いくつもの日々をかさねて

第36話「めぐりあい過去」

 来栖海姫クルスマリーナ二十歳はたち。十年以上前から阿室アムロ家に住み込みで仕えるメイドである。その仕事は、阿室玲奈アムロレイナの世話と警護……そして、彼女が壊滅的に扱いの下手な、機械類を操作することである。ゲーム機の接続からテレビの番組録画、果てはAmazonアマゾンでの買い物まで。これらは全て、海姫の大事な仕事である。

 だが、最近は玲奈に多くの友人ができて、その周囲は賑やかで騒がしい。

 海姫は好ましく思う反面、少し寂しいのも事実だったが……玲奈の趣味、ガンダムをゴリゴリと押し付けられなくなったのは僥倖ぎょうこうとも言えた。


「お嬢様、お茶をお持ちしました」


 今日も阿室家の広いリビングには、玲奈とその友人たちが巨大な液晶テレビにゲーム機を繋いで遊んでいる。あれは確か、古今東西のロボット作品が一堂に会する、スーパーロボット大戦なるシミュレーションゲームだ。

 コントローラーを握る玲奈の隣には、日陽ヒヨウいづる。そして周囲に楞川翔子カドカワショウコ富尾真也トミオシンヤ……皆、玲奈の親しい大事な友人たちである。


「阿室さんっ、駄目ですよ……なんでジェガンばっかり改造するんですか」

「そうだぞ、阿室っ! 資金を使うなら、ダイターン3やザンボット3にも注ぎなさいよ!」

「えぇー、阿室先輩ぃ~! もっとヒイロきゅんのガンダムを強くしてください~」


 大いに盛り上がっているようで、海姫がおやつを運んできたのにも気付かないようだ。

 だが、そんな光景をしばし見詰めて、海姫は目を細める。

 そこには、笑顔の玲奈がいて、眩いばかりに表情をきらめかせていた。

 自然とそんな玲奈の成長、変身とも言える姿を見ていると……海姫は昔のことを思い出してしまう。そう、彼女が玲奈と初めて会ったのは、まだ寒い冬だった。


                  ※


 その巨大な屋敷に、海姫は父に手を引かれて脚を踏み入れた。

 見上げる父は、少し困った顔で海姫に語りかけてくる。


「ここはお父さんの友達の家でな。……海姫、すまない。もう少し店の、ガランシェールの経営が楽になれば、一緒に暮らすことができるんだがなあ」


 幼い海姫は、黙って首を横に振る。

 昔から表情に乏しい娘だったが、自覚はない。


「ここのお嬢様はな、海姫。ロボットアニメが好きだそうだ。はは、お父さんと一緒だ」


 父から与えられた超合金ちょうごうきん玩具おもちゃ……女児とは無縁に思えるマジンガーZをギュムと抱き締める。生活が苦しい中で、父が買ってくれたものだ。父一人子一人の暮らしは楽ではなかったが、海姫は優しい父が大好きだった。

