第27話 狂王が生まれた日
言葉麗王の脳裏に浮かんだ言葉は敗北の2文字だった。そしてそれは同時に、失敗ともいえる。
だが、縛り付けられていた何かから開放された充実感もあって、心の中はすっきりとしていた。
「僕は……今まで、何をしていたんだろう」
どこかの学校の屋上と思しき場所に自分はいる。少し前後の記憶がはっきりとしないが、おぼろげながらだが覚えている。あの日を境に始まった悪夢を。いや、その悪夢を始めてしまったのは自分であるということも。
視界の端に映った小さなガラス玉。『王』の言玉が、それは悪夢ではなく現実であることを物語っていて、麗王は顔を背けた。
「気分はどうだ、『王』」
ふと気が付けば、見知らぬ少年が自分を見下ろしていた。いや、その顔に覚えはある。『天』の少年。天道征だ。
「ああ、そうだ。そうだったね……僕は君に負けたんだ」
麗王は傷付いて悲鳴を上げる体をなんとか起こすと、屋上の床に頭を擦り付けて声を絞り出した。
「すまない。本当に、すまない……君たちには、謝っても謝りきれないくらいの罪を犯してしまった」
「な、なんだよいきなり。そりゃ確かに、両手を付いて謝れって言ったけど、変わり身早すぎだろ。まさか、あんた。まだ何か企んでるのか?」
不審な目で見下ろす征に、麗王は静かに首を振った。
「違う。僕は……『王』の力の前に。強大すぎる力の前に、言葉の力に飲まれてしまった。僕は『王』に心を取り込まれてしまっていたんだ。今までの行いもすべてそのせいだ。だから、もう――」
征は麗王の胸倉をつかむと、激しく揺さぶった。
「そんな安い言葉1つで全部帳消しにできるとでも思ってるのか、あんたは! あんたがどれだけの人間を傷付けて、悲しませたのか知らないだなんてオレは……言わせない!!」
当然だ。と、麗王は思う。言玉の魅力にとりつかれ、自我を無くしてしまった人間を何人も見てきた。そして彼らは決まってその間のことをおぼろげながらにしか覚えておらず、自らの罪の重さを受け入れようとしない。いや、直視できないのだ。
そして、それは自分も同じ。そんな自分を許せないという少年の反応は当然なのだ。
「すまない……本当に、すまない……」
どうすれば償えるのだろうか。屋上から見渡せる景色は破壊の爪痕が深々と残されている。それをやったのは自分なのだ。自覚がなくともそれは自分が犯した罪なのだろう。
ならば、と決意を固めて麗王は征を見た。
「天道征君。お願いだ……どうか、どうか僕を」
唇を動かし、小さな声でその一言を搾り出す。
「殺してくれないか?」
そう言い切った時、再び顔面に衝撃を受けた。
「ぐ。う、うう」
それはとても重い一撃だった。痛いが、同時に自分の意思を汲み取ってくれたことに、少年の殺意に感謝している自分がいた。だが、こんなもので自分はまだ死ねない。もっと、重傷を負えるだけの痛みが必要だ。
「確かにあんたが死んだら喜ぶ奴がいるかもしれない。いや、いるだろうな。けどな! あんたが死んだら悲しむ奴だってここにいるんだよ!! あんたには見えないのかよ! さっきからずっと泣いてる妹の姿が!」
「命……」
征の視線をたどると、複数の少女たちが寄り添って泣いている妹を気にかけていた。
命。自分にとって大切な妹。
『王』を手に取り、神を目指そうとしたのは、すべては最愛の妹のため。……だった。しかし自分はしょせん、王の器でもなければただの心の弱い人間でしかなかった。言玉に負けて、暴走してしまった。
「お兄ちゃん……」
泣いていた妹は涙を拭くと、自分を抱きしめてくれた。あたたかい。懐かしいあたたかさだ。思い起こせば幼い頃、よく泣いていた妹をこんな風に抱きしめてやった。けれど、今ではその立場は逆転している。
「命……ごめん。僕はもう……僕だ。王なんかじゃない。ただの弱い人間だ」
妹は返事をせず、再び涙を流しながら強く抱きしめてくる。
「そうだ。僕は……お前を守りたかったんだ。お前を守るため、僕は神になろうとした」
「私の、ため?」
「そう。あの日のことだ。もう、一年近く前になるのかな……」
あの日。高校を卒業した麗王と中学を卒業した命は、父と母に連れられ言葉の本家で食事をすることになっていた。
言葉家は由緒ある旧家で、11の分家と本家が存在する。麗王と命の家は傍系で、分家の中では発言力も弱かったのだが、本家との交流が深かったため、他の分家よりも扱いはよかった。命と同い年の娘がいたこともあり、その日は子供同士卒業のお祝いにと、招かれたのだ。
激しい雨の日だった。命は久しぶりに本家の娘に会えるとはしゃいでいて、父も母も、笑顔のたえない幸せに満ちていた日だった。
そう――あの瞬間までは。
本家のある土地はけっこうな田舎で、山肌が露出していて、その日の雨でいつ土砂崩れが起きてもおかしくない場所もあった。迂回すれば安全が保証される。だが、けっこうな時間を要してしまう。
迂回しよう。そう提案したのは自分だった。だが命は待ちきれない様子で、車のハンドルを握る父にそのまま直進するよう言ったのだ。
あの時、もっと自分が命に厳しく言えたら……と思う。あの日、雨さえ降っていなければ……と思う。だが、すべて今さらの事だ。起きてしまったことはもう覆せない。過去を変えることができるのならば、それはおそらく神だけだろう。
気付けば車は崖下に落ちていて、自分は車外に投げ出されていた。何故? 答えは上にあった。崩れた斜面と泥だらけの道路。予想通り、土砂崩れが起きてしまった。いや、そんなことなどどうでもよい。父と母は? 妹は?
