── 双尾の少女




 




風・二五



「ハチさん、お客さんですよ」


 室内はモノトーンで統一されていた。磨き上げられた黒い調度品たちが美しい光沢を放っている。地下街では珍しい真っ白な壁に落ち着いた灰色のドア。天井を覆い隠すように黒い布が吊らされていた。

 部屋の中でひときわ目を引く大きなデスクには大量の書類が山となって積まれていた。その前にあるソファにも雑多なものがところせましと置かれている。男が一人葉巻をくわえて唸っていた。


 地下街に戻ったハチはチーシャから引き継ぎの資料をもらいながら、不在中にたまっていた諸々の雑用を片付けていた。ハチの執務室兼応接間であるこの部屋に、彼ら以外の誰かが通されることはほとんどない。この場所に客人が来るということが、まず想定されていない。したがって、数回のノックの後にチーシャが言ってきた内容に、ハチは怪訝そうに眉をあげた。


「どうします?通しますか?」

「通すも何も、どこのどいつだ?」


 葉巻を置き、立ち上がる。チーシャは客人をここに通すことに疑問を感じていないようだ。それがまたハチを困惑させる。


「これを見せればわかるって言われたんすけど」


 そういってチーシャが差し出したのは金色の紙のような何かだった。受け取ったハチが明かりにすかす。

 見た目は紙のようだが持ってみるとそれは薄い金属でできていた。複雑な幾何学模様が美しい。それは栞のようなものに思えた。ただ持つだけで指先がピリピリと痛む。ハチから表情が消えた。


「これを持っていたやつの外見は」


 構えるようにチーシャが答える。


「よくわかんねえっす。越境用の長いマントを着て、目深までフードを被ってました。気配からして獣人だとは思うんですが、俺が何処に所属しているかわかっているようでした。かなりの手練れって感じで、下手に騒ぎ立てるよりハチさんに知らせた方が無難かと思って」

「良い判断だ。そいつを今すぐここに呼べ。俺はお二方に伺いを立ててくる」

「えっ」

「良いから早くしろ。それからそいつを案内したらノギを連れてここから出ろ」

「そいつ一体なんなんすか。ヤバい奴なんすか?」

「……お前が、俺の後を継ぐなら教えてやるよ。さあ、早くしろ」


 チーシャは慌てて部屋から出ていった。

 ハチは部屋のドアを閉め、反対側の、デスクの後ろの壁を三回ノックした。コトリと何かが動く音がする。


「双尾様、ハチです」


 囁いたハチの声が届くか届かないかのうちに、壁が三センチほど凹んだ。人一人がやっと通れるぐらいの長方形。へこんだ部分の壁がするすると上に上がっていく。壁の向こうには真っ黒な階段があった。


「失礼します」


 律儀にそう断ってからハチが階段を上る。二段、三段、急こう配の階段を上っていくと派手な内装が目に入る。階段の先には小さな屋根裏部屋のようなスペースがあった。天窓から揺らめく光が差し込んでいる。


「ハチだ」「ハチだ」

「どうしたの?」「どうしたの?」


 小鳥のさえずりのような声が響いた。


「これを持つものがお二方に面会を求めています。如何されますか?」


 少女がいた。

 黒い髪と白い瞳。白い髪と黒い瞳。お互いがお互いを反転させたような色彩を持つ二人の少女が、真っ黒の天蓋がついた大きなベッドの上で、巨大ぬいぐるみたちに埋もれながら寝そべっていた。


 部屋は落ち着いた応接間の雰囲気とは真逆の、退廃的で、どこか人を不安にさせる内装をしている。いたるところに切り裂かれたぬいぐるみが落ちており、大量のお菓子がサイドテーブルから溢れ落ちていた。床は白と黒の市松模様になっており、壁は白地に黒のラインが施されている。



