第3話 獣の言玉

「ここまでで、何か質問はあるかな?」


 教壇に立った担任が、少し前かがみになってそう質問する。


 若い女性教師の柔らかな体をピッチリと包むスーツ。その中に潜む豊かな胸が窮屈そうに揺れて、征は何カップあるのか質問したくなった。


「獣ヶ原先生は、恋人いるんですかー?」


 男子生徒の1人が大きく手を挙げて質問する。


「いるよ。このクラスの生徒たちみんなが、先生の恋人かな」


 おおー、という男子生徒たちの雄叫びの様な声が教室にこだまして、征は恋人ならおっぱいもましてくんねーかな、と思った。


「ふふ、それじゃ今日はここまでね。明日からよろしくね、みんな!」


 獣ヶ原教師の一声でその日は解散となり、生徒たちは親睦会の打ち合わせやらで忙しく動き始める。


「天ちゃん。この後みんなでカラオケ行くんだけど、どうする?」


 すでに頭が帰宅モードだった征は乙女に声をかけられ、一瞬思考した後、サイフの中身を思い出し手を振った。


「あー、無理無理。だってオレ、金ねーもん」


「それならわたしが――」


「質問があります」


 何か言おうとした乙女を押しのけて、あの清楚な雰囲気の美少女がやってきた。真剣な表情で、今にも胸倉をつかみそうなくらい、鋭い眼光を放っている。


「え? えっと、君は……」


言葉命ことはみこと。さっきホームルームの自己紹介でも、そう名乗ったはずですが?」


「ああ、言葉さんね! で、何の用かな?」


 美少女、言葉命の要件は言わずとも知れていた。それは、右ポケットにあるクマさんだろう。征はすぐさまそう考えた。


「私の大事な物を、盗みましたね?」


 そらきた。征はなんとかいいわけを考えてみたが、どんな選択肢を選んでも、バッドエンドルートに直行する未来しか見えない。


「さっき確認してみたら、どこにもないんです。玉が……」


「え、玉?」


「どう考えても、あなたしか考えられません。あなたが持っている2つの玉。いますぐ見せてください!」


「男の子が持ってるふ、2つの玉って……言葉さん、いきなり下ネタ!?」


 乙女は顔を真っ赤にして、2人の間をあたふたと駆け回っていた。


「わ、ちょっと!?」


 征は強引に立たされ、命に体をあちこち触られる。


「ここが怪しいですね。まさか、ここに隠してるんじゃ……」


「うおおおおおい!?」


 命の視線の先には、征のズボンのチャックがあった。


「不自然に盛り上がっています。開きます」


「開くなあああああ!!」


 征は後ろに飛びのき、危うく公開処刑をまぬがれた。


「オレも、君に話したいことがあったんだ! 場所を変えよう、な?」


「いいでしょう。望むところです」


 征は命と一緒に教室を出て、中庭に向った。中庭はしんと静まり返っていて、征たち以外誰もいない。


「ここなら、人はいませんね」


 征も周りを確認すると、すぐさま地面に額をついた。


「ほんとごめん! そんなつもりはなかったんだ!! 気が付いたら手の中に、あ、あれがあって」


「顔をあげてください。別に命まで取ろうというわけではありません。素直に返していただければ、それ以上は何も追求しないつもりです」


「え、ほんと?」


「ええ。言葉の名に置いて。一度吐いた言葉は呑みません」


「じゃ、じゃあ……」


 そろそろ、と征は右ポケットからクマさんを取り出して、王様に献上するようにひざまづいた。


「ごめん、これ。君の……だよね?」


「!!!!」


 命がクマさんと目があった瞬間、彼女の体という体から、蒸気が出そうなくらい真っ赤に染まっていった。


「な、それは。まさか!?」


 命はスカートの上から自分のお尻をさすり、事態を把握すると素早い動作で征からクマさんを奪い取り、近くにあった茂みに消える。


「あ」


 征は茂みの向こうをのぞいみたくなる好奇心に駆られたが、これ以上の罪を重ねてはご先祖様に申し訳ないと思い、そこで忠犬のようにじっと待ち続けた。 


「おかえりー」


「……」


 やがて茂みから出てきた命に手を振ると、無慈悲な蹴りを左右均等に受ける。


「痛い! 2組の奥田くんなら気持ちいいって喜ぶだろうけど、オレは痛い!! っていうか、素直に返してくれればそれ以上は何も追求しないつもりです。ってさっき言ったよね!」


