第39話「祭の中」

 期末テストも無事終わり、日陽ヒヨウいづるにとって高校生活最初の夏休みが近付いていた。それも、阿室玲奈アムロレイナと一緒の夏休みである。

 友達同士というもどかしい関係すら、今は嬉しくてたまらない。

 玲奈は海水浴やコミックマーケット等、普段とは違う夏に今からワクワクが抑えられないようだ。そして当然、第一の友人であるいづるとしては、彼女に夏の楽しみを提供しなくてはと意気込む。

 そんな訳で、今日は日も落ちた中、近所の神社の縁日えんにちにいつもの仲間たちと来ていた。


「素晴らしいわ、見事なチョコバナナね」

「わたしもそう思いますぅ~」

翔子ショウコさん、バナナにチョコレートのトッピングは済んでいるのかしら?」

「はっ、はい! ……見れば、わかると思いますけどぉ」

「では、試してみるわ」


 薄暗がりの中に浮かぶ左右の提灯ちょうちんが、出店や屋台を照らして等間隔で境内けいだいへと続く。楞川翔子カドカワショウコ富尾真也トミオシンヤも誘っての夏祭なつまつりで、いづるはそぞろに人混みの中で玲奈に続いて歩いた。

 玲奈は手にしたチョコバナナを、瞳を輝かせて頬張っている。

 なんというか、いづるはついつい不謹慎なことを考えてしまう。

 やはりというか、言うまでもなくいづるはムッツリスケベだった。

 だが、今夜の玲奈がいつにも増して魅力的なのには訳がある。


「美味しいわ……これが、チョコバナナ。翔子さん! 次は私、たこ焼きも食べてみたいわ」

「りょーかいでーす! あ、阿室先輩、気をつけてくださいねえ。食べ物、浴衣ゆかたにつかないようにしないとぉ~」

「大丈夫よ、当たらなければどうということはないわ」

「でもでも、阿室先輩の浴衣、すっごーく素敵です!」


 そう、浴衣なのだ。

 今日の玲奈は浴衣姿なのだ。

 白地に菫柄すみれがらの質素なあつらえが、かえって玲奈の美しさを引き立てている。相変わらずVの字に突き立つアホ毛はそのままに、長い金髪をポニーテイルに結ったキュートな姿。浴衣を着て帯を締めた今日の玲奈は、いつもとは違う雰囲気がとても魅力的だった。