 ハチは恭しく跪くとチーシャから受け取った栞を二人に渡す。

 二人はそれに触れた瞬間、顔を見合わせた。


「あの子だ!」「あの子だ!」

「これはあの子の〝気〟の匂いがするよ」「うん間違いない。あの子の匂いだ」


 ハチに話しているのか、それとも自分たち同士で話しているのか。焦点が合っているような合っていないような目で、少女たちが栞をみつめる。


「お通ししても宜しいですか?」


 少女たちを直視しないよう視線を下げながらハチが言った。


「どうしようか」「駄目だよ」「駄目なの?」「駄目駄目」

「怒られちゃう」「怒るかな?」「どうだろ」「わかんない」

「ハチ」「ハチ」「どう思う?」「どう思う?」

「追い返すこともできますよ」

「追い返す?」「可哀想」「可哀想だね」「それにもっと怒っちゃうかも」

「もっと怒っちゃう?」「もっと怒っちゃう」「だったら」「いいよ」「いいの?」

「いいよ」「いいよ」

「ではお連れいたしますね」


 二人の声が揃ったところでハチは一旦応接間に戻った。階段を降り、チーシャを呼ぶ。

 扉から顔だけ出したチーシャにハチが頷いてみせるとすぐに男を連れてきた。部屋に入ってきた男は確かに怪しい雰囲気を醸し出している。


 ハチはそのフードを目深にかかった男を一瞥すると、デスクの裏の階段をあがるよう促した。


「……久しぶりだな」

「もうお会いしたくはなかったですが」


 すれ違いざまに呟いたハチの言葉に男も同じように返す。囁き声でなされた会話はチーシャには届かない。


「随分上等なしゃべり方を身に着けたもんだ」

「お陰様で」


 会話は鋭かった。男が先に壁の中へ踏み込み階段を上がっていく。

 ハチはその後に続く前に振り返り、チーシャにここから出るように促した。


「俺が呼びに行くまで戻ってくるな。そう時間はかからない」

「わかりました」


 チーシャが部屋から退出したのを見届けて、ハチも壁の中に入る。階段を上りきり男の背後に立つと、スイッチを押して退路を塞いた。



 フードの男は階段を上ると隙のない動きで部屋を見回した。その様子に退廃的な部屋の様子に驚く気配はない。少女たちは自分たちのテリトリーにやってきた男を面白そうに眺めた。男は少女たちの前に出るとフードを取り、跪いた。銀色の髪が光を反射して煌めく。ハチは男の背後に立ち、鋭い眼光で刺すようにその背中を見つめた。

 少女はただ、楽しそうに目を細めるだけだ。


「率直に申し上げます。上宮に介入しましたか?」


 男、シザーは目の前の少女たちをまっすぐ見据え、そう言った。

 背後でハチが眉をひそめる。


「ふふふ」「ふふふ」


 少女たちは二人とも一層笑みを深めると、シザーの質問には答えず、自分たちの顔をぐっと彼に近づけた。鈴が鳴るような声で好き勝手に話し始める。


「あの子はきれいな子が好きなのね」「その銀色とてもきれい」

「あの子の目も綺麗な色をしているのよ」「貴方は勿論知っているだろうけど」

「あの子はとっても」「強くて」

「凛々しくて」「美しいの」

「ええ。存じております」


 少女の四つの瞳が、ひたと彼を見据えた。


 彼女らの異質さが、脊髄をなぞるようなおぞましさで眼前に迫ってくる。

 四つの瞳孔は、彼を見ていない。彼の瞳のその先の、神経を辿って脳幹のその奥に潜んでいる何かを見透かしている。

 呼吸がにわかに早くなる。

 うっすらと汗ばんだ肌が緊張に震えている。

 二対の可憐な唇が、嫌な形で歪んだ。


「ねえ」「貴方は」「あの子に」「どんな色が」

「似あうと」「思う?」

「……月光のような、鋭い銀がお似合いかと」

「まあ!」「素敵!」「なんて綺麗!」「ふふふ」「あなた」

「気に入ったわ!」


 二人の少女は簡単にシザーから視線を外すとお互いの顔を見合わせて手を取り合った。無邪気な笑みが余計に二人の異質さを際立たせる。シザーは深く息をすると視線を下にずらす。


