第44話「二人だけの散歩」

 その晩は夜遅くまで、みんなで夏を満喫して盛り上がった。

 やはりというか、ガンダムやガンプラの出番は全くなかったが、皆が満足だった。

 バーベキューを庭で食べ、花火をする。そうしてアレコレ話題に花が咲いて、日付が変わる頃には既に全員部屋へと引き上げて就寝となった。

 だが、どうにも寝付けぬまま日陽ヒヨウいづるは目覚める。

 時計を見れば、まだ六時前だった。


「……なんだ、こんな時間か。翔子ショウコが毎朝うるさいから、夏休みでも結構早起きになっちゃうんだよな」


 二度寝を決め込もうとしたが、どうにも寝付けない。

 諦めてベッドを抜け出し、着替えを済ませてしまう。そのままリビングに降りると……意外な人物がいづるを待ち受けていた。


「あら、いづる君。おはよう」

「あー、阿室アムロさん……!? おっ、おお、おはようございます!」


 そこには、パジャマ姿の阿室玲奈アムロレイナがいた。彼女は手にした麦茶のボトルをいづるに差し出し「いづる君も飲むかしら?」と微笑ほほえんでくる。

 だが、いづるにはそれどころではない。

 玲奈の寝起き姿は、パジャマなのだ。

 そう、大人びたネグリジェでも豪奢ごうしゃなバスローブでもない……意外にも普通のパジャマだ。

 連邦軍やジオン軍のマークが散りばめられたパジャマを普通と言えてしまうくらいには、どうやらいづるもガノタ脳、ガンダムオタクの考えに感化されているらしい。

 しかも、そのパジャマ姿だが、少しサイズが合っていない。

 恐らく男物を着てるからだろうか? 華奢きゃしゃで細身の玲奈にはちょっと大きくて、なだらかな肩から今にもずり落ちそうだ。そのくせに胸やら尻やらは柔らかな曲面で持ち上げられている。ちょっと余った袖や裾を気にもせず、玲奈はいづるの返事を待っていた。


「あ、いや……今は、いいです」

「そう。ふふ、いづる君も早起きなのね」

「あんまりだらしなくしてると、翔子が怒るので。それでいつも、七時までには起きてますね」

「そう。いいわ、ちょっと付き合って頂戴? ……少し、お散歩でもしましょう。そうよ、友達だもの! ここは二人で伊豆の海辺を散歩するべきね! 二人きりで!」


 いづるの返事も待たずに、玲奈は着替えに二階へ行ってしまった。

 勿論、いづるも断る理由はない。

 それにしても、朝から二人きりで海辺を散歩……なんという僥倖ぎょうこう、そしてなんというビッグイベント。これが俗に言う死亡フラグなのかと、いづるはなんだか心配になった。

 そうこうしていると、玲奈は白いワンピースに着替えて麦わら帽をかぶり、いづるを玄関から呼ぶ。こうして早朝の外へ出ると、まだまだ涼しい夏の空気が二人を出迎えてくれた。

 朝日を浴びて玲奈は、気持ちよさそうに大きく伸びを一つ。

 すらりとスタイルのいい彼女が、大きく胸を反らして天を仰いだ。


「気持ちいい朝ね……さ、行きましょ」

「は、はい」


 まるでさわやかな朝の空気に泳ぐように、踏み出す玲奈が肩で風切る。隣に並んだいづるは、玲奈の視線を追って海へと目を向けた。

 朝凪あさなぎいだ海辺は、砂浜へと白い波が寄せては返す。

 海水浴の喧騒も、海の家の混雑も、まるで夢の様な静けさがあった。

 昇りだした太陽は燃えていたが、まだまだ夜を脱いだばかりの海辺は涼しい。その中を玲奈は、後ろに手を組んで歩く。言葉は少なげだったが、自然といづるは玲奈がリラックスしているのを感じていた。


