第42話「Toplessの海」

 日陽ヒヨウいづるたちが連れてこられた阿室玲奈アムロレイナの別荘は、瀟洒しょうしゃな白い一軒家だった。海音寺勝カイオンジマサルは「小さい方」と行っていたが、これで小さいのかと思うほどの豪邸だ。映画に出てきそうな建物で、とても綺麗である。

 なにより、徒歩三分で砂浜というロケーションが素晴らしい。

 白い砂は熱く灼けて、海からの潮風しおかぜが肌に気持ちいい。

 だが、いづるの感情は全て、大自然への感謝ではなく思春期特有のたかぶりへと注がれていた。


「わーっ、阿室先輩っ! 水着、とってもかわいいですう!」

「ありがとう、翔子ショウコさんも素敵よ。……私もワンピースにすればよかったかしら」


 楞川翔子カドカワショウコの水着姿には、いづるは取り立てて感動を感じない。いつも見慣れてる彼女が、その太ましさを気にした身体をワンピースの水着で覆っている。ピンクでフリフリがついた、少女趣味っぽいやつだ。

 ただまあ、いつも家事に勤しんでくれている彼女の名誉のために、いづるは心の中で呟いた。

 翔子は太っているのではない、ぽっちゃりと言う程でもない……ただ、むっちりしてて奇妙な肉感むちむちが愛らしいかもしれない。世の男性は皆、ああいうタイプが好きらしいが、どうだろうか。だが、いづるは違う……いづるの視線は、その隣の玲奈に釘付けだった。


「あら、いづる君? どうしたの? 変よ……顔が赤いわ」


 こちらに気付いた玲奈が、腰に手を当て振り向く。

 真っ白なビキニが、白い肌をさらに引き立てていた。洗練されたスタイルは少女のからを既に脱ぎ捨てつつある。女性としての起伏が優雅に豊かで、そのメリハリのきいたラインを細い腰のくびれが強調してくる。腰に巻いた白いパレオには、阿室のAだろうか? 赤くAの文字を崩して一角獣ユニコーンをあしらったワンポイントが鮮烈だ。