 屋敷の中では、黒服の執事が待ち受けていた。


「海姫、今日からお世話になるんだ。お嬢様に挨拶しておいで。仲良く、なれるといいな。お父さんは、友達と難しい話があるから。さ、行っておいで」


 コクンと頷き、海姫は広い屋敷の奥へと踏み出す。周囲は皆、大人ばかりだ……そして、誰もが忙しそうに働いている。すれ違うメイドの一人が、海姫へと道をしめしてくれた。

 廊下の奥にある子供部屋のドアは、半開きで光がれていた。

 そっと覗き込んだ先で、テレビ画面の照り返しを受けて振り返る、小さな女の子。

 それが、来栖海姫と阿室玲奈の出会いだった。


「あなた、だれ? ……とーさまの、あたらしい、こども?」


 一瞬、なにを言われてるのかわからなかった。

 酷く無機質な、全く光のない瞳で幼女が小首を傾げている。海姫がどう答えたものかと躊躇ちゅうちょしていると、彼女はまたテレビに向き直ってしまった。

 画面には、父が言った通りロボットアニメが映り込んでいる。

 玲奈は、一心不乱に瞬きもせず、それをじっと見詰めているのだ。

 おずおずと海姫は、その隣へと歩いて行って、並んでフローリングの床に座った。


「あ、あの……こ、これ、は?」

「ガンダム。きどーせんし、ガンダム」


 海姫の問いに返ってくるのは、酷く冷淡れいたん抑揚よくように欠く声。こっちを見もせずに、玲奈は小さく呟き、そして黙った。

 だが、次の瞬間に変化が起こった。

 海姫がそっと、胸に抱く超合金マジンガーZを床に立たせる。

 すると、重量感溢れるその玩具を目にした玲奈が、瞳を輝かせた。


「それ、なんのガンダム!? ……あ、しってる。マジンガーゼット」

「え……あ、んと……うん。お父さんが、クリスマスにくれたの」

「クリスマス? クリスマスって、なぁに?」

「十二月の、お祭りだよ? えっとね、お父さんが、じゃない……んと、サンタークロース。サンタクロースが、いい子にプレゼントをくれるお祭りなの」


 玲奈はどうやら、クリスマスを知らないらしい。

 それが海姫には驚きだった。

 小学校でもクリスマスが近付くと、同級生たちは少しソワソワと落ち着かない。もうサンタクロースを信じる歳ではなくなっていたが、気持ちのはなやぐ季節の風物詩だ。貧しい来栖家でも、喫茶ガランシェールの仲間たちと父は、いつも海姫を祝って御馳走を作ってくれた。

 そのクリスマスを知らないと、ビスクドールのような玲奈は言うのだ。

 だが、彼女は「プレゼントなら、まいにちとどく、よ?」と立ち上がる。

 彼女は部屋の隅にある玩具箱から、なにかを取り出し持ってきた。


「とーさまが、くれるの。いつも、ガンダム。これはね、あーるえっくすななじゅーはち」

「そ、そう。うん、一緒だね。私たち、同じだね」

「……そうかも。うんっ! おんなじだね!」


 ようやく玲奈が笑顔を見せた。

 そのあどけない表情を、海姫は今でもよく覚えている。

 本当に硝子細工がらすざいくの工芸品のような、とても綺麗な女の子だったから。唯一、心がともらぬという以外は、完璧なまでに精緻せいちな美少女……確か歳は、四つか五つくらいの筈だ。

 だから海姫は、玲奈と仲良くなりたくて、自分のマジンガーZにペコリとお辞儀をさせる。


「こ、こんにちは、玲奈ちゃん。私は、海姫。この子は、マジンガーZ」

「あ……えと、えと、こ、こんにちはっ! わたし、れいな。それでね、これはね、ガンダム! あーるえっくすななじゅーはち、ガンダムだよ!」


 仲良くなれそう。

 そんな気がした。

 気がした、だけだった。

 ようやく雰囲気をやわらげたかに見えた玲奈は、次の瞬間には豹変した。先程までの、どこか空虚な偶像アイドルめいた静けさが一変する。

 玲奈はガンダムをぐいと前に突き出し、海姫に一生懸命に語り出した。


「ガンダムはね、すごいの! いちばん、いっちばーん、つよいの!」

「そ、そうなんだ。えっと」

「ガンダムいがいのロボットなんてね、うん……あえていうわ、カスであると!」

「え……? ええーっ!?」

「まりーな、ガンダム、みる? マジンガーゼットなんかより、ガンダムのほうがつよいよ?」


 なんだか少し怖かったのも、大人になった海姫にはいい思い出だ。

 今になって振り返れば、あれは玲奈の懸命な、懇願のようなアプローチだったのだ。

 ガンダムしか知らず、家族の愛を与えられなかった女の子の、友達を求める行動だったのだと思う。それはあまりにも不器用で、そのあとずっと、住み込みで周囲の世話をする海姫を苦しめることになるのだが。

 だが、今になって海姫は知る。

 母はなく、父もいないも同然……そんな玲奈にとって、ガンダムだけが世界の全てだった。

 幼稚園を出て小学校に行っても、成績優秀で礼儀正しい、まるでロボットのような美少女。そんな彼女は誰とも心を通わせず、唯一海姫にだけそれを求めて、ガンダムを押し付けてきたのだ。