 これでようやっと第一関門突破というところだろうか。


 思わず漏れた深呼吸は重い。

 明らかに常人ではない少女二人と、その側近である獣人一人。


 少女が笑う。つまりここからがシザーの番になる。


「そうね」「たしかに」「ちょっとだけ」

「悪戯したかも」「しれないわ」

「なぜ?」

「ふふふ」「なぜだって!」「なぜでしょう」「なぜだっけ?」

「忘れちゃった」「忘れちゃったわ」

「ごめんね」「ごめんなさい」

「いえ、………ではどのような悪戯を?上宮と双尾は協力関係を築く際、お互いに必要以上に干渉しないことを約束されていたはずですね?」

「だって」「会いたかった」「から」

「会いたかったと言いますと、誰に、ですか?」

「ふふ」「ふふふふ」

「嘘つき」「嘘つきね」「あなたは」「答えを」「知っている」

「……これは失礼いたしました。悪戯をした理由を伺っても?」

「会いたかったから」「本当よ」

「ふふふ」「でもね」「そうね」

「頼まれたの」「会わせてくれって」「だからね」「悪戯したの」


 シザーはそこで押し黙った。


「お二方」


 会話が途切れたところでハチが少女に声をかける。シザーはそっと後を盗み見た。

 渦巻く〝気〟の強さがシザーを牽制する。

 ハチはこちらを伺うシザーを睥睨し、すぐに少女らの方へ視線をやる。硝子玉のような瞳をハチに向け無邪気に笑みを浮かべている少女は、それだけで何かがわかったように頷くと軽やかな声でシザーに声をかけた。


「ハチがあなたに」「話があるみたい」

「男、部屋を出ろ」

「………」


 第一関門を突破したところで追い出されるということは、それだけシザーが聞き出したい事案は彼らにとっても慎重に扱うべき事案だということだ。当然と言えば当然だ。その受け答えによっては彼らの立場が変わってくる。


 シザーは立ち上がり、背後のハチと向き合った。

 スリーピースのジャケットを脱ぎ、仕立ての良いシャツの第一ボタンを開け、雑に腕まくりをした男は、それだけでは地上の上流層に出入りをしている商人のようである。そしてそれは間違いではない。ただ、一面でしかない。

 ひたりとシザーを見据える両眼に感情はなく、冷徹な銃口のようにそこにいる。


 ハチはそのまま背を翻し、もと来た階段を使って応接間へ戻った。シザーも黙ってその後をついて行く。

 ここからどれだけ望みの情報を引き出せるかが勝負だった。














 背後から刺すような視線を受けながら応接間に戻ってくる。建物は静かだった。

 チーシャは言いつけ通りノギを連れて出かけたようだ。言った通り短時間で済ませられるだろうか。心の中でぼやきながらハチはソファの上に置かれていた諸々を乱雑に床に置き直し、辛うじて空いたスペースに座るようシザーを促した。


 促されては仕方がなく、シザーはその埃まみれのソファに腰を下ろす。

 それを横目で見ながらハチは置きっぱなしにしていた葉巻に手を伸ばした。ただ、すでに不快そうに周囲を見回しているシザーの様子を見て口にくわえるのはやめた。


「それで、今日の要件は何だ」


 ドサッとデスクの椅子に腰をおろし不機嫌そうにハチが問う。


「さっき言っただろ」

「上宮に介入しただなんだってやつか」

「お前の主はそれを認めた」

「で?」

「なぜ介入した。双尾にそれをそそのかした馬鹿は何処のどいつだ」

「知らない。お二方の一存だ。理由は知らない」

「お前を通さずに双尾に会ったのか?」

「お二方が会おうと思えば誰でも会えるだろう」

「お前を通さずに?どうやって」

「………」

「不干渉の契約を破ったことを双尾は認めた。上宮はそれに関して情報の開示を求めている。答えろ」


 語気を強くして言う。

 いらだっているシザーの様子にハチは愉快そうに眉をあげた。


「ふはは。お前が上宮の名をかたるのは笑い種だな。じゃあこちらも問わせてもらおう、現皇の代行者殿。なぜあなたは五者会談を開かない?双尾が交わした契約は上宮と双尾の二者間で交わしたものだけではない。各地の頭である五者との協議の末になされたものだ。もし上宮が双尾の契約違反に確信を持っているのなら、なぜ五者会談を開き、公の場で、他の頭の目の前で契約違反を追及しないんだ?それが最も効果的に双尾を吊し上げる方法だろう?それをしない理由、出来ない理由をあててやろうか」

「五者会談を開くには時期が悪すぎる。これから物忌みの時期になるんだぞ」

「違うな。ことを荒げたくない理由がそっちにあるからだろう」

「潔斎をしなくてはならない物忌みの直前に、お前らのようなケガレと接触することを誰が許す」

「誰の許しがいるんだ。この国の主が自分の意志を押し通すのに」


 シザーの言葉を覆いかくすようにハチが声を張る。

 不愉快そうにシザーは眉をひそめた。


「お前は国の何たるかを全く分かっていない」

「お前も、俺らの世界を理解していない」

「……必要があれば、上宮もここに干渉する。それをわかった上で言っているのか」

「それが出来ないからの不干渉の契約だろ」

「それは違う。ただ人が死ぬだけだ」

「………」


 ハチは口を閉じた。

 かみ合わない二人の視線がゆっくりと室内を漂う。

 

