第49話「舞い降りる勇気」

 窮地きゅうちおちいった阿室玲奈アムロレイナを救いたい、その一心で焦る日陽ヒヨウいづる。

 最後の勇気が持てない彼の前に、ガンダムの中から救世主メシアが現れた……かに思えた。コスプレのガンダムフェイスを脱いだその人は、いづるの気持ちに応えようとはしない。

 ただ黙って、じっといづるを見詰めてくるだけなのだった。


「阿室さんを助けてくださいよ、海姫マリーナさん! お嬢様を守るのが仕事だって、いつも言ってたじゃないですか」


 そう、来栖海姫クルスマリーナ……玲奈の忠実なメイドが、そこにはいた。ガンダムの中身は、海姫だったのだ。彼女は今、いつもの無表情でじっといづるを見詰めてくる。

 海姫の視線から逃げるように目を逸らせば、背後ではいよいよ玲奈が危ない。

 玲奈は周囲が遠巻きに見守る中で、男たちの肉の壁に圧縮されていた。

 これ以上は見ていられない……そう思ういづるの耳朶じだを打つ、声。


「いづる、お嬢様を助けるんだ。お前が助け出すんだ」

「なっ、なにを言ってるんですか、海姫さん!」

「お前はお嬢様を助けたいのだろう? 今がその時だ。ゲッターを信じるんだ! 大丈夫だ!」

「な、なにを? ……それは、そう、ですけど」


 いづるは今でも、今すぐにでも玲奈を助けたい。

 当たって砕けろの精神で飛び込んで、救いたいのだ。

 だが、コミケという非日常を現出させる祭が、そのルールとマナーがいづるを躊躇ためらわせる。それも嘘で、自分へのまやかしだ。踏ん切りがつかない自分をいづるは、都合のいい理論武装いいわけで覆っているのだった。

 それを見透かすかのように、海姫はじっと見詰めてくる。


「こういう時は男の子が女の子を助けるのが、スーパーロボット的にもお約束だ。王道だ」

「海姫さん……でも」

「お嬢様はお前を待っているぞ、いづる。あの方は勝気で強気、気丈な方だが……その本質は心優しくか弱い乙女だ。そういうお嬢様を、お前は助けるべきだ」

「で、でも……僕は、僕は……スーパーロボットじゃ、ないし」


 いづるは気付けば自分が震えているのを自覚した。

 やはり、怖いのだ。あのスーパーお嬢様の玲奈でさえ、迂闊うかつに動けないほどに今回の悪漢あっかんはたちが悪い。たちが悪いからこそ助けたいのに、いづるの心身は恐怖に凝り固まっていた。

 だが、そんないづるを責めるでもなく、海姫はただ真っ直ぐ眼差しを注ぐ。


「僕は……だ、駄目ですよ。これが現実なんです。アニメみたいに……ガンダムみたいにはいかないんですよ」

「私はガンダムは詳しくない。だが、こういう時は熱血展開で主人公が――」

「それでも! 僕は、僕には……できませぇん! ……できないんですよ、だって……ガンダムだってそうじゃないですか。リアルってそういうの、あるんですよ」


 いずるにとってのリアル、避け得ぬ現実……いづるは平々凡々なただの一般人、どこにでもいる高校生でしかない。等身大のただのリアルな男子高校生。スーパーお嬢様の玲奈とは違う。そのことが自分でも痛いほどにわかるのだ。

 そう頭から決めつけてしまうともう、一歩も動けなくなる。

 そういう自分の弱ささえ肯定してしまうくらいには、いづるは弱かった。

 ――それでも。

 それでも、という言葉を逃げに使ってしまうくらいに、いづるは弱い。


「……いづる、お前がお嬢様のガンダムになるんだ」


 海姫は先程脱いだガンダムの頭を、そっといづるに差し出してくる。

 だが、いづるは受け取れない。

 そんないづるに、海姫は妙なことを言い出す。


「僕は……ガンダムになんてなれないですよ。僕のリアルは」

「ガンダムは……腹にコアファイターという物、コアブロックが入ってるそうだな」

「そ、それがなにか」

「アニメのように、腰が自在にスイングして稼働し、振り向くことができる。腹にそんな物が入っていれば、普通は不可能だ」

「……なにが言いたいんです? それより、阿室さんを」

太陽炉GNドライブとかいう怪しげな動力で動き、量子りょうしテレポートまでやってみせる。人の意志の力とやらで、ビームを跳ね返し、無限に伸びるサーベルを振るう。必殺の拳法で戦うガンダムもいるな」

「だから! なんなんですか」


 海姫は、グイとガンダムの頭部をいづるに押し付けながら言い放った。


「リアルである自分を否定しろ、いづる。それでも、という言葉を後ろ向きに使うな……ガンダムは、ガンダムは間違いなく……私がよく知るだ」

「……え?」

「これが現実なんだという、その前提を超えろ、いずる。そして、現実を前にと言える時……その時は迷わず、ガンダムに。お嬢様のガンダムになれ」


 それだけ言うと、ガンダムの頭をいづるに預けて海姫は行ってしまった。

 ――ガンダムが、スーパーロボット?

