第32話「その名は東方不敗? ラーメン屋入店」
どういう訳か今、いづるの傘の中に玲奈が並んでて、不思議といい匂いが周囲の湿った空気に入り混じる。
俗に言う
どういう訳か玲奈は、この梅雨の時期に傘を持っていない。
そのことを正直に聞いてみると、もっともらしい言葉が返ってきた。
「普段はほら、雨の日は
「そういえば、雨が降ると登下校は別々になりますよね、僕たち」
「そうよ、だから雨はよくないわ。雨は駄目よ、朝だっていづる君たちと会えないし、帰りに寄り道もできないんだから。
肩と肩とが触れ合う中で、いづるに歩調を合わせて玲奈が歩く。彼女が濡れないように傘を持ちながら、自然といづるは玲奈の言葉に聴き入っていた。
彼女はいつもの
「……折り畳み傘は持ってるのよ、一応。でも……あれは駄目よ、難しいわ。開くのも閉じるのも一苦労だもの。私、ハッキリ言って機械は苦手よ」
「折り畳み傘は……機械? かなあ? うーん」
「不思議よね、ガンプラだったら自分でも器用に作れてる気がするのに。機械は駄目よ、そしてあれらは全部、私の混乱を増幅するマシーンなのね」
「はぁ」
静かに小降りの雨が降る中を、二人は商店街へと歩く。
やがてアーケードの下に入ると、頭上に雨音を聴く商店街の入り口が二人を出迎えてくれた。
たしか、
その店の前で待ち合わせしてるので、自然といづるは先に立って歩く。玲奈はそのあとを付いて来て、いつもの様に周囲を珍しげに見渡していた。時刻は五時半を回ったところで、周囲はこんな天気でも華やいでいる。
会社帰りのサラリーマンたちや、買い物帰りの
シャッター街という言葉とは無縁なこの場所を歩けば、自然といづるの心も弾んでくる。
やがて、視界の向こうに見慣れた姿が手を振ってるのが見えてきた。
「おーい、いづちゃーん! こっちだよぉ」
「集合遅いよ、なにやってんの!」
そこには、翔子が意外な人物と並んで立っていた。
何故か、腕組み立ち尽くす
「あれ、富尾先輩……どうしてここに?」
「愚問だな、いづる少年! ……たまたま楞川が誘ったから、たまたま夕飯の予定もなかったので、たまたま来たのよね。それくらい察しなさいよ!」
「ア、ハイ」
相変わらず翔子はふにふにと
そして振り返ると、玲奈が店の看板を見上げて固まっている。
そこは商店街でも評判のラーメン屋らしく、こうしている間にも人の出入りが止まらない。丁度夕飯時だし、店内は客で混雑しているようだった。
玲奈は白い
「
「とりあえず、入りましょうか? ほら、翔子も」
「はぁい。じゃあ、行きましょう~」
「見せてもらおうか、楞川のオススメのラーメン屋の味とやらを!」
その名は、中華食堂天驚軒。どこにでもありそうなラーメン屋だ。入店すると、熱気がふわりといづるたちを包む。広い店内はカウンターの他にテーブル席が十ばかし、その中に空いてる場所がある。
いづるがそれを指さし進もうとした、その時だった。
店の主と思しき初老の男が、白い
そしていづるは、突然の男の絶叫に困惑してしまう。
「答えろ小僧ぉ! 流派、
「……え?」
「流派っ! 東方、不敗とはああああっ!」
「あ、いや、その……」
意味不明である。
だが、古い中国の
やがて、厨房の方からもう一人、若い青年がやってくる。
従業員らしき若者はすぐに二人の間に割って入り、何度も頭を下げた。
「お客さん、すみません! ほら、大将! お客さん困ってますって!」
「う、うむ……しかしドモン」
「俺はドモンじゃないです、山田です! すみませんね、どうぞ空いてるお席に」
「……う、うむ、申し訳ない。驚かせてしまったな、客人! ……ハァ」
どうやら店の主は、謎の奇行をバイトの青年に窘められたようだ。そうして正気に戻った大将は、しょんぼりと肩を落としてしまう。
あっけにとられつつ、いづるはテーブルに向かって歩き出した。
だが、いづるを追い越し、トボトボと厨房に戻り始めた大将の背中へと、
