七日目(1) 三人目を知った娘

 遠く、川の流れる音がする。木々が囲んだ窪地には天幕が並んでいる。そこかしこに槍を構えた兵士がいる。篝火はその勢いを徐々に弱めていっていた。

 朝日が煌めく。

「眩しいったらありゃしない」

 りんは、何度も何度も瞬いて、その声の主を見上げた。


 凜より遥か年上の青年だ。

 真っ直ぐに伸びた髪が風に揺れる。磨き上げられた爪、傷ひとつない指先、そして艶めく袖を翻す腕。

 襟元から覗く胸元も、整った顔立ちも、日に灼けておらず真っ白だ。

 そして、端正な顔立ちを際立たせる金色の眸。

 彼も王族だ。


 また王族だ、と凜は身を竦め、比陽の首を抱く腕を強張らせた。

 十日と経たぬうちにまた違う王族と出会うなどと、村で暮らしていた頃には思いもしなかった。

 今度出会った金色の眸は、朝日に負けず煌めいている。

「僕は朝が嫌いなの…… 寝台から起き上がるのがどれだけ億劫なことか、知ってる?」

 光の強さとはちぐはぐな欠伸をして、彼は凜の横に立つ別の青年に視線を流した。

羅英らえい、聞いてる? こんな……生首抱えた小娘に会うために起こされたの?」

 びくり、と肩を竦めた、頬に刺青を持つ彼は。

「申し訳ございませんでした」

 と、頭を下げた。

 その額に、ひゅっと小石が当たる。

 正面の青年が蹴ったものだと理解して、更に体を小さくする。

 名も分からぬが、もう十分だ。金色の眸と、この仕打ち。

――逃げたい。

 比陽ひようの首に縋りつく。つんと鼻をつく臭いにも構わず。

 隣の青年――羅英という名だとようやく知った――彼の額からはすっと一筋血が流れている。

 正面の青年は。

「謝るくらいなら最初から来なきゃいいんだよ?」

 もう一つ大きな欠伸をして、彼はその後ろにひっそりと跪いていた影にも小石を投げた。

維祥いしょう。君もどうして起こしに来たの?」

 そうだ、この大きな男だ。羅英の訳の分からぬ術によって見知らぬ場所に移らされて、その先にあったこの天幕の前で不動の姿勢で立っていた。羅英の顔を見て、何も言わずに中に入り、そしてこの青年と出てきたのだ。

 如何にも従者という風情の男だ、主の機嫌などお見通しだろうに、とそっと見る。

 彼もまた頬に血を滲ませているのに、山奥の草の色の眸は全く動じずに応じる。

「お喜びになると判じました」

「どのあたりが?」

「羅英が主の命を忠実にこなしました故」

「……どのあたりが!?」

「人質をお望みでしたでしょう?」

「うん?」

 瞬いて、金色の眸が凜を映した。

 その瞬間、ガチン、と奥歯が鳴ったのは聞こえてしまっただろうか。

 彼はゆっくり凜を覗き込んできた。

桂雅けいがの弱みになりそうなやつって話? こんな小娘が?」

「御執心なんだと」

 隣から小さなかすれ声が応じる。それを追うように。

「先だって比陽といた娘ですね」

 もう一つ声が響く。大きな男の隣の、同じく膝をついていた、赤い仮面を付けた者。

「西寧の街で私も見かけております」

雄飛ゆうひ。それじゃあ説明にならない」

「件の鍵を持って逃げていた娘です。それがどういう経緯を経たか、桂雅の下にいたようでして」

 喉の奥から捻り出されてくる声は、ざらついている。

 それを気にするふうもなく、金色の眸は雄飛と呼んだ赤い仮面と凜を交互に見た。

「ううん…… いまいち分からないなぁ。こんな小娘が、桂雅のなんだって言うんだい? まさかに情婦イロというわけなかろうに」

「そのまさかでしょう」

 雄飛が言う。仮面から覗く唇が歪にたわむ。

「女の匂いがします」

「死体の臭いの間違いじゃないのかい? この首、比陽だよ。悪趣味な」

 ぐっと前髪を掴まれて、顔を上げさせられた。金色の眸と真っすぐに視線が噛み合う。

「まだまだ子供じゃないか――僕は相手にしたくないなぁ」

 強い、強い光だ。揺らぎなど全く知らないそれ。

 良く笑った比陽の眸とは全く違う。

 かと言って、桂雅のそれとも違う。

――もっと、もっと、この人は。

 また奥歯が鳴る。

「怯えているんだ」

 青年がゆっくりと笑った。掌を凜の頬に沿わせてくる。頬から顎へ、喉へとその雪のような感触の掌が動く。人差し指の先で喉を突かれ、他の指が鎖骨を撫でる。思わず、右手で相手を突き飛ばした。

