第57話「真也」

 暗い雲におおわれた空は、ついに静かに泣き出した。

 泣きたいのは日陽ヒヨウいづるだって同じだが、今はその時ではない。まだ泣いては駄目だ……自分の助けを待っている人がいるから。どうしても救いたい人がいるから。

 阿室玲奈アムロレイナを閉じ込めた自宅は、到着したいづるを物々しい空気で出迎える。


「警備が厳しい……? やっぱり、こんな大事おおごとに。でも!」


 阿室家の豪邸は今は、監獄プリズンのような雰囲気で暗雲の下に広がっている。正門の前には黒服の男たちが立ち、周囲にも巡回だろうか? 多くの者たちが行き来していた。そこだけ日本じゃないような雰囲気で、無言の圧力が来る者を拒んでいる。

 だが、その奥へ、中へといづるは進まねばならない。

 なにげない通行人のフリをしながら、いづるは注意深くすきをうかがった。


「まずいな……予想以上に厳重だ。勝手口から入るとして、そこまでたどり着けるかどうか」


 心に呟きながら、いづるは鉄格子てつごうしにも似た敷地のさくを見上げる。内側に広い庭を内包しながら、鋼鉄のいばらは高く高くそびえていづるを見下ろしていた。

 登って超えられない高さではない。

 だが、そうしている間に黒服たちに見つかることは避けられそうもない。

 どうすれば……いづるは懸命に思考をめぐらせる。

 手の内に握る鍵だけが、金属の質感で汗に濡れていた。

 不意に声が走ったのは、そんな時だった。


「そこの君! 止まりたまえ、何をしている?」

「君、先程からこの辺りをうろついているな。……毎日来てるね?」


 いづるの鼓動が跳ね上がる。

 背中に浴びせられた声は、骨太な体格の良さを感じさせる響きだった。まるで、体育会系が腹の底から発するような太い声。

 思わずいづるは身を強張らせつつ、ゆっくりと振り返る。

 十メートルほど後ろに、黒服にサングラスの男が二人いた。

 そして、彼らはいづるに背中を向けて……細い人影をはさんでいる。

 いづるには、眼鏡めがねをかけたその少年を知っていた。


「フッ、冗談はよせ……戦いはこれからである!」


 そこには、富尾真也トミオシンヤがいた。

 彼は何故か、軍服らしき目立つ格好をしている。確かあれは、ガンダムに出てくるジオン軍の制服だ。そして、黒服たちを前に声高に叫びだしたのだ。

 いづるには最初、その意図いとが全くわからなかった。

 突然現れた真也は、高圧的な黒服たちを前にオーバーアクションな身振り手振りを加えて、なにやら懸命に喋り出したのだった。


「我々は一人の友を失った! しかし、これは敗北を意味するのか!?  否! 始まりなのだ!」

「こら、君っ! 大きな声を出すんじゃない!」

「とりあえずこっちに来たまえ。大人しくしなさい」


 まばらだった通行人は皆、真也へと視線を注ぐ。

 ヒソヒソと井戸端会議をする主婦たちも、犬の散歩のおじいさんもだ。そんな中で、真也は声を限りにがなるような叫びを張り上げていた。

 勿論もちろん、その姿をいづるも見ていた。

 目が離せない……彼は今、戦っているのだとわかった。

 わかったような気がした、感じたのだ。


「我々は阿室に追われ、他人行儀にさせられた!」

「おいおい、君ね……困ったな、なんだ? えー、本部応答願います」

「今、応援を呼んだ。大丈夫だ、状況はクリアだ。問題ない。さあ、君!」


 真也が阿室の名を、玲奈の家の名を出したことで黒服たちは表情を強張こわばらせる。サングラスに覆われた瞳は恐らく、互いのアイコンタクトで真也を排除すると決めたようだ。

 すぐにいづるの脇を走り抜けて、黒服たちが集まり出した。

 だが、真也は饒舌じょうぜつなその演説をやめない。


「俺のライバル、諸君らが愛してくれた阿室玲奈は消えた!! 何故だ!?」


 ――何故か? 何故、玲奈は突然いづるたち友人を遠ざけたのか。

 その答をもう、いづるは知っている。

 黒服たちに左右から腕をガシリと拘束されながらも、朗々ろうろうと真也は喋り続けていた。

 そして、いづるは突然気付く。

 殺到する黒服たちにもみくちゃにされながら、真也は視線でうなずいていた。いずるを見て、指差してくれた。彼は、わざわざこのために? その真意はわからないが、やはり感じる。通ずることができる。

 まるでガンダムのアニメに出てくる、ニュータイプのような意思の疎通そつう

 真也はわざと人目を引く格好でおとりをやってくれているのだ。


「友よ! 悲しみを勇気に変えて行けよ、友よ!」

「こら、こいつ! 大人しくしないか! 暴れるんじゃない!」

「おーい、こっちだ! 取り押さえろ!」


 ついには真也は黒服たちに押し潰されるようにして連れて行かれようとしていた。その勇気ある行動にいづるは、えて背を向け走り出す。

 途中何度も、物騒な体格の男たちと擦れ違う。

 背後ではまだ、真也の叫び声が聞こえていた。


「親友たる我らこそ、阿室を救い得るのである! ジーク・ジオン!」


 ――ジーク・ジオン!

