第47話「ガンダムコス確認」

 東京国際展示場とうきょうこくさいてんじじょう、いわゆる東京ビッグサイトは大混雑の大盛況だった。

 人混みの中を日陽ヒヨウいづるは、阿室玲奈アムロレイナと手をつないで歩く。互いにはぐれぬよう、身を寄せるようにして人並みの中をくぐり抜けながら……沢山のサークルを回り、買い物を満喫した。

 どうやら欲しがってたジェガンなるモビルスーツの同人誌が買えたらしく、玲奈は終始上機嫌だった。

 そうして二人は、人の流れに乗りつつコスプレ広場を目指していた。


「凄い人混みね……いづる君がいてくれてよかったわ」

「あ、いえ。僕、なにもしてないですけど」

「一人だったら尻込しりごみしちゃうもの。でも、一人じゃない……私たち繋がっているから。未来あしたへと踏み出したくなったのよ」

「つ、繋がる!? そ、そそそっ、それは、まだ……早いですよ、阿室さん」


 もはや言うまでもないが、いづるはムッツリスケベだった。

 今回も同人誌を見回る中で、ついつい探してしまう……以前、真也と秋葉原で見た、エッチな二次創作の漫画を。勿論、いづるは知らない。男性向けのそういう同人誌は、おおむねコミケ三日目に売り出されるのだということを。

 だが、いづるは思いの外楽しんでいる自分に気付く。

 笑顔の玲奈と手を繋いでいるだけで、普段の何倍もいづるの心はときめきにはずんだ。


「でも、流石にコスプレ広場への道は混みますね……阿室さん、大丈夫ですか?」

「ええ! いづる君がいてくれるから、平気だぞ? でも、ちょっとびっくりしたわ。こんなに大勢の人がいる場所、生まれて初めてだから」

「僕もですよ。凄いですね、翔子ショウコが張り切るイベントだけはある……あ、あれ? 阿室さん!?」

「ご、ごめんなさい、いづる君! 後ろの人が」


 不意に玲奈が、グイと身体を押し付けてきた。

 コスプレ衣装越しに、暖かな柔肌やわはだを感じてしまういづる。それは弾力のある瑞々みずみずしさがあって、密着すれば自然と玲奈の匂いに包まれる。

 熱気の中でかすかに汗の香る中に、もぎたての果実を思わせる爽やかな匂いだ。

 シャンプーの匂いなのだろうか、それとも玲奈の身体から出る香りなのだろうか?

 だが、鼻孔びこうを甘くくすぐってくる芳香に、もぞもぞと気分が落ち着かない。そうこうしている間にも、玲奈は混雑の中でいよいよいづるに重なるようにして、優美で女性的な曲線のラインをいづるの表面でたわませる。

 自然と玲奈が手を強く握ってくるので、いづるもその手を握り返した。

 そうしてようやく通路と階段を抜けた先、コスプレ広場に出て圧迫感から開放される。


「ついたわ、いづる君。凄い混雑だったわね」

「満員電車みたいでしたよね。あの、それで……阿室さん」

「そう、満員電車! 乗ってるとおばあさんが花束をくれるのよね、総帥にって。それでアコーディオンの演奏が始まって、みんなでネオ・ジオンを鼓舞こぶする歌を歌うの」

「はあ……またガンダムの話かな? その、阿室さん。混雑も抜けたし……えっと、離れてもらえますか」


 玲奈はまだ、ぴったりと張り付くようにいづるにくっついたままだった。自分でもそれに気付いて、慌てて赤面で離れる。

 それでも、握った手と手は離さない。

 玲奈は咳払いを一つして、いづるの手を引っ張るとコスプレ広場を歩き出した。


「さ、行きましょう! いづる君」

「え、ええ……凄いな、みんな衣装がってる。……なんか、視線、感じるんですけど」


 コスプレ広場を並んで見て回る二人。

 いづるは自然と、自分と一緒の玲奈へ視線が殺到するのを感じていた。今の玲奈は、Vの字アホ毛こそいつも通りだが、髪型や衣装は有名なガンダムヒロインだ。地毛の金髪も手伝って、彼女は誰が見ても、鉄血のオルフェンズに登場するクーデリア・藍那あいな・バーンスタインである。