「私、初めてかもしれないわ。マサルさんも沢山持ち込んでたし、実は私も……いづる君とみたくて、ガンダムのBlu-rayブルーレイを沢山持ってきたの」

「あそこ、ビデオデッキしか……」

「ええ。だから再生機も持ってきたわ。海姫マリーナに言えば繋いでもらえるもの」

「……自分では繋ごうとしないんですね、相変わらず」

「あら、笑ったわね? しょうがないじゃない……機械は苦手よ」


 少し頬を膨らませた玲奈は、次の瞬間には笑顔になる。

 クールに決めて天上人、いつでも楚々そそとして、爽々さやさやとして、そして文武両道のパーフェクト御嬢様。そんな彼女が時折見せる、歳相応の少女らしさがいづるは好きだった。

 他の人があがめておがむ中でも、いづるはキュートな彼女の隣にいたい。

 蝶よ花よと愛でて遠ざけるよりも、距離を縮めてお近づきになりたいのだ。

 例えそれで傷付いても、構わない。

 勿論、無傷でいたいし大団円だって大歓迎で、割りと腰も引けているのも事実だが。


「この間、ラーメン屋でGガンダムの話をしたら、見たくなったの。だから」

「いや、50話近くあるんですよね? 流石にそれはちょっと」

「そうよね、一晩で見るならOVAもいいなと思って、0083や08MSモビルスーツ小隊も持ってきたし。それに、SEEDシード00ダブルオーもスペシャルエディションがとても手軽よ? 一晩でいけるわ!」

「いやあ……ははは、大丈夫かな」


 だが、意気込む玲奈は昨夜、ガンダムに関するこだわりを忘れていた。普通の女の子のように、皆とバーベキューを楽しみ、片付けや皿洗いも手伝って、花火をしながら学校のことをアレコレ喋っていた。そこには、隠れてガンダムをたしなむ優等生の姿はなかった。

 思えば、この伊豆に来てから殆ど玲奈はガンダムに触れていない。

 言動こそガンダム好きな自分を隠せてない、隠す気がないが。


「本当にいい夏ね。こんなの久しぶり、この伊豆に来たのも何年ぶりかしら」

「普段、夏休みは」

「海姫を連れて軽井沢か、北海道。箱根も行ったかしら。勿論、ガンダムを持って」

「……で、海姫さんにみせる訳ですね……そりゃ、アレルギーにもなるかなあ」

「でも、今年は友達が沢山できて、私も普通の夏休みっぽくなったわ。この阿室玲奈、夏休みの中でガンダムを忘れたぞ?」

「いやそれ忘れてないですよね、バッチリ染み込んでますよね」


 そんなことを言いながら笑っていると、海手の光景が少し高いテトラポットの群れになる。その上へと玲奈は、白いスカートをひるがえして器用に飛び乗った。いづるの目線の高さに、サンダルを引っ掛けた白い足がある。

 玲奈はテトラポットの上をすいすい次から次へと飛び跳ねながら、いづるを見下ろし微笑む。


「ねえ、いづる君。前から、その……きっ、気になってたの! ええと……聞いても、いいかしら?」

「はい? ええ、なんですか」

「いづる君……どうして、私なの? 私にあの時、ラブレターをくれた。それで私はつい、ヒイロ・ユイな気持ちになってしまったんだけど。ああ、ええと、ヒイロ・ユイっていうのはガンダムウィングの主人公で、そもそもそのコードネームはコロニー運動の有名な――いけない!」


 危うくガンダムの世界に旅立ちそうになった玲奈は、すんでのところで自分を現実世界へと呼び止めた。そうして頬を赤らめつつ、立ち止まるといづるを見下ろしてくる。

 自然と見上げるいづるは、真っ直ぐ見詰めてくる玲奈へと眼差しを返した。

 二人の視線が一本の線へと収斂しゅうれんされ、その中を言葉に出来ない想いが行き来する。


「えっと、それは……好き、だから?」

「ちょっと、いづる君! 疑問形だわ、どうして? そこは疑う余地はないの! ……それは、信じてるの。ただ、どうして好きになったか、聞きたいのよ」

「それは……ああ、覚えてないんですね。阿室さん」

「えっ?」


 当のいづる本人だって、今まで思い出すことすら忘れていたのだ。

 だが、二人のめを、その一方的な運命をいづるは覚えていた。日々がこんなに賑やかになって、なにより玲奈がそばにいて。それが当たり前になりつつある中で、それはもはや思い出という名の化石となって胸に埋まっている。