 ついでだが、翔子はゴスロリ調のフリルとレースがついた浴衣に、リボン風の帯だ。

 さらにどうでもいいが、最後尾を歩く真也も浴衣姿に懐手ふところでである。

 いづるが玲奈の浴衣姿に、その白いうなじに見とれていると……視線を感じたのか、振り向いた玲奈は僅かに頬を赤らめた。


「いづる君、みんなも。今日はありがとう。私、夏祭に来るなんて初めてだぞ?」

「い、いえっ! こういうの、好きかな、って……庶民的だし、なによりお祭りって楽しいし。珍しい物も沢山食べられるし」

「……もう、いづる君? それじゃあ私が、いつも食物のこと考えてるみたいじゃなくて?」

「あ、いやあ、すみません……」

「ふふ、でも当たらずとも遠からずよ。さあ! 次はたこ焼きよ……いづる君、私を導いて頂戴! ……あら?」


 周囲には食物を売る店の他にも、金魚すくいや輪投げ、射的なんかが並ぶ。どれも玲奈にとっては珍しいらしく、彼女は翔子と連れ立って店から店へと忙しい。

 そうこうしていると、後ろから追いついてきた真也がいづるに声をかけてきた。


「いづる少年」

「あ、富尾先輩。今日はありがとうございます。その、二人っきりだとやっぱり……変に意識しちゃって。でも意外でした、どうして誘いに乗ってくれたんです?」

「君を笑いにきた。……そう言えば、君の気が済むのだろう?」

「いやあ、ホントですよ。でも実際、笑えないですけどね。阿室さんの笑顔を見てると、なかなか踏み出す勇気もない反面、今が一番いいのかもなあ、なんて」

「……これが若さか」


 そうは言いつつ、苦笑気味に笑って真也はポンといづるの肩を叩いた。

 彼は彼で、右から左にと出店を見て回る玲奈に、その隣にいる翔子に目を細めていた。


「ふん……阿室もだが、楞川の奴は食い意地が張ってるな」

「あー、そういえば……体重とか気にする割に、ガンガン食べるんですよね。家でも滅茶苦茶めちゃくちゃ食べるんです」

「太ってる訳ではないのだが、気にし過ぎだ。……ティーンエイジャーとはこういうものか!」


 珍しくいづるとの会話を弾ませながら、真也はポリポリと指で顎をかく。

 そうしている間にも、玲奈は翔子と型抜かたぬき屋をのぞいたり、スーパーボールすくいを冷やかしたりしている。本当に楽しそうな笑顔で、隣の翔子の笑顔も相まって眩しい。

 華やいだ二人の少女は、まるで仲睦なかむつまじい姉妹のように笑みを交わし合っている。

 こうして見ると、やはり玲奈は普通の年頃の少女だ。

 ロシアの荒熊あらぐま風に言えば、彼女は乙女だ、ということであろう。


「しかし、いづる少年……君も縁日くらい浴衣とか着なさいよ! なにやってんの!」

「え、あー、いやあ。ついいつもの格好で来ちゃいました」

「……やっぱり、その、いづる少年だと、あれだ……楞川が着付けてくれるだろうに」

「そうですねー、浴衣も家にあるんですけど。翔子に聞かないと、どこに仕舞しまってあるかわからないし」

「そ、そうか。楞川はやはり、面倒見のいい奴なのだな。いづる少年の世話をいつも……なあ、いづる少年。楞川には、その、彼氏とかは――」

「あれ? なにやってるんだろ、阿室さん。なんか様子が……行ってみましょう、富尾先輩」


 なにか言いたげだった真也の声を遮り、目の前の異変にいづるは足を速める。

 とある出店の前で玲奈は、驚愕の表情に固まっていた。そして、その横で不思議そうに首を傾げる翔子もまた、玲奈を心配しているようだ。

 玲奈はワナワナと震えつつ、駆け寄るいづるをゆっくりと振り向いた。


「どっ、どうしたんですか! 阿室さん!」

「え、ええ、大丈夫よ。でも、その……いづる君、見て」

「え? ひもくじ屋がどうかしたんですか?」

「そう、くじなのね……この紐を引っ張るのね! それでもしかしたら……あれが」


 玲奈はビシリと、紐くじ屋のケースの中にぶら下がる景品の一つを指差した。

 そこには、やたらデカい箱に入った、紅白に塗られたガンダムが鎮座ちんざしていた。


「GFFのディープストライカーが! 当たるかもしれないのね!」

「えっ? ディ、ディープスロート!? あっ、ああ、阿室さん! そんな」


 すかさず真也が、いづるの脳天にチョップを落とした。

 そして、いづるの破廉恥はれんちな発言を華麗にスルーして、玲奈はわななきながらもゴクリと喉を鳴らした。


「GFF……GUNDAMガンダム FIXフィクス FIGURATIONフィギュレーション。以前流行した、比較的安価な値段での高水準なガンダムフィギュアよ。カトキハジメさんの監修による製品で、とても格好いいの」

「はあ。それで、あのやたらでっかいのは」

「MSA-0011[Bst]PLAN 303E! ペーパープランで終わった幻の強襲形態、通称ディープストライカー。Sガンダムの究極とさえ言える姿よ! 当然、私は持ってないわ! ……欲しいのだけど、なかなか買える値段で売ってないのよ」


 なるほどといづるは納得した。

 つまり、プレミア価格のついた珍しいガンダムのフィギュアが、どういう訳か紐くじ屋の景品として並んでいるのだ。無数に張り巡らされた紐の一つに結ばれ、巨大な立方体の箱がぶら下がっている。

