伊豆の海へ愛をこめて

第41話「太平洋、微笑んで」

 青い空、白い雲……夏、到来。

 夏休みに突入した日陽ヒヨウいづるは何故か、大きなフォルクスワーゲンのワンボックスに乗っていた。というよりは、積み込まれていたと言える。急激に加減速を繰り返しながらワインディングロードを横滑りする車体では、一番後ろの席のいづるは荷物にも等しい。

 シートの隣には当然のように阿室玲奈アムロレイナがいて、一緒に揺られている。


マサルさん! 暴走なんて話、聞きたくありません。あなた、みんなの車の運転手なのでしょ!」


 そう、ハンドルを握っているのは玲奈の従兄弟いとこ……海音寺勝カイオンジマサルだ。

 お調子者の彼がアクセルを踏み込むので、リヤに搭載された空冷OHVの水平対向四気筒フラットフォーえる。コーナーでの荷重に負けて車体が傾けば、自然といづるは遠心力で玲奈の胸に顔を押し付けられた。

 嬉しいような、しかし生きた心地がしないような。

 そもそも、何故いづるがいつものメンバーで勝の車に乗っているかというと……その理由がようやく、道の向こうへと見えてきた。


「見て見て、いづちゃん! 海だよ、海だよぉ!」

「海水浴に付き合って早々に伊豆いずに到着か。俺は運がいい」


 そう、楞川翔子カドカワショウコ富尾真也トミオシンヤも一緒で、伊豆に海水浴の一泊旅行である。助手席では乱暴な運転にも眉一つ動かさぬ来栖海姫クルスマリーナも一緒だ。

 勝が先日のお詫びにと、いづるたちを誘ってくれたのだ。

 まだ玲奈のことを諦めてないのかとも思ったが、断る理由はない……なにより、玲奈のたっての願いというのもあって同行した。いづるはこうして玲奈と一緒の車中は嬉しかったし、車が慣性ドリフトで滑るように走る中、シン・アスカもビックリのラッキースケベは幸運だ。

 確かに海水浴、嬉しいし楽しい。

 だが、並んで座る玲奈との間には今、意外なお邪魔虫がいたのだった。


「わーい、にーちゃん運転すごーい!」

「はっはっは、そうだろユタカ! 会社じゃ尻で椅子を磨く仕事しかなくてね……名誉職の辛いところさ! おかげで暇を見ては外回りにドライブしてたんだよ」


 玲奈の膝の上で、海音寺豊カイオンジユタカが無邪気に歓声をあげる。

 いづるはつい、その存在を若干うとましく思った。豊は勝の弟で、玲奈がかわいがってる従兄弟だ。彼はいづるの気持ちも知らず、堂々と玲奈の胸を枕に寄りかかっている。

 なんて羨ましい……そう思っていた瞬間、急激な減速で車はヘアピンへと鼻先をこすりつける。勝は目にも留まらぬシフトダウンを繰り返しながら、真横へと走る車体をコントロールしていた。今度は抱えた豊ごと、玲奈がいづるの胸に飛び込んでくる。


