麺 OF DESTINY

第31話「頑張れいづる! 二人抱き合う大ピンチ」

 放課後に降りだした雨は、次第に小降りになってきた。梅雨入つゆいりした私立萬代学園高等部しりつばんだいがくえんこうとうぶの校舎は、全体的に湿気がまとわりつくようだ。だが、日陽ヒヨウいづるが感じる大気は、いつもと変わらぬ清々すがすがしさに満ちている。

 阿室玲奈アムロレイナの近くにいれば、不思議と彼女からんだ空気があふてくるようだ。

 その玲奈だが、先程から床に手をつき四つん這いである物を探している。

 スカートに包まれたお尻が目の前で揺れてるので、手伝ういづるは集中力が今ひとつだ。


「ここに落としたとしか考えられないわ、いづる君。どうかしら? 見つかって?」

「いえ……小さい部品なんですよね?」

「そうよ、私の鞄についてるデンドロビウムの、中の人……ステイメン。ステイメンはおしべという意味なの。このままじゃ、私のデンドロビウムもただのオーキスだわ」

「ま、まあ……その、大き過ぎですよね、鞄にぶら下がってるあれ」


 玲奈が言ってるのは、彼女の鞄にぶら下がってる巨大なガンダムのストラップだ。全校生徒の誰もが、せいぜい大きなポーチかポシェットがくっついてる位にしか思っていないが……どうみてもガンダムのストラップです、本当にありがとうございました。

 そのデンドロビウムの真ん中についてる、ステイメンなる部品がなくなったのだ。

 それで彼女は、どこかに落としたのではと校舎中を探しまわり、ここにたどり着いた。

 だが、一緒にステイメン捜索を手伝ういづるには、この場所は少し居心地が悪い。


「あ、あの……阿室さん。流石さすがに僕がここにいるのは……まずいんじゃないかな、って」

「大丈夫よ、いづる君。緊急事態だもの! ああ、どこに落としたのかしら……」

「で、でもっ! やっぱり不味まずいですよ! だってここ」


 そう、ここは。

 この場所は。

 言うなれば秘密の花園はなぞの、神秘の楽園ユートピア

 男子禁制のこの場所こそ――


「だって、なんですよ!」

「あら、二人きりだから問題ないでしょう? 副生徒会長の私が一緒ですもの。それに、いづる君は変な気を起こしたりする子じゃないぞ? 平気よ、平気」

「……なんか、嬉しいような、嬉しくないような」


 もうすぐ追い出しの鐘が鳴るであろう、下校時刻間際の夕暮れだった。いづるは玲奈と二人きりで、女子更衣室の床を這いずりまわっている。

 こんな状況、もし人に見られたら一発でアウトである。

 そして、そんな危ない状況よりガンダムが気になる玲奈は、間違いなく生粋のガノタ、ガンダムオタクだった。そんな彼女の信頼を完全に勝ち取っているのは、正直嬉しい。しかし、彼女が自分を男として見てくれていないような気もして、微妙に寂しいのだ。

