七日目(3) 川に飛び込んだ娘

 鬱蒼とした森をぐるぐるめぐる。

 後ろ手に縛りあげられ、その縄の先を持たれたまま歩くのは、全く以て容易でない。

 そんな最後に、蔓を潜り、羊歯を踏み、木々の蔭を抜けた先で。

「昔は、それはそれは立派な寺院だったって話なのにね」

 鼻歌混じりに青年――征雲せいうんという名らしい――は前を指差した。

 りんも思わず溜め息を吐いた。

 青空を背にそびえるのは、石を切り出して積み上げたのだろう、広い広い建物だ。

 だが、そこかしこの壁が崩れ、屋根が落ちている。床は苔で覆われている。

 そして、一本の大きな樹が天井を貫いていた。

「締め殺しの木ですね。あそこまで大きくなるとは」

 赤い仮面――雄飛ゆうひも、ほう、と呟く。

 一人、大男の維祥いしょうだけが黙って、草を切り払っている。

「どのあたりがいいかな? 見晴らしがよいところがいいね」

「あの石塔の上に致しましょうか。後ろに川があり、守りやすい」

「構わないよ」

 征雲は軽やかに進んでいく。

 背を押され、凜はよろめいた。

「さっさと進め、のろまめ」

 雄飛が凄む。

 正直に言えば、全く足は疲れていない。ただ、何処に行こうというのか、何をしようというのか見えないことが、縛られているということが、歩むことを躊躇わせる。

 ひりつく視線を浴びながら、凜は尚も足を引きずって見せた。

 それでも一行は、寂れた寺院の奥、塔を登る。

「ああ、疲れた」

 頂上に着くなりの呟きに、維祥は背負っていた椅子をすっと広げた。

 黙って征雲は腰を下ろし、首を左右に傾けた。

「結構広い森だったね」

「ですが、貴方様の御力でもって結界を張ることなど、容易い大きさでございましょう」

 雄飛が仮面の下で笑む。

「勿論だよ」

 征雲もゆったりと笑った。

桂雅けいがが此処に踏み込んだら、動き出すようにしようか――森の外に出るまで、移動の術が使えないようにね」

「発動した後は、万が一、羅英らえいが戻ってきた場合も使えなくなりますか?」

「なるさ。出ることも入ることもできなくする」

 ねえ、と視線を送られて身を竦める。

 金色の眸は眩し過ぎて、真っ直ぐに見たくない。

「早く来ないかな?」

 だというのに、征雲はずいっと顔を寄せてきた。

「ねえ? 愛しい君を助けに来るはずなんだよ?」

 それはどうだろう、と目を細める。唇を噛む。

「血相を変えて飛んでくるといいなあ……」

 彼はくすくすと笑って、そうだ、と手を打った。

「君を散々甚振いたぶったふうに見えるようにしておこうか。例えば、こう」

 と、縛られたままの手首を掴み、指先に噛みついてきた。

「血まみれにするとか?」

 甲高く叫ぶ。身をよじり、床を転がっていこうとして、襟首を掴まれた。

「落ちるぞ」

 と、掴んできた維祥が言う。

 崩れた塀の先はもう、すぐに川だ。洸々と水が流れている。

 短く息を吐いて、吸う。

 俯くと、襖曳アオザイに黒ずんだ染みが出来ていたのが見えた。

「怖がられてしまったかな」

 高い笑い声が続く。

「早く来ればいいのに」



 ところが、塔の下に別の人影が立ったのは、空が赤く染まる頃になってからだった。

「遅い」

 見下ろした征雲が呻く。

 対する人は、艶麗に微笑んだ。

「場所を間違えまして」

「何処に行っていたんだい」

「真っ直ぐ本陣にお邪魔しておりました」

 くすくすと喉を鳴らす人の袖の先にも、乾いた血がこびりついている。

 その袖が揺れる横を、赤仮面を付けたままの雄飛がすり抜けていく。

