第8話 痛みを乗り越えて
「痛みは分かち合うもの、だよね? ねえ、天道くん。私の痛み、あなたにもあげる」
時任はスカートのポケットからガラス玉を取り出した。そのガラス玉には、『痛』と書かれている。
「有言、実効……」
「い!?」
瞬間、征の体中に激痛が迸る。
「『痛』の言玉……すごいんだよ、これ。人間の痛覚を自在に操ることができるの。天道くんにもっと、痛いの痛いの飛んでいけ」
「う……お!?」
右腕に何かが突き刺さったような感触があり、征は声を上げた。慌てて右腕を見てみるが、何も刺さっていないし、血は出ていない。それでも確かに激痛があって、じわじわと全身に響いている。
「くそ!」
征は地面を蹴り、大きく後退する。距離が空いた事と関係しているのか、痛みが緩和され幾分かマシになった。
「もしかして、これ……さっきの……じゃあ、時任さんがあの女子達を?」
「うん」
征が問い掛けると、時任は静かに頭を縦に振った。
「ずっとずっとむかついてたの、あいつらに。私、1年生の時からいじめられてた。宿題もやらされたし、掃除も押し付けられた。パシリもやらされたし、お金も取られた。殺したいと思ったよ? でも、どうにもできなかった……けれどある日。キレイな男の人が私にこの力をくれたの」
「キレイな男の人……そいつが、麗王って奴か」
「そう。その人は言ったよ? 優しい人間は他人の痛みを知っているって。だからね? 私が感じたように、皆に痛みを教えてあげるの。痛みを知れば、皆優しい人になる。私は、正しいことをしているの……邪魔しないで」
「それは、違うだろ。それに、言玉を使い続けたらダメだ! それを言葉さんに渡して、元の生活に戻るんだよ」
「イヤ! 天道くんは、力を持たない人の気持が解るの!? 何もできない。抵抗できない……この言玉は、私が手に入れた唯一の抵抗の力。絶対に、渡さない!」
時任は言玉を大事そうに握り締めると、征を睨みつけた。
「なら、力ずくで……いくよ!」
征はグローブから『火』の言玉を取り外すと、宣言通り『力』の言玉をセットする。
「有言実効……ごめん、時任さん!」
力が宿ったことを自覚すると、征は地面に右手を殴りつけた。土煙が巻き起こり、軽い振動が周囲を襲う。
「きゃ!?」
時任は土煙をまともに浴びてよろめくと、お尻から地面に倒れた。
「よし、今だ」
「天道くんも、私をいじめるの? そう……許さない」
時任の背後に回りこみ、彼女の手から無理矢理言玉を奪おうとする征。
「痛いの痛いの、飛んで行け」
時任の呪いにも似た呟きを聞いた瞬間、征の体中に激痛が走った。
「!!!!」
足が、腕が、頭が、腹が、見えない力によって引き裂かれそうになる。けれどやはり、どこにも外傷は無い。
「痛いでしょ? これで天道くんも優しい人になれるのかな?」
無邪気な笑みを浮かべる時任の足元で、征は必死に激痛を耐えた。
「天道さんから離れなさい、時任さん!」
痛みと格闘していた征の前に命が現れた。
「……言葉、さん。だめだ、それ以上近寄ったら、痛みが……」
「あなたは……天道くんの、妹さん? でも、何だろう。ヘンな感じがする」
時任は命に気が付くと、首をかしげ何者か問う。
「一応、そういうことになっています。が、私の本当の名前は言葉命。あなたが持つ『痛』の言玉は、我が一族が管理してきた物の1つです。速やかに返却してくださればよし。さもなくば」
命は右手の刀の鞘から刃を引き抜き、時任に向けた。
「私を、いじめるの?」
「返答次第では、そうなりますね」
「命ちゃんも皆と同じなんだね。だったら、あなたにも痛みを教えてあげる……」
「やめろ、時任さん!」
命に向って歩き出した時任の足をつかみ、征は叫んだ。
「そんなことしてどうなるっていうんだ! 他人に痛みを植え付けて、それで満足かよ!? 自分の感じた痛みを感じて欲しいって言うけど、じゃあ君が他人に与えた痛みはどうでもいいっていうのか!」