 いづるも心の中で、何故なぜか不思議と叫んだ。

 そして、周囲を軽く見渡し人気がないのを確認する。

 黒服の連中は今、「だってよ……友達なんだぜ!」とか「行っていいぞ、いづる少年!」とか叫んでる真也に手を焼いている。その声はまだ、しっかりといずるの耳に届いている。

 後ろ髪を引かれる思いだが、いづるは真也の気持ちを無駄にはしない。

 高い高い鉄の柵へとよじ登り、不器用にそれを乗り越える。


「よしっ、これで庭に潜り込めば! ……富尾先輩。ありがとうございます!」


 最後に一度だけ、いづるは柵の上から振り返った。

 すでに黒服たちがダース単位で集まって、ジタバタと暴れる真也に折り重なっている。数を頼みに圧殺するような男たちに、それでもまだ真也は声を張り上げていた。


「お、俺は、俺は阿室に勝ちたい! ……それだけじゃない、阿室ともっと話したいのだ! 確かに奴が言う通り、富野とみの監督以外が作ったガンダムもいい、あれはいいものだ! 俺は0083をみたし、つい昨日はウィング00ダブルオーを一気にみた! みたんだよ!」

「よーし、そっちを押さえとけ! 連れてくぞ!」

け、いづる少年! 想いで未来を切り開け!」


 その声に背を押されて、いづるは柵から庭に飛び降りた。不格好に着地、というよりは墜落するように落ちて転がり、そのまま近くの草陰に身を隠す。

 よく手入れされた庭は今、酷く閑散かんさんとしてくもり空の下で空気が沈殿している。

 行き来するメイドたちの賑やかな声もなく、花も樹もいろどりを忘れたようだ。

 そして、いづるの頬を冷たい雨粒が叩く。


「降ってきたか。急がないと!」


 木陰こかげを利用して、無数の花々が揺れる中で身を低くいづるは走る。

 その先に待っている人が、玲奈がいるから。

 もともと大きな屋敷は、それを内包して広がる庭自体も圧倒的な空間だ。そして時折、外の騒ぎに何事かと走る黒服たちとう。

 その都度いづるは、映画やドラマの見よう見まねで気配を殺して物陰に隠れた。

 やがて、雨が本降りになり始めた頃……いづるの前に小さな白いドアが現れる。


「台所の勝手口かってぐちだな。あれか……この鍵で!」


 いづるはポケットにしまっていた鍵を取り出す。

 鉄人28号のキーホルダーがぶら下がった、小さな銀色の鍵。それがいづるには、かたくなな玲奈の閉ざされた心を解き放つ鍵にも感じた。

 やってることは不法侵入、もはや犯罪だ。

 ――

 今、この一瞬に全てをけなければ、いづるはこれから未来永劫みらいえいごう後悔するだろう。

 まだ、玲奈との日々を思い出にしたくない。

 セピア色の記憶に飾って、懐かしんだりなんかしたくない。

 これからもずっと、鮮やかに色付く世界の中で玲奈といたい。


「よしっ! 行くぞ!」


 意を決して、いづるは勝手口のドアノブに鍵を突き挿す。静かに回すと、小さく金属が鳴る音がしてロックが解除された。そのまますみやかに侵入、後ろ手にドアを閉める。

 レストランの厨房ちゅうぼうもかくやという、広々としたキッチンは静寂に包まれていた。

 熱と音に満ちて美味グルメを生み出していた場所とは思えない。ただピカピカに手入れの行き届いたステンレスの光だけが、静かにいづるを迎えてくれた。

 そして慌ただしく重い足音にいづるは身を隠す。


「おい、外の騒ぎはなんだ?」

「なんか、また馬鹿が騒いでたらしいぞ。公安こうあんの連中、大捕り物になったってさ」

「それより、お姫様は? どこ行ったんだ、まだ聴取ちょうしゅは終わっていないんだ」

「さっき陸幕りくばくの連中が締めあげてたが、なにも吐かせられなかったとさ。次は内調ないちょう、んでうちら警視庁けいしちょう。それと……FBIの連中が引き渡せとうるさい。まずいな」

「やれやれ……お姫様には同情するよ。聴取するなら全員で一度にやればいいだろうに」

縦割たてわり行政のなんとやら、さ。それだけヤバいんだ、阿室氏の研究は」


 不穏な会話のやり取りがキッチンの前を素通りし、そして遠ざかってゆく。どうやら玲奈は、随分と酷い目にあっているらしい。国家の名の下に、大人がよってたかって一人の少女を……いづるの中に決然とした怒りが沸き立つ。

 そして、同時に希望が見えた気がした。

 どうやら連中は、この広い邸内で玲奈を見失っているらしい。

 本気になればすぐに探し出せるだろうが、それをしないのは……やはり、現場レベルの人間には同情的な心情というのが存在するのだろう。どうせ屋敷からは逃げられないという、一種の安心感もいづるは察した。

 同時に、玲奈の居場所がすぐに思い当たる。

 失意の玲奈が、四面楚歌しめんそかのこの場所で行き着く場所……あそこしかない。


「待っててください、阿室さん。僕が今っ!」


 慎重に気配を殺しながら、いづるは周囲に気を配って動き出した。

 キッチンを出て少し行くと、すぐに見慣れた場所に出る。四人で一緒にゲームを遊んだリビングは今、黒服たちの溜まり場になっていた。その脇をかすめるようにして、廊下を足早に歩く。

 そう、あの場所へ向けて……玲奈へと向かって。

 そしていづるは、玲奈の自室に辿たどく。

 玲奈の本当の部屋、彼女の本当の趣味が散りばめられたあの部屋へ。


「阿室さん、僕です……いづるです!」


 一応ノックしてみてから、返事も聞かずにドアを開く。

 そして、いづるは見た……外でひらめ稲光いなびかりまたたきに浮かび上がる、酷く華奢きゃしゃで心細い背中を。ガンプラやガンダムグッズに囲まれた部屋の中央で、ビスクドールのような玲奈が振り返る。

 衝撃に言葉を失ういづるを叩きのめすように、落雷の轟音が響き渡った。

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