 誰も彼もが通り過ぎる玲奈を見て、振り返りながら口々に絶賛を呟いていた。

 その玲奈だが、彼女も大勢のコスプレイヤーを見て大喜びである。


「見て、いづる君! あれはラクス・クラインよ。影武者ラクスことミーアとは、ヘアバンドの形が違うの。あっちはドモン・カッシュね!」

「あ……似てる。ラーメン屋の、天驚軒てんきょうけんのアルバイトの山田さんに……似てる!」

「みんなもガンダムが好きなのね! 鉄血のオルフェンズのコスプレの方はいないのかしら。……そうよね、上半身裸でうろつくのは、マナー違反だものね」

「ん? あ、あれは……阿室さん、あれ! あれ凄いですよ!」


 いづるは思わず、人に対して失礼だとも思ったが、指差してしまった。

 その方向へと顔を向けた玲奈も、絶句に目を丸くしてしまう。

 そこには、ガンダムのコスプレをした人が立っていた。


「阿室さん、ガンダムです……ガンダムのコスプレ、ええと……とにかく、!」

「ホントだわ! 間違いない、RX-78-2……アムロの乗ったガンダムよ」


 早速玲奈は、いづるの手を引きガンダムに歩み寄る。

 大勢のコスプレイヤーでごった返す中、ガンダムが……モビルスーツが立っていた。身長こそ人間サイズだが、まさしくガンダム大地に立つ。無骨な直線で構成されたトリコロールの姿は、まぎれもなくガンダムそのものだった。

 玲奈は早速声をかけてみるようだ。


「はじめましてね! ガンダム! 私は君の存在に心奪われた女よ……こんにちは、素敵なコスプレだわ。良ければ見せていただきたいのですけど」


 ガンダムはどうやら喋れないのか、玲奈が丁寧ていねい微笑ほほえみ軽く会釈すると、頭を下げてくれた。そんなガンダムを、玲奈は熱っぽい瞳でまじまじと見て、いづるの手を離すとぐるり周囲を回る。細部の隅々すみずみまで見聞けんぶんした玲奈は、満足そうに満面の笑みを咲かせるのだった。


「これは……なるほど、MGマスターグレードVerバージョン.Kaを再現してあるのね。素晴らしいぞ? 圧倒的なこの作り込み……まさしく愛だわ!」


 玲奈が興奮しているので、若干じゃっかんガンダムは引き気味だ。それでも、ガンダムの中の人はきっと気のいいコスプレイヤーで親切なのだろう。嫌がる素振りも見せず、一生懸命に喋る玲奈に頷いたりジェスチャーを返したりしている。

 いづるはそんな二人の光景に目を細めて、気付けば穏やかな笑みを浮かべていた。

 ガンダムと一緒で、玲奈は本当に嬉しそうだった。


「コアブロックは……入ってないのね。中にコスプレイヤーさんが入ってるんですもの。ビームライフルもシールドもないわ。そうだわ、コミケでは小物や手持ちのアイテムにも厳格なルールがあるんですもの。でも、ただ立ってても素敵……流石さすがVer.Kaだわ!」


 玲奈はポケットから携帯を取り出すと、それをいじりながらガンダムに語りかける。だが、ガラケーを開くことはできても、それでどうやらカメラの機能を出すのが難しいらしい。

 阿室玲奈、生粋きっすいの機械音痴であった。


「ガンダムさん、是非お写真を撮らせていただけないかしら? 一緒に、記念撮影を……あ、あら? こう、かしら? おかしいわね、カメラは、ええと」


 玲奈がもどかしい手付きでガラケーをいじっているので、不安になったのかガンダムが覗き込んでくる。クーデリアがガンダムに携帯の操作を教えてもらうという、なかなか滅多めったに見れない光景がいづるの前に広がっていた。

 だが、太い指であれこれ指し示すガンダムも、声が出せなくてもどかしいようだった。


「阿室さん、僕が撮りますよ。一緒にガンダムさんと写真、撮りたいんですよね」

「ええ! ありがとう、いづる君。じゃあ、お願いするわ。ガンダムさん、いいかしら?」


 大きく頷くガンダムが快諾してくれた。

 いづるは玲奈からガラケーを受け取ると、並んだ二人を撮影すべく構える。

 すると、玲奈が妙なことを言い出した。


「ガンダムさん、私と並んで……そうよ、ありがとう。それで……で写真をお願いするわ!」


 ――カトキ立ち?

