第35話「夢中のカレイドスコープ」

 中華食堂天驚軒てんきょうけんを出ると、既にアーケードの高い天井を叩く雨はあがっていた。

 雨上がりの空気はしっとり湿しめっていたが、吹き抜ける夜風は火照ほてった身体に気持ちいい。熱気が渦巻いていたラーメン屋を後にした日陽ヒヨウいづるは、大きく伸びをして深呼吸をした。

 その隣では、両の頬に手を当て阿室玲奈アムロレイナも満足気に目をうるませている。


「ああ……今日のスープは美味しいですよ、ってロランに言われたディアナ様の気分だわ」


 相変わらず言ってることの半分もわからないいづるだったが、それは一緒にいる楞川翔子カドカワショウコ富尾真也トミオシンヤも同じだろう。

 夜の商店街は行き交う人たちで賑わっており、その中をそぞろに四人は歩く。


「おいしかったわね……阿室玲奈、また皆様と共に、ここに来させていただきます!」

「満足したようだな、阿室っ! 次はつけ麺も食べるのだ、いいな!」

「ふふふー、餃子ぎょうざもパリパリしてて、中から肉汁じゅわーって美味しかったですねえ」


 先ほどの天驚軒では玲奈は、あっという間に店主の大将と打ち解けていたようだった。

 そして、いづるはまた一つガンダムが好きになっている自分を感じている。次にみるガンダムは、今日話題にのぼったGガンダムにしようかと思った。

 今月は末に期末テストが待っているが、時間を作りたい気分である。そして、そのことを誰にとはなしに呟いたら、前を歩く三人が振り向いた。


「あら、いづる君! Gガン、みるのね? いいわ、私が貸してあげる」

「いづる少年! お前のガンダムへの興味、イェスだね!」

「でもでもぉ、いづちゃんが気になるのはガンダムだけじゃないもんねー?」


 翔子が顔を覗き込むように身を乗り出してくる。

 彼女はそっといづるの耳元で、いづるにしか聞こえない声をつぶやいた。


「わたしっ、まだまだ応援してるからね? いづちゃんの恋、超援護チョーえんごだよぉ」


 そう言って、またゆるゆるな笑みを浮かべて翔子は離れる。

 辛味噌からみそラーメン大盛りに餃子と半ライスを平らげた翔子は、ご機嫌だった。

 だが、同じくゴキゲンに見える真也は、不思議と玲奈にGガンダムの話題で絡み出す。そういえば富野信者とみのしんじゃな彼は、どうしても玲奈に勝ちたい人間なのだった。


「阿室っ! 俺はもうガンダムを嫌わない、その偏見を嫌う!」

「よく言ったわね、それでこそよ富尾君」

「阿室きょうはひとつ小生に教えてくれた。ガンダムはみる為にあるとな!」

「そうよ! ……だ、だから、その、いづる君?」


 テンション高めで腕組み頷く真也の横で、玲奈はいづるに振り返った。

 その頬が僅かに赤くて、瞳に揺れる光もラーメンの感激の時とは違う雰囲気だ。


「わ、私、Gガン貸すわ……ボックスで貸す、けど……い、いっ、一緒に、みる?」

「えっ!? あ、いや、じゃあ……みます、一緒に! 一緒にみましょう、阿室さん!」


 いづるの言葉に、玲奈はつぼみほころぶような満面の笑みを見せてくれた。

 だが、そんな二人の空間に真也が割り込んでくる。


「俺もみたいぞ、阿室っ! そして、いづる少年! 富野作品以外のガンダムにも、これからは興味を向けて行きたい……俺は阿室に、勝ちたい! ……ガンダム愛でも!」

「愛!?」


 いづるは思わず驚きに声を発してしまったが、玲奈はウンウンと大きく頷く。

 愛……確かに愛かもしれない。

 玲奈や真也がガンダムに寄せる気持ちは、いづるが玲奈に憧れ慕う想いに似ていた。玲奈はいづるに優しいように、ガンダムへも愛情を注いでる気がしたのだ。恋敵はガンダム……そうとも言えたが、いづるはいづるでガンダムが好きになりはじめている。

