(4)
「起きたか、さっとん」
目が覚めると、いくつものクラスメイトの顔が自分を見下ろしていた。
「あれ、ここは……?」
悟がそう口にすると男子の一人が笑った。
「おいおい、大丈夫かよ。その次に俺は誰だなんて言うなよ」
むくりと起き上がり、周りを見渡す。ようやくそこで自分の状況を理解した。
どこの病院かは分からないが、自分がいるのはどうやら病室のようだった。
「ちゃんと覚えてるよ」
そう笑ってみせると、皆も安心したのか吊られて笑顔を見せた。
「早けりゃ明日には退院出来るってよ。大した事なくて良かったな」
「ああ」
その後しばらく談笑し、早く学校来いよという暖かい言葉を残しクラスメイト達は部屋を後にした。バタリと閉じられた扉に少し寂しさを感じた次の瞬間、扉がまた開いた。
「あっ」
悟は思わず声を漏らした。
「入っても良かった?」
楓が遠慮がちにこちらを見ていた。
「いいに決まってんだろ」
そう言ってやると、楓の硬かった表情は少しほぐれた。
椅子に座り、楓は申し訳なさそうに悟を見つめた。
「ごめんね」
「いいって。怪我は?」
「大丈夫」
「……お兄さんは?」
「……」
「……そっか」
楓の兄は、やはり手遅れだったようだ。
何度か会った事があるが、気さくで礼儀正しいお兄さんだった。さわやかな笑顔が脳裏に蘇る。いつだったか、楓と三人でバスケットをした事もあった。全く歯が立たなかった記憶がある。楓も兄の記憶が頭を駆け巡ったのだろう。瞳が潤みだし、今にも涙が零れ落ちそうだった。
「お前が無事で、良かったよ」
「うっ……」
楓はそこで顔を伏せた。
肩が小刻みに震えていた。あの時の恐怖と、失われた兄の悲しみに襲われているようだった。
何か言ってやらなきゃ。その思いが悟の口から自然に流れ出た。
「守るから。何かあったら、助ける。支える。あんな素敵な兄さんの代わりにはなれないけど、頑張ってみるから」
後から思い出せば、告白ととられてもおかしくないセリフだった。後々このセリフのせいで楓からは何度もからかわれ、その度に死ぬほど恥ずかしくなった。
でも、そうやって笑う楓に戻ってくれて良かった。
そのまま壊れてしまってもおかしくない程の惨事だった。
加害者も被害者も身内という、あまりにも悲しすぎる事実。
今回起きた悲劇。実はそれは今に始まったものではなかった。
もともと情緒不安定な楓の母親は、度々急に泣き喚いたり暴れたり自殺未遂に及んだりした。うつ病と診断され、薬やカウンセリング等の治療も行っていたが、明確な効果はなかった。それでも、今回のように直接家族にその牙を向ける事はなかった。だが限界が来てしまったのか、最後の良心は壊れ、制御を失った彼女はとうとう最悪の悲劇を引き起こした。
「手、大丈夫みたい。そこまで傷は深くなかったって」
そう尋ねられても悟は最初何の事か分からなかった。楓の見つめる視線の先には、包帯に巻かれた左手があった。
持ち上げて少し動かしてみる。きつく巻かれた包帯のせいで上手く動かせなかったが、楓が言うには問題ないらしい。
その後、程なくして悟は退院した。心のケアが必要な楓は、カウンセリングの為に度々学校を休んだりもしたが、会えばそれなりに元気な顔を見せてくれた。
包帯の取れた左手の甲には、なかなかに大きな傷跡が残っていて最初は驚いた。そして無事でいれた事に心底感謝した。
どうやらあの時、最後の力を振り絞って悟は楓の母親に立ち向かったらしい。その際左手を切りつけられたが、その代りに最悪の結末を回避する事は出来たようだ。
この傷を見る度にあの時の事を思い出す。目には見えないが、きっと楓の心にも傷跡は今も残っているだろう。
何かあったら、楓を守る。
何もないに越した事はない。でも、傷跡がまた開く事も、新しい傷がついて永遠に楓の笑顔が奪われてしまうなんて事に絶対になって欲しくない。
だから、守る。支える。
心の片隅でいつも控えていた静かな想い。
だが、それが今必要になるかもしれない。
新たな悲劇が起こり始めている。
とんでもなく、残酷な悲劇が
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