「だっ、大丈夫ですか!? 阿室さんっ! と、豊君も」

「へっ、へへ、平気よ! 大丈夫だわ、ええ。補助席がもろい分、身体は頑丈だもの」

「あー、玲奈ねーちゃん顔赤いよぉ? わかった、彼氏さんにギューってされたからだー」


 豊の無邪気な言葉に、玲奈は否定も肯定も返さなかった。

 三列シートの中央から振り返る翔子と真也とが、ニマニマと締まらない笑みを向けてくる。玲奈はツンケンと声を尖らせつつ、咳払いをしていづるから離れた。


「彼氏とは違うのよ、彼氏とは! ……と、とっ、友達、なんだから……まだ、友達、だもの」

「えー? そうなのー? 玲奈ねーちゃん、ボクと結婚するまではいいけど、浮気しちゃ駄目だよー?」

「どこでこういう言葉を覚えてくるのかしら……はっきり言うわね、気に入らないわ。ふふ、駄目だぞ? 豊君」

「いたた、いたーい! いひゃいいたいふぉめんなふぁーいごめんなさーい


 クスリと笑って玲奈が、豊の両の頬をつねって引っ張る。

 その間にやっと、車は平坦な道へ出てなだらかな坂を下り始めた。

 向かう先にはもう、見渡す限りの海が広がっている。ようやく落ち着きを取り戻した社内で、バックミラーの中の勝が小さく笑う。


「でも、いづる君。今回は本当にありがとう、以前のおびがしたくてね。ハハハ、流石に玲奈にピシャリと言われちゃ、結婚は諦めるしかないけど」

「けけけ、結婚ー!? い、いづちゃん、どういうことなの!?」

「ほう、結婚? ふん! 近親者は無理難題をおっしゃる」


 結婚の言葉に翔子が仰天の目を向けてきて、その横では真也が鼻を鳴らす。そういう訳でいづると玲奈は、以前の恋人を装った一幕を話す羽目はめになった。あの時は確かに、勝は随分と横柄で、人が良さそうなだけにタチが悪い感じがしたが。だが、今日の彼は謝罪もしてくれたし、なにより海へと誘ってくれたのだ。

 いづるは今でも、本気で怒った玲奈のことを覚えている。

 自分のために起こってくれた玲奈を、ずっと忘れないだろう。


「そうそう、別荘で一泊の間にみようと思ってね! ガンダムのテープも沢山持ってきたよ。私も久々の休暇だからなあ! ガンプラも持ってきたし、寝る前に読む小説版だって」

「VHSのテープ……こ、こんな古い物を? 勝さん、ガンダム欠乏性にかかって」

「しょうがないだろ、玲奈。小さい方の別荘にはビデオデッキしかないんだ。でも大丈夫、沢山持ってきたから! ハッハッハ!」


 勝は上機嫌でハンドルを握り、隣では無表情に海姫が地図を見ながらナビを務めている。クラシカルなバンが走る風景は、次第に伊豆の海を望む潮騒しおさいの街へ滑り込んでいった。

 饒舌じょうぜつな勝は、目を白黒させる翔子や真也にも親しげに言葉をかけてくる。


「本当は大きい方の別荘を借りたかったんだけどね。なに、阿室のおじさん、つまり玲奈のお父さんの所有物さ。管理やなんかは、関連会社の私たちに丸投げだけど」

「わーっ、阿室さんの家って改めて、こう……大金持ちなんですねえ!」

「そうさ、翔子ちゃん。阿室のおじさんは凄い研究をしてるからね……今までの研究のパテントだって膨大な数だし。……ただ、最近ちょっとね……だからかな? 別荘もなんだか」


 勝が口調をかげらせたのは、いづるの隣で玲奈が「勝さん」と声を凍らせたのと同時だった。膝の上の豊が見上げる中、不思議と玲奈は少し表情を強張らせている。

 そこにいづるは、どこか落ち着かない不安のようなものを感じた。

 だが、すぐに玲奈は笑顔を取り戻す。


「ほら、昨日も関東一帯に余震があったでしょう? 最近多いのよ、だから」

「ああ……こっちも結構揺れたんでしょうか。都心は震度2だって言ってましたけど」

「きっと、ね」


 まるでいづるを安心させるように、無理に作ったような笑顔を玲奈は向けてくる。常に玲奈を、玲奈だけを見てきたいづるにはわかる……彼女の笑みはいつも、凛として涼しげな中にも温かみがある。彼女の持つ豊かな情緒が、自然と笑顔を象るのだ。

 どこか演じているような、そんな顔は似合わない。

 そう思った、その時だった。


「そうそう、最近は私はジ・オリジンにはまっててね……やっぱりいいね、一年戦争の時代は! 今度は1日いちにちザクを買ってしまったよ」

きゅうザク、ね……勝さん」

「そうだっけ? うん、それだよ。やっぱり1日ザクというからには、一年戦争には365機必要なのかなあ? あと、そうだね……小説で今、センチメンタルっていうのを」

「ガンダム・センチネルかしら」

「そうそう、それを読んでてね。主役のスーパーガンダムも買ってしまった、ハッハッハ」

「……SはスペリオルのSよ、スペリオルガンダムよ」


 悪びれた様子もなく、上機嫌で勝は運転を続ける。

 玲奈はやれやれと肩をすくめて苦笑しつつ、どうやら怒ってはいないようだ。翔子はこの短時間で勝の人となりというか、性格を察知したらしくチベットスナギツネみたいな顔になっている。横の真也はと言えば、


