第4話 黒いレースのオトナ世界

「あなた、言玉を……使ったのですか?」


 穴の空いた校舎の壁を呆然と眺めていた征は、起き上がった命に声をかけられ振り返った。


「え、ああ? それより、さっきの化け物。何なんだよあいつは?」


「あれは獣の言玉で肉体を変貌させた人間です。言玉は単に身体能力を強化する物だけでなく、肉体を変化させたり、人を操ったりと、色んな力を有しています。それより……」


 命の視線が征の右手へ注がれる。


「ごめん。隠すつもりはなかったんだ」


「やはりあなたが持っていたのですね、『力』と『奪』を。色々といいたいことはありますが、それよりも彼を捕まえなければ。あれだけのダメージを与えたとはいえ、獣の身体能力は油断できませんので」


「あ、待ってくれよ! オレも行くよ!」


 2人は用心しつつも、校舎の穴から空き教室へ侵入した。


「あれ、いないぞ?」


 獣が吹き飛ばされた拍子に散らかったのであろう教室内には、机やイスがバラバラに落ちていた。その中に奴の姿は無い。


「そんな、早く捕まえなければ! お願いです、あなた……天道さん、でしたね? 彼を捕まえるのを手伝ってくれませんか? あれを放っておいたら、最悪人死にが出るかもしれません」


「ああ。そのつもりだよ。何が起こっているのかよくわからないけれど、あいつはやばいってのだけはわかる」


「助かります」


「けどさ。これが無事に片付いたら教えてくれないか? 言玉のこと、君のことも」


 征は命の目を見て静かにそう言った。


「お約束します」


 命もまた、静かに頷く。


「言玉の使い方はもうすでにわかっているでしょうけど……有言実効。その言葉が発動のトリガーになっています。あなたの持つ『力』なら、常人の何倍もの力を発揮することができるのです。ただ、使いすぎには用心してください。もっとも、力や火といった最下級レベルの言玉では、大した副作用はありませんが」


「最下級? ってことは、これ以上の力を持った言玉があるのか――」


「ちょっと、あなた達!? これは一体何が起こったの?」


 2人の会話を遮るように現れたのは、担任の獣ヶ原先生だった。


「先生。これは、その……ああ、それより! この辺で怪しい奴見ませんでしたか?」


 獣ヶ原先生は考えるような素振りを見せ、前かがみになって答える。


「そういえば……ここに来るまでに、慌てた様子で走り去っていく男子生徒を見たわ。確かあれは……3年生の不良で有名な……そう、小林くんだったかしら?」


「3年の小林……暴力事件を起こしたこともあるっていう、あいつか! 言葉さん、行こう。きっと獣はあいつだ」


「はい」


「ん、先生?」


 教室を飛び出そうとした征だったが、獣ヶ原先生の左頬が赤く腫れていることに気が付き、足を止めた。


「その顔……大丈夫ですか?」


「あ、ああ。これ? さっき階段で転んじゃって……それより、小林くんがこの騒ぎに関係しているのね? なら、早く捕まえないと。先生も手伝ってあげる。確か、体育館裏に走っていったはずよ」


