第58話「その涙、ガンプラに散って」
雷光だけが差し込む薄暗い部屋の中で、響くのは激しい
そんな中で
なにをしているでもない、ただいづるの前に座っていたのだ。
手には、あの日一緒に作った黒いユニコーンガンダムがある。
「阿室、さん」
ようやくその一言だけが、いづるの口から飛び出た。
それしか、言えなかった。
「いづる、君?」
「はい……はいっ! 阿室さん、僕です。いづるです!」
「……どうして、ここに」
「助けに来たんです! 助けたくて……支えたくて」
いづるは胸が一杯になるという経験を、この時初めて味わった。
言葉が出てこない……頭の中で思考も感情も、表現すべき声に乗せられない。
ただ、ゆっくりといづるに向き直って立ち上がる玲奈を、ただ見詰めるしかできない。もっと沢山のことを話したかったのに、当たり前のことしか言えない。
そして今、二人は友人同士として当たり前のことができない現状だった。
いづるの前までふらりと歩いて数歩、玲奈はそっと手を伸べてくる。
「……いづる君。ありがとう……大丈夫よ、泣かなくてもいいの。平気だぞ?」
無理に笑って、玲奈がいづるの頬に触れてくれた。
それでいづるは、自分が涙を
それ程までに目の前の玲奈は、悲壮感に満ちて絶望的な姿だった。その美しさは
快活で闊達、強気で勝気なお嬢様はそこにはいなかった。
ただ、父王に捨てられ魔物の手に落ちた、
「ほら、いづる君。涙を
「僕、僕は……助けます! 絶対に! 阿室さん、ここを出ましょう」
「それは……できないわ。私、重要参考人なの。それに……いづる君たちには迷惑はかけられない。いづる君にだけは、迷惑をかけたくないの」
「そんなの理屈ですよ!」
ゴシゴシと目を
だが、玲奈は優しく
既にもう、彼女は覚悟を決めたようでもあり、
玲奈は手にしたバンシィ・ノルンを、そっといづるに渡してくる。
「最後に、これを……持っててもらえるかしら?」
「それは――」
「いづる君のユニコーンの隣に並べて、飾って? それだけで私、十分だわ」
「う、受け取れませんよ! そんなの」
いづるは気付けば、玲奈の腕を振り払っていた。
同時に、その
息を飲む気配が、すぐ耳元に感じられた。
震える玲奈は、戸惑いがちに抱き返してくる。
いづるは玲奈の体温と匂いに包まれながら、
「僕が助けます。絶対に。ここから連れ出します」
「……もういいのよ、いづる君。だって、これ以上は」
「迷惑ですか? いいですよ、迷惑かけてください! もっと僕を困らせてくださいよ!」
その声はもう、身の内より
それでドアの向こうで廊下が
既にもう、時間は残されていない。
退路も断たれた、侵入者として知られたようだ。
だが、いづるは玲奈を強く抱き締めながら声を張り上げる。
「迷惑かけたくないっていうなら! もう既に迷惑なんですよ! だってそうでしょう? 一方的だ……一方的に突き放して、気を使って、自分だけ犠牲になって!」
「いづる、君……私、私」
「一方的に! 僕を虜にして! 夢中にして! ……ガンダム漬けにして」
背後でドアが開く気配と同時に、黒服の大人たちが
それでいづるは、あっという間に玲奈から引き剥がされてしまう。
男たちはレシーバーに警備の再確認を叫びながら、いづるの腕を
玲奈はすぐに、いづるのために声を振り絞った。
「まって! その人に乱暴しないで頂戴。この人は、私の……友達。友達、だった人よ」
「……おい、放してやれ。そこまでしなくてもいい、まだ子供じゃないか」
「周辺チェック、外の組も! 警戒を
いづるの一世一代の大勝負は失敗に終わった。
玲奈に会えた、この瞬間が最後になってしまうのだろうか?
