第58話「その涙、ガンプラに散って」

 玄室おはかにも等しいその部屋に、日陽ヒヨウいづるのお姫様はいた。

 雷光だけが差し込む薄暗い部屋の中で、響くのは激しい雨音あまおとだけ。

 そんな中で阿室玲奈アムロレイナは、いづるを振り返った。その目に光はなく、V字アホ毛も閉じた上にしなびている。そんな彼女が、おもちゃの兵隊のような棚のガンプラたちに囲まれながら……呆然ぼうぜんとしていた。

 なにをしているでもない、ただいづるの前に座っていたのだ。

 手には、あの日一緒に作った黒いユニコーンガンダムがある。


「阿室、さん」


 ようやくその一言だけが、いづるの口から飛び出た。

 それしか、言えなかった。

 なぐさめの言葉も優しい言葉も、なにも出てこない。ただ目の前に、疲れて少しやつれた玲奈が座っている。その、少し乾いた唇がようやく動いて、か細い声が響いた。


「いづる、君?」

「はい……はいっ! 阿室さん、僕です。いづるです!」

「……どうして、ここに」

「助けに来たんです! 助けたくて……支えたくて」


 いづるは胸が一杯になるという経験を、この時初めて味わった。

 言葉が出てこない……頭の中で思考も感情も、表現すべき声に乗せられない。

 ただ、ゆっくりといづるに向き直って立ち上がる玲奈を、ただ見詰めるしかできない。もっと沢山のことを話したかったのに、当たり前のことしか言えない。

 そして今、二人は友人同士として当たり前のことができない現状だった。

 いづるの前までふらりと歩いて数歩、玲奈はそっと手を伸べてくる。


「……いづる君。ありがとう……大丈夫よ、泣かなくてもいいの。平気だぞ?」


 無理に笑って、玲奈がいづるの頬に触れてくれた。

 それでいづるは、自分が涙をあふれさせているのに気づいた。

 それ程までに目の前の玲奈は、悲壮感に満ちて絶望的な姿だった。その美しさははかなさとかなしさを帯びて美しかったが、いづるが心底惚れているいつもの玲奈ではない。薄手のブラウスにスカートという姿も、その愛らしさが頭に入ってこない。

 快活で闊達、強気で勝気なお嬢様はそこにはいなかった。

 ただ、父王に捨てられ魔物の手に落ちた、硝子細工ガラスざいくのようなお姫様がいるだけだ。


「ほら、いづる君。涙をいて? ……会えて、嬉しいわ」

「僕、僕は……助けます! 絶対に! 阿室さん、ここを出ましょう」

「それは……できないわ。私、重要参考人なの。それに……いづる君たちには迷惑はかけられない。いづる君にだけは、迷惑をかけたくないの」

「そんなの理屈ですよ!」


 ゴシゴシと目をこすりながら、いづるはわずかに語気を強めた。

 だが、玲奈は優しく微笑びしょうを浮かべるだけだ。

 既にもう、彼女は覚悟を決めたようでもあり、諦観ていかんの念に打ち負かされたようでもある。全てを察した人間特有の、どこかうつろで寂しい穏やかさだけがあった。

 玲奈は手にしたバンシィ・ノルンを、そっといづるに渡してくる。


「最後に、これを……持っててもらえるかしら?」

「それは――」

「いづる君のユニコーンの隣に並べて、飾って? それだけで私、十分だわ」

「う、受け取れませんよ! そんなの」


 いづるは気付けば、玲奈の腕を振り払っていた。

 同時に、その華奢きゃしゃな身を引き寄せ抱きしめる。

 息を飲む気配が、すぐ耳元に感じられた。

 震える玲奈は、戸惑いがちに抱き返してくる。

 いづるは玲奈の体温と匂いに包まれながら、ささやくように決意をつぶやく。


「僕が助けます。絶対に。ここから連れ出します」

「……もういいのよ、いづる君。だって、これ以上は」

「迷惑ですか? いいですよ、迷惑かけてください! もっと僕を困らせてくださいよ!」


 その声はもう、身の内よりほとばしる叫びとなっていた。

 それでドアの向こうで廊下があわただしくなる。

 既にもう、時間は残されていない。

 退路も断たれた、侵入者として知られたようだ。

 だが、いづるは玲奈を強く抱き締めながら声を張り上げる。


「迷惑かけたくないっていうなら! もう既に迷惑なんですよ! だってそうでしょう? 一方的だ……一方的に突き放して、気を使って、自分だけ犠牲になって!」

「いづる、君……私、私」

「一方的に! 僕を虜にして! 夢中にして! ……ガンダム漬けにして」


 背後でドアが開く気配と同時に、黒服の大人たちが雪崩なだれ込んできた。

 それでいづるは、あっという間に玲奈から引き剥がされてしまう。

 男たちはレシーバーに警備の再確認を叫びながら、いづるの腕をじりあげるや壁へと顔面を叩き付けた。身動きできぬまま、いづるは足掻あがいて藻掻もがきつつも玲奈を呼ぶ。

 玲奈はすぐに、いづるのために声を振り絞った。


「まって! その人に乱暴しないで頂戴。この人は、私の……友達。友達、だった人よ」

「……おい、放してやれ。そこまでしなくてもいい、まだ子供じゃないか」

「周辺チェック、外の組も! 警戒をげんとなせ!」


 いづるの一世一代の大勝負は失敗に終わった。

 玲奈に会えた、この瞬間が最後になってしまうのだろうか?

