第43話「別荘のテラスに海原を見た」

 結局、阿室玲奈アムロレイナ富尾真也トミオシンヤの水泳対決は無効試合、ノーコンテストとなった。

 日陽ヒヨウいづるは正直ホッとしたし、夏の海では他にやるべき楽しみが沢山ある。そのどれもが、玲奈にとっては初体験だった。

 海の家での楽しい昼食で、人生初の焼きそばを頬張る玲奈。

 ビーチバレーで珍しく真也とコンビを組み、楞川翔子カドカワショウコといづるにボロ負した玲奈。

 スイカ割りで精神統一時、「明鏡止水めいきょうしすい……見えたわ! 水の一滴!」と叫ぶ玲奈。

 海音寺豊カイオンジユタカと一緒に、一生懸命に砂でお城? ホワイトベース? を作る玲奈。

 今日もいづるが見守る玲奈は、誰よりも楽しそうに輝いていた。

 夕暮れになって別荘に戻ってきたいづるは、シャワーを浴びて着替えるとリビングのソファに沈んでいた。心地良い疲労感と充実感で、少しだけ眠く気だるい。だが、マッタリといづるが優雅にだらけていても、翔子は来栖海姫クルスマリーナと一緒に夕食の準備に忙しそうだった。

 そして今、リビングでは激しい戦いが行われていた。


「びゅーん! ずばばばー! いっけえ、フィン・ファンネルー!」

「見えるぞ、俺にも敵が見える! そこぉ!」

「やったなあ、でもでも、νニューガンダムはだてじゃなーい!」

「くっ、パワー負けしているだと!? ララァ、俺を導いてくれ」


 別荘にはガンプラが何個か飾ってあって、どれも幼少期の玲奈の作品だという。それを手に取り、真也は先程から豊の遊び相手を買って出ていた。以前、玲奈のブンドドをニヤニヤ眺めてからかっていたわりには……富尾真也という男、ノリノリである。

 豊が手に持ち振り回すνガンダムが、真也の赤いサザビーとかいう機体をボコボコにしている。玲奈もだが、子供相手にはちゃんと負けてやる、やられ役も真面目にやってるので、いづるは感心していた。

 すると、キッチンから顔を出した翔子が、いつものほんわかとした声を響かせた。


「みんなー? そろそろバーベキューの準備ができますよぉ~?」


 天気もいいし、夕食は外でみんなでバーベキューだ。

 意外と健康的な、それこそ普通の若者のような夏の過ごし方である。

 海音寺勝カイオンジマサルなどは、この一泊旅行で自らガンダム漬けになると言っていたが……秘蔵のVHSテープもガンプラも、どうやら出番はなさそうだ。いづるも珍しく、ガンダム以外のことで夢中になっている玲奈を見れた。ただ、彼女は「声優さんとかがDVDと違うのよ」と、勝の持つ1stファーストガンダム劇場三部作を気にはしていたが。