「伝言係はちゃんと場所を伝えなかったのかい?」

「聞いていないと申しておりましたが」

「……羅英。使えない奴め」

 はあっと肩を竦めた青年に対して、塔を登ってきた人は膝をついた。

「叔父上様におかれましては、ご機嫌麗しゅう」

「久しぶりだね、桂雅」

 むすっと椅子に掛けた征雲に、桂雅はまだ笑んで見せた。

「お呼びくださいましたら、いつでもせ参じましたものを」

「よく言うよ。僕が兵を挙げた時、領地に引きこもっていたのは誰だったかな? そのまま日和見を貫くのかと思っていたら、しゃしゃり出てきて――ああ、海啓かいけいを倒したことは褒めてあげていいよ?」

「有難う存じます」

「本当に口の減らない……」

 ひゅっと手を上げて、征雲はそのまま桂雅の頬を打った。

「苛々するな」

「お顔が歪んでいますよ、叔父上」

 反対の頬も音を立てる。

 ぐいっと首元を掴んで、己に引き寄せて。

「なんだ、その眸は」

 征雲は呻いた。

「金色の眸ではなかっただろう?」

「ええ――そのはずでした」

 ピクリともせず、桂雅が受ける。

「俺は間違いなくあの父の子だったようですよ」

「抜かせ! 何故だ――おまえの眸は碧かっただろう!?」

 肩を怒らせて振り向いた征雲に、維祥が重く頷く。

 凜は首を傾げた。

「認めないぞ! おまえは王の座に就く血を持っていない!」

「ええ――だから、王宮中から爪弾きに遭っていた俺を可愛がってくれていたのでしょう? ご自分の首を脅かす存在ではないと思っていたから!」

 がっと、桂雅もまた征雲の衣を掴んだ。

「持ち上げられているのが心地良いと感じておいでだ。だから、人形で周りを固めた。本当は、いつ裏切られるかと不安でならなかったからなんじゃないか!?」

「煩い!」

 もう一度、征雲が頬を張る。

 切れた唇をそのままに、桂雅は立ち上がり、衣の埃をはたいた。

「娘を返せ」

 低い声。

「まだ、死なせるわけにはいかない」

 靴が石の床を打つ。凜の前まで来ると屈み込み、指先で縄を切ってしまった。

「怪我は?」

「……無い、です」

 何度も瞬いて、その顔を見上げる。

 眉目秀麗という言葉そのとおりの顔だち。頬を腫らし、涙を流していてもなお、美しい。

 息を呑む。

「行くぞ」

「抜け出せるものならね」

 きいっと征雲が声を立てた。

「さっき雄飛が仕掛けを動かしに行った――森の外に出るまで、西寧に真っ直ぐ帰る術は使えないからね」

 手を腰に当てて笑う彼に、桂雅はひくと眉を動かした。

「それと気が変わった――維祥」

 呼ばれた大男がぬっと立ち上がる。

「刀を抜いていいよ」

「それは」

「死ねない程度に斬っていい」

 維祥は頷き、腰の獲物を抜き放った。

 幅広で、分厚くて、鈍く光る刃だ。

「喜んで」

 ぶん、と振り下ろされてくる。

 桂雅が腕を振る。旋風でかろうじて刃はそれて、近くの床に刺さった。

 その一瞬後には、もう横に払われていて、凜は桂雅に抱え込まれる形で床に転がった。

 目の隅に夕陽を映す水が見えた。

「川に飛び込もう」

 言う。

「は?」

 己を抱いた青年は短く、だが素っ頓狂に応じた。

「泳いで渡ればいいのだもの」

「なんだと!?」

 また刃が降ってくる。袖が裂かれる。

「斬られそうなのより、マシ」

 青年の胸に飛び込む。押し倒すようにして、塀の向こう、塔の下へ。

 水音は二つ上がった。

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