第三章 宣告

疑念-1




風・二七



 極彩色の夢を見た。

 金や銀に鮮やかな朱色。涼しそうな万緑の海に青い波紋が出来ている。

 金色の素早い鳥になって、琴子は夢の中を飛んでいた。

 左右に大きく広げた両翼が、力強く空気を掻く。


 羽ばたくとはこういうことかと思いながら、琴子の意識が浮上した。


「おはよう」

「!……おは、よう」


 目が覚めた。アーリアと目が合う。

 瞬きを数回して、自分が今さっきまで夢を見ていたことを認識した。


 琴子の顔を覗きこむアーリアの髪の毛が、視界いっぱいに広がっている。綺麗な赤髪が日の光に反射する。その向こうの天井は使い込まれた木材の黒だ。


「もう少ししたら朝食が届けられるそうよ。コトコも起きて、準備をした方が良いわ」

「……ありがとう」


 のろのろと起き上がり辺りを見回す。和室によく似た部屋。これでもかと施してある豪華絢爛な装飾のせいで、琴子は妙に落ち着かなかった。つやつやと黒光りしているのは漆だろうか。金細工や螺鈿のようなものも見える。使っている蒲団にも豪華な装飾がなされていた。部屋の家具は琴子が見ても高級であることがわかるぐらい手が込んでいるものだった。



 二人は、上宮に来ていた。




「えっと、それで、今日は何があるんだっけ」

「クレハ将軍がいらして事情を聴くそうよ」

 



『拘束されてくれるな?』


 クレハ将軍にそう言われては、琴子たちは従うほかなかった。

 ロウは後から来た救護班に傷の手当をしてもらうと、馬車に乗せられ上宮に連れていかれた。琴子とアーリアも軽い手当てを受け、近衛兵の馬で一旦寮へ戻った。そして着替えなど必要なものをまとめ、その日のうちに上宮に入った。


 すっかり夕闇となってしまった空の下、恐る恐る上宮の中を歩いた。

 近衛兵に連れられ、右も左もわからぬままクレハ将軍の宮へ案内される。


 宮の中から出てきた女官に、この部屋を使うようにと言われた。その部屋は将軍の宮の中でも中心から少し離れた場所にあって、隔離、という言葉が浮かんできた。今日はもうお休みくださいと女官に言われ、荷物を隅におき、すでに敷かれた布団の上で早々に眠りについたのが昨日のことだ。


「クレハ将軍との話が終わればロウとシャンのところにも案内してくれるってさっききた女官が言ってたわ」

「本当?」

「ええ。ただ案内されるまでこの離れから出るなってお達しよ」

(良かった……それじゃあ二人に会えるんだ)


 少しだけ身体の力が抜けた。

 早く二人に会いたかった。会って怪我の様子を確かめたい。多分大丈夫だって信じているけれど、自分の目で無事を確かめないとどうにも落ち着かない。


(それに……)


「………」

「………」


 会話が途切れた気まずさが、部屋の中を漂っている。

 アーリアはもくもくと何かの手入れをしていた。何かを言おうと思ったけれど何も言葉が出てこない。仕方なく、琴子は嫌に豪華な蒲団の刺繍を見つめた。極彩色の中を金色の鳥が飛んでいる。アーリアは一体何を考えているんだろう。気まずい。どうしたらいいかわからない。


 アーリアも、あのクレハ将軍という人も、琴子が違う世界から唐突に飛ばされてきた存在だということを知らない。

 当然不審に思っているだろう。

 琴子がどこからきたのか、なぜ来たのか。あの影と何か関係があるのか。

 自然と重いため息が口から洩れた。


(そんなこと、私が聞きたいよ……)


 あの影は琴子を狙っていた。

 それはきっと事実だ。あの影は執拗に琴子を求めていた。


(たぶん、私がこの世界の人間じゃないから)


 だけどわからない。

 どうしてあの影は、琴子がこの世界の人間じゃないと知っていた?


 薄ら寒い予感が、琴子の背中をなぞった。


 このままでは終わらないぞと、誰かが自分の耳元に囁いてるようだ。

 このままでは終わらない。

 きっと、今回のは始まりに過ぎない。


(――――――怖い)



 どうして私なんだろう。

 どうしてこんな目にあっているんだろう。

 どうして――――



「ねえ」

「!」


 危ない。危うく沼に嵌り込むところだった。

 ハッとして琴子は声をかけてきたアーリアを見つめた。


(考えるな。考えたって仕方ないんだから)


 お守りのようにそう言い聞かせる。


「クレハ将軍に話をする前に、あなたに聞きたいことがあるんだけど」

「……うん。なに?」

「どうしてあなたはあれに追われていたの?」

「………わからない」

「わからない?」

(……アーリアは私のことをどう思ってるんだろう)


 瞬間、そんな疑問が頭をよぎった。


 きっと疑っている。

 彼女は琴子がこの世界じゃないところからやって来たなんて知る訳がないんだから。一体どうしてあんな目にあっていたのか疑問に思うに決まってる。

 そして疑うはずだ。なにか理由があるはずだって。



「……急にあの影に囲まれて、追っかけられて、ひたすらに怖かったことしか覚えてないんだ」

「じゃあ追われる心当たりはないの?」

「まったく」

「……そう」



 納得したような、してないような、微妙な顔。


 また気まずい沈黙が部屋に流れる。


 アーリアが黙り込んでいるうちに琴子は自分の着替えへと手を伸ばした。彼女が〝なにか〟を悟ってしまうのが怖い。その動揺を悟られないように精一杯平静を装って服に着替える。


「……でも何の目的もなしにあんなことをするとは思えない」


 アーリアが次に口を開いたのは丁度琴子が着替え終わったときだった。


「あの影がコトコを狙っていたのは間違いないし、本当に心当たりないの?」

「あの影の目的がなんて私にはわからないよ。そもそもあの影がなんなのかもわからないのに」

「あれが何なのか知らないの?」


 びっくりしたようにアーリアが顔をあげる。


「え、……あれってそんな有名なものなの?」

「有名っていうか、いや、でも普通は知らないものなの?うーん……」

「何なの?アーリアはあれが何なのか知ってるの?」

「あれは」

「あれはかつてこの国を滅ぼそうとした集団の式だ」

「!」


 唐突に低い声が入り込んできた。男の人の声だ。

 一瞬の間があって、廊下に面していた襖が開く。その奥から、軍服とみられる濃紺が現れた。


「もう少し声を潜めて話したらどうだ?廊下まで聞こえていたぞ」

「ク、クレハ将軍っ」


 アーリアの声が上擦る。

 現れたクレハ将軍は部屋に入る訳でもなく、そこで立ち止まると少しだけ困ったように首を傾げた。


「朝からすまんな。本当は昼に来るつもりだったんだが予定が狂った。先に来ていた二人のところに案内しよう。すぐに出れるか?」


 二人は顔を見合わせて、そして頷いた。



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