第33話「モニュメント」

 空腹でもあったが、日陽ヒヨウいづるは普段から大食漢たいしょくかんでもなく、食が細い訳でもなく。自然と、ラーメンに餃子ぎょうざで食欲は満たされる。大盛りの麺に餃子を食べて、半ライスをつけるかどうか迷っている楞川翔子カドカワショウコとは違うのだ。

 そして、このラーメン屋を楽しみにしていた阿室玲奈アムロレイナは、子供のように瞳を輝かせていた。


「翔子さん、この担々麺タンタンメンというのは?」

胡麻ごまの風味がきいた、ちょっと辛いラーメンですよぉ。挽肉ひきにくがとっても美味しいんです!」

「そう……素敵ね。さながら、マグネットコーティングがキラリと光るアクトザクってとこかしら。あら? 酸辣湯麺スーラータンメンというのもあるわ」

「おの酸味と唐辛子とうがらしの辛味が絡み合った、これも辛いタイプのラーメンかなあ。そう、辛味にして絡み……お酢×唐辛子なのです」

「つまり、グフとドムの中間に当たるイフリート的なものね?」


 訳がわからない。

 理解不能と意味不明のツインドライヴだったが、これが玲奈の平常運行なので、いづるは気にしない。というか、もう気にする必要がなかった。

 玲奈は翔子と一緒にメニューを覗き込み、自分のラーメンを選んでいる。

 その声は弾んで、とても楽しそうだ。

 そうこうしていると、いづるの隣で富尾真也トミオシンヤが声をあげる。


「つけ麺というのもあるぞ、阿室っ! この時期なら冷やし中華もやっている、中華ざるや冷やしラーメンといった涼麺りょうめんも見なさいよ!」

「あら、ホントだわ……冷たい麺もあるのね。これは……つけ麺、というのは」

「特製の温かいつけだれに、冷たい麺をざるそばのようにひたして食べる!」

「なるほど、ラーメンがジオン系なら、さながらクロスボーン系って感じだわ」

「ここの冷やし中華は酸味のある醤油だれと、まろやかな胡麻だれが選べるのよね」

「魅力的……つまり、ビームライフルかショットランサーかを選ぶ感じね」


 やはり、訳がわからない。

 そうこうしていると、先ほどの若い店員が注文を取りに来た。

 迷わず翔子が餃子を四人前注文し、さらに自分の辛味噌からみそネギラーメンを大盛りでと続ける。勿論、誘惑に負けて彼女は半ライスも追加した。

 その注文に、玲奈が首をひねるのをいづるは見逃さなかった。

 ついつい、いづるは気付けば玲奈ばかり見てしまう。


「えっと、じゃあ餃子が四つ、辛味噌ネギラーメンの大盛りに半ライスと……そっちのお兄ちゃんは?」

えて言おう! つけ麺であると!」

「はいはい、つけ麺ね……トッピングとかは?」

「つけ麺には煮玉子にたまごである! ……ま、食ってみせますよ」


 謎の勢いで、どうやら真也はつけ麺を食べるようだ。

 いづるは玲奈の注文も気になったが、自分もなにを食べようかと、つい悩む。こういう時、優柔不断な自分を自覚してしまうが、特にラーメンへのこだわりがある訳でもなく、適当にと思ったその時だった。


「えと、じゃあ……いづちゃんは、にんにくラーメン! で!」

「ちょっと待て、翔子。勝手に注文を」

「えー、それなら、んとぉ……アキトが屋台で作ってたラーメン! それくださぁい」

「だからなんの話なんだよ! ……普通の醤油ラーメンでいいです」


 謎のやり取りにも動じた様子がなく、店員は「醤油ラーメン、と」とメモを取ってゆく。彼の視線は自然と、まだメニューとにらめっこをしている玲奈へと注がれた。

 だが、メニューの写真を指さし、玲奈は不思議そうに店員へ問いかける。


「あの、ドモンの兄貴あにきさん。こちらの……ラーメンライスというのは」

「俺はドモンじゃなくて山田です。兄貴でもなんでもなくて、ただのバイトっす」

「名はその存在を表すものだわ。ならば、その名が偽りだとしたら、その存在そのものも偽り、ということになるのかしら……ドモン・カッシュ、いえ、アルバイトさん」


 真剣な表情の玲奈を前に、バイトの山田さんは固まってしまった。

 いづるたちが見兼ねて言葉を挟む。


「阿室さん、ラーメンライスっていうのはですね、セットメニューです。好きなラーメンにライスがついてくるんですよ」

「あの銀河鉄道999スリーナインでメーテルも注文してた、ラーメン屋の伝統メニューですよお」

「しかも、阿室っ! 今計算してみたが、セットのライスは百円増しで半チャーハンに変更できる。ラーメン屋の頑張り過ぎだ!」


 だが、なにやら玲奈は納得行かないようだ。

 注文を待つ山田さんはボールペンをもてあそびながらも、焦らせることもせず黙って待っててくれる。いづるたちもラーメン屋初体験な彼女の好きにさせていた。そんな一同に、毅然きぜん凛々りりしく玲奈は持論を展開し始めたのだった。


「ラーメンにライス、もしくはチャーハン……なんでこんなにも炭水化物を取るの!? これでは、余計に太って水着が着れなくなるわ! 海水浴やプールにいけない夏が来るぞ?」