「海、か……海! オーシャン! 海と言えばジオン水泳部、制海権はジオンにあり……水陸両用モビルスーツといえばジオンだ。連邦にはまともな水中戦対応型の機体がないしな!」


 玲奈に負けず劣らずのガノタっぷりを発揮して、一人海へと視線を投じていた。

 その言葉を聞いて、豊が「そうなの? 玲奈ねーちゃん」と聞いてくる。勿論、そういう話を振られた時の玲奈は瞳を知的に輝かせるのだった。


「ザク・マリンタイプ、ゴック、アッガイ、そしてズゴックにゾック……確かにジオンの水陸両用モビルスーツは多彩ね。対して、連邦にはアクア・ジムくらいしかないわ」

「あ、そうなんですか……水中用のガンダムとかないんですか? 阿室さん」

「そうね、水中型ガンダム、いわゆるガンダイバーというものがあるけど。ただ、アニメの作中ではガンダムは汎用性の高い万能型モビルスーツだから、意外と海でも戦えるのよ?」


 威力は大幅に落ちるが、ビームライフルやビームサーベルも使えるという。元々が無敵の強さを誇る一騎当千いっきとうせんのガンダムである、戦場を選ばぬ強さがあるということだろうか。

 だが、前の座席で背もたれの影から、真也が顔を覗かせ眼鏡のレンズを光らせる。


ZZダブルゼータのカプールなどもそうだが、やはりジオンの水陸両用モビルスーツは、あれはいいものだ」

「そもそも、スペースノイドで宇宙軍が基本のジオンが、どうして水陸両用モビルスーツにあんなにこだわるのかは、少し面白いのだけど。ね、富尾君?」

「うむ、恐らく地球降下作戦の後、ジオン軍は制海権を握りたかったのだ。地球の七割は海だからな! マッドアングラー等の潜水艦まで短期間で建造、就役させている」

「やっぱり、こう……一年戦争の時代って少し凄いわよね。準備期間はあったにせよ、一年でジオンが一気に地球のアチコチに侵攻したんだもの」


 そうこうしていると、二人の会話を聞いてウズウズしたのか、豊がハイハイと手をあげた。彼は満面の笑みで、またも難しい話題を持ち出してしまう。


「ねえねえ、富野信者とみのしんじゃにーちゃん」

「富野信者は苦労する番なのかよ。おれの名は真也。富尾真也だ!」

「真也にーちゃん、水陸両用モビルスーツって、?」


 子供は最強議論が好きだなと、いづるは改めて思った。

 そして、本物の子供を前に童心フル回転な人間が二人いたのだった。


「豊君……水陸両用モビルスーツ最強は、いえ……霊長類最強はアッガイよ! ジオニック社の汗と涙の結晶だわ」

「豊少年! 騙されるな、真に強いのはズゴック、シャア専用ズゴックなのだ! ジャブローに散るっ!」

「富尾君っ、また子供に嘘を教えて……富野作品しか知らぬ貴方に、そんなことが言えて?」

「愚問だな、阿室っ! アッガイなど体育座りがかわいい萌えキャラ、ゆるキャラ枠に過ぎん」


 また始まったかと、いづるは肩を竦めてシートに沈む。


「ハッハッハ、二人共好きだなあ。私は新しい物が強いと思うがね、ええと……ガーゴイル?」

「勝さんは運転に集中して! 余所見をするものではなくてよ!」

「……ハッ、Vガンダムのガルグイユのことを言ってるのか! だが、水圧で浸水する水中用など、認めはせん! 認めはせんぞぉ!」


 なかなかに盛り上がってるようで、結構なことだといづるは先程の不安の違和感を忘れてゆく。そして、そんないづるに小声で翔子が唇を寄せてきた。


「いづちゃん、海で好感度アップ作戦だよぉ……わたし、応援するからね! 援護は任せて! ガナー・ザクウォーリアのルナマリアくらい援護するよ、任されてえ!」

「またマニアックな……それさ、命中率悪いことで有名なキャラじゃなかった? ……いつもサンキュな、翔子」


 そんな一同を乗せたバンは、軽快な走りで別荘が立ち並ぶ一角へと走ってゆく。いづるにとって忘れられない夏の始まりだった。

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