「それとこれとは文字通り違います!! 私があなたに求めていたのは、パ、パンツではなく……」


「あん時の可愛いメスガキみ~っけ!」


 野太い声がして征は振り返った。


「今度こそ、いたただきますしてやるよ!!」


 そこにいたのは、化け物。黒一色の体毛と、刃のようにするどい2本の牙をもつ巨大な狼。


「あれは……どこかで!? あ、頭が……」


 瞬間、征の頭が破裂するような痛みに襲われた。同時に、朝8時に起こった出来事が頭の中に蘇っていく。


「そうだ、君は今朝の……そんであれは、あの時の!」


「逃げてください!!」


 命に押され、征は尻餅を付いた。同時に目の前を鋭い牙が横切っていき、刃のような風が頬をなでる。


「『獣』の言玉! こんな所に……どうして」


「ヒャハハハ! いただきまーす!」


 化け物は笑う。その鋭い牙と爪は、肉を裂き、骨を砕くことが待ちきれないように邪悪に輝いた。


「この学校の生徒? とにかく、あなたの言玉、返してもらいます!」


 命は朝と同じ様に刀を取り出し、征が拾ったのと同じガラス玉を手に小さな口を開いた。


「有言実効!」


 瞬間、刀に炎が宿る。


「言葉の家に伝わる魔具、言玉。あなたのような欲望の強い人間に持たせるわけにはいかない!」


 命はそう言い放つと同時、獣に斬りかかった。


 獣もまた少女の肉を食らうべく、欲望を爪に乗せて襲い掛かる。


 交差する爪と刃。一瞬の剣戟はそれだけで勝敗を決めることなく、第二ラウンドのゴングを鳴らす。再び爪と刃が交差し、火花が周囲に散る。


 征は為すすべも無く、ただそれを見守るだけだった。


「これじゃ、朝の時と一緒じゃないかよ……」


「早く逃げてください! あなたには関係のないことです!」


 命が獣に視線を合わせたままそう叫ぶ。


「わ、わかった」


 彼女の言う通り、このまま逃げるのは簡単だ。先生か誰かに助けを呼んだほうがいいのかもしれない。そうだ。そのほうがいい。そう考えをまとめ、征は中庭を去ろうとした。


「く!?」


 三度目の剣戟で、勝敗は獣に傾きつつあった。それを見た征は、体の向きを変える。


「まさか、ここまで言玉の力を引き出しているなんて……でも!」


 獣に押し倒され、命は苦しそうに刀で爪を押し返そうとしていた。


「……できるかよ。逃げるなんて、そんなだっせーマネできるかよ。それに、朝のお礼もちゃんとしとかねーとな」


 ポケットに入っていたガラス玉を2つ取り出し、うち片方の『力』と書かれた玉を右手で握り締めた。


「そうだ。校長の時もあの言葉が引き金だった。あの時は『奪』を手にしてそう言ったんだ。てことは……!」


 征は叫んだ。


「やってやるさ。有言……実効!!」


 その言葉がトリガーとなり、征の右手が燃えるように熱くなる。


「うおおおおおおおお!!」


 後先を考えず、思い切り地面を蹴り付け獣に迫る。


「おい、ケダモノ! オレを忘れてんじゃねーぞ!!」


 右手に宿った力。それを信じて、征は命に覆いかぶさっていた獣の左頬を殴り飛ばした。


 征の拳が獣にクリティカルヒットした瞬間、とんでもない轟音が校庭に鳴り響いた。同時に、土煙がもくもくと立ち上る。


「げ。マジ、かよ……」


 獣は征の拳を受けて、校舎の壁を突き破り、空き教室まで吹き飛んだ。吹き飛んだのだ。 


「これが、『力』の言玉ってわけか……」

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