 そうこうしていると、いづるは椅子の下になにかが光っているのを見つける。白を基調とした、上半身だけの小さな小さなパーツ……見間違いようがない。

 ガンダムだ、恐らく玲奈が探しているステイメンとかいうのだ。


「阿室さん、これですか? ありましたけど」

「まあ! よかったわ、どこに落ちてたのかしら」

「椅子の下です、今取りますね」


 手を伸べいづるが小さなパーツを、ガンダムを拾ったその時だった。

 不意に女子更衣室に近づいてくる足音が二つ。そしてドアの前に人の立つ気配。

 咄嗟とっさにいづるは阿室を見たが、彼女の行動力は大胆なものだった。


「いづる君! 人が!」

「ちょ、ちょっと、阿室さんっ! なにを……え? ええーっ!?」


 玲奈は迷わず手近なロッカーを開け放つと、立たせたいづるをそこへと押し込んだ。そうしてさらに自分もその中へと踏み込むと、急いで扉を閉める。

 密閉された暗闇の中で、いづるは女子更衣室に訪れた少女たちの声を聴いた。


「もー、最悪ぅ! 大張オオバリ先生さー、体育の居残り授業って考えられなーい」

「だってアンタ、ずっとサボってたじゃん? 万年見学女じゃん」

「女の子には色々あるんですー、あーもぉ汗だくだよ」


 やってきたのは女生徒が二人、片方は体育着を着ている。今時ちょっと珍しい、体操服にブルマ姿だ。これが萬代学園の標準である。

 だが、そんなことよりいづるには今の状況がかなり刺激的だ。

 すぐ目の前、互いの呼気が肌をくすぐる距離に玲奈の顔がある。

 そして、身体を密着させているので、自然といづるの胸の上に豊かな弾力の温かさが押し付けられているのだ。

 端的に言うと、狭いロッカーの中でいづるは玲奈と抱き合うようにして息をひそめていた。

 すらりとスタイルのいい玲奈は、いづると同じくらいの身長で目線の高さが近い。

 鼻と鼻とが触れ合いそうな程に、彼女の精緻せいちな小顔は近かった。


「それにしてもさー、大張先生も熱血教師よねぇ」

「それよ、それ! なんかもー、暑苦しいのやだぁ」

「よーし、体育館10周だ! バリッと走れ、バリッと!」

「全然似てないしー? うー、汗でベタベタする……シャワー浴びたい」


 体操着の生徒は、とろとろと愚痴ぐちりながら着替えを始めた。いづるはつい、僅かに隙間から差し込む光の向こうを意識してしまう。薄い鉄板一枚隔てた向こうで、同年代の女の子が着替えている……あられもない姿をさらしている。

 だが、それ以上に密着する体温が刺激的で、いづるの意識がそちらへと引っ張られる。

 玲奈はといえば、いづるが見詰めると視線を逸らしつつ、しっかりと手を回してしがみついてくる。ほのかに顔が紅潮こうちょうして赤いのは、蒸し暑い六月末だからだといづるは思った。


「やばっ、時間ないよ! 急いで着替えなきゃ」

「もぉそんな時間かー」

「どこか寄ってく? お腹空いたっしょ」

「んー、小腹空いてるけどぉ、ちょーっち体重がねー?」


 本当にあけすけない、女子だけの聖域だからこそ飛び出す言葉の数々。

 それを聴きながら、いづるはこの場に踏み込んでしまった男としての背徳感に焦れる。

 玲奈はといえば、そんないづるに身を寄せながら、じっと息を殺したままだ。


(あっ、あの……阿室さん。色々と、当たってます)

(シッ、静かに。大丈夫よ、いづる君。当たらなければどうということはないわ)

(いえ、ですから当たってるんです……胸とか膝とか!)


 いづるは案山子かかしになったように、ピンと背筋を伸ばして立ち尽くすしかない。そんな彼に、玲奈は遠慮なく抱きついてくる。ロッカーの蒸した空気に、玲奈の甘やかな匂いが満ちて、いづるの鼻孔が刺激された。柑橘類かんきつるいのような瑞々みずみずしい香りに包まれながら、いづるはやり場のない手をワキワキと握ったり開いたりと落ち着かない。

 なにより、玲奈の膝が股間に当たってて、どうにも妙なもどかしさがある。

 これぞ、天国に昇るような気持ちで地獄行きだ。

 握り締めたステイメンのパーツが、じっとり汗に濡れる感触だけが手の内にある。

 そして、絶体絶命に等しい二人の窮地きゅうちを、さらなる危機におとしいれる音が響いた。


「ん? 携帯、鳴ってない?」

「嘘、アタシ? えー、なにこの着メロ」


 不意に、いづるの携帯電話からメロディーが流れ出した。

 それを聴いた瞬間、目の前で額を擦り合わせるような距離の玲奈が目を見開く。


(いづる君、携帯が……これは!)

(す、すみません! 翔子の奴……なんだってこんな時に!)

