第12話「初めての痛み」

 その日の昼下がり。

 茫洋たる砂の海を泳ぎぎった旅人たちをねぎらうように賑わう城門広場で、茗凛めいりんは赤い毛氈の上に一人いた。軽快な打楽器に足を止めた旅人たちが、毛氈を大きく使って快活に踊る彼女の姿に釘付けになる。

 頭上に広がる青空のように明るい音楽に乗り、深紅の裙子スカートと萌黄色のひれが、時にゆるやかに、時に素早くひらめき続ける。

 やがて、三人の兄たちが叩く鼓と、足踏みの音が小刻みに、早く大きくなっていく。つられるように旋回する彼女の速度がどんどんあがるが、頭上に積まれた五枚の小皿は、まるで塔のように揺らがない。「おおー」間延びした歓声が、次第に大きくなる。

 ドンっ! 鼓声と同時にピタリと茗凛が静止すると、辺りは水を打ったような沈黙――だが一瞬後、興奮気味に歓声や口笛を飛ばしながら、観客たちは彼女に惜しみない拍手を送る。こたえるようにニッコリ笑った茗凛が、頭上の小皿、一番上のそれから水を零して見せたとき、それはいっそう大きなものになった。

 両手を広げ、満面の笑みで観客を見渡した茗凛――だったが、「え?」と小さな声をあげて、一点を凝視したまま眉間に皺を寄せる。

 観客の輪がほんの少し途切れた先で、珂惟かいが腕組みをして立っていたからだ。彼は茗凛の視線に気づくと、小さく手まで振ってきた。

 「何やってんのよ」茗凛が思わず呟くと、「何やってるんだい、早くお下がり!」とおかみの小さな、だが叱責が飛んできた。はっと見ると、傍らの天幕からおかみが必死の形相で手招きしており、その肩越しでは霞祥かしょうが心配げにこちらを見ている。気づけば音楽も弦楽器の音色に変わっていて、同じ節を繰り返し繰り返し演奏していた。三人の兄が「早く下がれ」と必死に目で訴えてかけてきている。

 いっけない、茗凛は我に我に返り、慌てて天幕に下がった。入れ替わるように霞祥が出て行くと、歓声と拍手が大きく湧き上がる。

「何ぼーっとしてるんだよ!」

 で始まったおかみの小言を聞き流しながら、茗凛は急いで邪魔な装飾品を外し、いささか乱暴に、着替えを手伝おうと側に立った彩花にそれを渡した。引き換えに差し出された手布タオルを奪うように手にすると、パンパンパンっと強めの音を立てながら顔を押さえ、流れる汗を拭う。

 椅子にかけられていた薄紅の上着をさらって出口に向かうと、「どこ行くんだい!」とおかみの声が追いかけてきた。

 「ごめん、ちょっと」と茗凛は言い置き、上着をはおりながら足早に天幕を出る。

 さりげなく、でも大急ぎで汗を拭きながら辺りを見回すと、毛氈に釘付けの観客の輪から少し外れたところに立つ胡楊樹の木陰の下に、珂惟は立っていた。茗凛の姿に気づくと「よっ」と右手をあげ、こちらに歩み寄ってくる。

「どうしたの、いったい」

 できるだけ息を整えて茗凛は訊く。すると珂惟は、

「やることなくてクサクサしてるのもヤだから、上座のいうとおり観光でもしようかなーって思って。でも敦煌とんこうってよく分からないし、案内してもらえたらありがたいと思って来てみた」

 そう言って屈託なく笑うものだから、茗凛は安堵する。元気そうでよかった、と思いながら笑顔で「いいよ」と答えると、なんだかわくわくさえしてきた。

「分かった、じゃあ、ちょっと待っててくれる? ケバいでしょ、コレ。舞台用だし、日焼け対策でもあるんだけど、我ながら怖いのよね。これで城市まちは歩けないから」

 茗凛は衣装と同じく紅色をした目と口元を指さしながら言う。すると珂惟は腕組みをしながら何度も頷き、

「ああ確かに、ちょっと浮いてるな。近くで見ると無理してる感じがありあり。――いいよ待ってるから、ゆっくり落としてくれば」

 と、物分りよく頷いてくれた。なのに。

 ――あれ?

 なんだろう今の感じ。なんか、嫌なことを言われたような……。

「どうかした?」

 動かない茗凛に、珂惟が問いかけてくる。茗凛は慌てて首を振り、

「じゃあ待ってて」

 と急ぎ足で天幕に戻った。

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