 いづるが首を傾げるのと同様、ガンダムもいぶかしげに首を捻る。表情こそないが、どうやらガンダムには言われたことがよくわからないようだった。

 そもそも、カトキ立ちというのはなんだろうか?

 そう思っていると、玲奈が嬉しそうに語り出した。


「せっかくのVer.Kaですもの、カトキ立ちよ! 足を肩幅に開いて胸を張り、拳は握って少し肘を曲げるの。アニメ準拠のガンダムならガワラ立ちだけど、ここはカトキ立ちよ!」


 だが、ガンダムはやっぱりよくわからないらしい。

 しばし迷った素振りを見せたが、熱弁を振るう玲奈の肩をトントンと叩くと……ガンダムは彼女を隣に立たせてポーズを決めた。

 それは、玲奈が説明したカトキ立ちとかいうのとは、ちょっと違う。

 肩幅に脚を開いて、胸を張り……ガンダムは腕組みをして仁王立ちだ。


「それはガイナ立ちよ、ガンダムさん。……格好いいわね、ええ。ちゃんと腕組みできるってことは、ひじが二重関節になってるのね、このコスプレ衣装」


 衣装というか、もう着ぐるみである。

 その後、どうやら玲奈は例のガイナ立ちとかいうガンダムと写真を取った。いづるがシャターを押すカメラの画面に、二人並んで映る笑顔。

 自然といづるは、顔を覆って表情を見せないガンダムが笑顔のような気がした。

 最後に玲奈は、ガンダムと固く握手をして頭を下げる。

 何度もお礼を言う玲奈に、ガンダムもまんざらでもないようだった。


「ありがとう、いづる君も。このコミケで二番目に大きな思い出になったわ。だって、ガンダムよ? ガンダム……あの人、動くぞ? でも、少し暑そうね、あの格好じゃ」

「は、はあ。でも、よかったですね。因みに一番の思い出は――」

「そ、それはいいの! それより……ちょっと喉が渇いたわ、はしゃぎ過ぎたみたい」


 不意に顔を赤らめ、玲奈は話を一方的に打ち切った。

 なにが恥ずかしかったのだろうと、いづるは疑問に思ったが敢えて口には出さない。代わりに彼が選んだのは、玲奈を気遣う言葉だった。


「じゃあ、僕がちょっと飲み物を買ってきますから。阿室さん、待っててくださいよ」

「私も行くわ、いづる君。いづる君だけまたあの混雑の中を歩かせる訳には――」

「阿室さんはもっとコスプレを楽しまなきゃ。みんな、待ってますよ」


 いづるの声に玲奈が振り向くと、そこには大勢のコスプレイヤーがカメラを手に並んでいた。私服の普段着で、専用の一眼レフを構えてる者たちもいる。

 どうやらクーデリアの格好をしている玲奈は、酷く目立つらしい。

 いづるが贔屓目ひいきめに見ても、このコスプレ広場で一番のはなは玲奈だった。


「あ、あの……写真、お願いしていいですか?」

「うわ、マジでクーデリアだ……完成度高ぇなオイ」

「か、かわいい。実写版クーデリアたん!」


 ちょっとした人だかりの山ができつつあったので、いづるは自然と玲奈と壁際に寄って、人の流れの邪魔にならないようにする。玲奈がみんなの期待に答えようとするのは、いづるには前からわかっていた。この娘は、不器用だがお人好しなところがある。


「じゃあ、阿室さん。すぐ戻りますから」

「ええ、わかったわ。ごめんね、いづる君」

「いいんです。色んなキャラと記念撮影、楽しんでくださいよ。頼めばきっと、他のキャラをやってる人たちも阿室さんの携帯で写真撮ってくれますから」


 そうしていづるは、飲み物を求めて玲奈と一度別れた。

 それが、あんな事件へと発展するとは、この時思ってもみなかった。コスプレイヤーや一般のコミケ参加者は、総じてマナーのいい紳士淑女である。だが、その枠組に当てはまらない者たちも極一部だが存在しているのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る