第2話 ポケットの中のクマさん

「えっと、天道征、天道征っと……」


 少年、天道征てんどうせいは新2年生クラス表の前で、自分の名前を一心不乱に探していた。


 容姿普通、成績中の下、小遣い月5千円、性欲盛りだくさん……おおよそ普通の高2男子といっていい少年だ。


「なんとかギリで間に合ったな。にしても、な~んか頭ん中がモヤモヤする。って、それより天道征、天道征っと……お、あったあった。3組か……って、オツも一緒かよ」


 自分の名前を見つけ安堵する征だったが、同じクラスに見知った名前を見つけ、げんなりした表情になる。


「天ちゃん、おはよー! 今年も同じクラスだね!」


「うげ。いきなりご本人登場か。オツ、おはよ」


 クラス表と睨み合いっこしていた征は振り返った。


 そこにいたのは、去年1年間同じクラスだった京極乙女きょうごくおとめである。


「ちょっと、その呼び方いい加減やめてよね! わたし、乙女なんだから! あと、うげって何!?」


 乙女は茶色い髪のポニーテールを揺らし、征に近付いた。


「はいはい、ごめんよトメさん」


「おばあちゃんじゃないっつーの!」


 短いスカートの下から生え出た乙女の白い足が、征の顔面を蹴り上げようとする。


「あぶね!」


 勢いよく繰り出されたその一撃は空を斬り、征の左頬をかすめた。


「ちょ、おまえ! それが乙女のやることかよ! だからオツなんだよ! オツ女!」


「うるさい、わたし、乙女なんだから!」


 さらに征は乙女の華麗な蹴りをぎりぎりでかわし、ちゃっかりスカートの下も拝見した。穢れ無き白の楽園が、そこにあった。


 当の乙女は、パンツを見られたことに気が付かない様子で、なおも憤慨している。


「出たよ、乙女キック。まったく、いくら空手部だからって、いちいち拳や蹴りを繰り出すなよ。乙女のカケラもねーだろ」


 パンツは乙女だったけどな。というセリフはなんとか喉元でこらえ、征は肩をすくませた。


「天ちゃんがデリバリーのないセリフばっかり並べるからでしょーが! これは制裁よ! 腹筋と腕立て伏せ毎日百回やらせるよ!」


「デリカシーだ、この体育会系脳筋オツ女!」


「あなた達、うるさいです」


 ぐぬぬ。というセリフが今にも飛び出しそうなくらい、悔しそうな顔をした乙女を制したのは、1人の女子生徒だった。


「あれ、君は……?」


 それは、長い黒髪と清楚な雰囲気の美少女だった。剣道でもやっているのか、布に包まれた竹刀のような物を持ち歩き、ちらりと横目で征を見る。


「あ」


 彼女の姿を見ると同時、征は無意識のうちに左頬を抑えていた。


「……左頬は大丈夫そうですね。それでは、失礼します」


 美少女は背中を見せると、そのまま去って行った。


「天ちゃんの知り合い?」


「いや、知らない……と思う」


 けれど、どこかで出会ったような。何かいいことと嫌なことが同時にあったような。征がそんなふうに思考を巡らせていると、いつまでもラブコメやってんじゃねーよ、ヴォケ。という男子生徒たちのイタイ視線を受け、いたたまれなくなったのでさっさと体育館に向うことにした。


 それから体育館で征は、新しいクラスメイトたちと合流し、校長のありがたくもつまらなく長い話を聞いていた。


「今日から君達も新2年生、新3年生です。特に、新2年生は下級生ができて先輩となる高校生としては初めての学年。良き見本になれるよう、一層の精進を――」


 真面目に聞いている生徒もいれば、携帯をいじっている生徒もいるし、あくびどころか爆睡している生徒もいる。いつも通りの平和な風景だった。


「新3年生は最上級生として、2年生、1年生を指導できる様、立派な先輩を目指してもらいたい。そして君たちはいずれ社会人になるのですから――」


 校長のありがたい話はまだまだ終わりそうにない。


 征はだるそうに前を見ると、キレイな黒髪の女の子の後姿を見つけた。なぜかその子からパンツを思い出してしまう自分に苦笑する。


 さらにそれが可愛らしい柄だったことも、鮮明に思い出し始めてしまい、ヘンにニヤけてしまった。


「うわ、きも……」


「う」


 それを隣の女子に見られてしまい、征はごまかすためにズボンのポケットをまさぐって、スマホを取りだそうとした。


「ん?」


 ポケットに左手を突っ込んでみると、スマホ以外に物が入っている感触があって、困惑する。


 大きさ的にはビー玉くらいの物が2つ。あめ玉だろうか、そう思って取り出してみるとそれは二つのガラス玉で、それぞれ『奪』、『力』と書かれていた。


「なんだ、これ? 何でこんなのがオレのポケットに入ってるんだ」


 『奪』と書かれたビー玉を左の手の平に乗せ、考えてみる。どう見ても食べられそうにない。


「ここで私が好きな言葉を教えましょう。とにもかくにも、有言実行です。一度言った事は最後までやり通す。その覚悟と意思を持って、何事にも取り組んでもらいたい」


「有言、実行ね……」


 征がぼそりと呟いた瞬間、手の平が燃えるように熱くなった。


「熱!?」


 あたふたしていると足をもつれさせ、前にいた黒髪の女の子のお尻をソフトタッチしてしまう。


「きゃ!?」


「あ、ご、ごめん! わざとじゃないんだ」


 振り向いた女子は、清楚な顔の美少女で、先ほどすれ違った女子生徒だった。


「またあなたですか……気を付けて下さい」


「ご、ごめん」


 女子生徒はそれ以上追及することなく、振り向いていた体を元に戻して正面を向いた。


 一瞬ほっとした征だったが、手の中にある柔らかな布の感触とあたたかさがあって混乱する。


「これって、もしかして……」


 誰にも見られないように、少し前かがみになって手の平をおそるおそる開いて行くと……。


「クマさん?」


 クマと目が合った。いや、正確にはクマの刺繍が施された女性用下着。もといクマさんパンツである。


「うそお!?」


 慌てて手の平の中の物を右ポケットにしまいこみ、周りを確認する。


 皆、おしゃべりや携帯に夢中で、征の行動を見ていなかったようだ。隣の女子もスマホに夢中で、ずっと画面とにらめっこしている。


「な、何でこんなステキアイテムがオレの手の中に!?」


 誰のだよ、これ。と少し考えてみて、思い当たる節は一つしかなかった。


 目の前の美少女。でもさっきのは、軽いタッチだ。決して脱がしてなどいない。触っただけで脱げるわけも無い。もしかすると、神様からのプレゼント?


「天ちゃん、こーちょーの話し終わったよ? 教室に移動だよ?」


「え、あ。ああ! そっか、移動かー」


 気が付けばいつの間にか始業式は終わっていて、乙女が征の肩を叩いていた。


「よっし、行くか」


 とりあえず、この件は後で考えよう。そう思って席を立つ。


「あれー? 天ちゃん、なんかズボンのポケットから白いのが出てるよ? ンン? クマさん?」


「あはあああああああああああ!?」


 乙女に指摘されて、征はそっこうでズボンにもう一度クマさんをしまいなおした。


「ハンカチだよ! クマさん柄の!」


「ふーん? まあいいや。行こうよ」


「あ、ああ」


 背中に嫌な汗が流れ、征は疲労感を感じながら歩き出すのだった。

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