あんなに一緒だったから

第56話「淡く輝く希望で」

 もうすぐ夏休みが、終わる。

 しかし、日陽ヒヨウいづるは、夏が一足先に終わってしまったかのような錯覚を覚えた。今はもう、凍えるような寒ささえ感じる。そう感じる程に、寒々しいさびしさが心身を支配していた。

 結局、阿室玲奈アムロレイナとはゆっくり話すことができなかった。

 いづるにできたのは、泣きじゃくる楞川翔子カドカワショウコなぐさめることだけだった。

 そしてまた、玲奈との接触が断たれた。

 なにもかもが終わってしまったような、そんな気がした。

 だが、いづるはわずかな希望を求めて秋葉原を訪れ、とある喫茶店のドアを開く。そこでは、意外な人物がいづるを出迎えてくれた。


「いらっしゃいませ。……いづる、お前か」


 そこには、モノクロームのスカートにエプロン姿が立っていた。阿室家のメイドで玲奈のボディーガード、来栖海姫クルスマリーナ。彼女の実家であるここは、喫茶ガランシェールだ。

 ここに来ればもしや手がかりがと思っていたいづるは、突然玲奈に親しい人間に再会した。

 海姫はいつも通りの平坦な無表情で、暗い目をいづるに向けてくる。


「あの、海姫さん」

「座れ、いづる。私もお前に話がある。……話しておくべきだと思います、マスター」


 いづるにカウンターの椅子を進めつつ、海姫はその奥へと振り返る。

 髭面のマスターは「マスターはよせ」と言いつつも、重々しくうなずいた。

 いづるはカウンターの席について、出された水を一口飲む。気付けば、海姫に会っただけでもう喉がカラカラに乾いていた。緊張と期待とが入り混じって、その先に希望があればと願い祈る気持ちだけが募る。

 メニューを差し出しつつ、海姫は落ち着いた声で話し続けた。


「お嬢様のことだな? いづる。だが、私にも……私たちにもわからないことが多過ぎる。マスターも……父さんも、同じだ」

「じゃあ、海姫さんは」

「御屋敷におひまを頂いた。つまり、クビだ。私だけじゃない、使用人は全て解雇されたんだ」

「え、それって……じゃあ」


 いつも玲奈の巨大な豪邸に遊びに行けば、大勢のメイドたちが働いていた。なにより、玲奈に影のようにしたがう海姫がいてくれた。

 その者たちが皆、解雇された? クビ?

 尋常じんじょうではない、只事ただごとではない雰囲気をいづるは感じた。

 住み込みで働いていた海姫が実家にいるのも、納得できる。

 だが、超絶スーパーお嬢様である阿室玲奈に、その家になにが?

 その答を海姫は、やや迷いながらも語り出す。


「阿室家の資産は全て凍結された。公的な政府機関……国によって」

「ど、どういうことですか!?」

「お嬢様の従兄弟いとこ筋にあたる海音寺カイオンジ家も同じだ。あそこは阿室家の資産運用や特許権の管理を行っていたからな。……安心しろ、マサル氏やユタカは無事だ」


 いづるはようやく合点がいった。

 やはり、阿室家になにかあったのだ。

 そのことで玲奈は、その胸を痛めて心に出血を強いられていたのだ。

 そして、いづるがその理由にして元凶を知る時がやってくる。

 それは、あまりにも単純にして不可解、そしてショッキングな出来事だった。


「旦那様が……お嬢様のお父上が、国を出た。国を捨てたらしい……研究結果のデータを全て持ってな」

「えっ? そ、それって」

「私も詳しくは知らん。ただ……旦那様はお嬢様を裏切った。国と一緒に捨てたのだ」


 いづるはあの時の、玲奈の誕生日パーティを思い出す。

 あの時、玲奈は父親から電話をもらった。

 それでいづるは、掛け直して話すよう勧めたのだ。

 まさか、そのいづるの軽はずみな親切心が、最悪の結末に直結してるとは……あの時は微塵みじんも思わなかった。恐らくあの電話は、玲奈の父親が父親だった最後の会話になったのだろうか。それとも、父親が父親を放棄する、その宣言だったのか。あるいは、共に全てを捨てて逃げようという誘いだったか……それはもう、今のいづるにはわからない。

 はっきりしているのは、玲奈が父親に裏切られたということだけだ。


「当局では随分前から、内偵ないていをしていたらしい。それに、明らかにここ最近、旦那様の動きは妙だった。私はそれを察しながらも……なにもお嬢様にしてやれなかったのだ」

「海姫さん……」

「父さんの友人である旦那様は、とある研究をしていた。軍事分野の極秘研究だ」

「それで、まさか」

「ああ。その成果を独占し隠蔽いんぺい、そして持ち去った。それも、危険な枢軸国すうじくこくへと。……お嬢様を捨てて、一人で」


 ことの全貌ぜんぼうが明らかになって、いづるは全身から力が抜けるのを感じた。

 明らかに様子のおかしかった玲奈の、その原因を突き止めた。彼女は唯一の肉親を失ったのだ。日頃からうとんで疎遠そえんになっていたとしても、実の父親に捨てられたとなればショックは大きい筈だ。