「それは……みんなが、私をいじめるから……」
「今の君の言葉に、何の説得力もない。こんな借りモノの力で、神様にでもなったつもりか!」
「うるさい……天道くんだって、言玉を使ってるじゃない! そんな人の言うことこそ、説得力のカケラもないよ! うざい天道くんなんか……もっともっと、痛くなっちゃえ!」
時任の目が氷の刃のように鋭く、冷たくなる。
「うお!?」
征はあまりの激痛に、立っていることもできずにひざまづいた。
「天道さん!? 時任さん……あなたは!」
「待ってくれ、言葉さん。この子は……オレがなんとかするから」
征は渾身の力で立ち上がり、右手からグローブを外すと地面に放り投げた。
「君の言うとおりだ。だからオレは、言玉の力がなくっても君に立ち向かう。君だって、こんな力が無くても、立ち向かえるはずだ」
「天道、くん……?」
征の言葉に、時任はわずかにうろたえた。
「そりゃ、いじめてた奴らを擁護する気なんてないさ。でも、君まで同じ事をしてどうするんだよ? どうして、抵抗できなかった? どうして、誰にも相談しなかった?」
「だって……だって……私……」
時任は視線を地面に向け、言い訳を吐き出そうとする。
「オレは……もし、去年君と同じクラスで、君が苦しんでいるのを知っていたのなら……きっと、助けた。去年は違うクラスだったけれど……今年は違う。同じクラスの仲間だ。だからオレは、君の力になりたい!」
「そんなの……ウソだよ。口ばっかりなんだもん、皆! 私がいじめられているのを横で見てて、皆笑ってるもの! 天道くんだって、きっとそうだよ! だから、だから!! 有言、実効……」
地面に向けて時任は必死に反論する。
反論と共に、見えない痛みが征に襲いかかった。
「!!!!」
何度目か解らない激痛。それに耐えるのも何度目か解らない征だったが、それでも痛みに耐え、今度はひざまづくことなく時任に向ってゆっくりと歩いた。
「どうして? 痛くないの?」
「痛いよ、そりゃ。でも君だってもっと痛かったんだよな? だから……耐えるよ。オレは口ばっかりじゃないってこと、証明するために」
「痛いはずなのに……立っていられないはずなのに! どうして、そんなことができるの!?」
征はゆっくりと。しかし、しっかりした足取りで時任の目の前に立つと、彼女の手を取った。
「有言実行、だろ? オレは、一度言った事はやりとげる。時任さんの力になるって、言ったからね」
「天道、くん。ごめんなさい。ごめんなさい……」
時任の手の平から言玉がするりと零れ落ちると、征はそれを拾って命に手渡した。
「天道くん、痛かったよね? 私、どうしたらあなたに許してもらえるのかな。本当に、ごめんなさい」
時任は今にも泣き出しそうな顔で、祈りを捧げるように手を握り締め、征を見つめる。
「許すも何も。オレはなんともないさ。ただ、もうヘンに我慢するのはやめて、言いたい事はハッキリ言っちゃおうよ。前を向いてさ。どうしても最初の一歩を踏め出せないのなら、オレが背中を押してあげるから」
「うん……ありがとう、天道くん。私、勇気を出してみる。前に、進んでみる」
涙を笑顔に変えて、時任は可愛らしく笑った。
「えへへ。私、男の子にこんなに心配してもらったの、初めてだよ。私にできる事があるのなら、なんでもしてあげたい。だから、何でも言ってね?」
「え、あ。ああ。そうだな……」
征はその姿に一瞬見惚れてしまったが、すぐにいつもの調子に戻ってこう言った。
「そうだな。じゃあ、とりあえずパン……」
「パンが食べたいの? だったら、すぐに買ってくるね!」
「天道さん!」
「いや、何でもないんだ。ごめん時任さん」
一瞬、命の槍のような視線に貫かれ、征は硬直する。
「あ、そうだ。これ、時任さんのだよね? 変態委員長にも困ったもんだよなあ、まったくさ」
「あ、それ。私の靴下!」
「それより時任さん。この言玉。誰から手に入れましたか? できればその時の事、詳しく教えてもらいたいのですが」