「本当ですか?」


「ええ」


「よし、行こう。言葉さん!」


「……」


 獣ヶ原先生の笑顔に反して、命は無愛想で無言なまま頷いた。


 2人は空き教室を出ると、一目散に体育館を目指し走る。


「……妙だと思いませんか?」


「え、何が?」


 体育館を目前にして途中で走るのをやめると、命は空を見上げて呟いた。


「タイミングがよすぎます。偶然としても、何であの場所に獣ヶ原先生が? それに、彼女の左頬……赤く腫れていましたね?」


「ああ。そうだけど、偶然だろ? 左頬だって階段で転んだって言ってたじゃないか」


「あの時あなたが獣を殴った部位。顔、でしたね? それも左側」


「そうだけど……とにかく、問題の体育館裏に行ってから考えようよ。小林を放っておいたら、やばいだろ!」


「あ。天道さん!」


 征は命を置いて先に駆け出した。体育館は始業式が終わった後で、生徒も教師も誰もいない。すぐ裏手に回ってみるが、問題の小林の姿はどこにもなかった。


「あれ? どういうことだ」


「こういうことだよ、ば~か」


「え?」


 振り向いた矢先、スーツのスカートの下と目が合った。黒いレースのオトナ世界。そして直後、脳天に響く蹴りが顎に決まる。


「い!?」


「可愛いね~ちゃっかり先生のいう事、真に受けちゃってさあ」


「せ、先生?」


 そこに立っていたのは、邪悪な笑みを浮かべたクラス担任の獣ヶ原だった。


「あーら? 可愛いメスガキはどちらかな~? 野郎なんざ食ってもまずいってのに。ま、いっか。あんたも可愛い顔してるもんねえ」


「ちょ、ちょっと待てよ! 本当に、先生がさっきの化け物、なのかよ?」


 獣ヶ原は征の質問には答えず、豊かな胸元からガラス玉を取り出し、艶やかな唇でこう言った。


「有言実効、クフフ」


 一瞬で獣ヶ原の体は黒い体色の巨大な狼に変貌する。


「マジかよ! なんだよ、言玉って! 何で先生がこんなこと!!」


「いただきま~す!」


 征は獣となった担任の女教師に驚愕するも、そんなヒマも無く、迫る牙をなんとかかわす。


「くそ。女教師に覆いかぶされるのは望むとこだけど。化け物ならノーサンキューだ。こうなったら、もう一度力の言玉で……!」


 ポケットから力の言玉を取り出し、征は叫ぶ。


「有言実効!」


 征の右手が燃えるように熱くなる。力を得たことを実感すると、獣に向って駆け出した。


「おらああああああああああああ!!」


 今度は獣の腹にストレートを一撃。獣は大きく後退しのけ反る、が。


「効いてない?」


 獣は何事も無かったように立ち上がり、再び襲い掛かってきた。


「あの獣は、再生力も尋常ではありません。ここは私に任せて、下がってください」


「言葉さん! 遅いよ!」


 後からやってきた命によって、獣は征と命に挟み撃ちされる形になった。


「言葉さんの言うとおりだったよ。こいつは……オレたちの担任だった……」


「やはり、そうでしたか。恩師とはいえ、言玉に精神を蝕まれた以上は、あなたを排除する」


 命は刀を取り出し、『技』の言玉を右手に小さな口を開いた。


「有言実効、です!」


 刀の柄に言玉をはめ込むと、命は構え、数メートル跳躍する。


「すげえ。何メートル飛んでるんだよ。ってか、またクマさん見えてるぞ……」


 命の剣戟には先ほどのような力は無かったものの、まるで別人のような刀捌きとスピードで、獣を翻弄していた。


「はあ!!」


「あれが『技』の言玉、ってわけか。でも、決定打がない。オレも加勢しないと」


 征の心配どおり、命の刀は獣の爪によって遮られ状況は芳しくなかった。


「あいつを、獣を止めるにはどうすればいい? 力で押し切るか? でも、すぐに再生しちゃうんじゃ意味が無い。何か、何か方法は……あ」


 征がポケットをまさぐっていると、もう1つの言玉、『奪』が出てきた。


「そうだ。こいつなら……有言実効!」


 征の右手が燃えるように熱くなる。再び力を得たことを実感すると、獣との距離を詰めた。


「奪えるのは、パンツだけじゃないはず! もらうぜ……お前の大切な物を!」


「天道さん!?」


 征の右手が獣に触れる。


「はあ~? ま~ったく痛くもかゆくもないんですけどお?」


 けれどしかし、獣にはまったくダメージも何も与えていない。


「いいや。もう奪ったぜ? お前の血を」


 ポタポタ、と。まるで赤い玉が征の右手の上にあった。


「体中の血液。その30%を奪った。いくら体がトンデモでも、元は人間なんだろ?」


「……!!」


 獣は一瞬大きな口をパクパクと震わせ、すぐに失神して元の女教師の姿に戻った。彼女のすぐそばには、『獣』の言玉が落ちている。


「まさか、先生の血液を奪うだなんて……とにかく助かりました、天道さん。獣の言玉を回収できたのも、あなたのおかげです」


「ああ。いいよ、別に」


 命は気絶している獣ヶ腹の体に触れると、瞳を閉じた。


「彼女を回復した後、言玉に関わる記憶を全て抹消します。校舎のほうも、言玉で直しておきますので、後の事はご心配なく」


「え、ああ。オレも手伝おう、か――」


 征が安堵したとたん、目の前の景色が歪んだ。


「あれ?」


「これだけ立て続けに言玉を使用したのです。あなたの精神力は空っぽのはず。おやすみなさい、天道さん」


「え、おい……言葉、さ、ん?」


 一瞬で視界がブラックアウトし、征の意識はブレーカーが落ちたように遮断された。

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