第40話「わたしの夢はカップル成立です」

 明日は終業式、それが終われば夏休みだ。

 今日も今日とて、楞川翔子カドカワショウコは家事に忙しい。勿論、幼馴染の日陽ヒヨウいづるの世話だ。基本的にいづるは自分でもアレコレやるが、目を離すとすぐに楽をしようと手を抜くことがある。平々凡々へいへいぼんぼんに暮らしてる無個性少年の、無駄に器用で効率的なサボタージュは、これはもはや才能だと翔子は思っていた。

 翔子にとっていづるは、親友であると同時に手のかかる弟、そして家族だ。

 そんないづるにとって、阿室玲奈アムロレイナとのアバンジュールが始まろうとしている……少しさびしい気もするが、翔子は力一杯精一杯応援するつもりだった。


「まあ……いづる君、かわいい。小さい頃もかわいかったのね」

「も、ってどういう意味ですか、阿室さん。……かわいい、は男には微妙だなあ。あんまし、嬉しく、ないかも」

「あら、ごめんなさい? でも、昔から翔子さんと仲良しなのね」

「ええ、物心ついた頃にはもうずっと一緒でした」


 翔子が出してきた古いアルバムを見せたら、案の定玲奈は飛び付いた。主に翔子の両親がった写真で、いづるはなかば楞川家の子供として写ってる。

 洗濯物をたたみつつ、翔子は並んでアルバムのページをめくる二人を見守った。

 こうしていると、いづるももう立派な少年、お年頃の男の子だ。

 なんだか無性に懐かしくて、翔子は手を止めしばし追憶へと思惟しいを巡らせる。


                  ※


 それは、今みたいな夏の始まりだった。

 当時、隣の日陽家にはお姉さんが一人で住んでいたのだ。お父さんもお母さんもいない、一人暮らしの女の子……高校生だったお姉さんが、翔子にはとても大人に見えた。

 なんだか、アニメで見る魔女っ子やアイドルのように見えたのだ。

 翔子は昔から、アニメばかり見てテレビにかじりついていた子供だった。


「あら、翔子ちゃん。こんにちは。お父さんとお母さん、いるかな?」

「こんにちはー、おねーさん! んとね、ちょっとおかいものー」

「そうなの。あ、そうだ……紹介するわね、翔子ちゃん。この子、私の新しい弟。うちで引き取ることになった新しい家族、いづるよ」


 翔子はその時、お姉さんの足にしがみついて後ろに隠れてる男の子に初めて出会った。それは、後に十年以上の腐れ縁になる、いづるだった。確か、お互い四歳か五歳くらいだったと思う。

 おどおどと落ち着かなく、翔子の視線から逃げるようにいづるは震えていた。


「いづる、ほら! この子はお隣さんの翔子ちゃん。大丈夫よ、平気だから」

「こんにちは! わたし、かどかわしょーこ! よろしくね、いづるくんっ」

「あらあら……恥ずかしがり屋なのね。それともやっぱり……ううん、でも時間が必要なのは父さんも母さんもわかってたし。あせっても駄目よね」


 お姉さんは難しい顔をしたが、その時の翔子には理解不能だった。

 かなりあとで知ったが、いづるは貰われっ子、養子だったのだ。事故で両親を失い、日陽家に引き取られたのである。その日陽家も父母が仕事で不在、しばらくいづるは義理の姉と暮らしていた。自然と翔子は、そんないづるの身の回りの世話をするようになった。

