第30話「父のつくった現状」

 先日のことを阿室玲奈アムロレイナは、ずっと日陽ヒヨウいづるに謝っていた。申し訳ないと繰り返し、埋め合わせをしたいと言っていた。玲奈との結婚を迫る海音寺勝カイオンジマサルに、いづるは玲奈の恋人として会ったのだった。

 それで不快な思いもさせたし、理由はどうあれ勝をたばかった……それを玲奈は悔いていた。

 しかし、いづるは一つだけ良かったことがあったと思っている。

 いづるは自分が玲奈にとって、大事な人であることがわかったのだ。


「そういう訳だから、いづる君! 私は申し訳ないと思っているわ……だから。なにか、埋め合わせさせて欲しいぞ? なんでも言って、いづる君!」


 次の日、富尾真也トミオシンヤ楞川翔子カドカワショウコも一緒の下校時間、いづるの前を進む玲奈は後ろ歩きに振り向く。じっと見詰めてくる玲奈の視線がこそばゆくて、直視できずにいづるはあわあわと両手を振った。

 埋め合わせなんてそんな……一緒にいてくれるだけで、いい。今は、それだけでいい。

 それすら伝えられなくて、追及の眼差しを投じてくる真也と翔子に、気付けばいづるは説明の言葉を広げていた。


「い、いやあ、ちょっと阿室さんに付き合って、それで少し大変な目に……でも、阿室さんの方が大変だったんですから。僕、気にしてないですよ」

「えぇ、なにがあったんですかあ? ……怪しいです、富尾先輩っ!」

「この二人の間を流れるオーガニック的なオーラヂカラ! 言えよやーっ、なにがあった!」


 言えよやー、と問われて言える話でもない。なにより、玲奈の家のこともあるし、いづるは言葉を詰まらせた。だが、そうこうしていると玲奈が「いいのよ、いづる君」と優しく微笑む。

 玲奈はハスハスと鼻息を荒くする翔子や、眼鏡を先程から上下させている真也に向き直る。


「わかりやすくガンダムて例えると……マクギリスとの政略結婚が決まりかけたアルミリアを、ガンダムが助けてくれたのよ! もしくは、ユウナと結婚させられそうだったカガリね」

「……全くわからん、わからんぞ阿室っ! 富野作品とみのさくひんで例えなさいよ!」

「ふう、困ったわね……富尾君にも。聖戦士せいせんしダンバインを覚えている? 富尾君」

「ごめん、覚えていない」

「ちょっと、富尾君っ! ……リムル・ルフトなのよ、私は時々、大人のね」


 ますます話はわからないが、プンスカと頬を膨らませる玲奈の前で真也は肩をすくめて見せる。彼がいづるにウィンクしてみせたので、どうやら覚えてないというのは嘘のようだ。ただ、彼は彼なりに玲奈に気を遣って、この話をそれまでとしようとしたのだろう。

 真也がそうして空気を読んだ気配は、翔子にも伝わったようだ。


「まあ、それはそうと、どうだろう? 阿室、どうしてもいづる少年に借りを返したいなら」

「富尾先輩! 僕、貸しを作ったなんて思ってないんです、本当です」

「またいづる少年に教えてもらうのだな。普通の女の子とやらを……色々連れ出してもらいなさいよ、そうすれば二人も楽しいし一挙両得なのよね」


 うんうんと腕組み頷く真也が、今のいづるには神に見えた。

 だが、翔子が全てを台無しにする。


「じゃあじゃあ、阿室先輩っ! 今度、どこ行きましょうか? 行きたいとこ、ありますかあ? いづちゃんとで、また遊びにいきましょぉ!」

「ええい、楞川っ! 生の感情丸出しで誘うなど、これでは二人に進展を求めるなど絶望的だ」


 まあ、そんなことだろうと思ったいづるだった。

 だが、玲奈は恥ずかしそうにいづるを見詰めて、苦笑に溜息を一つ。二人共、二人でいられる時間に執着を感じず、むしろ四人で楽しく過ごせる方がまだいいみたいだ。それでも、ここ数日でいづるは随分と玲奈を近くに感じていた。

