回想-4
こちらの服に着替えた琴子を見て、ロウは一瞬変な顔をした。
「ああ、着替えたのか」
「そう。試着しなかったけど着れてよかった」
「ロウの趣味か?」
「私の趣味です!」
シンプルな生成りのワンピースを身に着けて、威嚇するようにシャンを睨みつける。
琴子はなんだか違和感を感じて二人の様子を見比べた。それから部屋全体に目をやる。相変わらず荒れているけど、あれから特に変わったというところは見当たらない。
「何かあった?」
「何も」
「そう?じゃあロウ。さっそくだけど、約束通りこの世界について教えてくれる?」
「……わかった」
ロウはいつもの無表情で琴子に座るよう勧めた。
琴子は大人しくそれに従って、午前中自分が座っていたところに腰を下ろす。シャンも空気を読んで、同じように床に座った。
ロウは夕暮れのオレンジがほとんど空に残っていないのを見ると、半分壊れたランタンに神術で明かりを灯す。
琴子はその様子を座りながらしげしげと眺めた。
「ここには電気はないの?」
「電気はあるぞ。でも寮には消灯時間があるからな」
そつぶやくような質問に答えたのは隣に座ったシャンだ。
「たいていランタンに明かりをつけて使うことが多いな」
西洋のレトロな映画に出てきそうな、曲線が綺麗なランタンだった。
硝子が割れ、持ち手のところも壊れてしまっているけれど、ぼんやりと明かりがともった姿は綺麗だと思う。
ロウはもくもくとランタンを部屋の中から探し出し、五つほどに明かりをつけた。
窓の向こうでは空の青がグラデーションのように濃くなっていっていた。森が真っ黒とした影となって見える。
ゆらゆらと揺れる明かりに囲まれながら、夜の帳がおりていくのを眺めた。
それはロウの瞳に似ていた。
琴子は、その妙に綺麗な色彩を見つめながら、自分の世界のことを思った。
父と母と友人のことを思った。
暑苦しい夏の気配を思った。
蝉の声。暑い日差し。落ちる汗。そして大きく息を吸った。
「さて、神術のことは話したんだよな。他に何から話せばいいか」
「蒼の世界について、ロウが立てた仮説について教えてほしい」
ロウも床に座り、胡坐をかくと、相変わらずの無表情で思案気に部屋を見回した。
「蒼の世界っていうのはこの世界と密接に関係しているとされている、概念上のもう一つの世界だ。〝気〟の説明はもうしたよな?」
「うん」
「〝気〟の流れによって、蒼の世界とこの世界は繋がっていると考えられている。
というか元々は、澱んだ〝気〟の流れがどうやって浄化されているのかを説明するために使われている概念なんだ。〝気〟は基本的に清廉なもので澱むことはないが、何かのきっかけで流れが歪み、〝気〟の流れが滞るとあっという間に〝気〟は澱み、腐ってしまう。ある程度なら人の力でも治すことが出来るがあまりにも澱みきっていると手におえない。
そうなったものは〝気〟の本流に流して浄化してもらうしかない。
普通に澱みをそのまま流したら澱みが伝染するだけなんだがな」
ロウが言うには、そうして流された〝気〟の澱みはこの世界を抜け、蒼の世界に行くことによって浄化され、そしてまたこの世界に戻ってくるらしい。
その循環によって、常に世界は清らかな〝気〟の流れに満たされていた、というのがロウたち神術学者の通説だという。
「……満たされていたっていうことは、今は違うの?」
「そうだ」
「〝腐蝕〟のことだろ?」
「ああ」
「〝腐蝕〟?」
また新しい言葉が出てきた。
聞くからに悪そうなイメージだけど。
「歪んだ〝気〟を好んで身体の中に留めて術を使う奴らがいるんだ。胸糞悪いことこの上ないけどな!」
ロウはそこら辺に放ってあった紙を一枚持ってきた。
午前中、神術の説明をしてもらった時に使った紙だ。
同じくそこら辺に転がっているペンを持つと、紙に書いてある人型の、丁度心臓の部分に書いてあった小さな丸を黒く塗りつぶす。
そこは、たしか身体の中をめぐる〝気〟の中心としていた場所だ。
「体内が澱んだ〝気〟で満たされてしまった奴のことを〝腐蝕〟と呼ぶ。
〝腐蝕〟になるほど〝気〟が澱むと猛毒と大して変わらなくなる。本来なら一刻も早く身体から流しだして治療を行わなければならない。それでも奴らが〝気〟を体内に留めておくのはそこまで澱んだ〝気〟は、普通の清廉な〝気〟よりも絶大な力を発揮するからだ」
「だから、好んで使うの?」
「そうだ。滅多にいないが地下街には多い。あそこは犯罪者の隠れ蓑だからな」
「〝鴉の宿木〟だろ」
「………シャン、今はその話はいい」
「その、〝気〟の澱みって、どうしたらできるの?」
琴子の質問に、二人は一瞬答えに詰まったような顔をした。
そうだなあと言いながらシャンが続ける。
「一番簡単なのは、人を殺すことだろうな」
端的な答えにそれはそうだろうなと心の中で琴子も頷いた。
人殺しは、どの世界でもタブーらしかった。
シャンの答えに眉をひそめたのはロウだった。
「……それ以外にも、歪むきっかけなんていくらでもある。心が病めば、〝気〟は澱む」
「まあそこら辺はロウの専門分野だからな」
「そうなの?」
「別に専門ってほどじゃないが……神術師の多くはそういった〝気〟の歪みを治しながら生計を立ててることが多いな」
「へえ。そっか。ロウは神術師なんだ」
「希代の天才って言われてんだぜ」
「えっ」
「シャン。話が進まない」
ロウがにらみを利かせるとシャンは肩をすくめて口をふさいだ。
両人差し指でバツを作る。
希代の天才という言葉はとても詳しく聞きたくなる響きだが、今知りたいのはそれじゃないと琴子も追及するのは諦めた。
