第37話「対決の歌姫」

 期末テストを乗り切った日陽ひよういづるは、迫る夏休みを前に浮かれていた。

 そしてそれは、阿室玲奈アムロレイナも同じ。勿論、楞川翔子カドカワショウコ富尾真也トミオシンヤも一緒だ。だからだろうか、少しだけ学校帰りの寄り道も普段とは違う。

 今日も今日とて、玲奈は自分の知らない世界……普通の高校生の暮らしや遊びへの冒険を怠らなかった。


「これがカラオケボックスなのね! ……ふふ、美しい歌が嫌いな人がいるのかしら?」


 ドリンクバー付きでフリータイム、四人で二時間も歌えばと、気軽にいづるは誘ってみたのだ。そもそも、いづるは友達として普通の高校生的なアレコレを、玲奈に教えてあげるという重大な仕事がある。それはある種、恋心からくる使命とも言えた。

 物珍しそうに玲奈は個室の中を見渡し、マイクを早速手に取る。


「阿室さん、この端末で……これで、曲をセレクトしするんですけど」

「まあ! ……そ、そうね。機械の操作は任せるわ」

「じゃ、いつも通りな感じで。阿室さん、なに歌います?」


 いづるは椅子に腰掛け、タッチペンで端末を操作する。

 当然のように隣に座ってきた玲奈は、頬と頬が触れ合う距離に顔を近づけて、端末の小さな液晶画面を覗き込んだ。

 自然といづるの鼓動が胸の奥で跳ね上がる。

 ふわりといい匂いがして、甘やかな香りがいづるの周囲の空気を塗り替えていった。


「ふふ、じゃあ富尾先輩っ! わたしたちはドリンクを取りにいきましょぉ!」

「こういう時、焦ったら負けなのよね。いづる少年、阿室っ! 飲み物を取ってきてやる」

「あら、いいのかしら? じゃあ……珈琲をお願い。ミルクとお砂糖を二つ、よしなに」

「えっと、じゃあ僕は……コーラで」


 真也の背を両手で押しながら、いづるにウィンクを投げかけ翔子は行ってしまった。扉が閉まると防音の密室ができて、その中心にいづるは玲奈と二人きりだ。

 いつもの二人きりとは違う、密室である。

 どこか、世界から隔絶された二人きり、二人ぼっちな気分がいづるの頬を熱くしていた。

 しかし、玲奈はそんないづるのときめきを知りもせず、曲を熱心に選んでいる。


「凄いわ、いづる君……カラオケって色んな曲があるのね。アニメソングも……ガンダムもほぼ完璧に網羅してあるわ!」

「え、ええ……あっ、ああ、阿室さん……その」

「よしっ、これにするわ。いづる君、これを

「入れて! 入れて、入れて……は、はいぃ、入れ、ます!」

「阿室玲奈、あんなに一緒だったのに……行きまーっす!」


 ドギマギしつつ、いづるが曲を登録して送信する。

 すぐに前奏が始まって、玲奈はマイクを手に立ち上がった。

 側で見上げるいづるには、どんな歌手やアイドルよりも魅力的に見える。学校帰りの制服姿すら、今の玲奈にはステージ衣装以上の優雅さがあった。

 だが、美の結晶であるいづるの中の歌姫ディーヴァは、次の瞬間にはキャラ崩壊を起こす。


「あんなに一緒ーだーったのにぃ~、ゆーぐれはもー、違ういぃぃぃろぉぉぉ」


 なんというか、意外にも玲奈は音痴おんちだった。

 ドが付く程の音痴、素晴らしいまでに洗練された天然の音痴だった。

 機械音痴なのは知っていたが、本当の意味で玲奈は音痴なのだった。だが、ガンダムの歌らしきアニメソングを、彼女はのびのびと楽しそうに歌っている。画面に表示されるガンダムのアニメに合わせて、彼女は字幕で流れる歌詞を目で追っていた。

