五日目(1) 無責任だった王子
また昇った朝日が目に染みて、のっそりと起き上がった。
一晩中床に転がったままだったらしい、背中も肩も、頭の後ろ側も痛い。
ぐっと腕を伸ばすと体が揺れて、右足首でじゃらりと鎖が鳴った。
ふん、とそこから視線を逸らして、部屋の中を見回す。
王都とは違う、繊細でいて豪胆な意匠の飾り棚と寝台。椅子。窓枠に切り取られた景色には瓦屋根の連なりと蒼い海。
「西寧、だっけ?」
「そうだよ」
と同意があって、目を向いた。
「おはよう、二番目」
開け放った扉に
「二番目って呼び名はいらねえ」
「だって本当じゃん。僕が
くすくすくす。
甘い焼き菓子のような色の眸が見下ろしてくる。
「事実は事実としてちゃんと認めたほうがいいよ? 桂雅様が人形にしてくださらなかったら――魔力を分けてくださらなかったら、僕も、おまえも、とっくに死人」
「うるせえ」
「死んでたら何もできないんだからね。ご飯を食べることも、笑うことも、好きな人と一緒にいることも」
眸の色にそぐった
「……確かに死にたくねえけど、言いなりになんかなって
唸る。少年はひょいっと肩を竦めた。
「他の性悪王子たちと違って、僕らは行動の自由を認めていただいているよ?」
「なんだそりゃ」
「ほら…… 北の…… ええっと。
唇を尖らせて、横を向く。
「勝手に人の名前を変えておいて、何が自由だよ……」
「名前? ああ、あんたのことじゃなくって、あの突然お気に入りしちゃった奴の名前? だって、名前が無いと不便じゃん。 あいつが自分で名乗らなかったから仕方なく付けたんだよ。
「うるせえよ!」
「ほら、そうやって叫べるあたり自由だよねえ?」
けらけらと笑われる。しなやかに動く腕と脚を衣から覗かせて、日焼けした顔を見せつけられる。
舌を打つと、また右足首の鎖が自己主張した。
「それもさ、見掛け倒しだから」
「……は?」
「だってさ。僕ら、桂雅様の魔力で生きているんだよ? 桂雅様の魔力が込められた鎖って、体の一部みたいなもんじゃん」
目を丸くする。少年はまだ笑っている。
恐る恐る鎖を握る。じゃらりとの音の後、一気に引く。ぶちん、と軽い音が響いた。
「ほーら、良かったね。自由の身」
ぺちぺち、と拍手される。それを突き飛ばして、廊下に飛び出した。
勘を頼りに駆け抜けて、別の部屋へ。
そこもまた、丘の下の街を見渡せる一室だ。
窓枠に肘をついて座っていた娘が振り向いて、目を丸くする。
「比陽」
呼ばれ、呼び返そうとして。
「……やっぱり、君の本当の名前が呼べない」
眉を下げる。
彼女は首を傾げた。
「桂雅のせいだ……!」
また廊下に飛び出そうとして、足がぶつかって体ごと倒れ込んだ。ゴツンと床と顔が音を立てる。
「てめえ!」
鼻を擦りながら起き上がと、先ほどの少年が左足を浮かせていた。
「今は行かないでくれる? お忙しそうだから」
「なんで」
「あんたの名前を使った軍が川の向こうまで来ているからだよ。早ければ明日には刃を交えることになるだろうって話だったなぁ」
「明日?」
瞬く。彼は肩を竦めた。
「うまいこと集落を外れた場所でぶつかれるといいよねって、場所探しと相手の軍の誘導をしているらしいよ」
「人の暮す家があっても構わず戦いを始めるような人たちなのね」
ぽつん、と娘が言葉を漏らす。
「そういうこと」
すっと表情を冷やして、少年が続けた。
――国をここまで乱れさせた原因の一つは、おまえだ。
不意に、脳裏で一番嫌いな声が響いた。比陽は立ち尽くす。
「俺……?」
王にならなかったから? 違うそうじゃない。王となる『鍵』を持って逃げたこと、なのだろうか。
――威張り腐る王様なんかいらない。でも、それがいないから今、戦争になっていて。
住処を追われ、命を落とす家族がいる。家族を失って途方に暮れる者もいる。あっという間に戦火に飲み込まれる者がいる。傷ついて、普通には生きていけなくなる者も。
少年を見て、娘を見て。
比陽は、ひっ、と声をあげた。
王宮を懐かしい、と思う気持ちはない。父の顔も母の顔も想い出の中では霞んでいる――いいや、誰一人としてはっきりと顔を思い出せない。自分はいったい何を見て何を考えていたのだろう。何を食べていたのだろう。誰と語らって笑って――もいなかっただろうか。
風に乗って、丘を駆け下り、草原を渡る。疾く、疾く、と足を前に出す。
緑の水平線が黒い人影に染められたのに気付くと、さらに腕を振る。
「止まれ! 軍を進めるな!」
叫び、その中に跳び込んだ。
ビリ、と体が痺れる。ぐるぐるぐると太い筋に動きを止められて。
「比陽様を名乗る不埒者だとか」
「領地の城に閉じこもっているという話を信じない与太者が成り代わっているのじゃろう」
「さっさと首を跳ねてしまえ」
あっという間に囲まれて、ねじ伏せられて。囲んだ男たちが好き好きに嗤っていた。
顔を上げる。
絹の衣、磨き上げられた鉄の鎧と剣、纏う物は須らく輝かしい男たちが、見下ろしてきている。
叫ぶ。
「信じろよ! この金色の眸でも俺が偽物だと!?」
すると、一人の翁が振り返った。
頭には帽子を被り、胸まで届く白い鬚を絹の衣の前で揺らしている。右手には彫の見事な杖。
「それは如何な幻術が用いられているのかな……?」
杖に縋って立ちながら、彼は首を傾げる。
「うるせえ、信じろ!」
比陽は吠えて、雷を飛び散らせた。
腕を押さえていた二人が黙って後ろに倒れる。槍を突き付けていた一人が、前に吹っ飛ぶ。数歩離れていても、鎧兜で身を固めた兵士が次々と倒れ伏していく。
旋風が抜けた後の田、横薙ぎになった稲と変わらぬ様相だ。
それを見回してから、肩で大きく息をする。
目の前に、こつんと石を蹴った翁が立った。鋭い視線が刺さる。
「それほどの腕をお持ちだったとは」
だが、と髭に埋もれた口が笑うのが見えた。
「隙が多い。容易く抑えられる」
ゴツンと殴られる。比陽もまた横に倒れると同時に、額に杖を突き付けられた。
「飾りで結構、進軍の先頭に立ってもらおう」
ああ、こいつか。こいつが、俺を、王にして蔭で笑おうとしていた奴か。
名さえも思い出せなくて、唇を噛む。声が出なくなっている。
躰の芯にはまだ、桂雅の魔力の糸が絡みついているようだ。
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