「それで、どうして私が蒼の世界からやってきたって思ったの?」
「言葉が通じるからだ」
確か、朝シャンに食堂に連れて行かれる時もそんな事を言っていた気がする。
「普通に考えて、遠い異国からやってきた人間と言葉が通じるとは思えない。それが異世界の人間だったら余計だろ。なのに俺とお前は基本的な会話をすることが出来る。それは、お前がいた世界と俺らのいる世界が、一定の関係性を持っているからじゃないか」
「でも別に私の世界は青くないよ?」
「蒼って言うのは別にそういう意味でつけた名前じゃない。蒼は元来〝気〟を彷彿とさせる色なんだ。澱んだ〝気〟を浄化してくれる世界という意味で蒼の世界と呼んでいる」
「私の世界が蒼の世界………」
そう言われてもいきなりピンとくるような話ではない。
それになんといっても、そんな綺麗な世界に住んでいたとはとてもじゃないが思えない。
(あお……)
思い出されるのは痛いぐらいに青かったあの夏空だ。
「蒼って言うのはこの国では特別な色なんだ」
「?」
「この国の主である現皇の、現皇である証が、蒼のオッドアイなんだ」
「それは……一体どういうこと?」
琴子はロウの言っていることが上手く理解できずに瞬きをした。
現皇。
現皇ってそもそも何のことだろう。
この国の主という以上王様のようなものなのだろうか。
ただその証がオッドアイというのはよくわからない。
血族である以上に何か資格がいるということなのか。
「これは俺よりもシャンの方が詳しいかもな。なんたって貴族様だから」
「なっ、お前そういうときだけ家のこと持ち出すよな!」
「ほら、説明してやらねえと」
話を振られたシャンが渋い顔をする。
んーとかあーとか散々唸ってから、ようやく説明してくれた。
「この国は、この国の創始者である初代様の直系の一族が治めてる。それが皇族で、その長であり初代様の能力を引き継いだこの国の主を皇とか、現皇って呼ぶ。その初代様の能力って言うのが、蒼のオッドアイなんだ」
「へ?」
「元々皇族の方々はオッドアイの方が多いんだけど、現皇に即位なさる時、その証として必ず片目が蒼色になる。それが初代様の能力を引き継いだ証になるんだ」
「その初代様の能力ってなんなの?」
「わからない」
「ええ?」
「詳しくは教えられていない。ただ夢見の能力ってだけ伝えられている。そっから未来を予知する能力じゃないかって言われているけど、実際のところどうなのかはわからない。すくなくとも現職の皇様が未来予知したって話は聞いたことがない」
「………なにそれ」
なんだか一気に話が眉唾物になってきたと思った。
「あっ!おまえ、信じてないだろ!せっかく説明してやったのに!」
「だ、だって、それってなんかすごく怪しいし…」
シャンに勢いよく責められてしどろもどろになってしまう。
まずい、この国の人にとっては否定されたくない部分だったのかと気づいてももう遅い。どうしようかと琴子が焦っているとロウがあっさり琴子の疑念を肯定した。
「そう。怪しい。現皇を筆頭に、皇族一族は皆怪しい」
「ロウ!?お前何言ってんだよ!」
声をあげてシャンが食って掛かった。ロウがうるせえと一瞥する。
琴子は二人の態度の違いに驚いた。
街に行った時も思ったが、ロウはずいぶんこの国に対して批判的だ。それに対してシャンは素直にこの国の常識を受け入れているように見える。
「俺は盲目的に皇族を信じるようなことはしない」
「ひねくれやかよ!」
「俺はずっと、歴代の皇たちが受け継いできた能力とは一体何なのか調べてきた。蒼のオッドアイにどういう意味があるのか。そもそもなぜ歴代の皇が能力を持っているのか」
「それは、皇様が〝神の末席に連なる者〟だからだろ?」
「それは違う。他の誰にもない能力を持っているから、そんなけったいな俗称が付いたんだ」
「………」
ロウの言い分に憤慨した様子でシャンは黙り込んでしまった。
たぶん言い返せなかったのだ。
(〝神の末席に連なる者〟………)
随分ファンタジーな別名だ。
そんな名前がつくほど現皇という人が持つ能力は強いのか。
でも誰もその実態を知らないのは確かに変だと琴子も思った。なにか、重要な部分が隠されているような違和感だ。
「コトコ、俺の仮説が正しければ、お前がここに存在しているってことが蒼の世界が存在していることの証明になる。
お前自身が情報源になるって言うのはそういう意味だ。
勿論お前の世界がそのまま俺らが考えていた世界だとは思ってない。ただ、今までは概念上だったもう一つの世界、〝気〟の浄化の仕組みを説明するために想定された世界がもしかしたら実在しているかもしれない。それだけで十分価値ある研究になる」
「えーっと、つまり、そうか。私は生き証人になるわけか」
「そうだ」
ロウが頷く。シャンはまだ憮然とした表情で黙り込んでいた。
蒼の世界。現皇。蒼のオッドアイ。現皇の能力。
新しく説明された言葉を整理する。一気に色んな情報が流れてきて、頭の中がごちゃごちゃだ。
ロウの仮説と共に、なんとなく琴子自身の立ち位置もわかってきた。
この世界の仕組みも。
〝腐蝕〟という言葉や〝気〟の澱み。
この世界では琴子が生きてきた世界よりもずっと心が現実に直結するみたいだ。
琴子もずいぶん心のケアとか鬱だとか、散々テレビで聞いてきたけれど、それよりもずっと差し迫った問題として受け止められている気がする。
(なんでそんなに、目に見えないものが力を持っているんだろう……?)
