学院長



* 





二人がペナルティを言い渡される一刻前のこと。



「皇様が夢見をなされたと…?」


 閑静な学院の中を荒々しく駆け抜けてきたのは上宮からの使者だった。学院長の執務室に声掛けもなく入ってくると、目を丸くした学院長に向かって堰切って話し出す。皇国の主である現皇が夢見をしたと。


 学院長は慌てた。

 あと半刻もすれば学院史上最も手を焼いている問題児二人がやってくる。

 今日こそはその教授たちをなめ腐った思考回路をどうにかしてやろうと息巻いていたというのに、それどころではなくなってしまった。


「一体どういうことだ」

「ともかくどうか上宮にお越しください。速やかに、お願いいたします」

「皇様の容体は?」

「芳しくはありませんが、安定はしています」

「来月に物忌みが始まるというこの時期に……なんていうことだ」

「このことは内密にお願いいたします」

「わかっている。大事になれば、あまりにも不吉だ」

「すでに車を用意しています」

「ああ」


 学院長は自分の事務官を呼び出すと、二人の処分を他の教授に任せるよう指示を出した。優秀な事務官は特に何か聞き返すこともなく黙って頷くと適当な教授を探しに部屋を退室する。脂汗をかいた上宮の使者に急かされながら、学院長も執務室を出た。内心で盛大にため息をつく。


(何もこの時期に夢見をなさらなくても………)


 来月から物忌みが始まる。身体のケガレを落とし、五穀豊穣と国の安寧を祈る、皇国にとって非常に重要な儀式の一つだ。その前に現皇が夢見をするなど、国民の不安感を煽るようなことでしかない。しかし、学院長自身それがどうしようもないことなのはわかっていた。医術を専門とする彼は主治医として現皇のことを何年も見てきていた。


 “神の末席に連なるもの”


 この国で、皇とはそのように考えられている。

 そしてそれは嘘ではない。

 代々皇の地位を受け継ぐ者にはほかの者にはない能力が受け継がれる。

 神の声を聴く力だ。





 学院と上宮は見た目ほど遠くない。早馬にひかれた車は矢の様に駆けていき、あっというまに学院の敷地を抜け上宮の入り口についた。皇族・貴族、神官などが居を構える上宮はしばしば神域とも言われるような厳格な場所だ。


「こちらです」


 使者に案内され、入り組んだ建物を早足で行く。


(相変わらず凄い“気”だ)


 上宮に入った途端鳥肌が立つような感覚が彼の身体を突き抜けていった。

 神域と称されるのは単に身分が高い人々が住んでいるからというわけではなく、皇国随一の結界が張られ、望まれざる者の侵入を一切許さない、見えない絶対防壁があるからだった。


 学院長はその結界のすべてを一人で受け持つ青年の姿を思い出しながら、現皇のもとへと急いだ。






 上宮は緊張感に包まれていた。使者の足が早まる。

 ここまで上宮がピリピリした雰囲気になっていれば、その空気はすぐに学院にまで伝わるだろう。教授たちは権力の動向に敏感だ。今頃とばっちりを受けないよう研究室に閉じこもるか、もしくは自分の研究をどこかに隠そうとしているだろう。

 学院長はふてぶてしい二人の学生の姿を思い出した。二人とも非常に優秀な学生だ。優秀が故に手に負えない。


(ああ……あの二人が何か勘づかなければいいんだが…)


 特にあのロウという少年の神通力は桁違いだ。


(まったく末恐ろしいものだ)


