといって今まではもちろん、これからも、どうなるってわけじゃない」

 ――もう失恋確定だなんて……茗凛は心でひっそりとため息をつく。これはますます琅惺さんに近づけるわけにはいかないわ。それとも今の話を教えて、早めに諦めてもらうほうがいいのかしら。相手がいるなら(とはいえ「姦淫」は仏教四大罪悪の一つなんだから、珂惟の言葉どおり、どうなることもないんだろうけど)、却って話は早いかも。

 とにかく、また騒ぎにならないようにしないと。ああもうまったく、面倒なお嬢様よねえ、茗凛はひっそりとため息をつく。

「珂惟さん、おはようございますぅ」

「おはようございます」

 感心したくなるくらい、綺麗な笑い方。絶対、鏡の前で笑顔の練習してそう――思わず苦くなってしまった顔をそっと逸らす茗凛の傍らを、嬉しさを噛み殺してますといった表情の娘が、足早に通り過ぎていく。あの娘、この間まで親に連れられて渋々感アリアリで髪は寝癖つきまくりだったのに、今ではちゃんと髪も結い上げて、朝からしっかり化粧までしちゃって、一人でいそいそと参拝、だなんて。

「騙されちゃって……」

 茗凛の呟きは、再び規則正しく鳴り出した箒の音に遮られ珂惟には届かなかったようだ。

『鼻筋も通っていて。舞台に出たら映えそうな』

確かに、綺麗な顔をしてる。しかもあの女殺しの笑顔。そのうえ見かけによらず、腕っ節も強いし。きっともてるんだろうなー。

 というか、それこそ長安で待ってる人がいたりして――。


「――なーんか、ヘンなんだよなあ。この寺」


 竹箒を動かしながら、珂惟がボソリと言うのが聞こえた。

「どういう意味?」茗凛が問いかけると、珂惟は掃除の手を止め、

「だって俺に与えられた仕事って朝夕二回の門前の掃き掃除だけだぜ。他を手伝うと言っても断固拒否。講堂の講義参加だけ認められてるけど、一般信者向けで簡単すぎて眠くなる。しかもお目付けつき。一人で厠所にも行かせてくれないんだぜ。上座は『仕事をこなしたら好きにせよ。宿に戻って自学するもよし。敦煌とんこう観光でもしたらどうだ。長安で土産話一つできぬでは、つまらなかろう』と来たもんだ。おかげさまで、無聊の日々を送っておりますよ」

「茗凛」

 そこへ先に境内に入った霞祥が手招きをしているのが見えた。右手はしっかり彩花の手を掴んでいる。彩花は頬を膨らませ、じっとりした目でこちらを見ていた。やれやれ。

「ああ、じゃあな」

 珂惟は軽く手を上げて、止めていた手を再び動かし始めた。そうしてやって来る参拝者に丁寧に、にこやかに挨拶をしている。今度は、何故か腹は立たない。

 大丈夫、なのかな? ちょっと元気がない気もする。異郷の地でそれじゃ寂しいよなあ。琅惺さんは寺内の僧坊にいるから、話す機会も少ないだろうし。――でもなんでだろう。今までこの寺に来ていた留学生は行者だって修行に参加して、自由に寺内を歩き回ってたのに。今の上座に変わってから、方向転換したのかしら。今度兄さんに訊いてみようかな……眉間のしわを解いた茗凛は、後ろ髪を引かれながら境内に入っていった。


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