朦朧とする意識の中、麗王が見つけたのは、父と母に守られるように抱きしめられていた妹の3人だった。だが彼はすぐにそれを訂正しなければならない。それは3人ではなく、3つの遺体だったからだ。
彼は泣いた。降りしきる雨に混じってどれくらいの涙を流したのかは解らない。そしてひとしきり泣いて落ち着くと、これからどうするべきかを考えた。もう一度父と母と妹に会いたい。せめて、可愛い妹だけでも助けてやりたい。
彼はその為の方法があることに気が付く。普通の家に生まれていたら実現できなかったろう。けれど彼は言玉を管理する一族に生まれた人間。
十二至玉。それを使えば不可能を可能に。夢を現実にすることができる。
彼は走った。本家の地下倉庫には多くの言玉と至玉が封印されている。そういう話を父から聞いたことがある。すがるような気持ちで走り本家にたどり着くと、彼は一心不乱に本家の地下倉庫を目指した。倉庫は厳重な封印がなされていたが、無我夢中でそれを強引に解いて、ついには11個の至玉の封印を解くことに成功した。
そしてそれを持って家族の元に戻ると、彼は至玉を有言実効しようとした。が、あろうことかその中の1つが勝手に動き出し、妹の体の中に入り込んでしまう。それは『命』の言玉だった。
それだけではない。残りの10個が輝き、空に吸い込まれるように消えてしまった。だが消えたはずの1つがまるで主を求めているように、自分めがけて飛んでくる。麗王が両の目で最後に見た物は、『王』の一文字だった。
右目に強烈な痛みを感じると同時、体の奥から力があふれてくる。そして、抑えられない歓喜と欲望が心を食らい尽くそうとした。まるで、この世界の主になったような。他の人間をゴミクズ同然にしか感じることができない。
僕は王。ぼくはおう。ボクハオウ。
「僕は、王じゃない。僕は言葉、麗王。ただの……人間だ」
王は僕。王が僕。僕は王。王も僕。僕は……。
だめだ。このままでは、至玉に心を支配される。
「……お兄ちゃん?」
妹が目を覚ました。『命』のおかげで死を免れたが、彼女は永遠に死ぬことはない。生きて動いているが、それは完全な状態とはいえない。なにより、至玉所持者となったことで、トラブルに巻き込まれることになる。
だめだ。このままではだめだ。
そこで彼の思考は少し前に戻る。起きてしまったことはもう覆せない。過去を変えることができるのならば、それはおそらく神だけだろう。そう、神だけなのだ。
ならば、自分が神になればいい。集めなくては。すべての至玉を。過去の改変。あの日を無かったことにすれば、両親は死なないし、妹も普通の人間として生きていける。
そうだ。そうすればいい。そうすれば、すべてが元通りだ。
「ふ。ふはははは!! あははははは!!」
気が付くと、笑い出していた。
「ね、ねえ。何があったの? お兄ちゃん、どうしちゃったの?」
そんな自分を気味悪そうに妹が見ているが、どうでもいい。すべての至玉を手にすれば、すべてを変えられる。
12個すべてを集めなければならない。すべてを犠牲にしてでも。他人を犠牲にしてでも。誰かの命を犠牲にしてでも。
王の行く道を誰も妨げることはできない。逆らう者は許さない。そう、僕は王なのだから。
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