あんなに一緒だったから
第56話「淡く輝く希望で」
もうすぐ夏休みが、終わる。
しかし、
結局、
いづるにできたのは、泣きじゃくる
そしてまた、玲奈との接触が断たれた。
なにもかもが終わってしまったような、そんな気がした。
だが、いづるは
「いらっしゃいませ。……いづる、お前か」
そこには、モノクロームのスカートにエプロン姿が立っていた。阿室家のメイドで玲奈のボディーガード、
ここに来ればもしや手がかりがと思っていたいづるは、突然玲奈に親しい人間に再会した。
海姫はいつも通りの平坦な無表情で、暗い目をいづるに向けてくる。
「あの、海姫さん」
「座れ、いづる。私もお前に話がある。……話しておくべきだと思います、マスター」
いづるにカウンターの椅子を進めつつ、海姫はその奥へと振り返る。
髭面のマスターは「マスターはよせ」と言いつつも、重々しく
いづるはカウンターの席について、出された水を一口飲む。気付けば、海姫に会っただけでもう喉がカラカラに乾いていた。緊張と期待とが入り混じって、その先に希望があればと願い祈る気持ちだけが募る。
メニューを差し出しつつ、海姫は落ち着いた声で話し続けた。
「お嬢様のことだな? いづる。だが、私にも……私たちにもわからないことが多過ぎる。マスターも……父さんも、同じだ」
「じゃあ、海姫さんは」
「御屋敷にお
「え、それって……じゃあ」
いつも玲奈の巨大な豪邸に遊びに行けば、大勢のメイドたちが働いていた。なにより、玲奈に影のように
その者たちが皆、解雇された? クビ?
住み込みで働いていた海姫が実家にいるのも、納得できる。
だが、超絶スーパーお嬢様である阿室玲奈に、その家になにが?
その答を海姫は、やや迷いながらも語り出す。
「阿室家の資産は全て凍結された。公的な政府機関……国によって」
「ど、どういうことですか!?」
「お嬢様の
いづるはようやく合点がいった。
やはり、阿室家になにかあったのだ。
そのことで玲奈は、その胸を痛めて心に出血を強いられていたのだ。
そして、いづるがその理由にして元凶を知る時がやってくる。
それは、あまりにも単純にして不可解、そしてショッキングな出来事だった。
「旦那様が……お嬢様のお父上が、国を出た。国を捨てたらしい……研究結果のデータを全て持ってな」
「えっ? そ、それって」
「私も詳しくは知らん。ただ……旦那様はお嬢様を裏切った。国と一緒に捨てたのだ」
いづるはあの時の、玲奈の誕生日パーティを思い出す。
あの時、玲奈は父親から電話をもらった。
それでいづるは、掛け直して話すよう勧めたのだ。
まさか、そのいづるの軽はずみな親切心が、最悪の結末に直結してるとは……あの時は
はっきりしているのは、玲奈が父親に裏切られたということだけだ。
「当局では随分前から、
「海姫さん……」
「父さんの友人である旦那様は、とある研究をしていた。軍事分野の極秘研究だ」
「それで、まさか」
「ああ。その成果を独占し
ことの
明らかに様子のおかしかった玲奈の、その原因を突き止めた。彼女は唯一の肉親を失ったのだ。日頃から
そして、玲奈をスーパーお嬢様たらしめている豊かさが、全て失われたのだ。
だが、いづるの中で怒りにも似た疑問が持ち上がる。
ともすれば
「なら、どうして……どうして僕に、僕たちにっ! 相談して欲しかった、頼ってくれれば……できることが少なくても、できる全てで支えたかったのに」
「いづる……お嬢様を責めないでくれ」
「でも、でもっ!」
「お嬢様は
「全てを? それって」
海姫の父親であるマスターが、何も言わずにいづるに
だが、その
頭の中を玲奈で支配されたいづるは、今回の
罰を受けるべきは玲奈ではないのに、重い十字架を彼女は背負わされたのだ。
「現在、お嬢様は御屋敷に
「も、もしかして……時々いた、あの黒服の男たちは」
「そうだ、
「……っ!」
いづるは膝の上でギュムと拳を握った。
手の中に食い込む程に力を込める。
だが、広がる痛みさえ玲奈の心痛に足りない気がした。指が潰れるほど握り締めても、玲奈が受けた傷の何万分の一にも満たないだろう。
恐らく玲奈にとって、自分の身分や親の財産は関係なかった筈だ。
学校での地位や周囲からの賞賛も、全く気にしていない筈である。
彼女はただ、疎遠な父親との関係をどこかできっと信じていたのだ。かすかな希望を抱いて、それを心の奥底に沈めて守ってきたのだ。
父親への純粋な想いが、あの誕生日の電話で呪いへと変わった。
いづるのささやかな善意が、恐るべき
「いづる、お前は悪くない。お前も悪くないんだ……むしろ、私はお前に礼を言わねばならん。それに――」
膝の上で震える拳を凝視していたいづるは、海姫の声に顔をあげる。
そこには、珍しく端正な表情に哀しみを
「それに、いづる。私はお前に頼みたい……お嬢様の友達であるお前に、頼みたいんだ。この通りだ、頼む」
不意に海姫は、深々と頭を下げた。
はらりと彼女の髪が流れ落ちて、表情をいずるの視界から隠す。
そう、表情……海姫は、涙を
だが、海姫は強い女の子だった。
顔をあげるともう、そこにはいつもの無表情が凍っている。
「いづる、お嬢様を助けて欲しい。こんなことを頼めるのは、お前しかいない」
「でも、でも……家庭の問題だし、そんな、国が絡むとか」
「……自分に正直になれ、いづる。正しい行動なんてないし、正しさが人を救うとは限らない。ただ、私が知っているのは……なにが、誰がお嬢様を救うかという話だ」
「海姫さん」
海姫はエプロンのポケットに手を突っ込み、中からなにかを取り出す。
それは、小さな小さな鍵だ。
鉄人28号のキーホルダーがぶら下がった、銀色に輝く鍵。
それを手に海姫は、いづるの手を取るとそっと渡してくる。いづるの
海姫の手は温かくて、いづるは
「僕には、なにもできないかもしれない。なにができるのかもわからないです」
「だが、なにかができる……なにをしたい? いづる」
「そう、ですね……たかが僕一人になにが。なにが……それでも!」
いづるは渡された鍵を握り締めると、椅子を蹴って立ち上がる。
周囲の客たちは、いづるの突然の叫びに振り返った。
自分へも言い聞かせて、
行動すること、その行動に最善を尽くすこと、そして……
そのことを、あの人との……玲奈との日々に誓う。
いづるは玲奈の最初の友達で、玲奈はいづるの大切な人だから。
二人のこれからが大事だから。
「いづる、ありがとう。……その鍵は、御屋敷の
「そんなことをすれば、でも……海姫さんは」
「私のことはいい。いづる、これからどんな現実に直面してもお嬢様を見失うな。それでも、と言い続けろ。何故なら……お前が、お前だけが、お嬢様の心のスーパーロボット……心にバスターマシーンを持つノノリリにも等しいお嬢様の、唯一無二のガンダムだから」
海姫が大きく頷く。
いづるは確かに
玲奈を守るために人知れず努力してきた、来栖海姫に託されたのだ。玲奈のこれからと、自分のこれからと……二人の、みんなの未来を任されたのだ。
いづるは急いで店を出るべく出口へ向かう。
「海姫さん、ありがとうございます! ……いづる、行きまーすっ!」
外へと
それでもいづるは、急いで玲奈の元へ向かうべく秋葉原駅へと走った。
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