目に見えるものよりも、目に見えないものの方がよほど発展している。重要視されている。
琴子にはその感覚がわからない。
「俺は、もしかしたら、現皇のもつ夢見の力って言うのは、蒼の世界との繋がりを差すんじゃないかと考えてるんだ」
「え?」
夜もだいぶ更けてきた。ランタンの炎がぼんやりと三人の顔を照らしている。
座っているのに疲れたのかシャンは体勢を崩して床に寝そべっていた。
「ただの仮説だけどな」
「お前、そんなこと調べてたのか」
「シャンには興味ない分野だろ。それに現皇や蒼の世界って言葉はあまり気軽に口に出せるもんじゃない。神術学者でもこのことについて研究している人間なんていない。そもそも蒼の世界に関する資料が極端に少ない。現皇の能力についてなんて、古文書を当たらなければ一言も出てこないんだ」
「なんだかそれって、情報が隠されてるみたい」
「だろうな。現皇は何かを隠している」
「国家機密なんだろ。それぐらい俺でもわかるぞ」
「ならお前は、国家機密ってだけで隠されていることに納得するのか?機密になるってことはそれだけの理由があるんだ。それがわからなければ、俺はなぜ隠されてるのか、納得できない」
「……これだから頭いいと面倒だよなあ」
「馬鹿は単純で気楽だな」
「まあなにせ良いとこのボンボンなもんで」
よっという掛け声と一緒に、シャンが床から起き上がる。
「腹減った!飯食いに行こうぜ!」
「………シャン、まだ話の途中だぞ」
「あんまり難しい話ばっかしてると眠くなるだろ。それにコトコだって腹減ってるよな?」
「あ、うん、言われてみれば……」
シャンに言われて初めて自分が朝食以来何も食べていないことに気付いた。
朝をしっかり食べさせてもらったので今まで気にならなかったが、一回空腹に気付いてしまうとどんどんお腹がすいているような気になってくる。今日一日中行動を共にしていたロウも同じように昼を食べていないはずだ。しかも彼の朝ごはんは琴子よりもずっと少なかったから余計にお腹が減っているだろう。
ちらりと横目でみると、渋っているような表情をしながらも無言で立ち上がっていた。
「でも今日寮の食堂は夜やってないって」
「えっ、そうなのか?今日は祭日じゃないだろ?」
「なんか仕入れがどうたらとか言ってたよ」
「仕方ない……少し歩くけど違う食堂に行くか」
「あ、私どうしよっかな」
食堂は賄が三食出ると言っていた。でも琴子が働き出すのは明日からだ。
とはいっても食堂に行ってご飯を買うお金はない。
固まった琴子に呆れたようにロウが声をかけた。
「いちいち気を遣わなくていい。お前の分はシャンが払う」
「あ?」
「なんたって良いとこのボンボンらしいからな」
「く、ロウ!」
「さすがお金持ちは違う」
「お前だってお袋からもらった金ほとんど使ってないだろ…!」
「なんだ、渋るのか。女の前でみっともないな」
「くっ……!」
「あ、いや、私は食堂に行ってユズリさんに賄もらえないか聞いてくるから。逆にごめんね?二人は食べに行ってきて」
「気を遣わなくていい。シャンが払わないなら俺が払うだけだ」
「いや、それもそれで申し訳ないから!」
「ロウ!お前何かっこつけようとしてんだよ!殺すぞ!」
「なんだ。渋ったのはお前じゃないか。未練がましい奴だな」
「ロウ‼」
「もう二人とも!すぐふざける!」
琴子は結局夕食もシャンに奢ってもらって、無事にお腹を満たすことができた。
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