たまには抵抗されるのも面白いのかな?」

 ぐっと右手を掴まれ、引かれる。逆の腕から比陽の首が滑り落ちて、ゴトンと音を立てた。

 それを金色の青年は蹴り飛ばす。

「維祥。それ、捨てといて」

「は」

「止めて!」

 叫ぶと、腕を背中に捻り上げられた。

「何故? もう要らないでしょう?」

「……弔わせて」

「そんな無駄なことを。もう王の座の争いから落っこちたクズだよ。さっさと土になれ」

 大きな男――維祥は頭を垂れ、転がっていった首をむんずと掴み、木陰に消えていった。

 それを見送ってから、ふっと彼は嗤った。

「比陽には特別苦労させられていないからね。さっさと忘れてあげられるけど。桂雅はそうもいかないかな? 金色の眸を持たないくせに、図々しくもこの争いに名乗り出た奴だからね。簡単には死なせられない」

 ねえ、と顔を覗きこまれる。傷ひとつ無い両の掌で頬をすっぽりと抱えられていて、動かせない。

「足と手の爪、一枚ずつ剝がして。髪の毛も歯も一本ずつ抜いて。眼は最後まで潰さないよ? 鼻と耳を落とした醜い姿を鏡に映して見せてあげなきゃいけないからね。それから薬漬けにして苦しませてあげよう。死体は蛆虫が沸いてもそのままにしてあげる予定だ」

 青年の赤い唇が綻ぶ。足元から力が抜けて、かくん、と膝をついた。

 ようやく手を放し、彼は盛大に笑った。

「羅英。君には次の仕事に行ってもらおうかな」

 ゆらり、刺青を入れた顔を上げて、羅英は掠れた返事をした。

「桂雅のところにいっておいで。この小娘が本当にあいつの弱みなんだったら、こちらに来いと言えるでしょ?」

「そんな――桂雅様の前なんかに出て行ったら、俺は、殺されてしまう」

「やらないと、弟が死ぬよ?」

 くすり、と青年が笑い、顎をしゃくる。

 赤い仮面が頷いて、別の天幕へと歩いた。ばさり、と布が捲られる。

 その中には小さな影。

 背中を丸めてうずくまっている、人だ、と凜が判ると同時に。

玉英ぎょくえい!」

 羅英が叫び、走り出そうとした。その正面に赤い仮面が立つ。

「雄飛! 退けよ……!」

「愚かな」

 すうっと嗤い、赤い仮面が腕を振る。瞬時に伸びた爪が宙を掻き、羅英は二歩三歩と後ろに飛び退いた。

「連れてきてあげたんだよ? すぐに薬が吞めるように、ね」

 金色の青年が笑い声を立てた。

 肌を粟立ててそれを見上げる。

 軽やかに爽やかに笑う顔は、確かに人間の形をしているのに、と眉を下げた。

――この人は、自分と同じ人間を傷つけることしか知らないんだ。

 笑い声の間を縫って。

「兄さん」

 か細い声が響く。

 羅英の顔がくしゃりと崩れる。

 凜は天幕の中で蹲る影と羅英を見比べた。よく似た顔立ちで、どちらも小柄な躰。ただ、天幕の中の弟の方が、細く痩けていて、蒼い。

 乾いた唇が、ガクンガクンと動く。

「薬が欲しいんだねえ?」

 青年はまだ笑う。

 羅英は真っ蒼な唇を噛んで、腕を動かした。

 足元にぼやっと円陣が描かれて、羅英の体を吸い込んでいく。

 ばさり、と赤い仮面が幕を下ろしたので、玉英は見えなくなってしまった。

「それでは――残った僕らは仕込みをしようか」

 ね、と笑いかけられた。

「桂雅を苦しめないと、ね?」

 何も抱きしめられない両手を自分の体に回す。

 青年は鼻歌を歌い出した。

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