二日目(4) 欲張りな友人
夜半になっても城内は騒がしかった。
伝令の兵が引っ切りなしに門を潜ってくる、紙の束を抱えた文官が駆ける、鎧を脱がない武将が大股で歩いている、と言った具合に。
――これは喋りにいける状態じゃないかね。
息を吐き、
大きな袖で隠れているが、二の腕には白い包帯が巻かれている。言わずもがな、先ほどの戦闘の痕。
「くそ…… いてぇな」
今夜は城主に会えずとも、この怪我にまつわる事柄を言及されないで済むと喜ぼう。
そう願いながら表で彼が詰めている部屋の前に行くと、文官が二人と武将が三人、そして
「部屋に入れないのですよ」
苦笑いを含んだ声が返ってくる。
「またか」
「
「いつも、問題が続くと
「おそらくは、考えを整理される時間が欲しいのでしょうね」
「そんな高尚な理由はありえないぞ、桂雅の場合は」
部屋の中の惨状を想像して、思誠は呻いた。
そうだ、こんな事態は初めてではない。
ちょっと問題が続くと、彼は荒れるのだ。
人並み外れているのは容姿と魔力だけで、むしろ器は小さい。考え事に弱いのだ。
だから、現実から目を背けるための『八つ当たり』をしているだけ。
壁には穴を開け、什器は引っ繰り返し、その他どんなに高価な代物でも割ってしまう。
それが分かってからは、彼の部屋に値の張る品物は置かれないようになった。本人も思うところがあるようで、文句は言わない。
以上、これまでの経験則より。
――明日は朝一番で部屋の片づけをしねえとな。
そして何より今は、主人を落ち着かせねばならない。
会わないで済ませたいという願いは忘れ、部屋に入ろうと戸を押す。バリバリと音が立ち、押した掌に鈍痛が走った。
「簡単には駄目か」
「僕も! 僕も入れてもらえないー!」
ぶるぶると肩を震わせて、奏牙が叫んだ。
「僕は桂雅様が一番なのに! 桂雅様は僕を入れてくれないー!」
わっと泣いて、戸に体当たりする。扉は煌めいて、少年の体を吹き飛ばした。
「バカ野郎、下手したら死ぬぞ」
「やだー! それで良いから中に入るー! 桂雅様のためなら死ねる!」
「大人しく待ってろ!」
首根っこを
「ちゃんと開けさせますから、待っといてください」
大きな溜め息。そして。
「おらあ!」
思誠は戸を蹴り飛ばし、その勢いで踏み込んだ。
バチバチっと体中を白い光が撫でていく。
結界を潜ってしまった先は、ひどく静かだった。廊下を行き交う足音も、扉の前の会話も、何も聞こえない。
「桂雅」
呼ぶと。
「やっと来たな、思誠」
扉だけでなく、棚が倒れ、卓がひっくり返り、破られた紙切れが散らばる部屋の真ん中で、腕組みして立っていた青年が振り向いて、微笑む。
「やっと、って……」
「おまえには潜れるように加減しておいただろう?」
それにまた溜め息を零す。
――入ってくるのを待ってたのかよ。
「今度は何があった?」
「その前に腕を見せろ」
「あ?」
唇がひくっと動く。つい左腕を背に回す。桂雅の形の良い眉が跳ねた。
「怪我を治してやる。見せろ」
「あー…… いや、大したことでは」
「早くしろ」
舌打ちとともに、彼が寄ってくる。手首を掴まれ、引っ張り上げられて、呻いた。
「痛むんじゃないか。やせ我慢は似合わないぞ」
「お互い様だな!」
唇が歪む。
袖をまくりあげて包帯も解いて、桂雅は右側しか表に出していない目を細めた。
「苦手なことをするからだ。敵の相手など、奏牙に任せておけば良かっただろうに」
「あー…… 責任を感じてですねぇ」
「よく言う。友人を都合よく名乗る男が密偵だったのは、気付いていたんだろう?」
ふ、と薄く笑われて、肩を落とす。
以前王都で見かけた、目下争っている相手の人形。
それと一緒にいた、大学での友人。思誠の顔を見て、泣き笑いを浮かべていた。
「お見通しかい」
言うと、彼は朗らかに笑んだ。
滑らかな指先が膿んだ傷を撫でる。そこから痛みが消えていく。
「悪いな」
「なんの」
手首を離されてから、自分でも反対の手で傷の消えた場所を撫でた。まだ微かに熱いそこに、つい、頬が緩む。
――奏牙を笑えねえな。
一年前の戦い以来、人前で魔術を披露することがなくなった城主。誰かの怪我ひとつ治すにも、こうして隠れてこっそりとする有様だ。
その『こっそり』を施してもらえるのを、自他ともに認める友人の役得だと考えてしまう。自分勝手なことだと嗤ってから。
改めて、問う。
「何があった?」
また、形のよい眉が跳ねた。くるりと背を向けられる。おい、と声をかけようとしたところで。
「
桂雅がぽつりと呟いた。
「挟み撃ちかい」
それでか、と頭を掻く。伝令の多さは偵察の結果を伝えてきているのだろう。そもそも誰かが走らなくても、その気にさえなれば彼は事態をすべて占えてしまうのだから、判っているはずだ。
「
「奴らにとっては予定通りってか」
先ほどかち合った人形と羅英は偵察か、と頷く。
「比陽の軍は?」
「相変わらずだな。主不在を疑う者を脅しながら、権威に集る連中が動かしている」
「……正妃様の唯一の子ってのも楽じゃねえな」
「確かに」
ふう、と桂雅も溜め息を吐く。
「比陽にも逢ったんだろう?」
「お見通しで」
「奏牙と比陽が魔力を振るえば、すぐ分かる。居場所も何もかも分かっているさ」
「そうだったな」
低く笑って、桂雅は床にどっかりと腰を下ろした。
「娘も
「そんなに欲しいかい。あの娘が」
「
少し丸まった背。思誠は、その隣に椅子を引いてきて、腰を下ろした。それから、桂雅のくしゃくしゃの髪へ指を差し入れた。
「疲れた」
「そうかい」
喉を鳴らして、髪を梳いてやる。かさついた指先にさえ絡まない滑らかな髪はずっと弄っていたくなる。
「少し休め。それからまた頭を働かせるんだな」
「休んだところで
「そこを何とかしろ。覚悟はしたんだろう?」
「……そうだったな」
もつれた髪を解していくにつれて、背中の力が抜けていく。それにまた一度頬を緩ませて、口元を引き締めた。
「征雲でも比陽でも納得がいかないと言って、立ったんだろう?」
「ああ」
桂雅は座り込んだまま。
「比陽ではウジ虫どもの言い成りになるだけだ。征雲叔父は、ご自分しか愛していないからな――ろくな国にならない」
かざした両手を見つめる深い海の色の眸が細くなる。
「俺も大して変わらないがな――叶えられるのはせいぜい、良い王となるだろう子を残すぐらいだ」
低い笑い声に思誠もまた目を細め、その指先を掴んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます