第48話「クーデリア鹵獲作戦」

 コミケを開催中のビッグサイトは、どこも大混雑だった。品切れのランプが各所に点灯する自販機で、なんとか日陽ヒヨウいづるは二人分のお茶を買う。それも、十五分ばかし並んで。

 冷たい飲み物を吐き出した自販機は、また一つ品切れの赤い光をともした。


阿室アムロさん、大丈夫かなあ……なんか、あの人って凄いデキる人だけど、どっか抜けてるんだよなあ。……急いで戻らなきゃ」


 ペットボトルのお茶を二つ持って、いづるはコスプレ広場へと急ぐ。だが、走ってはいけない……こういう時こそ落ち着いて。コミケでは走るのは厳禁だ。

 人の流れに乗って、皆と歩調を合わせていづるは歩く。

 周囲にもコスプレイヤーは沢山いたし、戦利品を両手にホクホクの者たちもいる。皆が皆、充実した夏の祭典を楽しんでいるようだった。

 それは勿論、いづるも同じである。

 そして、いづるが恋する阿室玲奈アムロレイナも、同じだったら嬉しい。

 俗に言う、こんなに嬉しいことはない! というやつである。

 だが、ようやくいづるが戻ったコスプレ広場は、異様な空気に包まれていた。何事かと思ったいづるが首を巡らせると、聴き慣れた声が妙な緊迫感で響いた。


「離してください! 無礼ではありませんか……同じコスプレ同士、もっとマナーを守りましょう? そうでしょう、貴方あなたたち!」


 間違いない、玲奈の声だ。

 そして、人混みを掻き分け進むいづるの目に、衝撃の光景が飛び込んでくる。

 揃いのジャケットを羽織はおった男たちの一団が、クーデリア・藍那あいな・バーンスタインを演じる玲奈を取り囲んでいた。ざっと見て五、六人……その中の一人は既に、玲奈の細い手首を握っている。

 いづるは以前、富尾真也トミオシンヤが言っていた言葉を思い出した。

 玲奈はその見た目と性格からか、やたらと男子に絡まれやすいのだ。黙っていればビスクドールのように精緻せいちで美しい彼女は、よこしまな気持ちを持て余す者たちにとって格好の標的だ。

 真也は常に、そんな男たちを玲奈が撃退するのを見てきたという。

 だが、今は様子が変だ。

 そして、男たちは明らかにマナーのなっていないコスプレイヤーだった。


「ヒョー! クーデリアコス、完璧じゃないすかあ。ねえねえ、彼女? 一緒に鉄血合わせしようよ?」

「まーじーっすかー、JINジンさん! いっすねー、写真撮りましょう、写真!」

「んじゃ、俺があっちの連中どかしてくるんで、スペース作るんで!」

「彼女、コスネーム教えてよ。名刺とかある? 俺はデニム@彼女募集中」

「オイラはスレンダー、人呼んで練馬のあかい黒騎士さ……ねえねえ、オタクの名前は?」


 緑のジャケットを着た一団は、背中に赤い花のようなマークを背負っている。だが、そのマナーは最悪だった。

 だが、その連中は奇妙なことに、全員が筋肉ムキムキのガテン系なのだ。

 もやしっ子を地で行くいづるは、思わず躊躇ちゅうちょする。

 だが、次の瞬間にはいづるの気持ちは大きく揺さぶられた。


「あれ? この金髪、ウィッグじゃなくね? 地毛? ウホッ! いいニホイ」

「あ、ちょっとJINさん。まーた始まった、JINさん手が早いんだからもぉ」

「ねえねえ彼女、このあと暇? アフター、一緒しね? なあなあ、いいだろぉ?」


 周囲が騒然とする中で、いづるの胸の奥で熱いなにかが着火する。それは、普段は存在すら気付かぬ、決然けつぜんたる怒りだ。

 玲奈は恐らく、いつものように毅然きぜんと対応できない。

 彼女なら、並み居る悪漢あっかんを蹴散らし投げ飛ばすこともできるはずだが……今、この場所でその選択はできない。コミケという大きなもよおものの参加者として、ルールとマナーを遵守じゅんしゅすると決めているからだ。どちらに非があるにせよ、力で訴えればイベントそのものに暗い影を落とし、将来に禍根かこんを残すことになる。

 非礼に非礼を返せば、自分も相手と同等に落ちてしまうのだ。

 それをわかっているのが、阿室玲奈という少女だった。

 それでも普段は、必要最低限で振りかかる火の粉を払っている……時々やり過ぎるが。

 玲奈は、包囲の輪を狭めてくる男たちを前に声を張り上げる。その声音は僅かに震えていた。


「おやめなさい! ……そこの貴方! オルガ・イツカは鉄華団てっかだんのリーダーとして、何よりも道理を重んじすじを通す方です。そんなキャラのコスプレをしておいて、何故こんなことをするのですか!」

「おいおい、JIN。この、なんか言ってるぜ?」

「あ、これってそういうキャラなの? 人気のキャラならなんでもよかったんだけどよぉ」


 どうやら例の一団は、自分たちがガンダムのキャラクターを演じている、着ていることに何ら感慨かんがいを感じないタイプらしい。ますますあせるいづるは、握る拳の中に爪が食い込むのを感じた。だが、動けない……勇気が出ないし、意気地がない。

 いずるはただ、周囲の人混みに混じって事態を見詰めるしかできなかった。

 そんな中、玲奈の声はりんとして響く。


「貴方もです! 三日月・オーガスは一見して残忍で冷徹に見えますが、とても優しい少年です。生まれと育ちが彼を不器用にさせていますが、敵へ容赦しないのも全て、仲間たちを守るため……そういう子なんです!」

「だってさー、デニムさーん」

「おいおい、@彼女募集中をつけろよ、デコスケ野郎! ゲヒャヒャ!」


 駄目だ、全く話が通じない。

 男たちは玲奈に身を寄せ、ついには細い腰へと腕を回した。

 同時に、周囲にはにらみを効かせて、無言の迫力で黙らせる。チンピラ風情が今は、まるでギャングだ。

 情けないことに、やはりいづるは動けない。


「そして、貴方! ビスケット・グリフォンは仲間思いの素敵な方です。とても思慮しりょ深く、常にオルガを支えつつ最悪の事態に備える。そういう人だから、リスクの怖さを誰よりも理解してるからこそ、鉄華団のお母さんがやれたんです!」

「おいデブ、なんか言ってるぜ? この娘、あれか? 電波でんぱちゃんなのかよ」

「オイラ、そんなこと言われてもなあ。アニメみてないし……ブヒヒヒ」


 流石に周囲も慌ただしくなり、小さくポツポツと一般参加者やコスプレイヤーから抗議の声があがる。

 だが、JINと呼ばれていた一団のリーダーらしき男が睨むと、黙らざるを得なかった。

 こういう時、どうしたら……いづるは必死で頭の中に考えを巡らせる。

 自分が飛び込んで助けられたら、どれほど格好いいだろうか?

 男をあげるチャンス、そして玲奈に頼れる男を見せるチャンスなのに。

 なのに、身体がすくんで動けない……そんな自分が切なく悲しい。

 いづるはやはり、玲奈のヒーローにはなれないのだろうか。


昭弘あきひろ・アルトランドはそんな……放してくださいっ! 彼は、純朴じゅんぼく朴訥ぼくとつとした、でも素敵な方です。弟の死を乗り越え、新たな家族としてヒューマン・デブリという心のかせを解き放った。心の強い方なんです!」

「……って設定だってさ、お前」

「あっそ、知らねーし。つーかさ、さっさと写真撮っちまおうぜ。んで、お持ち帰りと」

「そうだなあ、馬鹿やってると運営の連中が来るし。ほらほら、俺らと鉄血合わせしようぜ? お前もこんな気合入った格好してさ……男をあさりに来たんだろう?」


 なんという下衆げすな連中だろう。

 だが、リーダー格と思しき男の言葉で、いづるはようやく正気に戻る。

 一刻も早く玲奈を救わなければ……そのために、自分にできることが一つだけあった。あるいはもう、そのために誰かが動いているかもしれない。

 だが、自分が動くことこそが大事で、自分から動きたいのだ。


「そ、そうだ……運営に。コミケスタッフの人に注意してもらえれば!」


 いづるはきびすを返して、その場から一時離れる。

 今にも全速力で駆け出したい気持ちを抑えつつ、足早に歩く。

 そんな彼の前に、突然壁が立ちはだかった。

 見上げればそれは――


「あ、あれ……ガンダム、さん? あの」


 目の前に今、先ほど玲奈と一緒に記念撮影していた、ガンダムがいた。

 無言で立ち尽くすガンダムは、いづるを見下ろしてくる。


「す、すみません、人を呼ばないと……阿室さんを助けないと!」


 だが、脇を通り過ぎようとするいづるを、不思議とガンダムがさえぎる。

 ガキーン! と効果音が聞こえてきそうな程に、ガンダムはいづるの腕を強くつかんできた。そうして自分の真正面へと引っ張りこんで立たせると、両肩に手を置いてくる。

 言葉はなかったが、いづるには強い意志が感じられた。


「あ、あの、急いでるんです! だから!」

「…………」

「な、なにか……どうしたんだろう、あの。ガンダムさん、えっと」

「…………」


 ガンダムは黙して語らないが、いづるを目の前に立たせて両肩に手を置いてくる。まるで、行くなと……逃げるなと言わんばかりだ。

 表情のないツインアイの向こうに、いづるは強い眼差まなざしを感じる。

 ガンダムの中の人は、なにかを伝えようとしていた。

 だが、言葉の通わぬ中でいづるにもどかしさだけをらしてくる。


「あ、あの……そうだ! あのっ! すみません! 阿室さんを……あの人を助けて下さい! ガンダムさん、もしかしたら自分がって……そういう意味で」


 だが、ガンダムは黙って首を横に振る。

 そうして、ガンダムはいづるから手を放した。

 既に涙目になっていたいづるは、自分の視界が不甲斐なさににじんでぼやけるのを見た。結界寸前の涙腺が、世界の輪郭を曖昧にしてゆく。

 かすんでゆく視界の中で、ガンダムはただただいづるを見詰めていた。


「僕じゃ駄目なんです……僕は、阿室さんのガンダムに、なれない。どうしたらいいかもう……ルールやマナーを守りながら助けるには、人を呼ばないと」

「…………」

「ガンダムさんなら、ガンダムなら! お願いしますよ、阿室さんを……」

「…………」


 その時、いづるは見た。

 やれやれと肩を竦めたガンダムは……そのヘルメット状の頭部に両の手をかける。

 そして、その奥から意外な人物が現れた。

 それは、いづるにとって希望の光にも見えたのだった。


「あ、あなたは! ……よかった、これで阿室さんは! あっちです、お願いします! ……え? あ、あの」


 名を呼ぶのも忘れて、いづるが先導しようと手を取ったが……ガンダムの中から顔を見せた人物は、いづるの手を振り払う。

 代わりにその人は、いづるの手を握ってきた。

 そしていづるは、大きな決断を迫られるのだった。

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