征が一色から取り返した靴下を時任に渡すと、命が質問を始める。
「あ、うん。あれは……一週間くらい前、だったかな。塾の帰りだったから……夜の10時くらいで……駅前で声をかけられたの。すっごくキレイな男の人で、右目が髪で隠れてた」
「名前は?」
「苗字は名乗らなかったけど、麗王って言ってたよ」
命はその名前を聞いた途端、不機嫌になって眉を寄せる。
「ありがとうございます、時任さん。今回のことは全て私の責任です。あなたの犯した罪もすべて私が引き受けますので、安心して忘れてください」
「え?」
命はスカートのポケットから『忘』の言玉を取り出すと、時任にそれを向けた。
「忘れる? イヤだ。私、忘れたくない。天道くんの言葉も、この手で誰かを傷つけてしまったことも……イヤだよ。このまま全部忘れちゃうなんて。ちゃんと罪を償わせて、お願い!」
「時任さん……。なあ、言葉さん。この子にも手伝ってもらったらどうだ? それがこの子の罪滅ぼしにもなるんじゃないか?」
「何を言ってるんですか、あなたは。これ以上無関係な人を私達、言葉の家の問題に巻き込むわけにはいきません」
「それはそうだけどさ。でも、オレはこのままこの子の記憶を消してしまうのもどうかと思う。だって、そうじゃないか。せっかく時任さんは、前を向く気になったんだ。それを消しちゃうのか?」
「それは……そうですが」
「全てを無かったことになんてやっぱりできないよ。それに今回、一色と時任さん別々に相手をしたからよかったものの。これから先、言玉を持った人間がグループを作って、それと戦う事になったら厄介じゃない?」
「……確かに、彼女は獣ヶ原先生と違って、更正の余地がありますね。よくも悪くも、言玉で人は変わるようですし……いいでしょう。あなたの言う事にも一理あります。時任さん。私に……あなたの力を貸してくれませんか?」
「オレからも頼むよ、時任さん。言葉さんに君の力を貸して上げて欲しい」
「うん! いいよ。だって私、天道くんの言う事、何でも聞くって決めたから。天道くんがして欲しいこと、何でもしてあげる」
「え? 何でも?」
「うん。有言実行、だもんね」
「天道さん。セクハラ発言は控えてくださいね?」
「あのね言葉さん……オレを歩く下ネタマシーンみたいに扱うのやめてくれない? まったくもう。それじゃあ、オレからのお願い。オレと言葉さんの友達になって。それだけでいいよ」
「それだけでいいの? 本当に?」
上目遣いに見つめる時任はなぜか物欲しそうな顔をして、征を見つめていた。
「え?」
「天道くんが望むなら、気持ちいいことしてあげるよ? 私、これでもテクニック、あるから」
「え、え?」
時任は征に近付くと、体を触った。少女の小さな手でソフトタッチされ、驚きと興奮がないまぜになる。
「ちょ!?」
「ほら、こんなに硬くなってる……もんであげるね」
「ちょ、ダメだよ! そんなのいきなり!」
「動かないで。肩のコリ、ほぐしてあげる。私、毎日お父さんの肩もんであげてるから」
征はいきなり体を触られて、ビックリした。
「なんだよ、肩もみか……」
「私、男の人の肩もむの好きなんだ。大きくて広くて、硬いから」
オレは女の子の胸もむのが好きなんだ、と征は言いかけたが変わりにこう言った。
「どうせもんでくれるなら、場所指定してもいい?」
「天道さん!」
命が一喝すると、マッサージは中断され元の話に戻される。
「えっと。とにかく、これからは友達ってことでよろしくね、時任さん」
「うん、よろしくね。2人とも!」
「さて、と。それじゃまず、そこの変態委員長を保健室に連れて行って、後片付けしなくちゃな」
中庭の修復は、命が。一色の介抱は征と時任が行い、それら全てが終わると3人は学校を出た。
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