第15話 新しい同居人

「あの、お邪魔……します」


「おう。好きなだけ邪魔しろ。少なくとも今日一日ここはお前の家なんだからさ」


「は。はい」


 乙女らと別れ、賢見と一緒に帰宅した征。2人は玄関で靴を脱ぐと、天道家の裏の主である母、勝子がいるリビングへ向かった。


「母さん、ただいま」


 台所で晩御飯の準備をしていた母の背中に声をかけると、母は面倒くさそうな顔をして振り返る。


「はいはい。ようやくお帰りですか、可愛い長男殿。食器棚に昨日のオムライスの残りがあるから、それでも腹にしまいこんで――ってあら?」


「あの。お母様、お邪魔しております。高校の後輩で、賢見と申します」


 賢見は征の母の前に出ると、耳の先まで真っ赤にして頭を深く下げた。


「あら。あらあら! 可愛らしいお嬢さんじゃない! 征、どうしたの彼女なの!? つまり未来の義理の娘なの!? ということは孫の顔はもうすぐ見れるの!?」


「三段階で飛躍するなよ! ただの後輩だよ!」


 ただの後輩という単語を耳にして、母は肩をがっくり落とす。


「なーんだ。お母さん、ようやくあんたにも春が来たのかと思って、舞い上がっちゃったじゃない。まーそりゃそうよねえ。うちのぼんくら息子にこんな可愛いらしいお嬢さんが嫁にくるわけないわよねえ。はー、母さんが高校生の頃なんかそれはモテたわよ。告白してくる男子に毎日断るのが大変でねえ。難攻不落の勝子と呼ばれたもんよ」


「わあ。先輩のお母様って、すごい」


 賢見は目を一等星のようにキラキラ輝かせ、母を崇めた。


 母は台所のイスに片足を乗せ、包丁を天井に向けてドヤ顔する。


「けれどね。この難攻不落の勝子を落としたのが、冴えない男子だったわ。母さんは彼の心に触れて、あっさり無血開城したのよ。その男子こそ、征。あんたの父さんよ!」


「わあ。なんだかロマンチックですね、お母様。ぼくもそんな恋がしてみたいです……」


「賢見。どうせ作り話なんだから真に受けるな。なにが難攻不落の勝子だよ、中学生か」


 征の一言で母は不機嫌な顔になり、目を細くして征を見た。


「あんたは本当、可愛い気がないんだから、もう~!」


「後輩にイタイ母親見せたオレの身にもなれよ!」


「なんですってえ、このバカ長男!」


「なんだよ、このバカ母!」


「わ。わわ、ケンカはやめてくださいよ!」


 征と母の間に賢見が入りケンカを仲裁すると、2人はすぐに矛を収めた。


「賢見ちゃんに免じて今日のところは許してやるわ!」


「後輩に免じて今日のところは見逃してやる!」


 あっさり仲直りした天道母子に胸をなでおろし、賢見は安堵の溜息を吐く。


「で、本題なんだけど。今日一日、賢見を家に泊めてやりたいんだけど、いい?」


「はあ!? あんた何言ってんの!!」


 母が険しい瞳で賢見の顔を見ると、賢見は恐くなって征の背中に隠れる。


「な、なんだよ。ダメなのか?」


「そんなの、大歓迎に決まってるじゃない! むしろ、うちの子になってもらいたいくらいよ!」


「紛らわしいリアクションやめてくれよ、難攻不落の勝子……」


「誰が難攻不落の勝子だ!」


「あんただろ!」


「は、あはは……」


 母の了承を得た征は、晩御飯までの時間を部屋で過ごすことにした。


「汚いけど、我慢してくれな」


「いいえ。そんな、キレイですよ? 平和ちゃんのお部屋よりもよっぽど」


 征はベッドの上に腰を下ろすと、賢見にも座るように促した。


「ぼく、先輩がうらやましいです。あんな素敵なお母さんがいて」


「欲しかったらやるよ。うるさいだけだもん」


「そんなこと言ったら、バチが当たりますよ? ぼくのお母さんは、あんな風に笑わないです……」


 賢見は窓の外をさみしそうな目で見てそう言う。


「ぼくは、いらない子だから……」


「賢見?」


「ただいま戻りました」


 急に泣きそうな顔になった賢見に征は慌てるが、タイミングよく命が買い物から戻ったので安堵する。


「あ、ああ命お帰り。途中で買い物があるからって、どこまで行ってたんだよ?」


「女の子の秘密です」


「あ、そう」


『征ー。お風呂沸いてるわよー。ご飯の前に入っちゃいなさい―』


「風呂か。どうしようかな、命入る?」


「いえ。少し勉強しておきたい科目があるので。お先にどうぞ」


「ん。うーんじゃあ、賢見入りなよ」


「え、ぼく。ですか? でも、先輩を差し置いて入るのは……あ、じゃあ先輩。一緒に入りませんか?」


 瞬間、征と命はブフォっと同時に唾を飛ばした。


「いや、だから……君の体は今、女の子なワケで……」


「破廉恥です! そそそ、そういったことは心に決めた殿方となさい、賢見さん!」


「ぼくは、男の子です!」


「わかったわかった。じゃあ、とりあえず賢見が先に入ってくれ。オレは後でいいから、風呂場は階段のすぐ横だからね」


「わかりました」


 賢見が部屋から出て行くと、命も立ち上がって部屋を出る。


「賢見の風呂、か」


 ベッドの上で仰向けになり、しばらくもんもんとする征。


「賢見って、体は女なんだよな……」


 今度はうつぶせになり、再びもんもんとする征。


「うーん。微妙だぞこれは。オレがこれから覗こうとするのは女の風呂なのか。それとも男の風呂なのか……そもそも、脱衣所にある賢見のパンツを見た時点で萎えそうだ、色々と」


 もう一度仰向けになりしばらく考えた後、征は覚悟を決めた。


「よし、迷っていてもいいことなんか何もない! 有言実行! やってやるぜ!!」


 征は勢いよくベッドから起き上がると、ドアノブを開けて階段を降りた。


「何をしているんです、そこで?」


「あ、いえ……」


 しかし、脱衣所に命がいて、ラスボスのように待ち構えていた。隙の無い構えを取り、突破は容易ではない。


「どうせあなたのことです。『オレがこれから覗こうとするのは女の風呂なのか。それとも男の風呂なのか……そもそも、脱衣所にある賢見のパンツを見た時点で萎えそうだ、色々と』と、考えた挙句、己の迷いを振り払いここまで来たのでしょう?」


「大当たりですね、はい。ぐうの音も出ません」


「命が惜しければ去りなさい。賢見さんの貞操は私が守ります!」


「く! ちくしょう、覚えてろよ!!」


 征は死亡フラグがビンビンに立っているモブみたいな発言をして、泣く泣く自室へ戦略的撤退した。


「ちくしょうめ、命。この借りはいずれ返す!」


 と、意気込んでいた征は階段を急ぎ足で駆け上ってくる音を聞いて硬直する。


『あ、賢見さん待ってください! まだ終わっていません!』


『嫌です、ぼく、男の子なのに、ブラジャーなんて!』


「ブラジャー、ですと!?」


「先輩、助けて!!」


「うを!?」


 急にドアが開いて、賢見がバスタオルを巻いたままの姿で征に飛びついてきた。


「先輩! 命さんがひどいんです! ぼく、男の子なのにブラジャーしろって……」


 むにゅむにゅ、と柔らかくて暖かいナニかが征の顔面に押し付けられ、窒息しそうになる。


「いや、だから今の君は紛れもなく女の子だから……」


「賢見さん、こんな所にいた! さあ、こちらへ。そんな男の前にそんなかっこうでいたら、妊娠してしまいます! ブラジャーをしないと形が……」


「いいです! ブラジャーの付け方なら先輩に教わります! だから、命さんはあっちに行ってください!」


「お、おい。ちょっと! オレだってブラジャーの付け方なんて知らないよ! 知ってたらオレの社会的な地位が危ういよ!」


「さあ、賢見さん。こっちに来なさい!!」


 賢見は命に無理矢理連行され、部屋から出て行った。


 残された征は、嵐が過ぎったことに安堵し同時にがっかりする。


『嫌です! スカートなんて! ズボンは無いんですか!?』


『この際です。色々とオシャレしてみましょう。ふふ、私。妹がいたらこういう風にオシャレさせてみたかったんです。あら、こっちのブラウスも似合いそうですね』


「先輩、助けて!!」


「うを!?」


 急にドアが開いて、賢見が下着姿のままで征に飛びついてきた。


「先輩! 命さんがひどいんです! ぼく、男の子なのにスカートはけって……」


 おそらく命の下着を借りているのであろう。窮屈そうな布地の中で賢見の胸がはちきれそうに暴れていた。征はむしろ爆ぜろと思った。


「先輩って、命さんのほかに妹さんがいたんですか? 小学生、です? このパンツもその子のですよね? すごくお子様っぽいし……胸もきつすぎて」


「いや、たぶんそれ。命のだと思うけど。ってあれ? 命は?」


 さっきまで賢見を執拗に追い回していた命の姿がない。少し耳を澄ませると、開け放たれたドアの陰から何かが聞こえてきた。


「命?」


「小学生……お子様……お気に入りのワニさんなのに……うう……」


 征は開け放たれたドアの陰で呆然自失している命をみつけると、肩に手をやった。


「まあ、そのあれだ。命。がんばれ」


「どういう意味ですか!」


「やめてください、先輩たち!」


 命が征の胸ぐらをつかむと、それを見た賢見が止めに入る。


「まったく、こんなんでやっていけんのか……」

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