 その意味は、真意は? いづるにはわからないが、その言葉は自然といづるの血潮ちしおに火を灯す。濃密な人間ドラマと兵器描写にいろどられた、リアルロボットの代名詞……ガンダム。それを海姫は、平然とスーパーロボットだと言った。本来、なんら意味を持たぬ種別、ジャンル分けをわざわざ引き合いに出して、彼女はなにが言いたかったのだろうか。

 それがいづるにはわからない。

 わからないが、感じる。


「僕に……ガンダムになることで、弱い現実を振り切れというのか? わからない……わからない、けど! やってみるさ!」


 強く前へと踏み出す。

 ガンダムをかぶって、ガンダムになる。

 それは、玲奈の心の支えになるということ……その形に今、いづるが力を与える。自分の弱さを覆う仮面ではない。ガンダムに数多登場する、多くの仮面キャラが被る宿命故のペルソナではない。

 弱気を助け悪を正す、ただそれだけのスーパーロボット的なものを宿すのだ。

 それがわかる今のいづるには、ガンダムは副次的なものに過ぎなかった。

 弱い自分がリアルな現実というなら、それを否定して……今、あの人の、あの人だけのガンダムになる。


「あ? なんだ? おうこら、なにガン見してんだよ。ああ?」

「おいおい、JINジン! お前がクーデリアちゃんとグダグダしてっからだろ」

「ガンダムじゃん、こいつ。顔だけ、頭だけガンダムだぜ」


 人の輪の中から飛び出て、その中心で男たちの前にいづるは歩み出た。

 振り向く悪漢たちは皆、いぶかしげにいづるを見て下卑げびた笑みを浮かべる。


「おうこら、手前てめぇ! なんだよ、文句あんのか?」

「俺たち、読モどくしゃモデルもやってる有名コスプレイヤーなんだぜ。なあ、デニム@彼女募集中!」

「そうそう。再現度低いコスプレなんざ眼中にねーんだよ。失せな」

「おーい! 場所とれたぞ、眠いこと言ってる連中どかしたからさ! 鉄血合わせ記念撮影、ばちっとやっちゃおーぜ! ……んで、アフターで? ヤッちゃおうぜ? クーデリアちゃぁん」


 ガンダムの頭部を被ったいづるの狭い視界に、涙目の玲奈が見えた。彼女は今、囲む男たちに密着され、その肉体の狭間に身を縮こまらせている。

 その怯えて売るんだ瞳が、いづるの目と合った。

 だから、震える声をいづるは張り上げる。


「僕は……僕が、ガンダムだ!」

「……はあ? おいおい、どーするよJIN」

「ヘッ、時々いるよなあ? コミケの熱気で頭いてる奴が、よぉ!」


 特異なデカい前髪を固めた男、JINとか呼ばれているリーダー格が歩み出てくる。両手の拳を交互にボキボキと鳴らした彼は、いづるの前に立ちはだかった。

 暴力はいけない、それは問題外だ。

 だが、どうすれば……思考を巡らす暇もなく、いづるを危機が押そう。

 悲痛な玲奈の声が走ると同時に、男は振りかぶった拳を叩きつけてきた。

 同時にいづるは、無我夢中で手を伸べる。


「オルガさんは不必要な暴力なんて! やめなさい! ……いやっ、私のガンダムがっ!」

「ヒャハハ、喰らって寝てろぉ! ガンダムもどきが!」


 闇雲やみくもにいづるは腕を伸ばして、開いたてのひらを押し出す。

 顔を覆うガンダムの角を、男のパンチがかすった。

 その瞬間にはもう、いづるの手はなにかをんで、そして千切ちぎっていた。

 それは、いづるが掴んだ……

 見るも立派な独特の前髪は、付け毛だったのだ。

 ブチン! とそれが取れて、前のめりに体制を崩した男が倒れ込む。


「ああっ! ……よくもJINをーっ!」

「ま、待てよ! これ以上は……運営の連中が来る、やべーって!」

「ちょっと、デニム! デニム@彼女募集中! やめろって!」


 流石に焦ったのか、男たちは狼狽ろうばいしている。

 しかし、襲い来る二人目の男が、すでにいづるの前にそびえ立っていた。


「ど、どうする? どうするいづる、どうする僕……ガンダム! 阿室さんだけ連れ出せるのか?」

「こいつ、オラァ! 俺らめてっと、痛い目あうぜーっ!」

「えと、と、とりあえず……この、付け毛を……前髪を、すみません! 返します!」


 掴みかかってきた男の腕を、なんとかいづるは避けてすり抜ける。

 ……というよりは、偶然避ける形になった。

 ただただいずるは、先ほどのJINというコスプレイヤーからもぎ取ってしまった付け毛を、前髪を返そうとしたのだ。それを差し出した、その腕が不運……かかってきた二人目の男の鳩尾みぞおちに突き刺さる。

 いづるが両手で返そうとした、その掌がドスン! と相手の呼吸を奪っていた。

 その場に崩れ落ちる男がピクピクと痙攣けいれんしている。

 いづるは突然のことにびっくりしたのだが、とりあえずその場に付け毛を投げ捨てた。


「今のうちに……阿室さん! こっちです、来て!」


 いづるは周囲が凍りつくのにも構わず、玲奈の手首を握った。

 呆気にとられていた玲奈は、正気に戻るやようやくいづるの正体に気付いた。


「ガンダム……いづる君? いづる君が乗ってるの? じゃない、いづる君なの!?」

「話はあとです、阿室さん! 走ります!」


 そのままいづるは、玲奈の手を引っ張りながら夢中で走った。

 周囲からまばらな拍手があがり、見守るしかできなかったコスプレイヤーたちが道を開けてくれる。人混みがモーセの十戒じゅっかいのように左右に割れる中、必死でいづるは駆け抜ける。

 背中では、コミケスタッフが来て男たちが注意を受ける声が聞こえていた。

 その時にはもう、いづるは玲奈を連れてコスプレ広場を脱出していた。

 どこをどう逃げたのかはわからない……ただ、玲奈もまた、手首を握るいづるの手を、その腕を握り返してきた。

 玲奈の手はまだ恐怖に震えていたが、しっかりといづるを握って離さなかった。

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