 そして、玲奈をスーパーお嬢様たらしめている豊かさが、全て失われたのだ。

 だが、いづるの中で怒りにも似た疑問が持ち上がる。

 ともすれば自惚うぬぼれだとも思える、身勝手にも似た気持ちが沸き上がった。


「なら、どうして……どうして僕に、僕たちにっ! 相談して欲しかった、頼ってくれれば……できることが少なくても、できる全てで支えたかったのに」

「いづる……お嬢様を責めないでくれ」

「でも、でもっ!」

「お嬢様は咄嗟とっさに、お前たち友達を巻き込むまいと距離をとった。私さえも遠ざけたのだ。そして今……おひとりで全てを背負っておられる」

「全てを? それって」


 海姫の父親であるマスターが、何も言わずにいづるに珈琲コーヒーを出してくれた。

 だが、その湯気ゆげけむる香ばしい匂いも、今はいづるの意識の埒外らちがいだ。

 頭の中を玲奈で支配されたいづるは、今回の顛末てんまつの、現在進行形の現状を知る。それは、一人の少女が、十七歳の女の子が背負うにはあまりに大き過ぎる罪だった。

 罰を受けるべきは玲奈ではないのに、重い十字架を彼女は背負わされたのだ。


「現在、お嬢様は御屋敷に軟禁なんきんされている。唯一の関係者として、当局の取り調べを受けているのだ」

「も、もしかして……時々いた、あの黒服の男たちは」

「そうだ、公安こうあん内閣調査室ないかくちょうさしつ警視庁けいしちょう陸幕りくばく……皆、旦那様を見張っていたのだ。旦那様が接触してくるかもしれない、玲奈お嬢様を」

「……っ!」


 いづるは膝の上でギュムと拳を握った。

 手の中に食い込む程に力を込める。

 だが、広がる痛みさえ玲奈の心痛に足りない気がした。指が潰れるほど握り締めても、玲奈が受けた傷の何万分の一にも満たないだろう。

 恐らく玲奈にとって、自分の身分や親の財産は関係なかった筈だ。

 学校での地位や周囲からの賞賛も、全く気にしていない筈である。

 彼女はただ、疎遠な父親との関係をどこかできっと信じていたのだ。かすかな希望を抱いて、それを心の奥底に沈めて守ってきたのだ。

 父親への純粋な想いが、あの誕生日の電話で呪いへと変わった。

 いづるのささやかな善意が、恐るべき呪詛じゅそを生み出してしまったのだ。


「いづる、お前は悪くない。お前も悪くないんだ……むしろ、私はお前に礼を言わねばならん。それに――」


 膝の上で震える拳を凝視していたいづるは、海姫の声に顔をあげる。

 そこには、珍しく端正な表情に哀しみをともす海姫の姿があった。


「それに、いづる。私はお前に頼みたい……お嬢様の友達であるお前に、頼みたいんだ。この通りだ、頼む」


 不意に海姫は、深々と頭を下げた。

 はらりと彼女の髪が流れ落ちて、表情をいずるの視界から隠す。

 そう、表情……海姫は、涙をこらえるように瞳をうるませていたのだ。闇がよどんだように暗かった双眸が光に満ちているのを、いづるは確かに見た。

 だが、海姫は強い女の子だった。

 顔をあげるともう、そこにはいつもの無表情が凍っている。


「いづる、お嬢様を助けて欲しい。こんなことを頼めるのは、お前しかいない」

「でも、でも……家庭の問題だし、そんな、国が絡むとか」

「……自分に正直になれ、いづる。正しい行動なんてないし、正しさが人を救うとは限らない。ただ、私が知っているのは……なにが、誰がお嬢様を救うかという話だ」

「海姫さん」


 海姫はエプロンのポケットに手を突っ込み、中からなにかを取り出す。

 それは、小さな小さな鍵だ。

 鉄人28号のキーホルダーがぶら下がった、銀色に輝く鍵。

 それを手に海姫は、いづるの手を取るとそっと渡してくる。いづるの強張こわばる拳を解いて、その手の中へと持たせて再度握らせた。

 海姫の手は温かくて、いづるは呆気あっけにとられながら言葉を選ぶ。


「僕には、なにもできないかもしれない。なにができるのかもわからないです」

「だが、なにかができる……なにをしたい? いづる」

「そう、ですね……たかが僕一人になにが。なにが……!」


 いづるは渡された鍵を握り締めると、椅子を蹴って立ち上がる。

 周囲の客たちは、いづるの突然の叫びに振り返った。いぶかしげな視線を浴びる中で、いづるははっきりと海姫に宣言する。

 自分へも言い聞かせて、ちかう。

 行動すること、その行動に最善を尽くすこと、そして……あきらめないこと。

 そのことを、あの人との……玲奈との日々に誓う。

 いづるは玲奈の最初の友達で、玲奈はいづるの大切な人だから。

 二人のこれからが大事だから。


「いづる、ありがとう。……その鍵は、御屋敷の勝手口かってぐちの鍵だ。正面の門ではなく回り込め。どこかから敷地内に入り込めば、その鍵で御屋敷に忍び込める」

「そんなことをすれば、でも……海姫さんは」

「私のことはいい。いづる、これからどんな現実に直面してもお嬢様を見失うな。それでも、と言い続けろ。何故なら……お前が、お前だけが、お嬢様の心のスーパーロボット……心にバスターマシーンを持つノノリリにも等しいお嬢様の、唯一無二のだから」


 海姫が大きく頷く。

 いづるは確かにたくされた。

 玲奈を守るために人知れず努力してきた、来栖海姫に託されたのだ。玲奈のこれからと、自分のこれからと……二人の、みんなの未来を任されたのだ。

 いづるは急いで店を出るべく出口へ向かう。


「海姫さん、ありがとうございます! ……いづる、行きまーすっ!」


 外へとおどたいづるは、夏の気まぐれな雨雲に頭上を覆われる。先程まで晴れていたのに、まさしく暗雲めるとはこのことだ。

 それでもいづるは、急いで玲奈の元へ向かうべく秋葉原駅へと走った。

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