(2)

 どうやらこの老人が店主のようだ。

 しかしいつからそこにいたのだろうか。リンフォンを探すのに集中していた悟は全くその存在に気付かなかった。


「あ、いやー、あのーえーっと……」


 欲しい物。リンフォン。地獄の扉を開くパズル。そんなものを探している、なんて言ったらこの店主はどんな顔をするだろうか。

 正直に問いたい所だったがいざそれを口に出そうとすると、それはあまりにも気恥ずかしく、到底出会った事もない赤の他人に言えた内容ではなかった。


「いや、すみません。ちょっと寄ってみただけ――」


 そう言って足早に店を後にしようとしたその時、悟の視線がある一点を捉えた。

 店主が立っているレジカウンターの奥にも棚があり、そこにもいくつかの品が並べられていた。ほとんどは店内に並べられているものと同じ他愛もない雑貨だった。だがその中に一つだけ異質な存在があった。

 それは棚の最上段に飾られていた。

 琥珀色をした長方形の箱。一見何の変哲もない箱に見えるが、悟はそこから放たれる異様な気配とでもいうべきオーラに目を惹かれた。


「それ、何ですか?」


 気付けば悟は箱を指差し、店主に尋ねていた。


「ああ、これかい」


 店主は棚を振り返り、箱を手に取りカウンターへと置いた。

 悟は近付いて改めてその箱に目を下ろした。

 箱を上から見ると、ちょうど真ん中に縦に切れ込みがあり、切れ込みの両横にそれぞれ取っ手のようなものがついている。まるで扉のような見た目だ。


「さて、これは何だと思う?」


 店主は笑顔で悟に尋ねた。

 店主は当然答えを知っている。そしてその答えが、到底想像もつかないようなものであり、悟に驚きを与えるものであるという自信がある。そう感じさせる笑顔だった。

 見た目だけではやはりそれはただの箱にしか思えず、それ以上の何かは悟の頭では想像もつかなかった。だから悟がそう答えたのは一種のやけっぱちだった。ただ自分が探しにきたものをとりあえず口に出してみる。当たるわけもないだろうという的も見ずに放った弾だった。


「パズル、ですか」


 店主はまさか自分が驚かされる事になるとは思っていなかったのだろう。丸眼鏡の先の小さな目を少し見開き、分かり易く驚いて見せた。


「おや? 君はもしかして、これを知っていたのかい?」

「いや……知らない、です」

「そうか。なかなか君の目は鋭いようだ。その通り、化粧箱でも裁縫箱でもない。これはれっきとしたパズルだ」


 そう言って店主は両手で箱の取ってをつまみ、そのまま上に開いた。

 開かれた扉はそのまま箱から取り外された。

 悟は開かれた中身を覗き込んだ。


「ほんとですね」


 箱の中の世界は、確かに店主の言う通りパズルそのものだった。

 6×6で仕切られた正方形の枠に何やら模様の描かれたピースがはめ込まれており、一番右下の一枠のみピースは存在せず、空白の枠になっていた。


「スライディングブロックパズルという種類のパズルだ。やった事はあるかい?」

「はい」


 これと似たようなおもちゃで遊んだ記憶がある。

 ピースをスライドさせて動かしていく事で完成図に導くパズル。闇雲に動かしながら徐々にピースとの繋がりが見え始め、夢中でピースを滑らせ続けた記憶。

 目の前のパズルに懐かしさを感じながらも、その完成図を想像してみる。

 しかしあまりにもバラバラな状態な為、パッと見ただけでその先を想像する事は難しそうだった。


「偶然譲り受けた一品なんだがね。あまりに売れないので今では棚の上に鎮座する飾り同然の品だよ」

「へー。面白そうなのに」

「そうだろ? なかなかいい品だと思うんだがね。実はこいつにはもうひと仕掛けあってね。この箱、パズルにしては大きすぎると思わないかい?」

「確かに」


 言われてみれば、ただのパズルにしては少々大きさが過ぎる。


「横を見てごらん」


 箱の横側を見てみると、ちょうど箱を上段、中段、下段と三分割するように横線が入っている。見た感じは箪笥に近い。


「じゃあ、一番上の段を押して込んでご覧」


 店主に促されるまま、悟は指で段を押し込んでみた。すると上段が少し奥にずれた。更に力を加えると、するするとそのまま段は奥へと進んで行く。半分程押し進めた所で、悟は反対側から段を抜き取った。引き抜かれた段をなんとはなしに見ると、悟は仕掛けの意味に納得した。


「次のパズルのお出ましだ」


 そこには先程と同じパズルが姿を現していた。少し違っていたのは、はめこまれたピースの柄だ。おそらく一段目とはまた違う絵が完成するのだろう。


「三段構造のパズルになっていてね。私も完成図を見た事はないんだが」

「え、そうなんですか?」

「どうもパズルは苦手でね。しかも飽き性ときたもんだから、すぐに断念してしまってね」


 目の前のパズルをしげしげと眺めていた悟はふとある事が気になり、店主に尋ねてみた。


「ところでおじいさん、このお店には他にもこういったパズルは置いてるんですか?」

「いやー……パズルは、これしか置いていないね」

「そうですか」


 偶然目についた品が、偶然にもパズルで、しかも少し特殊なパズルという揃い踏みからこれを本物だと決めてかかってしまいそうだったが、まだそうと決まったわけではなかった。だが店主の言葉通り、他にこの店にパズルがないと言うのなら、やはりこれがリンフォンなのだろうか。

 だが、目の前にあるパズルは見た目も形状も何もかもが違う。正二十面体でもなければ、動物に変貌を遂げるようなものでもない。こんな事ならもうちょっと操から情報を聞きだしておけばよかったと思ったが、ともかく、確証はないがこれが一番リンフォンに近いようではある。


「すみません、これって今はもう売ってないんですよね?」

「おや、もしかして買ってくれるのかい?」

「ええ。多分これが、僕の探してたものっぽいので」

「ぽい?」

「ああ、まあ、はい」

「そうかい。ならこれは君にあげよう」

「え?」

「永らく引き取り手も見つからなかった品だ。こうやって今ここで君がこのパズルと出会った事は、一つの運命であり必然だろう」

「い、いいんですか?」

「君さえ良ければ、ぜひ」

「ありがとうございます!」


 店主の優しい笑顔に見守られながら、悟はパズルを手に件を後にした。


 ――これがホンモノなら。


 まだ自分の中に絶対の確証もなければ、疑いもそれなりに渦巻いている。だが今それ以上の期待があるのも確かだった。

 驚く操や楓の顔を想像しながら、悟は手にしたパズルに再び目を落とした。

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