「あれえ? ねえねえ、富尾先輩。阿室先輩はー?」

「やるな、豊少年っ! だが俺とてここでおめおめと……いけっ、ファンネル!」

「ねーってば、富尾せんぱーい? ……話聞いてください、富尾先輩っ!」

「ふはは、怖かろう! ン? ああ、楞川か。どうした?」

「阿室先輩がいないの。それと、勝さんも」


 そういえば、といづるはソファの上で身を起こす。

 たしか、玲奈は先にシャワーを浴びていたから、自分の部屋だろうか? 小さい小さいと勝がいくら言っても、庶民のいづるにはここは大きな大豪邸だ。

 立ち上がると大きく伸びをして、いづるは周囲を見渡し歩き出す。


「僕が探してくるよ、翔子。呼んでくればいいんだよね?」

「うんっ! バーベキューの準備、ばっちりだよぉ!」


 にふふと緩い笑みで翔子が拳を握る。夕食の気配を感じてか、真也は豊と一緒にガンプラを元の場所へと戻し始めた。

 いづるはふらりとリビングを出て、それぞれの個室がある二階へと階段をあがる。

 斜陽しゃようの光が赤く染める中、二階のテラスから話し声が聞こえてきた。

 どうやら玲奈と勝は一緒のようだ。

 そう思った時には何故か、いづるは足音を潜めてしまう。

 自分でもわからない内に、自然とテラスの方へと忍び寄って、外の様子をこっそりとうかがってしまった。そこにはやはり、海風で涼む玲奈と勝の姿があった。

 玲奈は乾き始めた洗いたての金髪を手で抑えて、手すりにそっと寄りかかっている。

 その姿はやはり、いづるには女神か天使のように見えたのだった。


「それで、どうしたのです? 勝さん、こんなところに呼び出して」

「ん、まあ……情けない家だと、知ったのさ」


 玲奈の声は心なしか緊張しているが、以前ほどとがってはいない。今はもう、勝の無自覚な失礼を許しているようだ。それは、言葉を返す勝もまた、自分を律して改めたからだろう。

 二人は今は普通の従兄妹いとこ同士、だが……さりげない言葉の節々は完全に丸くはない。


「私の家は……海音寺家は、阿室のおじさんと合わせ鏡の存在さ。おじさんの研究が生み出す利益や権利を管理することで、ここしばらくは生きながらえてきた」


 確か、勝の家も大金持ちで、阿室家の……玲奈の父の生み出す利潤や財産、パテント等の管理をしていると聞いている。そのことに対して少し勝が自嘲的じちょうてきなのは、大人としての自尊心プライドがあるからだろう。

 そうしていづるは頭の中で理解し、納得しようとした。

 だが、美男美女の二人がテラスに一緒というのは、どうにも心がざわめくのだ。


「玲奈、これは以前のような……そう、下心や損得の気持ちじゃないんだ。あのね、玲奈」

「ええ」

「君……うちの人間になってくれないか? おじさんも阿室家も捨てて、海音寺家の人間になるんだ。そうすりゃ豊だって……。形だけでもいい」


 一瞬、勝の言ってる意味がいづるには理解できなかった。

 勝はもう、玲奈との結婚を諦めたと言っていた。それなのに?

 だが、勝は熱のこもった言葉に補足を付け足す。


「養子に、私の妹になるんだ、玲奈。海音寺家に。そうすれば、ここ最近の不安な生活は終わり、君も自由を手にすることができる」


 ここ最近? 不安な生活?

 いったい、玲奈に……阿室の家になにが起こっているのだろうか?

