第43話「別荘のテラスに海原を見た」
結局、
海の家での楽しい昼食で、人生初の焼きそばを頬張る玲奈。
ビーチバレーで珍しく真也とコンビを組み、
スイカ割りで精神統一時、「
今日もいづるが見守る玲奈は、誰よりも楽しそうに輝いていた。
夕暮れになって別荘に戻ってきたいづるは、シャワーを浴びて着替えるとリビングのソファに沈んでいた。心地良い疲労感と充実感で、少しだけ眠く気だるい。だが、マッタリといづるが優雅にだらけていても、翔子は
そして今、リビングでは激しい戦いが行われていた。
「びゅーん! ずばばばー! いっけえ、フィン・ファンネルー!」
「見えるぞ、俺にも敵が見える! そこぉ!」
「やったなあ、でもでも、
「くっ、パワー負けしているだと!? ララァ、俺を導いてくれ」
別荘にはガンプラが何個か飾ってあって、どれも幼少期の玲奈の作品だという。それを手に取り、真也は先程から豊の遊び相手を買って出ていた。以前、玲奈のブンドドをニヤニヤ眺めてからかっていたわりには……富尾真也という男、ノリノリである。
豊が手に持ち振り回すνガンダムが、真也の赤いサザビーとかいう機体をボコボコにしている。玲奈もだが、子供相手にはちゃんと負けてやる、やられ役も真面目にやってるので、いづるは感心していた。
すると、キッチンから顔を出した翔子が、いつものほんわかとした声を響かせた。
「みんなー? そろそろバーベキューの準備ができますよぉ~?」
天気もいいし、夕食は外でみんなでバーベキューだ。
意外と健康的な、それこそ普通の若者のような夏の過ごし方である。
「あれえ? ねえねえ、富尾先輩。阿室先輩はー?」
「やるな、豊少年っ! だが俺とてここでおめおめと……いけっ、ファンネル!」
「ねーってば、富尾せんぱーい? ……話聞いてください、富尾先輩っ!」
「ふはは、怖かろう! ン? ああ、楞川か。どうした?」
「阿室先輩がいないの。それと、勝さんも」
そういえば、といづるはソファの上で身を起こす。
たしか、玲奈は先にシャワーを浴びていたから、自分の部屋だろうか? 小さい小さいと勝がいくら言っても、庶民のいづるにはここは大きな大豪邸だ。
立ち上がると大きく伸びをして、いづるは周囲を見渡し歩き出す。
「僕が探してくるよ、翔子。呼んでくればいいんだよね?」
「うんっ! バーベキューの準備、ばっちりだよぉ!」
にふふと緩い笑みで翔子が拳を握る。夕食の気配を感じてか、真也は豊と一緒にガンプラを元の場所へと戻し始めた。
いづるはふらりとリビングを出て、それぞれの個室がある二階へと階段をあがる。
どうやら玲奈と勝は一緒のようだ。
そう思った時には何故か、いづるは足音を潜めてしまう。
自分でもわからない内に、自然とテラスの方へと忍び寄って、外の様子をこっそりと
玲奈は乾き始めた洗いたての金髪を手で抑えて、手すりにそっと寄りかかっている。
その姿はやはり、いづるには女神か天使のように見えたのだった。
「それで、どうしたのです? 勝さん、こんなところに呼び出して」
「ん、まあ……情けない家だと、知ったのさ」
玲奈の声は心なしか緊張しているが、以前ほど
二人は今は普通の
「私の家は……海音寺家は、阿室のおじさんと合わせ鏡の存在さ。おじさんの研究が生み出す利益や権利を管理することで、ここしばらくは生きながらえてきた」
確か、勝の家も大金持ちで、阿室家の……玲奈の父の生み出す利潤や財産、パテント等の管理をしていると聞いている。そのことに対して少し勝が
そうしていづるは頭の中で理解し、納得しようとした。
だが、美男美女の二人がテラスに一緒というのは、どうにも心がざわめくのだ。
「玲奈、これは以前のような……そう、下心や損得の気持ちじゃないんだ。あのね、玲奈」
「ええ」
「君……うちの人間になってくれないか? おじさんも阿室家も捨てて、海音寺家の人間になるんだ。そうすりゃ豊だって……。形だけでもいい」
一瞬、勝の言ってる意味がいづるには理解できなかった。
勝はもう、玲奈との結婚を諦めたと言っていた。それなのに?
だが、勝は熱のこもった言葉に補足を付け足す。
「養子に、私の妹になるんだ、玲奈。海音寺家に。そうすれば、ここ最近の不安な生活は終わり、君も自由を手にすることができる」
ここ最近? 不安な生活?
いったい、玲奈に……阿室の家になにが起こっているのだろうか?