(聴いたことがあるメロディだわ、ガンダムじゃないけど……なにか、ロボットアニメの歌よね)

(なんで嬉しそうにしてるんですか、あーもぉ……ちょっとすみません)


 いづるは慌ててポケットに手を突っ込もうとしたが、その瞬間目の前で玲奈は「んっ」と鼻から抜けるような湿った声をあげた。


(いづる君、そんなに動かないで……その、っ!? や、やだ、そこ)

(ええと、よし、止まった)

(……思い出したわ。ハァ、ハァ……それ、マクロスよね。マクロスFの、ライオンだわ)

(翔子が勝手に設定したやつです、それより)


 もぞもぞといづるが動くたびに、玲奈は息を荒げて一層強く抱きしめてくる。

 そうこうしている間に、いづるは鉄板の扉越しに視線を感じていた。着替えている二人は、明らかに疑いの目を向けている。

 だが、そんな危機に意外な救いが訪れた。


「このロッカー……この中から今、着メロが――!?」

「ちょっと、ま、待って! 揺れてる! 地震!」


 カタカタと部屋が、ロッカーが揺れ出した。

 また、地震だ……最近多いが、今は小さい。恐らくまた余震だろう。緊急地震速報が鳴らないということは、大きな揺れではなさそうだ。

 しばらく不気味な横揺れが小さく続いていたが、それも徐々に収まる。

 外の二人はお互い怖い怖いと言いながら、急いで荷物を片付けたようだった。


「最近多いよねー、地震。ヤバ! ちょっと、もう五時だし!」

「でも、さっきの着メロ……」

「どうせ携帯忘れてった馬鹿がいるんでしょ? ほら、急いでよ」

「あ、鐘が……! 五時丁度だ。ねえ、待ってよー、待ってったら」

「先いくぞー、早く早くー!」


 バタバタとあわただしく、二人は着替えもそこそこに出て行った。女子更衣室のドアが乱暴に締められた直後に、いづるはロッカーを開放して外の空気へと飛び出した。

 追い出しの鐘と呼ばれる、下校時刻を告げる音が荘厳そうごんな調べで鳴り響いている。


「た、助かったあ……一時はどうなるかと思いましたよ、阿室さん」

「ええ、肝が冷えたわ。でも、よかった……ステイメンもいづる君が見つけてくれたし」

「それは、そうですけど。あの、阿室さん」

「なに? あら、いづる君……顔が赤いわ、のぼせたのかしら? 今日は暑いものね」

「いえ……その、離れてもらえますか、そろそろ」


 玲奈はまだ、いづるにピッタリと抱きついていた。

 それに自分でも気づいたのか、慌てて真っ赤になりながら離れる。

 彼女はあわあわと狼狽うろたえたが、いづるが手を差し出すとそこからステイメンを受け取った。あとは、鞄にぶら下がってるオーキスとかいうのに、これをはめ込んでやればいつも通りだ。デンドロビウム……わがままな美女の完成という訳である。

 玲奈は俯きつつも、両手で握り締めるようにステイメンを胸の上に抱き寄せた。


「さて、僕たちも出ないと。今度は学校に閉じ込められちゃいますよ。……あれ、なんだ翔子、今日は夕飯作らないのかあ」

「ど、どうしたの? いづる君」

「いやあ、さっきのメール……翔子が、今日はおかずもお米も切らしてるから、二人でラーメンでも食べに行こうって。あれ? 阿室さん?」


 ――ラーメン。

 その単語を聴いた瞬間、玲奈は双眸を輝かせた。それはまるで、瞳の宇宙に星屑が幾重にも瞬くように眩しい。彼女は、ガシリ! といづるの手を握ってきた。そしてさらにそこへ手を重ねて、グッと顔を近付けてくる。


「いづる君! ラーメンを食べに行くのね? 翔子さんと、ラーメンを! ラーメン屋さんに行くのね、今日! これから、今すぐ!」

「え、ええ……あ、あの、阿室さん?」

「いづる君たちみたいな友達ができて、早々にラーメン屋に出会う。 私は運がいいわ……!」


 なんだかよくわからないが、玲奈はガラケーを取り出すとたどたどしい手付きでメールを打ち始める。まるで子供のように、浮かれた気分が隠せていない。いづるはその意図を理解し、玲奈に声をかけると……楞川翔子に返信のメールを送った。

 こうして玲奈は、いづるたちと一緒に人生初のラーメン屋を体験することになった。

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