(6)

「思い出してくれたようだな。自分の本当の姿を」

「……そう、なんだよな」


 気付けばまたあの屋上に戻ってきていた。目の前にはまた山羊紳士。

 彼が提供した記憶への旅は終わったようだ。

 脂汗が大量に滲み出ていた。一気に押し寄せた真実が悟を強烈に圧迫した。


「俺が……ノームだったんだな」

「その通り。それがお前の現世の罪だ」

「罪……」

「現世でお前が犯した罪。のべ7人もの少年少女を虐殺。無邪気とも呼べるほど激しく損壊した死体。そしてそのどれもが脳みそを綺麗にくり抜かれている。前代未聞の猟奇殺人鬼として人々を震撼させたこの事件の犯人は、更に人々を恐怖のどん底に叩き落した」

「……」

「それが、当時小学生だった君だ。鬼島悟」

「……」

「あれだけの悍ましい犯行を小学生が行っていた。とんでもない事件だよ。最後君は7人目の食事中にその場で射殺された。これもまた異例な事だろうが、人間にしては懸命な判断だろう」

「それで、地獄行きか……」

「その通り。そして私が君の地獄を担当した」

「……ここは、一体何なんだ?」


 悟の言葉に山羊紳士は、全てを教えてやろうと、刻々と語り始めた。


「まず私という存在について改めて説明しておこう。なんとなく分かっているだろうが、私は所謂処刑人だ。地獄へ堕ちた者へ罰を与える者だ。罪を犯した者への罰は取り揃っている。君が想像し得る基本的な地獄をそのまま想像してもらえればいい。それが私達のいる世界だ。だがね、飽きたんだよ。いつも同じような手段で罪人を裁く事に。先人達の用意した使い古された罰を何度も何度も何度も何度も繰り返す時間。苦痛だよ。どっちが地獄か分からない。だからね、私は自分で考えたんだ。新しい地獄をね」

「新しい地獄……それがこの世界か」

「手が込んでるだろ? 君の為だけに創った世界だよ」

「俺の為に……か」

「罪人を苦しめる事はもちろん、何より私自身楽しみたかった。痛い、苦しいでおしまいだなんてものではなく、じっくり罪人をいたぶり苦しめ追い込み、絶望させるそんな世界。そしてその世界で私は一つルールを作った」

「ルール?」

「もしも君自身が本当の君の事を思い出したら、この地獄は中止。そういうルールだよ」

「……どういう事だ?」

「君の本当の姿は殺人鬼ノームだ。そして小学生で君は射殺されている。だから神下高校に通い高校生として振舞っていた鬼島悟なんてものは私が設定した登場人物にすぎない。だが、現世での君の記憶は実はそのまま残してあったんだ」

「記憶はそのまま?」

「そう。だから君は思い出そうとすれば、いつでも現世の記憶を思い出す事が出来たんだ。つまり本当の自分を。そしてそのヒントを私はこの世界に散りばめた」


 山羊紳士が指を鳴らした。その瞬間、世界が暗闇に包まれた。

 その暗闇の中で、映画のスクリーンのようにある場面が目の前に映し出された。

 それは部室で話す楓と操と悟の姿。


“あらら、お二人とも見事なサイコパスですね”


 楓のその言葉で場面が一時停止した。


 ――そういう事かよ。


 これでよく分かった。ここが自分にとっての地獄であると共に、今まで悟が過ごしてきたと思っていた時間が山羊の姿をした地獄処刑人の創った、地獄という名のゲームである事を。

 楓のこの何気ないセリフ。これはそのまま悟の事を言っていたのだ。

 現世で猟奇殺人を犯した者。サイコパスとしては満点ものだろう。


「殺人鬼だった君は紛れもなくサイコパス。ちなみにここで楓は”お二人とも”と発言している。その意味は分かるかな?」

「いや……」

「操は私だったんだよ。私は操としてずっと君の隣にいた」

「……なんだって……?」


 操=山羊紳士。

 山羊紳士の正体は地獄の処刑人。

 いわば殺しに関してはプロ。痛め苦しめる事を専門としている。そしてその事に罪悪感など持たず、時に楽しさすら求める。サイコパスと言っても間違いではない。

 操の姿を思い返す。

 独特な喋り口調で周りを笑わせ、時にイタズラで悟達を困らせる。

 無邪気な親友。しかしその実態は、最初から地獄側の存在だった。

 そう思えば、操が地獄のパズルを話して聞かせ、その場所を教えた事にも納得が出来た。

 場面が切り替わる。



 アカ、アカ、アカ。

 モット、アカ、ガ、ミタイ。


 ホシイ、ホシイ、ホシイ。


 真っ暗な世界で、ノームの低い声が響いた。

 何度となく見せられた悪夢。

 違ったのだ。これは悪夢ではない。

 聞いた事がある。

 夢とは、自分の経験してきた断片で創られる。つまり経験のないもの、見た事も触れた事もないものは、決して夢には現れない。


“現世での君の記憶は実は残しておいたんだ”


 山羊紳士の言葉。

 そう。あれは悪夢ではなく、まさしく悟の本当の記憶そのものだったのだ。


「そう言う事だ。実はこれが一番ダイレクトなヒントだったんだがね」


 場面が変わり、公園が映し出される。

 少女の顔。つい先程、出会い、そして殺された少女。

 少女は悟に向かって口を動かした。


“ずっと苦しかったでしょ? 辛かったでしょ?”

“大丈夫だよ”

“わたしはそんな目で見ないよ”

“だって、友達なんだから”

“ね? 大丈夫だから。落ち着いて”

“わたしは、あなたの味方だよ”

“ねえ”

“だから”

“ねえ”

“お願い”



“殺さないで”



 これは、学校でノームに襲われ気を失った際に見た夢。

 あれも、自分自身の記憶だったのだ。


「では、次に移ろう」


 次の場面。

 舞台はまたも学校。下駄箱に転がる大量の死体をバックに、操がぶっきらぼうに横を向いている。

 そして操の言葉。


「楓ちゃんもみすみす見殺しか。俺が守るなんて啖呵切ったくせしよって。そんなもんか」


 何てことのないセリフと場面。

 何故今これを見せられているのか、悟は最初分からなかった。

 だが、じわじわと違和感が込み上げてきた。

 おかしい。操のこのセリフは絶対におかしい。


 ――何故、操が知っているんだ?


 操が俺に向けたこの言葉。


 楓は俺が守る。


 中学の頃、楓に決意を込めて言ったセリフ。

 だが、この出来事を悟も楓も他人に口外していない。楓の身に悲劇があった事は、二人しか知らない。なのにあの時操は、悟の約束を平然と口にした。知っているはずもない事を。

 何故それが言えたか。それは操の正体が山羊紳士で、この世界を創った張本人だからだ。


 ――けど、待てよ。って事は……。


 悟はノームに捕まっている楓に視線を向けた。

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