 そう思って玲奈を見やれば、彼女はもう既にノリノリだった。


「そう、この気持ち……まさしく、愛よ!」

「Gガン、俺の胸の中で記憶されなさい。Gガンを俺が全身全霊をかけて愛してあげるよ! ワッハッハ!」

「でも、愛も超越すればそれは憎しみとなる。行き過ぎた信仰が内紛を誘発するように!」

「そうでもあるが! だが、その憎しみをくれたのがGガンなら、払拭してくれるのもGガンなのだ!」

「ええ……Gガンは最早、愛を超え、憎しみをも超越し……宿命となるのよ!」


 やはり、わからん。

 わかりかたが、わからん。

 わかりたいかどうかも、わからん。

 そして、なにがわからないのかも、わからん。

 だが、盛り上がる二人を前に、いづるはタジタジである。

 自然と笑みが零れるが、隣の翔子は「むー」と唸ると真也に近寄った。


「よしっ、予定を立てるぞ、阿室っ! ついでだから期末テストの勉強会も兼ねて……そうだな、俺の家だ! たまにはお前たち、俺の家に遊びにきなさいよ! それがベストなのよね……痛っ! なにをする、楞川っ! お前は、俺の――」

「人の恋路を邪魔する先輩はあー、馬に蹴られてナントヤラですよぉ! いづちゃんは阿室先輩とGガン見るんですぅ! 富尾先輩、めぇーっ! でしょぉー!」


 ポカスカと翔子が拳骨を振り上げるので、真也はたまらず逃げまわる。二人は玲奈といづるの周囲をぐるぐる回りながら、やがて商店街の出口へと走っていた。

 歩きながら追ういづるは、自然と歩調を合わせた玲奈が隣に並ぶのを見やる。


「ふふ、あの二人……仲良しなのね。友達と友達が友達同士、こんなに嬉しいことはないわ」

「そ、そうでしょうか。翔子はあいつ、時々思い込みが激しいからなあ」

「あら、そうなの?」

「ええ、小さい頃からそうなんです。一度気持ちが入っちゃうともう、テコでも動かない感じの頑固娘ですよ。それで僕、いつも振り回されっぱなしでしたから」

「ふぅん、そっか……詳しいんだ? ふふ、ちょっと、ちょっとだけ……けるぞ?」


 そうは言いつつ、玲奈は涼やかな笑みで湿気に満ちた空気の中を歩く。彼女の隣にいるいづるは、まるで湿度が彼女を避けて割れるような錯覚を感じた。玲奈の横にいれば、不思議と安らかで爽やかな雰囲気に包まれているから。

 同時に鼓動がときめきに高鳴り、胸の奥の心音は自己主張が激しくなる。

 夜のとばりが訪れる商店街が、二人だけの時間をいづるに強く意識させた。


「そうそう、いづる君……Gガンってね、かなり破天荒はてんこう無茶苦茶むちゃくちゃな側面もあって、度を過ぎてて時々お笑いになっちゃってるけど。でも、真面目な側面もあるのよ?」

「いわゆる、ガンダム的なテーマってあるんですか?」

「そう。最後の強敵であり主人公の因縁でもあるデビルガンダム……これはもともと、アルティメットガンダムという地球環境再生用のエコロジカルなマシーンだったの」

「そうなんですか……それが何故、敵に?」

「道具というものは、使う人次第で善にも悪にもなるわ。鋭い刃は調理器具にもなれば、人も刺せる。そして、兵器や武器のような必要悪、悪でしかない存在があるのが現実なように……一点の曇りもない善という道具も存在しないというのが真実なの」


 地球環境の再生を願って作られた、アルティメットガンダム。

 しかしそれは、野望や嫉妬といった人間の暗部によって捻じ曲げられてしまう。欲望に負けた者たちの手で地球へと降ろされた時、それはデビルガンダムと呼ばれた。自己再生、自己増殖、自己進化する、ある意味で人間そのものと同じ機能を持つデビルガンダム……皮肉にも、ただの人間的機能でしかないデビルガンダムを悪魔たらしめたのは、外から接した人間たちの負の感情、悪の心だったのだ。