「この先私ではご案内できません。どうか急ぎお傍に」


 上宮の最奥、大樹の傍に寄り添うように作られた建物につくと使者は立ち止まり先を急ぐよう促した。学院長は黙って頷くと足早に建物の中に入っていった。


 現皇の宮に入るのは半年ぶりだ。

 人払いがしてあるのか普段は多くいる女官の姿が見られない。


「失礼致します」


 声を潜めて入室を断る。数秒待ったのち、戸が音もなく開いた。


「ガラマス様」

「シザーか。皇様の状態は」

「今は安定しております。」

「まだ夢から覚めないか」

「ええ。」

「ああ、わかっている。大丈夫だ。安心しなさい」


 シザーは獣人であるが、現皇の左腕として常に傍に控えている非常に優秀な男だ。学院長は慣れた足取りで室内を進むと、最後の襖を開けた。


「くっ」


 襖を開けた瞬間光が学院長の目を焼く。とっさに腕で顔を覆うと眩しさに耐えながら室内を見た。


「政務の途中で急に倒られました。それ以降、術式が発動され展開が収まりません。クレハ様にお願いして今は結界を二重に張ってもらっています。都は勿論上宮にいる人間も一握りのものしか事態には気づいていません。…まあ、学院の方々はなんらかの形で異変に気付いているかもしれないですが」


「学者っていうのは権力の動向に敏感なものだ。変に介入されちゃ堪らないからな」


 シザーにとってこの光は何でもないことのようだった。

 冷静に状況を説明する声に思わず苦笑いがこぼれる。


 学院と上宮の関係は表裏一体で切り離すことのできないもの。

 だからこそ教授たちは必要以上に上宮の動向に気を配る。

 学問とは往々にして権力に虐げられてきた。



 学院長はそろそろと室内に足を踏み入れ、いまなお鋭い光を放ち続ける現皇の傍へ歩み寄った。

 固く閉ざされた瞼から、抑えきれない神力が漏れ出ている。


 神力はすべての人間に流れている〝気〟、根本的な生命エネルギーのことを言う。

 〝気〟は血と同じく、止まることなく流れていくもの。


 しかしこれはいささか外に流しすぎだ。

 皇族の方々は人よりも多く神力を持っていることが多いが、現状が続けば、体内の神力がすべて外に流れ出てしまい、命にもかかわってくるだろう。

 学院長は皺の刻まれた手を現皇の瞼にかざし深く息をする。背後に控えていたシザーが背筋を正したのがわかった。


『まほらばの、』


 バチィッと見えない火花が散る。


『震える声の行く末の、囁き声を道として。今は眠れ、夜も長く。』


 火花は掌を焼き、暴れるように学院長を掴む。それは見えないが、うごめく気配を恐ろしいぐらいに感じ取ることが出来る。バチッ、バチバチィッ、冷や汗が落ちる。


『長よ、長よ、我らが長よ。我らここに永遠の祈りを唱えこの地を守ることを誓わん。荒ぶるなきや、御神子の、長夜にたまをみるなかれ。その身に夢をみるなかれ。長よ、長よ、我らが長よ。夢見長きや、赤子鳴き』


 シザーが腰の剣を抜いた。

 夢見の強制終了は、神力の暴走を誘発する。


 学院長の声が震えた。詠唱が徐々にその激しさを増していく。

 火花の音が耳を割く。シザーにはもう詠唱の声は聞こえなくなっていた。

 神術が発動した証だ。空気中を流れる〝気〟を震わせることで神術は発動する。詠唱は始め物質的な振動にすぎないが、〝気〟を振動させることによりシザーには理解できない摩訶不思議な術を発動する。


『まほらばの、今は眠れ。かんなぎの君』


 パンッ

 乾いた音が終わりを告げた。

 最後の一言を言い終えるとともに光も、火花も、姿を消した。


「ガラマス様っ」


 詠唱の反動を受けて、初老の背中が後ろに傾く。すばやく支えに入ったシザーに短く礼を言うと、学院長は顔をしかめながら現皇のほうへ視線をやった。


「………これでもう大丈夫だろう。私の仕事は終わりだ……」

「ありがとうございます」

「今回は危なかったな。暴走しかけた。皇様の力もだんだんと強くなってきている……夢見の強制終了はこれからあまりしない方がいいかもしれない。お前も出来うる限り、皇様不在でも上宮が回るよう尽くしてくれ。まあ今回の様に物忌み前だったらせざるをえないと思うが……」