 マイクを両手で握って、少し緊張しつつも堂々とした玲奈。

 その姿はやはり、いづるにはなんだかかわいくてしかたがない。

 学園のマドンナ、萬代ばんだいの白い流星の意外な素顔……これを知るのは、自分たちだけなのだ。それがなんだか、自分だけの玲奈がいてくれる気がして、少し嬉しい。

 そうこうしていると、あっという間に玲奈は一曲歌い終えてしまった。

 そして、同時に翔子と真也が両手にグラスやコップを持って戻ってくる。


「あーっ、阿室さんSEEDシード歌ったんだあ。あとでデュエットしましょうよぉ!」

「フッ、早速歌ったようだな、阿室っ! ……ン、阿室……お前……」


 玲奈の前に珈琲のカップを置いた真也が、ぷるぷると震える手で指差す。

 その先では画面にでかでかと、玲奈の歌に対する採点が浮かび上がっていた。いづるが特に操作しなかったためか、自動採点装置が働いていたようである。

 その、割りと深刻で辛辣しんらつな点数に真也は邪悪な笑みを浮かべた。


「阿室、お前……58点っ! ごじゅう、はあああってぇん!」

「うっ、言ったわね、富尾君。いいじゃない、カラオケって初めてなんですもの」

「言ってなぜ悪いか。お前はいい、そうやって歌っていれば気分も爽快なんだからな」

「私がそんなに音痴な人間ですか」


 実際、音痴である。

 超弩級ちょうどきゅう超時空ちょうじくうレベルの大音痴である。


「プッ、58点!」

「二度も言ったわ! テストでもこんな点を取ったことないのに」

「それが甘ったれなんだよ、阿室っ! 言われもせずに一人前になった歌い手がどこにいるものか。勝てる……チャンスは最大限に生かす、それが私の主義だ!」


 謎のポーズで振り向きつつ、両手を広げる真也。

 彼はいづるの手から端末を取り上げると、手慣れた様子で曲を登録した。何故か彼には、いづるや翔子との順番を気にした様子がない。

 そしていづるは思い出す……彼は、どうしても玲奈に勝ちたい衝動を常に抱えているのだった。万年二位から抜け出したいライバル、それが真也という男なのだった。


「富尾真也、哀戦士あいせんし……出るっ!」


 張り切って真也がマイクを握る。

 何故か小指が立っている。

 そして……いづるはときの涙を見るのだった。

 真也は、なんというか、玲奈に負けず劣らずの音痴だった。

 甲乙こうおつつけがたいとはこのことで、いづるは翔子と目線を交わして頷きあった。ハッキリ言って、酷い。玲奈の歌声がエンジェル・ハイロゥから放出されるサイキックウェーブなら、真也のそれはギロチンの家系が鳴らす鈴の音だ。

 彼の信仰する富野監督とみのかんとくなら、歌を聴いてきっと言うだろう。

 ――これはつまりあれです、この人は歌ってはいけません、と。

 そんなことは露知つゆしらず、自分に没入して陶酔とうすいしたまま真也は歌い終えた。


「見たか、いや……聴いたか、阿室っ!」

「富尾君も意外とお甘いようね。……56点」

「なんじゃとてーっ!? クッ、また、俺は……負けた、のか?」

「ああ、私ってば罪な女ね……私は敗者になりたい、一度くらいは。なんてね、ふふふ。あー、楽しいわ! 大声で歌うって素敵」


 勝ち負けがどうこういうレベルではないと、いづるは呆れてしまった。

 この手の採点マシーンは、最低でも70点前後は出るように調整されているという。それがどうして、こんな低レベルな争いになるのだろうか。

 だが、どうやら二人はまだまだ歌うようだ。

 とろとろと鈍臭く翔子がいじる端末を、真也が取り上げた。


「わかるか? ここで連続して曲を入れる訳を、阿室っ!」

「優等生でも歌を歌うことは、普通の人と同じだと思ったからね」

「そう、喉を使う歌は優等生といえども練習をしなければ」

「そんな理屈っ」


 真也が真也なら、玲奈も玲奈だった。

 むー、と頬を膨らませつつ画面の下から二個目の端末を取り出した翔子は、すぐさま玲奈に奪われてしまう。そして玲奈は、どうにか一生懸命いじった挙句……諦めていづるへと渡してくるのだった。


「勝負だ、阿室っ! BEYOND THE TIMEビヨンド・ザ・タイム! 私を導いてくれ!」

「負けるわけにはいかないわ……vestigeヴェステージ! 競いたくない……競わせないで!」


 図らずもTM対決となったが、やはり酷い歌だった。

 いづるには何故か、二人の歌声がファンネルとドラグーンになって互いに行き交う様が脳裏に浮かぶ。だが、実際には翔子がフラットな、まるでチベットスナギツネになったかのような無表情になるくらい酷い歌だった。

