コミケの中で輝いて

第46話「八月 それはコミケ」

 おぼんの季節、日本の夏は局所的に熱く加速する。

 夏のコミックマーケット、いわゆる夏コミである。

 以前からこのイベントに、阿室玲奈アムロレイナは参加したがっていた。日陽ヒヨウいづるは勿論、その願いを叶えるために協力するつもりだ。

 だが、それがもう「友達だから」という言葉で片付けられない。

 友達から始まった関係が今、少しずつ動き出そうとしていた。


「しっかし、凄い人混みだな。これ、みんな同人誌を買いに来てるのか」

「ふっふっふ、いづちゃん! 夏コミは毎年、屋内に熱気で雲が発生するぐらい大盛況なんですよぉ? わたし、今日はバリバリ買いまくる!」


 いづるの隣では楞川翔子カドカワショウコが、既にアップを始めているようだ。

 今、二人はコスプレイヤー専用の更衣室前で玲奈たちを待っている。玲奈もだが、あの富尾真也トミオシンヤがコスプレに初挑戦しようというのだ。

 勿論、二人共ガンダムのキャラを着ようとしている。

 加えて言えば、真也はいつもの玲奈への対抗心だけで物事を進めていた。


「でも、本当に凄い……みんな、楽しそうだよね」

「当たり前ですよ、いづちゃん! この日のために生きてると言っても過言ではないのです! ハァハァ……い、いけないっ! も、もっかい確認しておかなきゃぁ~」


 翔子は鞄から鈍器どんきみたいな分厚いコミケカタログを出すと、付箋ふせんだらけのそれを念入りに再確認し始めた。彼女は毎年来てるそうで、なんでもBLボーイズラブ系の同人誌を買うのだとか。