「ガラマス様、別室でお休みください。顔色があまりよくありません」

「すまない。私も年を食ったな。皇様の意識が戻ったら呼んでくれ。それまでは大人しく休んでいることにしようか」


「……その必要はない」


「っ!?」

「皇様、」



 驚く二人が視線をあげる。学院長の奥で、さっきまで固く目を瞑り横になっていた現皇がゆっくりと体を起こそうとしていた。

「皇様、いけません!まだ休んでおられなくてはっ」

「シザー心配するな……私はまだまだ若いからな」

「皇様!」


 肌は血の気が引き、怖いぐらいに白くなっていた。元々華奢な身体だが、大量の〝気〟を放出し続けた結果頬がこけたように見える。儚げな白金の髪がその病弱さに拍車をかけた。

 シザーが非難の声を上げるが皇はかすかに笑うだけで取り扱わなかった。


「皇様……意識が戻られたのですか」


 神の声を聴く。

 それは人ならざる者に一歩近づくということ。


 生身の人間にはおよそ耐え難い負荷がかかる。清廉な行為であるがゆえに人の身体を犯し、歪ませ、ケガレを生む。何とも因果な能力である。


 夢見は歴代の皇たちが受け継ぐ異能の一種だ。

 未来を見ると言われている。とはいっても抽象的な内容がほとんどで、それが一体どの時期なのかも分からず、この時代においてはあまり役に立たない能力だ。

 役に立たないにも拘らず発動する。

 夢見は唐突に始まり一度始まると皇たちはしばらく目覚めることなく、大量の〝気〟を流し続け、やがて命にも関わるようになってくる。医者の視点から言わせてもらえば、夢見は特殊能力なんかではなく、遺伝性の強い難病でしかない。


 皇が受け継ぐすべての異能がそうだ。

 今では、夢見を強制的に終了する術式を発見し、前の時代よりもましになってきてはいるが、強制終了したとしても丸一日程度は眠り続けることがほとんどだった。


「…ガラマスか。毎回毎回苦労をかけてすまないな」

「皇様……体調はよろしいのですか?」

「体調は絶不調だが……そんなことも言ってられまい。夢を見た。シザー、いそいで祭場に行って確認してきてくれ」

「祭場に?何を確認しに行けばいいのですか?」

「少女だ」


皇は気だるげに膝に肘を付け、頼りない身体を支える。


「!」

「少女……?」

「いいから急いで保護しに行ってくれ。他の者に見つかると面倒だ」


 有無を言わせない口調に、学院長が息をのんだ。相変わらず、こちらを全く見ないにも関わらず皇の存在感は周りを圧倒する。


「かしこまりました」


 皇の命を受け、シザーは足早に部屋を出ていった。

 その足音が遠ざかっていくのを待ってから学院長は口を開いた。


「皇様、物見をなされたのですか?」


 学院長の問いに皇は自嘲気味に嗤う。


 その心のうちはわからない。

 学院長は答えを求めることはやめ、横になるようすすめた。


 皇は暫く空中を見つめていた。

 再度学院長にすすめられ、ようやくこちらを向く。

 そして学院長の手を借りながらそっと横になった。


「あいつの様子はどうだ?」

「あいつとは?」

「あいつはあいつだ」

「相変わらずですよ」

「…そうか」

「今飲み薬をお持ちいたします。苦くても必ず飲んでくださいね」

「少女が落ちてきたんだ」

「……」

「私の横を凄い勢いで落ちていった。ガラマス、あれは吉兆だろうか…」

「私はしがない医者ですので、夢見の内容を判じることは出来ませぬ。その少女が祭場にいると?」

「ああそうだ…見える」

「皇様、夢見の直後だというのに千里眼を使うのはおやめください。異能の使い過ぎです。今は休息をすべきですよ。それに………物見をなさったということは普段よりもずっと負担がかかっているはずです」

「それがな、そうでもないぞ。ふふふ、やっとこの力の使い方がわかった気がする。まあ使いこなす前に私の寿命が先につきそうだが」

「皇様」

「ふっ……悪かったよガラマス、そんな怖い顔しないでくれ」


 屈託なく笑う姿にため息をつくしかない。もうすぐ在位十年を迎える現皇だが、まだ二十代にすぎない。小さい頃からその姿を見ている学院長としては自分の子どものようなもの。心配で仕方ないのが心情だった。





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