 太る、の一言に翔子が視線を逸らした。あれは、現実逃避を決め込んだいつもの妄想モードだ。そんな翔子はさておき、困り顔の山田さんの前で玲奈は真剣に悩んでいる。

 そして、真也はさらに問題をややこしく加速させてゆく。


「ラーメン屋に来る者は満腹感のことしか考えていない! だからセットにすると宣言した!」

「麺がご飯と一緒に与えられるなどと!」

「私、富尾真也が肯定しようというのだ、阿室!」

「……なるほど、それはエコノミーよ、富尾君。お財布にも優しい、ボリューム重視のセットなのね。よし! 私、チャーシュー麺にするわ。750円チャーシュー麺は、阿室玲奈で行きます」


 ようやく山田さんは、注文が出揃ったところで振り返り、厨房の大将へと大声でオーダーを伝える。例の三つ編みの大将は、忙しそうに湯気が立ち上る中で働いていた。

 いづるは水を一口二口と飲みつつ、そういえばと思い出して先ほどの話を振り返る。

 スマホで調べてもよかったが、何故か不思議と玲奈の口から語られる言葉を聞きたかった。


「阿室さん、その……さっき富尾先輩から聞いたんですけど、Gガンダムって」

「そうそう、Gガンダムの話だったわね」


 いづるが話を振ると、玲奈は待ってましたとばかりにイキイキとした表情で身を乗り出してくる。彼女はやはり、ガンダムの話題になると元気になりすぎる美少女なのだった。


機動武闘伝きどうぶとうでんGガンダム……この作品こそが、今の多種多様なガンダム路線を作った、いわば記念碑マイルストーン的な作品なの。もし、Gガンダムがなければ――」

「な、なければ?」

「今頃まだ、ガンダムは宇宙世紀ユニバーサル・センチュリーという世界観から脱することができず、いたずらに時間軸を未来へ続けるだけの恐竜的進化を遂げていた筈よ。UC0200年とかUC0300年とかね」


 玲奈はテーブルに両肘を突いて手を組むと、その上に形良いおとがいを載せていづるに微笑んだ。周囲には雑多な匂いと騒がしさが満ちて、どこにでもある混雑した大衆食堂なのに……不思議とノーブルでエレガントな空気がいづるを包む。

 そして、玲奈の言葉に続くように真也が語り出した。


「それは、そうでもあるが! だが、阿室っ! 俺は……どうしてもいまだに、こう……Gガンダムが好きになれん」

「あら、凄く面白い作品だぞ? 傑作とさえ言えるわ。……でも、気持ちはわかるの。私も小さい頃は、Gガンダムが少し苦手だったから」


 勿論、今は大好きだと玲奈は笑った。

 あの生粋の富野信者とみのしんじゃ、富野ガンダム大好き人間の真也が拒絶反応を隠し切れない作品……それがGガンダムらしい。一方で、同じ違和感を幼少期に持ちながらも、今は逆に好きだと玲奈は言う。

 二人にそこまでさせるGガンダムという作品が、いづるには気になりだしていた。


「でもでもぉ、阿室先輩。どーしてGガンは、特別なガンダムって言われるんんですかぁ?」

「いい質問ね、翔子さん。Gガンダムはシリーズで初めて、宇宙世紀やニュータイプという、今までのガンダム作品の設定ガジェットを捨て去ったのよ。後に平成三部作と呼ばれる、アナザーガンダムの先駆けなの」


 玲奈の語るGガンダムの大まなか物語はこうだ。

 宇宙世紀とは異なるパラレルワールド、未来世紀フューチャー・センチュリーの時代……宇宙への進出が終わり、アメリカやロシアといった現在の国家群は全てスペースコロニーへと移住を完了していた。一方でいまだに国家間の争いは絶えない。そこで、大戦争による地球の荒廃を避けるべく、ある新しい代理戦争システムが構築された。

 ――それが、ガンダムファイト。

 国家間の戦争は全て、代表ガンダム同士による一騎打ちで決するのだ。

 そうしてガンダムファイトは、四年に一度開かれるコロニー国家間の覇権を握るための戦いになったのである。

 玲奈が簡単にあらましを語ってくれたが、いづるの中で一つの疑問が生じる。

 そして今、いぢるはそのことを口にするのを躊躇ためらわない。

 ガンダム初心者のいづるを、いつも玲奈は優しく受け止めてくれるのだ。


「あ、あの……阿室さん」

「なにかしら?」

「その、Gガンダムって……ええと、簡単に言うとガンダム同士の格闘大会をやって、優勝すればコロニー国家群の中で一番になれる、国家運営の主導権を握れるんですよね?」

「ええ、そうよ」

「登場するモビルスーツは、ガンダムファイトっていうくらいだから」

「ええ、一部を除いて全部ガンダムタイプよ」

「それって……」


 ひょっとしたら真也の抱く気持ちも同じかもしれない。今まで少ないとはいえ、ガンダム作品をみはじめたいづるだからこそ言える疑問。

 それを玲奈の隣で翔子が、いとも簡単に口にしてしまう。


「阿室先輩、それって?」


 誰もが思う正直な言葉に、玲奈は全く動じなかった。

 彼女は運ばれてきたラーメンや餃子が並ぶ中で、ばしを手に取り、パチン! と割る。そうして湯気がくゆらす熱気の向こう側から、静かにガノタとしての、ガンダム好きとしての見解を語り出すのだった。

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