それは、最近時折玲奈が見せる、どこか
だが、いづるが自分の記憶に問いかけている間に、玲奈は
玲奈の声ははっきりと澄み切って、冷たい清水に波紋が広がるように空気中へ
「勝さん……そんな自由、自由と呼べると思って?」
その言葉の意味が全てだった。
どうやら玲奈は、勝の厚意に甘えるつもりはないらしい。
それで勝が息を呑む気配が、いづるにもはっきりと伝わった。
阿室玲奈が海音寺玲奈になっても、本質的に彼女は変わらないだろう。だが、彼女が阿室玲奈であり続けるという自由は、永遠に失われてしまうのだ。
玲奈が父親と不仲なのを、いづるは知っている。
玲奈が母親の話を全くしないのも、不思議に思っていた。
だが、それより気になるのは、ここ最近の玲奈が抱えている不安だ。だが、勝気で強気な彼女は、決して胸の底に
そしていづるは、それを暴きたい訳ではないのだ。
ただ自然に、友人としてでもいいから……助けて支えたいのだ。
そう思っていると、玲奈は静かに微笑んだ。
「ありがとう、と言わなければいけないわね。勝さん。気持ちには感謝します、でも」
「いや、いいんだ玲奈……勝手な申し出だったかもしれない」
「海音寺の御屋敷は、本家は確か千葉ですもの。今、転校するのはちょっと嫌よ。それに、それにね……勝さん。こんな時だからこそ、私は父様を信じてみたいのよ」
「そうか……そうだね、なるほど。そう言ってくれたのは、あの少年かな?」
勝の問いに頬を赤らめつつ、微笑みながら玲奈は頷いた。
それは、夕闇迫る海からの風の中、いづるにはとても眩しく見えた。
そして、それで話は終わりとばかりに勝も肩を竦める。
だが、タイミングを見計らっていづるが声をかけようとした、その時だった。
「……ただ、勝さん。私だって、その……気になるわ! 劇場公開時と同じ声優さんの、VHSテープのガンダムが!」
「え? あ、ああ……見るかい? 一緒に」
「うちにはビデオデッキなんてとうの昔になくなってるし、でもこの別荘ではまだ現役なのよね。私もこっちの別荘に来るのは久しぶりだから」
「マク・ベの声が確か違うんだったね。DVD等とは挿入歌の入りや、効果音なんかも変わってるって……君の方が詳しいよね、玲奈」
「マ・クベよ、勝さん。そうなの、
えらくまた、マニアックなことを玲奈は語っている。
そして、こういう時の玲奈は興奮気味なのだ。
流石の勝も若干引き気味だが、いづるはむしろこういう彼女がなんだか好きだ。
本当に玲奈は、ガンダムが大好きな少女なのである。
そして彼女は、意外なことを勝に話すのだった。
「一番最初に、いづる君には1stガンダムの劇場三部作をみてもらったわ。次はポケットの中の戦争、そしてZガンダム……どれも面白かった、って言ってくれたの」
「そうか。どうだい? 彼とは順調なのかい? 玲奈」
「順調? え、ええ、そそそ、そうね! 順調ね! むしろ絶好調と言うべきよ! そ、そうよ、私たち……とてもいい感じだわ。ただ」
不意に言葉を詰まらせつつも、玲奈は勝から視線を反らした。
そしてゴニョゴニョと、彼女にしては言葉を濁らせる。
「いづる君は、私のこと、好き、だって……でも、私は……友達って、言っちゃったの。あとから知ったわ……友達でいて欲しいって、恋人同士は嫌って意味なのね、世間一般では」
「え……あ、ああ。そうだよ、知らなかったのかい? 玲奈、まさか……」
「いつもね、いつもなの。沢山の人が愛を
「そりゃね、玲奈……告白して『友達でお願いします』なんて言われたら、男はね」
「いづる君は、友達でいてくれるって言ってくれたわ。それが、嬉しかった、けど……今はもう、もっと親しくなりたいの。友達だけじゃ、嫌なの」
意外な玲奈の告白に、いづるは胸の奥が熱くなった。
お友達でいましょう、それは女性が男性を振る
だが、あの時のいづるが緊張感から発した肯定の言葉は、なにも嘘じゃない。玲奈が友達になって欲しいと言ったから。こんな素敵な人を、孤独にさせてはいけないと思えたから。
そうしていると、喋り続けようとする玲奈をそっと手で勝が制した。
それは、思い切っていづるが二人の前に踏み出したのと同時だった。
「あ、あの! あの……晩御飯、やるそうです。バーベキュー」
「あら、いづる君」
「もうそんな時間か。玲奈、先に行ってるよ。海で豊の相手をしてたら、お腹ペコペコさ」
いづるの横を通り過ぎて、勝はリビングへと行ってしまった。
後を追ういづるの横に、そっと玲奈が並んでくる。
どうやら盗み聞きしていたことはバレてはいないらしい……それでも、いづるは玲奈の本音の本心が聞けて、嬉しかった。関係の進展を望む彼女の気持ちに、自分も応えられる人間になりたいと願うのだった。
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