 友達だったと、過去形で語られたことがいづるにはショックだった。

 玲奈は詰め寄る黒服たちに、いづるを放して帰すように懸命に言葉を尽くしている。自分が一番大変なのに、そこから救おうとしたいづるを救うために喋り続けている。

 それを見ながらにじんでかすむむ視界に、いづるはまぶたを擦って涙を拒絶した。


「阿室さん……僕、友達でしたよね」

「……ええ」

「友達、だったんですよね。もう、過去の話ですか?」

「……そうよ」

「わかりました、それでいいです。……それがいいです! 友達でなくなっても、! 友達以外、友達以上だから!」


 いづるは締め付けこそ緩んだが、拘束してくる男たちに挟まれながらえた。

 身を声に叫んだ。

 それでも……そう言い続けてと願う者たち、そうしてあらがえと祈る者たちのために。

 なにより、自分と玲奈の未来のために。


「それでも、僕は阿室さんが好きだ! 好きだから助けたい、友達じゃないってんならそれでもいい……本当のことを、本音の本心を最後に……玲奈!」


 周囲の黒服たちに困惑の色が広がる。

 顔を合わせる誰もが、自然といづるの視線を遮らぬように下がった。その先で、玲奈は手にしたガンプラをそっとガンプラ作業用の机に戻すと……肩越しにゆっくり、振り向いた。

 そこには、涙に濡れた玲奈の素顔があった。


「いづる君……好きよ。私も大好き……だから、助けて。私を、助けて」


 氷河のように凍りついていた玲奈の仮面が、砕けて割れた。

 その奥でようやく、いづるは素顔の玲奈に再会した。

 硝子のお姫様は今、嘗て宮殿だった廃墟の深奥で……いづるの救いの手を求めてくれたのだ。そして、その求めに応じる自分をいづるは望む。

 この絶対絶命の状況でも、決していづるは諦めない。


「任せて、玲奈……当たり前じゃないですか! 僕は……僕は、僕が! 貴女の、貴女だけのガンダムだ!」


 溢れる涙を手で拭いながら、玲奈が大きく頷いた、その時だった。

 気まぐれな運命が二人の男女を、大人たちの事情ごと巻き込んでゆく。


「……とりあえず、このボウズを外に放り出せ」

「え? い、いいんですか?」

「ガキ同士のことだ、大目に見ろ……ん?」

「ハッ! しかし、不法侵入の上に公務執行妨害の疑い、も? あ、ああ!? あれ、これは――」


 その時、周囲で棚にびっしり並ぶガンプラが震え出す。

 まるで意思ある生き物のように、居並ぶガンプラがそろって音を立て出した。センチメンタルな自分に驚いていたいづるは、その時不意にぐらりと床が傾くのを感じた。


「っ、また地震か! ……でかいぞ!」


 それは、静かな横揺れで始まり、次第に屋敷全体をきしませる。

 倒れ出した棚のガンプラは、より強い縦揺れが本格化する中で飛び出してきた。無数のガンプラが宙を舞う。

 激震に波打つかのような床の上で……いづるは飛び出した。

 鍛え抜かれた黒服の男たちでも、体勢を崩してよろめく中での一瞬だった。いづるはみっともなく無様に転んで転がりながらも、床を這いつつ起き上がって叫ぶ。


「来てください……来いっ! 玲奈!」


 一番の揺れに天井てんじょうや壁がひび割れる。

 かなり大きな地震だったが、玲奈は「ええ!」とようやくいつもの弾んだ声を聞かせてくれた。同時に、立ち上がったいづるの胸に飛び込み……そのまま二人で支え合うようにドアの外へ。僅かな瞬間の出来事が、いづるには永遠にも感じられた。

 そう、玲奈を泣かせる全てと、いづるは永遠に戦い続けると誓ったのだ。


「逃げるぞ、おいっ!」

「待てボウズ! そんなことしても無駄……っと、とと? おい、痛ッ!」

「足元気をつけろ、プラモデルが……頭もだ! 棚が崩れてくる!」


 部屋の左右にぎっしり並んでいた棚と、その上のガンプラたち。玲奈が日々愛でてきた、苦心の末に丁寧に作り上げた作品たちが……激しさを増す揺れの中で黒服たちに襲いかかる。それは、手に手を取って逃げ出す勇者とお姫様の、その背を見送る花びらのように舞い散る。

 砕けて割れて、手足が飛んで、最後には棚ごと崩れて……そんなガンプラたちの部屋から二人は脱出した。

 玲奈は一度だけ、足を止めて部屋を振り返る。

 いづるも、ずっと玲奈が心の支えとしたガンダムが、モビルスーツたちが送り出してくれたと感じた。

 聞き慣れた声が響いたのは、その時だった。


「お嬢様! こっちです。行ってください! 玄関を出て外の門から行けます。いづる、さあ! 私に構わずお嬢様を!」


 そこには、廊下で男たちを捩じ伏せる来栖海姫の姿があった。自らを玲奈の護衛と称するだけあって、無手の体術で黒服の大男に負けていない。彼女は鋭い肘打ちや膝蹴りを次々と繰り出し、いづると玲奈に、なにより大地震に気を取られた者たちを沈黙させてゆく。


「海姫、貴女は」

「大丈夫です。さ、お早く! お嬢様、私は平気です……こう見えてもスーパー系ですので」

「……ありがとう、海姫」

「また、いずれ。いづる、お前も急げ!」


 大乱闘となった廊下を後に、いづるは一目散いちもくさんに走った。玄関もその外も、既に黒服たちはいなかった。何人かは海姫がやったのか地面にしているし、先ほどの地震でそれどころではない。

 遠くにサイレンの音を聞きながらも、雨の中をいづるは夢中で走る。

 いづるが握る玲奈の手は、しっかりと握り返してきていた。

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