 だが、それは琥珀こはくに閉じ込められた蝶のように、色褪いろあせない。


「僕、阿室さんに会ってるんですよ? 告白する前」

「……嘘! ま、待って、ちょっと。ええと、いつだったかしら……そんな、まさか」


 テトラポットの上で玲奈は、腕組み考え込んでしまった。


「おかしいわ……私にそんな記憶は。これは、私がマリーでピーリス中尉なのかしら? それとも、フォウとかロザミア? 記憶をいじられた形跡は」

「いや、ないです。ないですから、阿室さん。……それくらい僕、平々凡々なモブ系男子だったんですよ。今もですけど」


 そして、いづるは初めて玲奈に語り出す。

 それは、まだ雪のちらつく寒い日だった。私立萬代学園高等部しりつばんだいがくえんこうとうぶ、入学試験の当日……あの日、受験生だったいづるは身の破滅を感じて走っていた。この一日を逃せば、貴重な青春時代の一年が灰色になってしまう、そんな危機感。そう、いづるは試験日に遅刻しそうになっていたのだ。


「僕、あの日は翔子が起こしてくれなくて……それというのも、翔子は推薦入学すいせんにゅうがくで。そう、あいつ成績はまるで駄目なのに、妙に教師受けするんですよ。まあ、それは置いといて」

「……あっ! 思い出したわ。そう、確かに寒い日だったもの。……あれが、いづる君?」


 どうやら玲奈も思い出したようだ。

 二人は互いにその時の記憶を語り出す。


「そう、僕は試験に遅刻しそうになって」

「ええ、生徒会の次期副会長として、入試の手伝いをするはずが寝過ごして」

「走って走って、それでもへばって立ち止まった僕に、阿室さんが」

「自転車ならば間に合うと思って、海姫の自転車を勝手に借りて」


 ん? と、いづるの脳裏に大きな疑問符が浮かぶ。

 だが、玲奈が言葉を続けるので、一応自分もその時の記憶を紐解ひもといた。


「阿室さんがズシャーっと目の前に自転車で。そして、後ろに乗れって」

「急いで自転車をカッ飛ばしてたら、そう……なんだか涙目でうつむいてる男の子がいて。そう、それで私は――」

「阿室さんは、べそかいてる僕に優しく、優雅ゆうがで気品に満ちた声で」

「それでも男ですか、軟弱者なんじゃくもの! ……って叫んで、しかもそのあと」

「一緒に学校に行きましょう、まだ間に合うわ、って後ろに載せてくれて」

「放っておけないから、咄嗟とっさDESTINYデスティニー第一話のカガリとアスランを思い出して、乗るんだ! って思わず……こんなところで君を死なせるわけにいかないわ! って、後ろに乗せて、それはもう凄い勢いでペダルをこいで」


 テトラポットの上で玲奈は、ピシャリと手で顔をおおった。


「あ、いや、なんか……あれ? 僕の記憶とちょっと違うような……でも、嬉しかったです」

「そ、そう? それなら、いいんだけど……いいえ、駄目よ! アスランはカガリと別れちゃうんですもの、よくないわ! アスランはメイリンとまさかまさかの……」


 だが、意味不明なことを言いつつ玲奈は、改めていづるに向き合い見詰めてきた。

 いづるもまた、玲奈を真っ直ぐ見定めて上を向く。


「いづる君、ありがとう。これからは、あの……そう、これからは――」


 玲奈がなにか言いかけた、その時だった。

 ふわりと海からの風が強く吹いて、玲奈を包み込んで吹き抜ける。

 白いワンピースのスカートが舞い上がり……見上げるいづるの目に、忘れられぬ純白の三角地帯を焼き付けた。以前、自宅でチラリと見た光景がフラッシュバックする。

 珍しく「キャッ!」とかわいい悲鳴をあげた玲奈が、慌ててスカートを手で抑える。


「………………………………………………見た?」

「………………………………………………ハ、ハイ。白地にガンダ――」

「言わないで! 幼稚な下着って思ったでしょ。だって、人に見せるものじゃないんですもの、好きなものを選んでいい筈だわ! もっ、いづる君? 秘密だぞ? 二人の秘密にするべきだわ、友達として!」

「あ、はい」


 それから二人は、言葉少なげに並んで帰った。

 気まずい雰囲気を、カモメの鳴き声だけが見送ってくれた。

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