 玲奈はドギマギと落ち着かないいづるへと近付いて来る。


「いづる君! 日焼け止めは塗ったかしら? 今日の日差しは強そうよ?」

「え、あ、いや、えっと……その、まだ、です」

「そう、それはいけないわね! そ、その……塗ってあげるわ! と、ととっ、友達として!」

「え? ……えーっ!?」

「そして当然、いづる君も日焼け止めクリームを私に塗るべきね。友達だもの、お互いに助け合うのは当然だわ。なにも不思議でもないし不自然でもないわ、ええ!」


 サラサラと風になびく金髪を片手で抑えつつ、玲奈はいづるのすぐ前までやってくる。

 だが、いづるが緊張に身を固くしつつ「じゃあ」と言った、その時だった。

 突然、玲奈の背後でいつものあの声が響く。


「阿室っ、勝負だ! 今日こそ俺はお前に勝つ……泳ぎで勝負しなさいよ! ハハハハハッ! これで負けろやあ! 萬代ばんだいの白い流星っ!」


 どう見ても富野信者とみのしんじゃです、本当にありがとうございました。

 もとい、富尾真也とみおしんやである。

 鍛え抜かれた肉体は、行き交う浜の女性たちを振り向かせる細マッチョ。加えて何故かブーメランパンツ風の水着だ。男の露出はいらないと、心から思ういづるだった。

 だが、真也はいつもの調子で玲奈に勝負をふっかけてくる。

 すかさず翔子が声をあげた。


「富尾先輩ーっ! 駄目ですよう、今日は遊びに来てるんですからあ」

「安心しろ、楞川! 俺は負けん、今日こそ勝つ。だから安心してそこで見ていろ!」

「もぉ、見てらんないですー! どーしていづちゃんと阿室先輩のこと、邪魔するかなあ」

「それはそれ、これはこれ! さあ、どうする……今日で終わりにするか、阿室っ!」


 真也は抗議に詰め寄る翔子のおでこを、伸ばした手で押し返す。あわれ体格差がものを言って、翔子は頭を抑えられたまま駄々っ子のように手をブンブン振り回すだけだった。

 そして、いづるの目の前で玲奈が溜息と共に腰のパレオを脱ぎ捨てた。

 玲奈はいづるへとパレオを預けて、やれやれと振り向く。


「どうする、ですって? そんな決定権が富尾君にあるのかしら?」

「口の利き方に気をつけてもらおう! どう言われようと、己の運命は自分で開くのが俺だ!」

「……いいわ、その挑戦は受けて立ちましょう。戦士は、生きている限り戦わなければならないのね」


 玲奈と真也、二人は互いににらみ合いつつ海辺へ移動、並が打ち寄せる際へと行って準備運動を始める。いづるが呆気に取られる中、二人は「沖に見えるあのブイまでだ、阿室っ!」「人が人に勝負を挑むなど! ……エントリィィィィィッ!」と、いつもの調子で行ってしまった。

 ぽつねんと残されたいづるは、なんだか少し寂しい。

 そんないづるの背後に気配が立った。


「ねえねえ、勝にーちゃん! 玲奈ねーちゃん、競争してるの? 行っちゃったよー!」

「ハッハッハ、ユタカはまず泳げるようにならないとな。私が今日はみっちりコーチしてやろう」


 浮き輪を持った海音寺豊カイオンジユタカと、その兄である勝だ。

 こうして見ると、勝は均整の取れた長身でさわやか系のイケメンだ。伊豆へ来る途中の車中では、玲奈との結婚は諦めたと言っていたが、やはりいづるには気になる。

 そうこうしていると、兄弟二人は仲良くいづるに手を振り行ってしまった。

 いづるは寄ってくる翔子と取り残されたが、二人きりという訳でもない。


「いづる、お前も翔子と泳いでこい。お嬢様ならすぐ戻ってくる」

「あ、海姫マリーナさん。……あれ? 海姫さん、水着は……?」


 ビーチパラソル等の荷物を持って、来栖海姫クルスマリーナがやってきた。彼女は無愛想な仏頂面ぶっちょうづらに似合わぬアロハシャツで、ステテコにビーチサンダルだ。相変わらずの無表情で、敷物を敷いて荷物を置き、日陰ができるようにパラソルを立てる。

 海姫という字面じづらのキラキラネームなので、てっきり海が好きなのかといづるは思っていた。

 だが、荷物の見張り役を決め込んだ海姫は、体育座りで敷物上に膝を抱える。


「……いづる、私は……その、泳げないんだ。カナヅチなのだ」

「へ? え、あ、ああ……そう、なんですか」

「お嬢様を頼むぞ、いづる。お嬢様を守るのが私の仕事だが、海では無理だ。私には、ゲッター3や大空魔竜だいくうまりゅうのような水中の力が……ない、のだ」

「はあ」


 少し海姫は落ち込んでるようだが、そうこうしているとガシリ! と横から翔子が腕を抱いてくる。彼女がいつも通り、何の気なしに密着してくるので、流石のいづるも二の腕に触れてくる弾力を意識してしまった。

 普段、おかんキャラははおやがわりであるという以外に翔子を考えたことなどない。

 だが、乙女チック全開のフリフリ水着を着た翔子が、グイと顔を寄せてくる。


「いづちゃん、わたしたちも泳がないと! 阿室先輩、追いかけないと!」

「あ、ああ、うん。えっと、これは」

「海姫さん、これ! じゃあ、いこ、いづちゃん! いこいこぉー!」


 玲奈のパレオを海姫に預けるや、翔子はいづるの腕を抱きつつ引っ張り歩く。引きずられるように歩調を合わせるいづるは、ようやく翔子から腕を引っこ抜いて振り払った。


「そんなベタベタするなって。行くからさ」

「いづちゃん! 富尾先輩はわたしが見ててあげるから、阿室先輩と二人きりのムードを作るんだよ! それでね、二人で海に沈む夕日を見たりね!」

「夕日? いや、ここ太平洋だけど……東側だけど。あと、まだ昼前だけど」


 いづるの言葉に翔子は、むー! と頬を膨らませた。

 こうして見ると、意外と翔子もかわいい部類なのかもしれない。だが、彼女はいつもいづるのパンツを洗ってくれて、部屋の掃除をすればベッドの下のエッチ本を机の上に出して無言の圧力プレッシャーをかけてくるのだ。

 幼馴染の腐れ縁が恋に発展する可能性は、どうやら少なそうだ。

 皆無とさえ言っていい。


「とにかく、そのうち阿室さんなら帰ってくるし……ほら、見ろよ」

「あれえ? ホントだ、早いねえ。……? どしたんだろ」


 真也との競争は終わったのだろうか? 玲奈は海の上に顔だけを出してこちらへ戻りつつある。だが、真也の姿は見えない。

 玲奈はいづるには、どこか不安そうに目をうるませて見えた。

 そう感じた瞬間にはもう、首を傾げる翔子を置き去りに走っていた。

 いづるは波打ち際へと割って入り、そのまま身を投げ出して泳ぎ出す。水泳は得意でもないがカナヅチでもない。なんでもそつなくこなすいづるにとって、玲奈までの距離は苦にならなかった。

 だが、意外な言葉がいづるへと突き刺さる。


「いづる君、駄目よ! ……来ちゃ、駄目」

「えっ? あ、あの、阿室さん?」

「駄目ったら駄目、駄目なの!」


 そして、いづるは近くまで泳いでいってようやく理解した。

 頬を赤らめ口元まで海に浸かる玲奈……時折波間に浮かぶその肩には、水着のひもが見えない。そればかりか、揺れる波の起伏に胸元があらわになりそうだ。

 玲奈は、真也との競争に夢中になって、どうやら水着の上を流されてしまったらしい。

 器用に立泳ぎする玲奈は、片手で胸を抑えている。

 だが、彼女の豊満な双丘そうきゅうは、なまじ隠せば隠すほどになまめかしく見えた。


「あ、えと、その……阿室さん」

「もっ、駄目だぞ! 駄目、なんだから……迂闊うかつだったわ。水着が脱げて流されるなんて」

「あー、うん。翔子! 阿室さんを頼む。僕はなにか……そうだ!」


 翔子に玲奈を任せて、いづるは海岸へと取って返す。

 さっきのパレオでも巻いておけば、なんとか無事に岸まで上がれるだろう。急いで海姫の元へと戻ったいづるは、事情を説明しつつ荷物からそれを引っ張り出した。


「水着を? 流されたのか、いづる。お嬢様が。ふむ……」

「急がないと周りが気付きます、ちょっと行ってきますね!」


 慌てて玲奈の元に戻って、いづるはパレオを手渡した。それを玲奈は胸に巻いて、なんとか浮かび上がる。

 だが、薄布一枚というのはまた刺激的ないでたちで、かえって……

 いづるは思わず、ようやく浜辺へと上がった玲奈を見て喉を鳴らした。


「ふう、危なかったわ……たかがビキニをやられただけ、とは言い難いものね」

「気をつけないと駄目ですよお、阿室先輩っ! あ、こらー、いづちゃん? エッチな目で見てたでしょ、めぇーっ! ですからねっ!」


 海姫の待つ荷物へと戻ると、玲奈はパーカーを羽織はおってようやく身体のラインを隠す。すかさず海姫は、予備の水着を荷物の中から何点か見せてくれた。

 だが、海姫はカナヅチだからだろうか……そのラインナップは、一言で言って微妙だ。


「危うくトップレスになるとこだったわ、海姫。替えの水着を」

「フレクシン発光はなさそうですし、エキゾチックマニューバをお嬢様が――」

「そのトップレスじゃないわよ、海姫。で? これは……スクール水着、ね。これを私が? ナンセンスだわ」

「では、これはどうでしょう。ご安心を、現状で水着の品揃えは100%完璧です」

「布地が少ないわ」

「あんなのは飾りです。お屋敷の偉い人にはそれがわからないのですよ」

「流石に、これは……紐だわ、ただの紐。これではいい道化よ」

「では、こちらはどうでしょう」

「ちょっと子供っぽくてよ。私、キャラクター物は中学生で卒業したの」

「ダンクーガはお嫌いですか? ゴーショーグンもありますが」

「それは貴女あなたが着なさい、海姫。……ガンダムはないのかしら」

「私はガンダムは嫌い……というか、好きではありません。……まだ」


 結局、まともな水着は一着もなかった。しぶしぶ玲奈は、青と白の横縞ボーダーが入った古めかしい水着を手にする。水着というよりは、シャツと一体化したスパッツみたいなもので、モノクロの映画に出てきそうなやつだ。

 それを手に玲奈は、海の家の更衣室へと翔子と去ってゆく。

 見送るいづるは、なんだか少し残念な自分を破廉恥ハレンチな男だと思うのだった。

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