 そして採点マシーンは無情にも、正確過ぎる裁定を二人に下す。


「51点……だと? まだだ、まだ終わらんよっ!」

「勝った……また、勝ったわ。52点、この1点こそ、歴史を変える」


 ヒートアップする二人は、既に息を荒げて肩を上下させている。

 そして終いには、二人はあらぬ言いがかりをつけ始めた。流石のいづるも呆れてしまうが、玲奈はなんだかんだ言って真也をライバルと認めているようだ。そして、二人の戦いは続く。

 そしてとうとう、翔子が二人からマイクを取り上げたのだった。


「わかったぞ、阿室っ! 採点のマシーンが壊れているのだ!」

「私も薄々そう感じていたわ……富尾君の意識まであのマシンに取り込まれなければいいけど」

「なに言ってるんですかぁ、もぉー! 二人共っ、めぇ! ですよっ。わたしも歌うんです!」


 翔子はマイクを持つと、いづるが渡す端末を手に取りズガガガとタッチペンを走らせる。そして、画面にようやくガンダム以外の歌が表示された。


「わたしの歌を聴けぇーっ! キラッ☆」


 翔子がポップでキュートな星間飛行を歌っている間も、玲奈と真也は謎の火花を散らし合っていた。だが、翔子が歌い終わるなりマイクを奪取した真也を尻目に、玲奈はいづるを見詰めてくる。いつもそうだが、彼女は常にいづるの左側に座って、遠慮無く体温を寄せてくるのだ。


「いづる君も歌うのよ! 私、考えてみたらいづる君のこと、なにも知らないの。どんな音楽が趣味なのかとか、好きな食べものとか。……私、いづる君のこと……一つしか、知らないの」

「いやあ、僕なんて平凡で別に……一つ? なにを知ってるんですか、阿室さん」


 いづるはまだ、玲奈にほとんど自分のことを語って伝えたことがない。音楽だとGLAYグレイBUMP OF CHICKENバンプ・オブ・チキンが好きだとか、庶民なりに翔子の作るハンバーグが好きだとか。割りとミーハーで、全米ナンバーワンと言われる映画は好きになるし、アニメや漫画では意外とマニアックな作品が好きだ。

 色んな好きをまだ、いづるはなにも伝えていない気がして。

 大事な好きを最初に告げた、そのことをうっかり失念していた。

 そして、思わず玲奈を真っ直ぐ見詰め返してしまったので、不意に彼女は頬を赤らめる。


「とっ、とと、とにかく! 歌うのよ、いづる君。ガンダムで歌姫と言えば、ラクス・クライン! マリナ様みたいにゴロゴロしたい歌でもいいわ、歌って!」

「は、はい。えっと、じゃあ……あ、そうだ。知ってる歌なら、阿室さんも一緒に、みんなで歌いましょうよ。ガンダムの歌なら、なんか阿室さん詳しそうだし」

「一緒に!? とっ、当然そうするべきね! ええ、とと、友達ですもの!」


 いづるはガンダム一年生、まだまだ初心者ガノタだったが、意外と玲奈がチョコチョコ勧めたり、まれに機嫌がいい時など鼻歌を奏でているので結構知っている。ガンダムで使われる楽曲は、しっとりしたバラードからアップテンポなロックまで様々。

 そうこうしていると、画面をスクロールさせるいづるの手元を玲奈が指差す。

 それは、やはりマイクを離さない真也が振り返るのと同時だった。


「……よしっ! じゃあ、みんなでこれを歌うぞ? 元気のGはっ!」

「始まりのG! スコォォォォド! 歌うと元気になるなぁ、ローラ!」


 何故か脚を高々と上げて踊る真也も並んで、四人で一緒にGの閃光を歌った。

 トライする、チャレンジだと、ポジティブな言葉に力強さがある不思議な歌だった。調子ちょうしぱずれな玲奈の声はイキイキと響いて、どこまでもいづるの胸の中に染み渡ってゆく。立ってみて歩く、スタート切って走る……その先に未来という閃光がある。不思議と一度か二度しか聴いたことのない歌も、シンプルなメロディで一緒に歌えてしまったいづるだった。

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