 義理の姉がとついでからは、気付けば翔子はいづると家族みたいになっていたのだ。


「あ、ちょっとごめんね……電話だわ。父さん? ええ、ええ。今さっき、いづるを引き取ってきたわ。施設の人ってば酷いのよ? もう――」


 お姉さんは鳴り出した携帯電話を手に、通話に応じて離れてゆく。

 ぽつねんと取り残されたいづるは、不安そうにうつむいていた。

 そんないづるに翔子は、旺盛おうせいな好奇心と探究心を総動員して話しかけたのだ。その時のことは今でも、はっきりと覚えている。


「ねーねー、いづるくん!」

「……う、うん。な、なぁに?」

「いづるくんのこと、んとー、えとぉ、いづちゃん! いづちゃんてよんでいい?」

「えっ? あ、うん」

「いづちゃん、どこからきたの! わたしときょうから、おとなりさんだよ? なかよくしようねー」


 今思えば、子供故に翔子は無邪気な残酷さを持っていたんだと思う。

 そしてそれは、当時高校生だったお姉さんだって一緒なのだ。

 大人不在の中に放り込まれたいづるが、おとなしい子供に育ったのも無理はないと今では感じている。特徴がないのが特徴とさえ言える、全てにおいて平均点な少年へといづるは成長したのだ。

 その最初の一歩、初めて会った日の記憶が翔子の中から浮かび上がる。

 いつもは胸の底に押し込めて沈めた、懐かしくも切ない出会いだった。


「いづちゃんは、アニメとかみるー? わたしはね、タイバニとか好きだよ! あとね、そだねー、んと……うたの☆プリンスさまとか」

「え、えと、んと」

「ぎんえーでんっていうのは、このあいだみたけどむずかしいの……わけわかんない、けど! でもね、かーっこいいおじさんやかーわいいおとこのこが、イチャイチャするんだよ!」


 楞川翔子、昔からくさっていた。

 桃色の脳細胞が腐って発酵はっこうした、腐漏児ふろうじだったのだ。そして今は立派な腐女子ふじょし、ゆくゆくは貴腐人きふじんへ至る未来が約束されている。

 どういう訳か翔子は、小さい頃から夢見がちな子供だったのだ。

 そして、男同士の熱い友情やライバル関係が、自然とだと思い込んでいたのだった。


「ぼ、ぼく……テレビ、あんましみないから」

「そなんだー? えっとぉ、おとこのこは、どんなアニメみるんだろぉ」

「……え、えっと、えとね」

「あ、そうだ! ガンダムはー? ガンダムって、よーちえんでもおとこのこはみんなみてるよ?」

「ガン、ダム?」


 翔子の幼少期にも確かに、ガンダムは存在していた。

 当時からテレビでは、ガンダム作品が放送されていたのだ。

 あるものは再放送で、またあるものは本放送で……都心部でチャンネルには恵まれていたので、小さい頃の翔子は夢中で手当たり次第にアニメをみていたのだ。

 だが、その楽しみ方が必ずしもまともだったとは言い難い。

 何故なら翔子は、生粋の腐女子、生まれながらの801ヤオイエリートだったのである。


「んとね、ガンダムってね、すーっごくおもしろいよ? キラとね、アスランがね、こう……キラァァァァァ! アスラァァァァァン! ってたたかって、なかなおりして……そしてむすばれるのぉ」


 きゃっ! と嬉しそうに翔子が笑う。

 だが、当時のいづるは反応の薄い子供だった。

 今思えば、人形みたいだった感情の希薄ないづるが、こんなにも立派に成長したのが翔子には嬉しい。不思議と母性本能をくすぐる少年は今、一人前に恋までして意中いちゅうの人と急接近なのだ。

 やはり一抹の寂しさを感じるが、同時に成長が凄く嬉しい翔子だった。

 そして、そんな翔子も幼少期は無自覚にBLボーイズラブをいづるに押し付けていた。

 それはしくも、ガンダムを押し通すことでしか人と接することができなかった、幼い頃の玲奈に似ていた。


「ダブルオーもおもしろいんだぁ。ロックオンがね、ティエリアとむすばれちゃうのにね、しんじゃって……でも、ふたごのおとーとが、そのあいをひきつぐのぉ」

「え、えっと……ガンダム、って……ロボットがでてくるんだよね?」

「あー、うん。でてきたかなあ? でてきたかも。おとこのこはすきだもんね、ロボット!」


 相変わらずお姉さんは電話で難しいことを離してて、時々肩越しにチラチラといづるを見やる。その視線に不安を隠さぬいづるの手を、翔子は躊躇ちゅうちょせずガシリと握った。

