四章 記憶

(1)

 学生服に身を包んでいるものの、悟が出向いた先は見慣れた校舎ではなく、ある家庭の中だった。

 告別式。

 黒く重々しい字で書かれたその文字が、一つの命が失われたという現実を残酷なまでに突きつけていた。


 悟はその生徒の名前を知らない。ただ何一つ他人事ではなかった。

 死んだのが神下高校の生徒だという事。そしてその生徒が楓の部活の同級生だったという事。そして、無残にも殺されたという事。

 一通りの行事を終えて、悟は家の外の塀に寄りかかって空を仰ぎ見た。

詳しい情報は分からない。ただ犯人は捕まっていない為、厳重注意が必要であり、しばらくは自宅待機になるようだ。

 殺人。

 ひどく非現実に思えた。オカルトなんて日頃非現実の塊のような話に華を咲かせているのに、殺人という実際に起こり得る、そして起きてしまったものがとても現実には思えなかった。

 災難は自分の身に降りかかって初めて本当の危機感を覚える。遠くの国で起きた大災害も、いくらニュースでその悲惨ぶりが伝えられようとも、それが自分の身に降りかかる可能性を本気で考え行動するものがどれだけいるだろうか。結局は、当事者以外には非現実なのだ。そういう意味で、この生徒の死は現実そのものなのだ。なのに、悟はまだそれを上手く受け取れ切れていなかった。

 理由はもう一つある。


 まさか、本当に。

 ただの噂じゃなかったんだ。

 酷い殺され方だったらしいよ。


 ちゃくちゃくと、足音が近付いて来ている。

 真っ直ぐに目的を見据えた化け物の足取りは、確実にこちらに向かってきている。


「あり得ねえよ」


 現実を否定したいが為に言葉にしてそれを遠ざける。

 その行為に意味があるかどうかは分からないが。

 今回の件が殺人であるだけならまだしも、その殺害方法がノームに酷似しているという噂が流れ出していた。

 どこからそんな情報が漏れだしたのか。ただ、現実に人が死んでいるという点で、前にも増してその噂は補強され、確固たるものとして伝播している。


「あり得ねえ」


 もう一度悟は口にした。

 だがそれは、あり得ると強く思っているからこそ出る言葉だった。


「おう、そこにおったか」

「操」


 操は悟の横に並び、同じように塀にもたれた。


「操」

「なんや?」

「ノーム、なのか」

「……さあな」


 否定してほしかった。自分と同じように、あり得ないと言葉にして欲しかった。

 だが操は顔を伏せ、小さくそう呟いただけだった。

 その時、二人の前をさっと人影が横切った。馴染みのある顔のように思えて、過ぎ去った背中を見ると、やはり楓だった。

 操が、どうすると言ったように悟の顔を窺ってきたが、悟は考える間もなく、楓の背を追い呼びかけた。


「楓!」


 ぴたりと楓の足が止まった。だが楓は振り向かない。

 悟はゆっくりと楓に近付いたが、「駄目」という楓の言葉に今度は悟が足を止めた。


「今、顔酷いから」

「気にしねえよ」

「こっちは気にする」

「一人にした方がいいか?」

「……」


 楓の言葉を気にせず、悟は楓の前に回る。


「駄目って言ったじゃん」


 想像通り、大きな悲しみで殴打された顔色は、お世辞にもいいと言えたものではなかった。


「ほっとけるかよ」

「……」

「家、寄ってけよ」

「……」

「一人でいるよりかは、いいって」

「……」


 悟は思い出す。楓との約束を。

 同意の上で結んだものではない。勝手に悟自身が心に決めた約束だった。


「……ありがとう」


 やがてぽつりと返って来た言葉。

 向こうの方で自分達を見つめる操に向かって、悟は頷いた。

 こっちで面倒見る。その意味を読み取って、操は軽く手を挙げ悟達のいる方向とは逆へと歩き出した。

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