(7)

「楓」


 楓。

 楓との出会いは中学の頃。そして高校と時間を共にした。

 しかし、現世での悟は小学生までしか生きていない。


 楓なんて人物とは、会ってもいない。

 つまり、楓は……。


「彼女か? 当然、あれは私の用意した傀儡だ。舞台を盛り上げる為のね。彼女と大切な約束をしたようだな。守れなかったようだが。いや、すまない。その約束の思い出自体も私の創り物だったな」


 悟は左手の甲の傷を見た。

 楓を守った時についた傷。

 でも、そうじゃなかった。

 思い出した。

公園でノームが彼女を殺した後の場面。最後に彼は、錐で自分の手の甲に傷をつけた。

これは、楓を守った証でも何でもない。人殺しの証明だ。


「数を数える事すら危うい脳みそだった現世の君は、一人殺すごとに体に傷をつけた。その記念すべき一人目があの少女。思い出深い傷ではあるな」


 全てが虚構だった。大切な人の記憶も、約束も、全て。


「いい顔をしているな。地獄を創った甲斐があったよ」


 地獄に救いなどあるはずもない。ここは完膚なきまでに悟を追いつめ、壊す為だけの世界。

 人形のようにもはや表情も感情もなく佇む楓。

 彼女に魂などない。ただの傀儡にすぎない存在。

 西行楓という存在そのものは否定された。

 だが、まだ終わらなかった。


「君は少し勘違いしているようだな」

「え?」

「西行楓なんて人はいなかった、そう思っていないか?」


 ドクンと心臓が波打った。

 やめろ。これ以上まだ追いつめるのか。

 しかし、容赦はなかった。


「楓は実在している。教えてやれ、楓」


 山羊紳士の言葉に、楓の体がぴくりと反応した。

 表情はマネキンのように固まったままだったが、彼女はゆっくりと言葉を紡いだ。


「あなたのせい」


 ひどくゆったりとした口調。抑揚はなく、キーボードで打った言葉をただ発音しているだけのような無機質な声。

 気味の悪さを覚えながらも、悟は楓の言葉に耳を向けた。


「あなたに、わたしは、ころされた」

「……殺された?」

「あなたに、わたしは、ころされた」


 一瞬錯覚かと思った。

 それは、楓の体がふいに縮んだように感じたからだ。

 だがそれは見間違いではなかった。

 みるみるうちにその体は小さくなっていった。それと共に、体つきも顔つきも幼くなっていく。彼女だけが時を逆戻りしている。

 悟は驚愕した。

 目の前で人間が急激に幼くなっていく事にではない。幼くなった楓のその顔が、悟の心を強烈に蹴り上げ、叩きつけた。


「君は……」


 時の巻き戻しが終わった。

 楓だった姿は、少女に変わっていた。

 あの夜の公園で、脳を喰らい尽くされた少女の姿に。


「これが、本当の楓の姿だよ」


 山羊紳士は静かに告げた。

 そして再び闇が訪れた。

 記憶の渦へと、悟は再び飲み込まれた。

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