 珍しく気張って張り切ってる翔子を見れば、いづるにも事の重大さが知れた。

 コミケというのはつまり、それ程に巨大な一種のお祭りなのだった。

 そうこうしていると、男子の更衣室から真也が出てきた。

 ……最初は真也と気付かなかったが、仮面の男が近付いてくる。


「少し着替えに手間取ってしまったか……私もよくよく運のない男だな」


 そこには、赤い彗星すいせいがいた。

 ジオン公国のシャア・アズナブル大佐がいたのだ。

 そして、その声音は真也のそれである。

 だが、赤い軍服に仮面姿は、間違いなくシャアだった。


「え、えっと……富尾先輩? ですよね?」

「私はシャア・アズナブル大佐、それ以上でもそれ以下でもないぞ、いづる少年」

「あ、いや……もしかして、なりきってます? スイッチ、入っちゃったのかなあ」

「そういう冗談はやめにしてくれないか?」


 駄目だ、完全に入ってしまっている。

 どういう訳か、富尾真也……ノリノリである。

 彼はそうとうシャアのコスプレが気に入ったのか、一人称まで「私」になっている。そうして、キョロキョロと周囲を見渡した。

 あまりにどうった再現度で、にわかに周囲の一般参加者たちも騒がしくなる。


「阿室の姿が見えんな……ええい、これだから女というやつは。いつも着替えや支度に時間がかかるっ!」

「あ、それ酷いですー! 富尾先輩っ、女の子には色々あるんですよぉ~」

「……ララァは賢いな」

「わたし、ララァじゃなくて翔子ですう!」


 そうこうしていると、周囲に人だかりができてしまった。

 しかも、視線を感じてどうやら真也はご満悦らしい。普段から微妙に自意識過剰な人ではあると思っていたが、これほどとはいづるは思っていなかった。

 コスプレは、魔物……そして魔性。

 生粋のガノタで富野信者とみのしんじゃの真也は、完全にシャアである自分に酔っていた。

 そして、周囲の一般参加者たちから声があがる。


「あ、あの! お写真とかいいですか?」

「まあ、待ち給え。ここでは一般兵に迷惑がかかる。後ほどコスプレ広場の方で応じよう」

「あ、ありがとうございます! シャア大佐!」

「うむ、勝利の栄光を君に! ジーク・ジオン!」


 周囲の一般参加者からも「ジーク・ジオン!」の声があがった。微妙に配慮をしているようで、今の真也は自然と迷惑になっていた。

 しかし、生来のガノタで、とりわけ富野作品に造詣ぞうけいの深い真也である。

 一度彼が本気でシャア・アズナブルを演じ出すと、不思議なオーラが次々と周囲の人間を引き寄せていた。そして、彼はそのことに機嫌をよくしている。


「いづちゃん……富尾先輩が壊れたあ」

「ララァ、いづる少年との戯言ざれごとはやめろ!」

「だーかーらー、わたしはララァじゃないです、ぷぅ!」


 やれやれと呆れていたいづるは、その時女子更衣室から金髪の少女が出てきたのを遠目に見やる。それは赤い衣装を身につけた、玲奈だ。

 いつも毅然きぜんとして美しい玲奈が、ガンダムのキャラクターに扮している。

 それは妙に堂に入ったもので、思わずいづるは感嘆の溜息を零した。なんのキャラクターかはわからないが、ガンダムに出てくるヒロインの一人であることはわかる。


「おまたせ、いづる君。翔子さんも。ついでに……富尾君よね? シャア、やってるのよね」

「その声は、阿室っ! ……ほう? さらにできるようになったな、阿室!」


 真也の周囲を取り巻いていた者たちも、玲奈を見て「おお!」と声をあげた。カメラを手に持つ彼らに一礼して、玲奈がキリリと表情を引き締める。


「クーデリア・藍那アイナ・バーンスタインです! ……どうかしら、いづる君。似合うかしら?」

「え、ええ……と、とても、綺麗、です」

「そう、よかったわ」


 先ほど真也のシャアに写真を頼んでいた者たちも、皆が皆、固まってしまった。

 手に持つカメラのシャッターを切るどころか、写真撮影を願い出ることすら忘れている。そうして彼らは、ただただ優雅にいづるの前へと歩み寄る玲奈に見惚みとれていた。

 それは多分、いづるも同じだ。


「わあ、阿室先輩かわいいー! これ、この間やってたガンダムのヒロインですよね!」

「ええ。革命の乙女、クーデリア・藍那・バーンスタインよ」

「いいなあ、わたしもコスプレすればよかったあ~」

「それもいいわね! 翔子さんはアトラちゃんとか、似合うと思わう」


 ニコリと微笑む玲奈は、本当に美しかった。真っ赤なドレスに煌めく金髪が映えて、まるで本当にアニメのキャラクターのよう。白い手袋をして、立派な貴婦人レディぶりだ。

 玲奈は翔子とニ、三の言葉を交わしつつ、とても楽しそうに笑っている。

 次はみんなで同人誌を買って回る予定だ。確か玲奈は、ジェガンとかいうモビルスーツの特集をしているサークルの本が欲しいらしい。他にも色々見て回りたいというので、いづるはそれに付き合うつもりだ。

 そうこうしていると、周囲の視線をかっさらわれた真也が残念そうに声をあげる。


「くっ、コスプレ勝負を挑む前に負けただと? ええい、阿室のコスプレは化け物か!?」

「あら? まあ……富尾君、凄くシャアだけど……どうしたのかしら」

「ハッキリ言う、気に入らんな! 冗談ではない!」

「……随分、なりきってるのね。えっと、いづる君。翔子さんも、彼は」


 手早くいづると翔子が説明すると、玲奈は凄く納得したようだ。

 そうして、クスリと笑うとシャアの前に……真也の前に歩み出る。


「よく見ておくのだな。コスプレというのは、原作のように格好のよいものではない。……だが、今の私はまさしくシャア! 見えるぞ、私にも自分が見える!」

「自分が見える……見失ってるようにも見えるけど。だったら一つだけ忠告があるわ」


 そう言うと、玲奈は人差し指をピンと立てて、グイと真也へ身を乗り出す。

 彼女は真顔で、じっと真也を見詰めて……割りと辛辣しんらつな一言を突き刺した。


?」

「っ! 身元がばれなければどうと言うことはない」

「なりきるのもいいけど、ちょっと痛々しいわ。もう少し普通にしててもよくてよ? せっかく、コスプレが似合ってるんだもの」

「マスクをしている訳がわかるな? 私は富尾真也を捨てたのだよ」


 なんだかよくわからないが、真也はシャアのコスプレを楽しんでいるらしい。玲奈が肩をすくめつつ苦笑するので、いづるも釣られて笑顔になった。

 そうこうしていると、翔子がいづるの耳元でささやいてくる。


「じゃあ、いづちゃん! 阿室先輩とコミケ、楽しんでね……二人きりで!」

「えっ!?」


 次の瞬間に翔子は、ブッピガーン! と強引に真也の二の腕に抱きついて腕を絡める。そのまま彼女は、シャアになりきっている真也を引きずり歩き出した。


「じゃあ、いづちゃん! 阿室先輩も! わたし、東館にいかなきゃ……戦いはもう始まってるの。そう、急がなきゃあ……楞川翔子、いっきまーす!」

「ララァ、私を導いてくれ」

「だから、ララァじゃないですよぅ。富尾先輩っ、荷物持ち宜しくお願いしますねえ~」


 翔子は強引に真也を連れて、行ってしまった。たちまちその姿は、人混みにごった返す中に消えてゆく。玲奈のコスプレ姿に見とれいてた人たちも、銘々に自分たちの買い物に帰っていった。

 賑やかな喧騒と歓声の中、いづるは玲奈と二人きりになった。

 それを意識したのか、玲奈は少し頬を赤らめる。


「……二人きり、ね。いづる君」

「あ、はい……じゃあ、僕たちもいろいろ見て回りましょうよ。阿室さん、欲しい本があるんですよね」

「ええ! まず、ジェガン本を手に入れなきゃ……大丈夫よ、コミケのカタログは熟読してるわ。礼儀作法やルール、マナーも頭に入ってる! やれるわ!」

「なにをやるんですか、なにを。じゃあ行きましょう」


 歩き出そうとしたいづるの前に、突然玲奈は手を差し出してきた。手袋を脱いだ白い手が、目の前にある。それをじっと見詰めて、そうしていづるは視線を玲奈の顔に戻した。

 少し表情を紅潮こうちょうさせつつ、真っ直ぐ玲奈はいづるを見てくる。


「いづる君、握手をしましょう! ……じゃない、てっ、てて、手を、つなぎ、ましょう?」

「え? えっと……ええーっ!」

「こんなに大混雑してるんだもの、いづる君が迷子になったら大変よ。ここは手を繋いで歩くべきだわ。そ、そうよ、友達としてそうすべきね!」


 さあ、さあさあ、と玲奈は手を伸べてくる。

 白くて小さな手で、言われるままにいづるが握ると、柔らかい。直接肌と肌とが触れる中で、玲奈の体温が伝わってきた。それは、ともすれば熱いくらいのコミケ会場の中で、いづるにときめきの熱を灯してくる。

 ほんわりと温かな玲奈の手は、いづるの手をギュムとしっかり握り返してきた。

 そうして二人は、人混みに注意しながら目的のサークルへと歩き出す。

 初めて玲奈と手を繋いで並び歩くいづるは、奇妙な興奮と感動で心臓が高鳴っていた。その鼓動の音が耳の奥に響くようで、ともすれば喉から飛び出てきそうだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る