 だが、人の心は表裏一体……光あるからこそ影があるように、夜は朝へと続くのだ。

 止まない雨がないように、明けない夜もまた存在しない。

 Gガンダムには、そういう人の弱さと強さが詰まっていると玲奈は笑った。


「いい作品なんですね、Gガンダムって。それにもう、阿室さんはGガンダムのことが」

「とっくに好きよ? だって自分のガンダムになってるもの。それにね……」

「ええ」

「ガンダムを嫌いと言ってたあの人が、Gガンだけは好きだっていってくれるから」

「えっ!?」


 いづるの鼓動が跳ね上がる。

 あの人、とは?

 だが、そんな思春期丸出しの青い暴走は、僅か数秒で終わる。

 真也と翔子に追いついた二人の前に、巨大な白いリムジンが止まっていた。

 その前には、メイド服を着た長身の女性が無表情で立っている。

 軽く頭を下げてくれるのは、玲奈の専属メイドにしてボディーガード、来栖海姫クルスマリーナだった。


「お迎えにあがりました、お嬢様」

「あら、海姫。ありがとう、ちょうどよかったわ。今ね、貴女の話をしてたの」

「私の、ですか? ……照れます、そんな。私はそんな、かわいげのある女では」

「なにを言ってるの? 貴女はガンダム嫌いだけど、Gガンだけは好きだって話をしてたの」


 いづるはホッと胸を撫で下ろした。

 あの人とは、玲奈が唯一家族同然に慕う海姫だったのだ。その彼女だが、自分の噂がイコール褒められたと一瞬勘違いし、玲奈の即答で否定されるやいつもの仏頂面ぶっちょうづらに戻る。

 だが、いづるは見逃さなかった。

 あの無愛想な美人メイドが、確かに僅かに表情を和らげたのだ。


「あ、そっかあ。メイドさん、スーパーロボットが好きだもんねえ」

「確かに、Gガンの理屈ではない力強さ、熱い展開、暑苦しいノリはスーパーロボットのそれだな。あ、あと、メイドさん! 俺は富野信者じゃなく、富尾真也……それ以上でもそれ以下でもないので」


 笑う翔子の前で、真也が先回りして釘を刺す。

 その間も、海姫の空けるドアの前に立つ玲奈は、リムジンに乗る前も惜しむように言葉を続けていた。


「ね、海姫。前に一緒にみたでしょ? Gガン。最後がとてもいいの……宇宙世紀の歴代ガンダムが、カメオ出演で沢山出てくるのよ! 色は違えど、後番組のウィングガンダムも!」

「ザンボット3も一瞬映りますね……お嬢様、Gガンダムだけは好きです。そして、お嬢様もわかってる筈。ガンダムらしいガンダム作品なんてない。でもガンダムらしさがガンダム好きを救うとは限らないと」


 玲奈はクスリ笑って「そうね」と零し、リムジンに乗り込んだ。

 そのドアを海姫が閉めると、窓を降ろして玲奈はいづるたちに挨拶してくる。

 そしていづるは、その言葉に挨拶を返して、一人思った。

 ガンダムらしさとは、なにか……正しいガンダムのありかたとは? ……そう考えること自体が、もしかしたら間違いなのかもしれない。正しさを求め、見る前から先入観という型にはめ込もうとすれば、大事なものが零れ落ちてしまう。

 そうこうしていると、海姫も運転席へと消えた。


「じゃあ、翔子さん! 富尾君も! ……いづる君も。また、明日。おやすみなさい」


 優雅に微笑むと、玲奈を乗せた白いリムジンが走り去る。

 そのライトの光が見えなくなるまで、自然といづるはその場に立ち尽くした。真也と翔子も同様で、共通の友人を見送りつつ、その日はそぞろに歩いてそれぞれの家路へと別れたのだった。

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