六日目(3) 吹っ切れた魔術師
なんだあれは、と
夜更けの大路を、
「新手の見世物…… なわけないね」
長く息を吐き、見下ろす。
今、羅英がいるのは、丘を昇る坂の途中の家の屋根。広場から真っ直ぐ伸びる道で繰り広げられる珍事は丸見えだ。
とは言え、月明かりは隅々までは照らしてくれない。
走っていく人影と、広場のまんなかに鎮座しているさらし首の影が辛うじて見えるくらいで。
「――って、アレ?」
瞬く。
中央に晒されていた首は幾つだったか、と指さし数える。
「くそウルセえ、おじいちゃん魔術師を
どう見ても、真ん中が空座になっている。
「一番いい席ってことは、比陽様の位置だよな?」
ひくっと頬を引き攣らせてから、立ち上がり、足元に移動陣を描く。
ぽんっと飛び出したのは、先を走る女の目の前だ。
身を竦まされる。
「お邪魔しまーす」
よっと呟いて、真っ直ぐに体を起こす。
それからまじまじと顔を見つめた。
額に汗を、頬に涙を流していた、相手の顔が強張る。
まだうら若い少女だ。
「一体何をしているの?」
努めてにこやかに問いかけたのに、一歩退かれた。
「その、抱えているものは、何?」
つられて踏み出す。娘がまた一歩退く。
「ねえ……」
と手を伸ばすと、ぱん、と叩かれた。
その瞬間、胸に抱えたものが半分見えた――人の首だ。
つんしたと臭いが鼻をつく。咄嗟に袖で鼻をおおった。
それでも、まだ腐り落ちていなかった顔立ちに目を凝らす。
「ねえ、君、それは」
――
問いかけ終わらぬうちに、彼女は羅英の横をすり抜けていった。
足が速い。
成程これでは具足を纏った兵士たちが追い付かぬわけだと、近づいてくる雄々しい足音を聞く。
「貴様! 何者だ!?」
「娘の仲間か!?」
槍の穂先が喉元に伸びてくる。
「いや…… 俺は通りすがり」
「この夜更けにそんな言い訳が聞くわけなかろう」
「ですよね」
突き付けられた刃にそっと指先で触れて、溜め息をつく。
「そんなあの子が何者なのか、俺が知りたいよ!」
わずかな空気の渦を起こして、刃から柄へと流す。持ち手の男が叫び、槍を取り落とした。
羅英もまた身を返し、娘が走り去ったと思われるほうへと駆け出す。
「ああ、もう、見失っちゃったじゃないか」
何故、比陽の首を持っていった。それを聞きたい一念で腕を振る。
走って走ってようやく見えたと思った娘の背中は、ふっと宙に飛んだ。
「え?」
彼女は実に器用に塀に飛び乗ったのだ。
「マジ!? 生首抱えながらかよ!」
ひいひい言いながら、同じ塀によじ登る。
既に反対側に下りて駆け出している背中に、待て、と叫ぶ。
「そんなに体力ないんだよー!」
また溜め息を吐いて。もう一度足元に円陣を描く。
娘の背後に飛び出して、襟首を掴む。
怯えた顔が振り向く。
構わずもう一度円陣を作って、二人とも吸い込ませる。
さあ、と夜風が木の葉を揺らす。
「ここは?」
「思い切って街の外に出ちゃったけど」
と、指さした先に眠る街。微かに篝火だけが見える。
生首を両腕で抱きしめて、彼女は羊歯の上にへたり込んだ。
真ん前にしゃがみ込み、改めて顔を見た。じっと見つめて、ああ、と呟く。
「君…… この間、比陽様といた子か」
夜の闇の中、僅かに自信は無かったが。沈黙は肯定と解釈した。
――四日前かな? 畦道で遭遇したのは。
そこで
翌日には、西寧の郊外の村と呼ぶには粗末な集落で会った。
その後は思誠が、比陽とともに
「比陽様は」
と首を傾げる。
「いつ首を刎ねられた?」
「今日よ」
細い声の返事を得て、眉がピクリと動く。
「比陽様の軍が桂雅様の軍と一戦交えたのは今日だったっけ」
そして桂雅が圧勝したのだと伺っている。そのどさくさで殺めたかと、息を呑む。
「桂雅様は、比陽様を手元で護るつもりだったんじゃなかったのか」
「わたしも、そうなのだと、信じてたのに」
ひっそりと嗤い、彼女は抱いていた首級を掲げて頬を寄せた。
「簡単に殺されてしまうのね。あんなに、生きたい、と願っていたのに」
娘の閉じた目の端から落ちた雫が月光に煌めく。
羅英は背筋を震わせた。
「せめて弔ってあげたい、というのはわたしの我侭なのかしら」
「いいんじゃないかな。生きてなきゃ我侭なんか言えないし。思わないし」
「……そうね」
立ち上がった彼女は丘を登っていく。
その薄い背を追いかけて、羅英も歩き始めた。
「君は、比陽様の何?」
肩までしかない髪を揺らし、彼女は首を傾げた。
「どう答えればいいの?」
「どう…… ねえ。邪推だけどね、大事な『鍵』を預けられるくらいなんだし。こう、親しい関係かなってね」
唇を引き結び、娘は前に向き直る。
「弟がもう一人出来た――みたいには感じたわ。彼のほうが年上だけど」
「ふうん」
――
すっと実の弟の顔が脳裏を過ぎる。
元気に走り回っていた頃の顔も、蒼い顔で寝台に伏せている姿も。
桂雅にとって比陽は弟だろうに、という思いもまた沸く。金色の眸の人たちにとって、血の繋がりなど何も意味をなさないのだろうか。
――人質を取るって結構面白いな。
弟を盾に笑う金色の眸を思い出して、唇を歪める。
あれにどこまで何まで従えばいいのだろう、と掌を見つめた。
次に為すのは、人を攫ってくることだ。
弟の首を刎ねることを
――誰がいいだろう。思誠、なのかぁ。やっぱり。
と息を宙に吐き出す。
視線がもう一度、娘の薄い背を捉えた。
ひっと飛び上がる。
「何!?」
娘も驚いた表情で振り返った。
「あ、ああー、なんでもないよ。藪から急に蛇が出てきてさ。驚いただけ」
「……そう」
ひひ、と頬を掻いて。娘の視界から自分が外れるなり、目を見開く。
――この子だ。
ご執心だ、と思誠が言っていた。
理由は知らぬ。
この娘がどこの育ちか、何という名か、も。
知らなくて良かった。
知っていたら、無情になれない。
――俺は、玉英を守るんだ。
そろり、と右腕を伸ばす。左手で素早く円陣を描く。
光は一瞬。
娘がまた怯えた表情を浮かべたのを見なかったことにして、そこに押し込んだ。
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