 なんだか、目の前の男の子は今にも消えてしまいそうだったから。

 消え入りそうな程に心細い、そんな彼の手を翔子は握り締めた。


「きょう、いづちゃんもうちにおいでよぉ? おねーさんといっしょに、うちでゴハンたべて? ね? ねっ? そしよ、そうしよーぉ!」

「う、うん。でも」

「しんぱいしないで、わたしにまかせて! わたし、いづちゃんとおともだちになるね。おともだちだから、ずっといっしょにまもってあげる! そして、いつかいづちゃんにかっこいーがくるまで……わたし、おーえんするからねっ!」


 この頃から翔子は、完全に男×男ホモカップルがデフォルトな子供だったらしい。

 そのことに関して無自覚なまま、翔子の意識は現在の時間軸へと戻ってくる。僅か数十秒の回想の中で、翔子は改めていづるの保護者兼幼馴染として、しっかり支えてやろうと心に決めたのだった。

 それがどこかチクチクと、胸の奥の柔らかな場所を刺してきても構わない。

 なぜなら、いづるの幸せが翔子の幸せ、二つは同義にして同一だから。


                  ※


 ふと視線を戻せば、リビングに二人並んでいづると玲奈がアルバムを見ている。こうして眺めると、両者の間にはもう既に特別な空気が行き交っているのが翔子にはわかった。

 それは間違いなく、好意と好意とが呼び合い交わった雰囲気だ。

 だが、一度普通のお友達であることからスタートした二人の関係は、対外的にはずっと友達以上でも友達以下でもない。友達以外へと変わるのは、まだまだ先のように思われるのだった。


「あら? いづる君、この人は? さっきの写真にも、いづる君や翔子さんと写ってたわ」

「ああ、姉さんです。姉の日陽あかり……義理の姉ですけどね」

「そういえば、お姉さんが一人いるって言ってたわ。ふぅん、そっか……つまり、いづる君がガルマなら、お姉さんはキシリアってとこかしら。あ、でもまって、義理の姉弟だから」

「阿室さん? あ、あの」

「ベルリとアイーダ! でもないわね、えっと……クーデリアには異母兄弟の兄が三人、でもこれはボツ設定というか、本編では使われなかったから」


 相変わらず玲奈は、一人でガンダムワールドへと旅立ってしまう。

 だが、そんな玲奈を隣で見守るいづるの眼差しは温かい。それがもう、翔子には眩しいくらいだ。全てに対して独りだったような、孤立感ばかりつのらせていたいづるが……今は輝いている。

 その姿が眩しくて、眩しくて……もう翔子には、直視できそうもない。

 手を引き背を押してきた日々が、もうすぐ終わるのかもしれないと、ふと思ったりもした。


「阿室さん、あかり姉さんは随分前から僕の本当の姉ですよ。本物である以上に、姉っていうか、姉弟の仲は凄くいいです。お嫁に行く日なんか僕、泣いちゃいましたもん」

「そうなの……家族って、いいわね。血よりも濃い絆で結ばれてる、鉄華団みたいなものかしら。……羨ましいわ。血が繋がってても私なんか」

「阿室さん?」

「ううん! なんでもないの、それより……いづる君の思い出の写真を見てたら、私も欲しくなっちゃったわ。いづる君、今年の夏は思い出を作るぞ? ねっ、翔子さんも!」


 振り向く玲奈の微笑みに、自然と翔子も笑顔になった。

 この恋は今、友人同士という歯痒はがゆくもこそばゆい関係に停滞しているが……二人はやがて再び動き出す。互いの距離を縮める日がくる。

 翔子はこの時、漠然とだがそう思っていた。

 しかし、その瞬間に至る過程と、その結果が……ああなるとはこの時、想像もしないのだった。

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