 それは、最近時折玲奈が見せる、どこかうれいを帯びた表情と関係があるのだろうか。

 だが、いづるが自分の記憶に問いかけている間に、玲奈は毅然きぜんと言葉を選ぶ。

 玲奈の声ははっきりと澄み切って、冷たい清水に波紋が広がるように空気中へ伝搬でんぱんしていった。その音の震えがいづるの鼓膜にも染み渡る。


「勝さん……そんな自由、自由と呼べると思って?」


 その言葉の意味が全てだった。

 どうやら玲奈は、勝の厚意に甘えるつもりはないらしい。

 それで勝が息を呑む気配が、いづるにもはっきりと伝わった。

 阿室玲奈が海音寺玲奈になっても、本質的に彼女は変わらないだろう。だが、彼女が阿室玲奈であり続けるという自由は、永遠に失われてしまうのだ。

 玲奈が父親と不仲なのを、いづるは知っている。

 玲奈が母親の話を全くしないのも、不思議に思っていた。

 だが、それより気になるのは、ここ最近の玲奈が抱えている不安だ。だが、勝気で強気な彼女は、決して胸の底によどむ気持ちを見せたりはしない。

 そしていづるは、それを暴きたい訳ではないのだ。

 ただ自然に、友人としてでもいいから……助けて支えたいのだ。

 そう思っていると、玲奈は静かに微笑んだ。


「ありがとう、と言わなければいけないわね。勝さん。気持ちには感謝します、でも」

「いや、いいんだ玲奈……勝手な申し出だったかもしれない」

「海音寺の御屋敷は、本家は確か千葉ですもの。今、転校するのはちょっと嫌よ。それに、それにね……勝さん。こんな時だからこそ、私は父様を信じてみたいのよ」

「そうか……そうだね、なるほど。そう言ってくれたのは、あの少年かな?」


 勝の問いに頬を赤らめつつ、微笑みながら玲奈は頷いた。

 それは、夕闇迫る海からの風の中、いづるにはとても眩しく見えた。

 そして、それで話は終わりとばかりに勝も肩を竦める。

 だが、タイミングを見計らっていづるが声をかけようとした、その時だった。


「……ただ、勝さん。私だって、その……気になるわ! 劇場公開時と同じ声優さんの、VHSテープのガンダムが!」

「え? あ、ああ……見るかい? 一緒に」

「うちにはビデオデッキなんてとうの昔になくなってるし、でもこの別荘ではまだ現役なのよね。私もこっちの別荘に来るのは久しぶりだから」

「マク・ベの声が確か違うんだったね。DVD等とは挿入歌の入りや、効果音なんかも変わってるって……君の方が詳しいよね、玲奈」

「マ・クベよ、勝さん。そうなの、塩沢兼人しおざわかねとさんは亡くなったから……UCユニコーンがある今では鈴置洋孝すずおきひろたかさんも亡くなって。でも、キャラクターが生き続けるのは凄いと思うわ。二代目の方々も頑張ってるもの」


 えらくまた、マニアックなことを玲奈は語っている。

 そして、こういう時の玲奈は興奮気味なのだ。

 流石の勝も若干引き気味だが、いづるはむしろこういう彼女がなんだか好きだ。

 本当に玲奈は、ガンダムが大好きな少女なのである。

 そして彼女は、意外なことを勝に話すのだった。


「一番最初に、いづる君には1stガンダムの劇場三部作をみてもらったわ。次はポケットの中の戦争、そしてZガンダム……どれも面白かった、って言ってくれたの」

「そうか。どうだい? 彼とは順調なのかい? 玲奈」

「順調? え、ええ、そそそ、そうね! 順調ね! むしろ絶好調と言うべきよ! そ、そうよ、私たち……とてもいい感じだわ。ただ」


 不意に言葉を詰まらせつつも、玲奈は勝から視線を反らした。

 そしてゴニョゴニョと、彼女にしては言葉を濁らせる。


「いづる君は、私のこと、好き、だって……でも、私は……友達って、言っちゃったの。あとから知ったわ……友達でいて欲しいって、恋人同士は嫌って意味なのね、世間一般では」

「え……あ、ああ。そうだよ、知らなかったのかい? 玲奈、まさか……」

「いつもね、いつもなの。沢山の人が愛をげてきたけど、自信がなかった。だって、友達すら一人もいない私だもの。だから、友達からって……そう思ってたら、いつもみんな泣いて逃げ出すの」

「そりゃね、玲奈……告白して『友達でお願いします』なんて言われたら、男はね」

「いづる君は、友達でいてくれるって言ってくれたわ。それが、嬉しかった、けど……今はもう、もっと親しくなりたいの。友達だけじゃ、嫌なの」


 意外な玲奈の告白に、いづるは胸の奥が熱くなった。

 お友達でいましょう、それは女性が男性を振る常套句セオリーだ。

 だが、あの時のいづるが緊張感から発した肯定の言葉は、なにも嘘じゃない。玲奈が友達になって欲しいと言ったから。こんな素敵な人を、孤独にさせてはいけないと思えたから。

 そうしていると、喋り続けようとする玲奈をそっと手で勝が制した。

 それは、思い切っていづるが二人の前に踏み出したのと同時だった。


「あ、あの! あの……晩御飯、やるそうです。バーベキュー」

「あら、いづる君」

「もうそんな時間か。玲奈、先に行ってるよ。海で豊の相手をしてたら、お腹ペコペコさ」


 いづるの横を通り過ぎて、勝はリビングへと行ってしまった。

 後を追ういづるの横に、そっと玲奈が並んでくる。

 どうやら盗み聞きしていたことはバレてはいないらしい……それでも、いづるは玲奈の本音の本心が聞けて、嬉しかった。関係の進展を望む彼女の気持ちに、自分も応えられる人間になりたいと願うのだった。

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