誰であろうそれこそ、玲奈だった。
「流派! 東方不敗は! 王者の風よ!」
「お、おお……お嬢さん! まさか……な、ならば!」
そして二人は向き合い並ぶと、謎のやり取りを始めた。
勿論、その間いづるは
「
「
「
「見るのよっ!」
「東方はァァァァァァァ!」
「
二人は謎の掛け合いで拳と拳を突き付け合い、それを交えるように触れさせて変なポーズで固まった。
学園のアイドルにして
全く理解不能、訳の分からない状態だった。
だが、大将は上機嫌でようやくまともに戻る。
「いやいや、お嬢さん! よくワシの天驚軒に来てくださった。お嬢さんのようなお客に恵まれて、ワシは嬉しい」
「いいえ、私こそ……ラーメン屋さんは初めてなのですが、こういう場所なのね。礼には礼で応じ、ガンダムにはガンダムで接する。これはコミュニュケーションの基本だわ」
違うと思う。
全然違うといづるは思う。
だが、玲奈は大将が案内するままにテーブル席について、何事もなかったようにいづるたちへ手招きをする。
いづるは戸惑いつつも、ようやくテーブルに四人で座ることができた。
大将は軽やかな足取りで厨房へと戻ってゆく。
「あの……阿室さん。さっきのはいったい」
「ン、知らんのかいづる少年。阿室はガンダム好きを随分とこじらせているからな。さっきの恥ずかしい奇行もソレだ。俺は
真也が説明してくれたが、玲奈は素知らぬ顔で平気なようだ。
どうやら先ほどの暑苦しいやりとりもまた、ガンダムに起因するものらしい。
「いづる君、さっきのはGガンダムの登場人物たちが交わす挨拶のようなものよ」
「Gガンダム……どういう話ですか?」
「地球がリングだ! って感じかしら」
「わかりません……阿室さん、全然わかりませんっ!」
だが、阿室は翔子が渡してくれたお店のメニューをかじりつくように見ながら、既にラーメン屋の
「凄いわ……これがラーメン屋さんなのね。いづる君! ついに私、ラーメン屋さんに来たわ!
「阿室先輩、なに食べますかぁ? ここ、とっても美味しいお店なんですよお。わたしは、
「味噌、塩、醤油……とんこつラーメンもあるわ! 迷うわね……沢山は食べられないから、一品に絞り込まないといけないわ。ええい、翔子さんっ! 一番満足度の高いメニューよ。教えてっ!」
なんだか女子が二人で盛り上がっている。
因みにどうでもいい話だが、翔子はかなりの食いしん坊だ。見た目や体重を気にする割には、もりもり食べる
そうこうしていると、別のメニューを眺めていた真也がいづるに話しかけてくる。
「実はな、いづる少年……Gガンダムという作品があってだな。それが、一時期俺の中でとても不快なプレッシャーだったのだ。
「そ、そうですか……でも、なんか阿室さんは好きそうでしたけど」
「俺も少しは柔軟に考えられるようになったが、阿室は自称ターンエーガノタだからな……それがわかるんだよ、阿室っ!」
それほどまでにGガンダムという作品は、強烈な個性があるのだろうか? 漠然とだがいづるは、まだ見ぬGガンダムという作品に思いを馳せた。
そして聞くまでもなく多分、玲奈はそのGガンダムをも愛しているのだ。
「で、富尾先輩……どういう話なんですか? Gガンダムって」
「うむ、俺も見たことがないので詳しくは知らないが。地球がリングだ!」
「や、それは聞きました。他には」
「簡単に言うとな、いづる少年。世界各国が代表のガンダムを持ち寄って、
いづるは一瞬、なにを言われているかわからなかった。
いづるが今まで見てきたガンダムは、地球連邦軍とジオン軍が戦い、その争いが火種となった戦争の歴史だ。
それが……ガンダムで格闘大会?
訳がわからずいづるは、玲奈へと視線を注いでしまう。
だが、玲奈は嬉しそうにメニューを見詰めて翔子と笑い合うだけだった。
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