 玲奈はどうやらそれが欲しいらしい。

 そうこうしていると、玲奈は手にした巾着袋きんちゃくぶくろから財布を取り出す。


「見過ごす訳にはいかないわ……阿室玲奈、いっきまーす!」


 玲奈は一回三百円の代金を、出店の老人に支払う。

 そして、悩みに悩んだ末に一本の紐を選び出すと、それを引っ張った。

 金網の中で、ピクリと先ほどのデカい箱が揺れて……その背後から、なにかボタンが沢山ついた操縦桿Gコンらしき玩具おもちゃが持ち上がってきた。店の老人はそれを紐から外すと、玲奈に渡してくる。

 受け取る玲奈は、それを両手で握り締めながら溜息を零した。


「はぁ、私もよくよく運のない女ね。……残りのお小遣いで、いける? ええい、やってみるわ!」


 さらに財布から三百円を出して渡すなり、玲奈は真剣な表情で紐を選ぶ。

 普段は聡明そうめい思慮深しりょぶかい一面があるのに、まるで子供だ。そして、そんな玲奈の姿がいづるには、どこかかわいらしく見えるのだった。

 そうこうしていると、真也も財布を取り出す。


「勝負だ、阿室っ! フィギュアには興味はない、くれてやる……だがっ! この富尾真也の運を見せてやる。引けよやーっ!」

「これかしら!? 私に……私に紐を引けって言うのね、サンドロック!」


 二人は同時に、選んで握った紐を引っ張った。

 その直後、玲奈には金物の金魚の玩具ロランがもってたアレが、真也にはノベルとかいうピンクのハロっぽい人形が渡された。

 そして、例のディープストライカーなるフィギュアは依然として金網の中だ。

 翔子が止める中で、二人は更に資金を投入し続ける。


「外しただと!? ええい、阿室っ! ……そこぉ!」

「ディープストライカーは渡してもらうわ。いいえ、ならば海賊らしく……いただいていくわっ!」

「くっ、また外した! どうなっているのだ、阿室っ!」

「わかってるわ、富尾君っ! 祭の出店は高価な景品を見せつけながら、楽しい時間を過ごしている運試しに誘ってくれてる。私達は、その誘惑でこんな出費を!」


 隣で荷物持ちと化した翔子の両手に、次々と粗品が積み上がってゆく。

 そして玲奈はとうとう、真也と同時に悟った……自分の運のなさを。その頃にはもう、翔子は二人分の玩具を両手に抱えたまま、チベットスナギツネみたいな顔になっていた。

 これ以上消耗しては、他の店で使うお小遣いがなくなると判断したのだろう。

 いづるが見兼ねて三百円を取り出した頃には、二人は財布をしまっていた。


「あ、じゃあ僕も一回だけ。もし取れたら、阿室さんにあげますよ」

「散々やってもディープストライカーが……まだあの中にあるままだわ、いづる君。でも、我々は夏祭の堪能が任務よ」

「いやいや、任務って……えっと、じゃあこれを引こうかな?」

「手柄のないのを焦ることはないのよ……まあ!」


 いづるが選んだ紐を引っ張ると、ゆっくりとディープストライカーが持ち上がった。

 だが、それは紐が絡まっていただけで、その奥から小さい箱が出てくる。どうやらガンダム関連の玩具だが、こんな所でほこりを被っているのだ……恐らく不人気商品なのだろう。

 それは、なんだかジムとかいう連邦軍のヤラレメカっぽいフィギュアだった。


「すみません、阿室さん。僕も駄目でした……なんだろこれ、ROBOTロボット魂? Ka signatureカトキ・シグネチャー?」

「いづる君、それはっ! あっという間に完売した、ネロ・トレーナー!?」

「え? あ、いります? よかったあげますよ、阿室さん」

「いります、いりますとも! ああ、なんてことかしら……こんなお宝が。いいのかしら、いづる君。お言葉に甘えるぞ? しかも、ジオン十字勲章じゅうじくんしょうものであることは保証してよ?」


 なんだかよくわからないが、ネロ・トレーナーなるモビルスーツのフィギュアを、玲奈はとても喜んでくれた。因みにディープストライカーは取れなかったが、四人は紐くじに区切りをつけて引き続き縁日を楽しむことにした。

 いづるたちの夏は、まだまだ始まったばかりだった。

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