友達だったと、過去形で語られたことがいづるにはショックだった。
玲奈は詰め寄る黒服たちに、いづるを放して帰すように懸命に言葉を尽くしている。自分が一番大変なのに、そこから救おうとしたいづるを救うために喋り続けている。
それを見ながら
「阿室さん……僕、友達でしたよね」
「……ええ」
「友達、だったんですよね。もう、過去の話ですか?」
「……そうよ」
「わかりました、それでいいです。……それがいいです! 友達でなくなっても、それでも! 友達以外、友達以上だから!」
いづるは締め付けこそ緩んだが、拘束してくる男たちに挟まれながら
身を声に叫んだ。
それでも……そう言い続けてと願う者たち、そうして
なにより、自分と玲奈の未来のために。
「それでも、僕は阿室さんが好きだ! 好きだから助けたい、友達じゃないってんならそれでもいい……本当のことを、本音の本心を最後に……玲奈!」
周囲の黒服たちに困惑の色が広がる。
顔を合わせる誰もが、自然といづるの視線を遮らぬように下がった。その先で、玲奈は手にしたガンプラをそっとガンプラ作業用の机に戻すと……肩越しにゆっくり、振り向いた。
そこには、涙に濡れた玲奈の素顔があった。
「いづる君……好きよ。私も大好き……だから、助けて。私を、助けて」
氷河のように凍りついていた玲奈の仮面が、砕けて割れた。
その奥でようやく、いづるは素顔の玲奈に再会した。
硝子のお姫様は今、嘗て宮殿だった廃墟の深奥で……いづるの救いの手を求めてくれたのだ。そして、その求めに応じる自分をいづるは望む。
この絶対絶命の状況でも、決していづるは諦めない。
「任せて、玲奈……当たり前じゃないですか! 僕は……僕は、僕が! 貴女の、貴女だけのガンダムだ!」
溢れる涙を手で拭いながら、玲奈が大きく頷いた、その時だった。
気まぐれな運命が二人の男女を、大人たちの事情ごと巻き込んでゆく。
「……とりあえず、このボウズを外に放り出せ」
「え? い、いいんですか?」
「ガキ同士のことだ、大目に見ろ……ん?」
「ハッ! しかし、不法侵入の上に公務執行妨害の疑い、も? あ、ああ!? あれ、これは――」
その時、周囲で棚にびっしり並ぶガンプラが震え出す。
まるで意思ある生き物のように、居並ぶガンプラがそろって音を立て出した。センチメンタルな自分に驚いていたいづるは、その時不意にぐらりと床が傾くのを感じた。
「っ、また地震か! ……でかいぞ!」
それは、静かな横揺れで始まり、次第に屋敷全体を
倒れ出した棚のガンプラは、より強い縦揺れが本格化する中で飛び出してきた。無数のガンプラが宙を舞う。
激震に波打つかのような床の上で……いづるは飛び出した。
鍛え抜かれた黒服の男たちでも、体勢を崩してよろめく中での一瞬だった。いづるはみっともなく無様に転んで転がりながらも、床を這いつつ起き上がって叫ぶ。
「来てください……来いっ! 玲奈!」
一番の揺れに
かなり大きな地震だったが、玲奈は「ええ!」とようやくいつもの弾んだ声を聞かせてくれた。同時に、立ち上がったいづるの胸に飛び込み……そのまま二人で支え合うようにドアの外へ。僅かな瞬間の出来事が、いづるには永遠にも感じられた。
そう、玲奈を泣かせる全てと、いづるは永遠に戦い続けると誓ったのだ。
「逃げるぞ、おいっ!」
「待てボウズ! そんなことしても無駄……っと、とと? おい、痛ッ!」
「足元気をつけろ、プラモデルが……頭もだ! 棚が崩れてくる!」
部屋の左右にぎっしり並んでいた棚と、その上のガンプラたち。玲奈が日々愛でてきた、苦心の末に丁寧に作り上げた作品たちが……激しさを増す揺れの中で黒服たちに襲いかかる。それは、手に手を取って逃げ出す勇者とお姫様の、その背を見送る花びらのように舞い散る。
砕けて割れて、手足が飛んで、最後には棚ごと崩れて……そんなガンプラたちの部屋から二人は脱出した。
玲奈は一度だけ、足を止めて部屋を振り返る。
いづるも、ずっと玲奈が心の支えとしたガンダムが、モビルスーツたちが送り出してくれたと感じた。
聞き慣れた声が響いたのは、その時だった。
「お嬢様! こっちです。行ってください! 玄関を出て外の門から行けます。いづる、さあ! 私に構わずお嬢様を!」
そこには、廊下で男たちを捩じ伏せる来栖海姫の姿があった。自らを玲奈の護衛と称するだけあって、無手の体術で黒服の大男に負けていない。彼女は鋭い肘打ちや膝蹴りを次々と繰り出し、いづると玲奈に、なにより大地震に気を取られた者たちを沈黙させてゆく。
「海姫、貴女は」
「大丈夫です。さ、お早く! お嬢様、私は平気です……こう見えてもスーパー系ですので」
「……ありがとう、海姫」
「また、いずれ。いづる、お前も急げ!」
大乱闘となった廊下を後に、いづるは
遠くにサイレンの音を聞きながらも、雨の中をいづるは夢中で走る。
いづるが握る玲奈の手は、しっかりと握り返してきていた。
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