「ねえねえ、マジンガーゼットはね、まりーな。ガンダムと同じくらいの大きさ、だよ?」

「そ、そうなんだ。ええと、ガンダムは」

「じゅーはちめーとる! きっと、ビームライフルでマジンガーゼットのあたまをうてば、しろいほーがかつわ」

「……で、でも、えっと……うん、マジンガーZもロケットパンチとかあるよ、玲奈ちゃん」

「あたらなければ、どうということはないわ! だいたい、マジンガーゼットなんてこどもだましよ。ガンダムはリアルなロボットなんだもの」


 無邪気に玲奈が笑う、その表情はまるで氷で作った仮面のようで。

 海姫はやはり、少し怖かったのだと思う。

 そして、この日からずっと今に至るまで……玲奈は数々のガンダムを無理矢理にみせてきては、海姫を困らせるのだった。幼さゆえの無垢なる残酷さが、海姫の好きなマジンガーZを、ゲッターロボを、そして多くのスーパーロボットを否定してきたのだ。

 玲奈はまるで、ガンダムを……父が唯一くれたガンダムを一番だということで、なにかにすがっているようにも見えたものだ。

 そんなセピア色の追憶が、ふと胸中に蘇って、やがて海姫の奥底へと沈んでゆく。

 海姫はそんな玲奈をずっと支えてきたし、今はもう自分だけが支えて慕う玲奈ではなかった。


                  ※


 物思いに耽るなど珍しくて、そんな自分のセンチメンタリズムが海姫には不思議だった。だが、今リビングで繰り広げられる光景は、昔の玲奈からは想像もできぬ明るさに満ちている。

 玲奈は今、はちきれんばかりの笑顔で友達と一緒に遊んでいた。


「わかってるわ、いづる君。ジェガンだけでは駄目よね……ええ。リゼルも改造するわ」

「阿室さんっ、ガンダム好きならせめて、νガンダムとかユニコーンにお金かけましょうよ!」

「リゼルはね、ジェガンとの共有パーツを多く使い、メタスやZⅡゼッツーに近い変形機構でコストダウンに成功したのよ! いわば、ジェガンの親戚みたいなものだわ」


 画面を指差す翔子や、肩を竦める真也も笑顔だ。

 そしてなにより、玲奈は隣のいづると肩を並べて一生懸命コントローラーを操作している。同年代の子供たちと一緒の玲奈を見るなんて、本当に海姫には奇跡にも思えたのだ。

 そうこうしていると、玲奈は「ふむ」と唸って振り返る。

 そこにはもう、あの冬の日の凍てつく氷像にも似た女の子の面影は、ない。


「海姫はどうかしら? 貴女あなた、毎晩私がこのゲームを進めてるの、一緒に見てるわよね?」

「ええ……いつもゲーム機を繋ぐのは私の仕事ですので」

「元から強いガンダムタイプやスーパーロボットより、資金をつぎ込まなければ戦力にならないモビルスーツを改造するほうが、私はいいと思うの。それに……ここは趣味に走るべきよ」

僭越せんえつながらお嬢様、弱いロボは強くなりますが……強いロボは無敵になれます」

「……! そ、そうね、そう、だけど」

「私なら迷わず、マジンガーZと真ゲッターロボをフル改造、残った資金で他のスーパー系のENエネルギー照準値しょうじゅんちだけでも。リアル系にも資金を使いますが、主に強化パーツ中心でしのぎます」

「……さらにできるようになったわね、海姫」


 クスリと笑って、玲奈は再びゲームの画面へと向かっている。

 ゲームではマニアックなモビルスーツばかり使う玲奈だが、不思議と画面にはガンダムもスーパーロボットたちも仲良く並んでいた。それはまるで、リビングでゲームを囲む少年少女のようで……そして、今の玲奈と海姫のようでもある。

 そんな光景が何故か、近頃の海姫にはとても愛おしく思えるのだった。

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