 重い沈黙が一番物事を分かっているようだった。深いため息とともにハチが首を鳴らした。


「俺の仲介なしでお二方に会える人物は限られる」


 シザーは目の前の男を見つめなおした。

 この地下街を名実ともに取り仕切っているのはこの男だった。

 東の大国である皇国の都、その一面を治めているのは現皇ではなく眼前のこの男。そして歴代の現皇はずっとそれを黙認していた。迫害することがなかったと言った方が良いかもしれない。


 市井の学者などは皇族にも同じだけの闇があるから皇国各地に存在している地下社会に手を出さなかったと主張する者もいる。シザーはそれをあまりに愚かな指摘だと常々考えていた。


「あの方々がもっとも渇望しているのは、血だ」



「?」

「自分と同じ血を持つもの。血族を、お二方は探し求めている」

「……そんなのは、いないはずだ」

「ああ、いない。だからこそ微かなつながりを愛でている。お前の、主を含めてな」

「………」

「俺から言えるのはそれだけだ。双尾の二人が何かを為そうと思ったら、止められる者はほとんどいない。今この世で名を馳せている大半の者も、為す術もなく倒れていくだろう。ここはな、檻なんだ。地下に広がる複雑怪奇なこの街そのものが、お二方のために存在している檻そのもの。それをせめて華奢で愛らしい鳥籠に見せようとするのが俺の仕事だ」

「………」

「お前はこの世界の、どの姿も理解できていない。せいぜい主人の足を引っ張らないよう精進しろ」

「………邪魔したな」


 立ち上がり、そのまま部屋を出ていこうとするシザーをハチは止めない。

 交渉はどちらの有利で終わったのかわからないまま収束を迎えてしまった。失敗だとシザーは思った。ハチは深くソファに腰かけたまま動こうとしない。


 ハチのことは気にかけず、シザーは応接間を出て長い廊下を思うままに進み、いくつかの曲がり角を曲がった。足早に進む彼がこの建物の構造について知っているわけがない。それでもシザーは感情を抑えるように黙々と足を前に出す。来たときと同じように目深まで深くフードを被ると、やがて現れた扉を開けた。喧騒が、一気に鼓膜へ飛び込んできた。




 情報は得られた。

 必要だと思っていたものは十分に揃えられた。これで次の駒へ進むことが出来る。

 それでも先ほどの会話は失敗だったといえよう。こちらの隙を相手につかれてしまうということは、相手に一つ余計な情報を与えてしまったということ。その失態まで含めで、主に報告する必要がある。それが少し気重だった。


 シザーが出たのは地下街の比較的広さのある通りだった。ザワザワとした騒音がまとわりつく。念のため振り返ればそこはただの壁だった。シザーが捕まえた男が案内した場所も、此処とは異なる場所。

 この街の王に謁見することは非常に困難で、誰もその方法を知らない。

 ただ気を付けて見ていれば、誰が王に仕えているのかは見分けることが出来る。多種多様な獣人であふれ、いかにも人相の悪い人間たちが足早に歩いていく地下街では、街を治めるために王の情報網が緻密に広がっている。使いの者を見つけるには、何か騒動が起こった場所に赴くのが一番だ。そうして地下街に潜伏し、使いの者を見つけるのに丸一日かかった。


 できればもう少し裏を取ってから報告に上がりたい。雑多な人種が蠢く通りへ身を踊りだすと、シザーはその喧騒の中に埋もれていった。


 それが学院に騒動が起こる一日前のことだった。









 シザーが去った応接間で、ハチは静かに葉巻を吸っていた。独特の匂いが部屋に充満する。客人に語った言葉は嘘ではない。そもそも今回の出来事はハチが地上に赴き花街の商売のテコ入れをしている間に行われたことだ。つまり、あの客人がやってきて、双尾に要件を突きつけたとき、初めてハチも事態を認識したのだ。宙を見つめる表情に感情はない。ただ、引き締まった体から抑えきれない怒気が部屋の空気を緊迫させていた。口に含ます煙すら嫌がるように宙に消える。静かに葉巻を置き、デスクに肘をつく。両手を組み、瞼を閉じると、そのままハチは動かなかった。



 




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