(4)
「何やっとんや悟!」
声と共にふいに全身を激しく揺さぶられ、悟の体は大きくぐらついた。振り向くと操と楓がそこにいた。
「操」
「何ぼーっとしとんねん! 逃げるで! ぼさっとしとったらこっちも殺されるわ!」
「あ、ああ」
ようやくそこでまともに意識が働きだした。
檀上にもう一度目を向ける。首のない校長の体が横たわっている。しかし、ヤツの姿はもうどこにもなかった。
「なあ、操」
「なんや?」
「ノーム、だよな、あれ」
言葉に出すとひどく現実味が失せた。ひょっとしたらやはり何かの間違いだったんじゃないかとその瞬間少しだけそんな希望が悟の中に生じた。
「分からん。分からんけど」
「けど?」
「ろくでもない奴やって事だけは確かや。人の首ちぎって殺すような奴やぞ。ええから逃げるで!」
操が急に走り出したので、慌てて悟も楓も続いて走り出した。
そうだ。あいつがノームであろうがなかろうが、今は緊急事態だ。少し出遅れた事もあって、先程まで群がっていた出口の人だかりはすっかり消え去っていた。
とにかく全速力で走った。それでも先頭を走る操との距離は縮まらない。足がもつれそうになる。どうしてこんな事になったんだ。全くもって訳が分からない。少し考えただけで頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだった。
体育館を抜けて、長い廊下を走り続ける。先頭を走る操が右に曲がり視界から消えた。その先は下駄箱で、そこからそのまま外に出られる。教室に荷物も何も置きっぱなしだが言ってる場合じゃない。一刻も早くここから逃げるのが先決だ。そして悟も曲がり角に差し掛かろうとしたその時、
「うわっ!」
という操の叫び声が聞こえた。その声に足の勢いは落ちたが急に止まる事も出来ず、悟はそのまま曲がり角を曲がり、そこでようやく足を止めた。楓も悟の横に並んだ。
「何よ、これ……」
楓の声は、全く何も信じられないといった声音だった。
目の前に広がる光景に悟は言葉を失ったが、楓の言葉に同意だった。
三人ともただ茫然とそれらを見つめ、それぞれが等しく絶望に包まれているように身動き一つとれなかった。
「……地獄や」
操がぽつりと呟いた。
ああ、そうだ。悟は心底納得した。これが地獄じゃなくてなんだって言うんだ。
でもそれは、この地上という世界で行われるものではない。もっと下の下の、全く違う空間での空想のものとして存在しているものだ。それが、何で今、ここで、こんなにも当たり前に目の前に地獄が寝そべっているのだろうか。
そこらじゅうに捨てられたゴミを収集して寄せ集めたかのように積み重ねられた死体の山。それは先程まで悲鳴を上げ、逃げ惑っていた生徒達だ。
全校生徒の数は確か200人程。そして今目の前に蹂躙され尽くした体達は、おそらくその全てだった。少し見ただけでも五体満足でいる者はほとんどいない。
徹底した暴力、殺戮。尊厳なんてどこにもない。全てをとにかく壊しきる。強烈な殺意を持って行われた破壊衝動の結果がこの無残な有様だ。もはや死体というよりも残骸といった方に近い。溢れ出した血液は文字通り血の海で、床を真っ赤に浸していた。
「うっ、えぁ」
あまりに惨い光景に堪えきれず、楓が横で嘔吐した。無理もない。悟も油断すればいまにも吐きそうだった。
蹲る楓の背を悟は優しくさすった。
「楓、大丈夫か? 動けるか?」
「……うん。ごめん、怖くて仕方ないけど、逃げなくちゃだもんね」
足元は少しふらついていたが、なんとか自力で歩けるだけの強さは残っているようだった。
「逃げなあかん。とりあえず、外や」
「あの上を、歩かなきゃいけねえのか……」
「贅沢は言うてられんやろ」
「……だよな。楓、無理だったらそこで待ってろよ」
「ううん、大丈夫。それに、一人で待ってるの怖いし」
「そうか」
操に倣って三人は玄関の扉の方へと歩いて行った。扉の前にも必死にすがるような形で大量の死体が転がっていた。志半ばで殺された無念の塊。あと一歩で逃げられたかもしれない。だが扉はどれ一つとして開いていない。扉の先の外の世界。当たり前に見えるグラウンドがひどく懐かしく、場違いに思えるほど綺麗だった。そこには死体も、血の一滴すらもない。まるで玄関を境に、世界が真っ二つに区切られてしまったようだった。
扉の先には平和がある。そう思えた。だが、誰一人その平和を掴む事は出来ず、無残に殺された。これだけの人数がいながら、その願いを叶えた者は誰一人いないのだ。その事に少し不思議さを感じながらも、悟はぐっと扉を外に押し出してみた。
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