 地震に怯えて腰を抜かす、弱い姿を見せてくれた玲奈。

 怒りに震えて、いづるを大事な人と言ってくれた玲奈。

 また少し、玲奈との距離が縮まったと思っていた、そんな時だった。

 不意に誰かの携帯が着信を告げる音楽を流してきた。


「あれえ? これは多分……阿室先輩っ! 携帯、鳴ってますよお?」

「むう、颯爽さっそうたるシャアか。いかにもお前らしい着信音だな、阿室っ!」


 いづるを含めた三人が、じっと玲奈を見詰める。彼女はしかし、携帯を取り出そうともしない。ポケットの中から布をくぐり抜けてくる、少しくぐもったメロディが鳴り続けていた。


「そうよ、いづる君。これが1stファーストガンダムで使われた劇中曲、颯爽たるシャア……でも、世間では独特な歌詞とメロディの、シャアが来るの方が有名なのよね」

「そんなこと言ってないで、阿室さん! メールか電話なんじゃ……」

「いいのよ、いづる君」

「いや、よくないですよ……あ、操作ですか? 僕、手伝いましょうか?」

「……いいの」


 結局、颯爽たるシャアのメロディはワンループとちょっとで途切れた。

 それでようやく玲奈はガラケーを取り出すと、酷く億劫そうな目でそれを開いて着信履歴を確認し、溜息と共に再び携帯をしまう。

 どうやら、出たくない相手からの電話だったようだ。

 妙な沈黙が四人の間に広がり、それを払拭するように玲奈が笑顔を作る。


「父よ、父様。でも、いいの……話すこと、ないもの」

「阿室さん……」

「私の父様はね、難しい研究をされてるわ。世界中に山程特許を持ってて、遊んでても暮らせるから……遊び半分で今は、とんでもないものを開発してるって聞いてる。けど、それだけ」


 やはり、家族のことを語る時の玲奈は寂しそうに笑う。

 それは、いづるが見たいいつものまぶしげな笑顔ではなかった。

 いづるがそんな思いで玲奈を見つめてると、不意に翔子が玲奈の腕に飛びついた。彼女はぶら下がるように玲奈の腕を抱いて、身を寄せつつトロトロと喋り出す。


「でもぉ、阿室先輩っ! お父さんとは仲良くした方がいいですよぉ?」

「……そうね、そうできたらいいのだけど」

「難しいんですかあ?」

「ふふ、やってみるさ! ……とは言えないような仲ね。もうずっと会ってないもの。十年くらい、お互い顔も見てないわ」

「あはは、じゃあ……いづちゃんと一緒ですねえ」


 思わずいづるは「こら、翔子」と声をあげてしまった。

 だが、翔子は相変わらずべったりと玲奈に張り付いたまま言葉を続ける。


「いづちゃんちも、お父さんとお母さんがお仕事で小さい頃からずっといないんですぅ。お姉さんもお嫁にいっちゃったし。それでわたし、いづちゃんの面倒みてるんですよぉ?」

「あら、そうなの……そうね、ごめんなさい。私だけ家庭環境に恵まれてないなんて、思い上がりだわ」

「因みに、わたしの家はお父さんもお母さんも仲良しです! ね、富尾先輩っ!」

「ン、そうだな……この間など、思いがけず夕食を御馳走になってしまっ……は! い、いや、うむ、それは、あれだ!」


 ん? と玲奈はいづると顔を見合わせた。

 その頃にはもう、玲奈から離れた翔子は、真也に追い回されながら走り出している。


「ええい、DVDを、キングゲイナーを貸しに行っただけだろう! それをお前という奴は……楞川っ!」

「でもぉ、真也先輩、わたしとお母さんが作った肉じゃが、美味しいって言ってたじゃないですかあ……ちょっと、もぉ! なんで怒るんですかあー」

「お前が口が軽いからだろうっ! しかしな……これで俺は自由を失った」


 よくわからないが、いづるや玲奈の知らないところで二人は会っていたらしい。じゃれあう二人は追い駆けっこをしながら、いづるたちに「富尾先輩にお尻を触られてたのー」「違うぞ!」と言いながら、商店街の方に駆けてゆく。

 心なしか、その姿を見詰める玲奈の眼差しが優しさを帯びていた。

 いづるは、玲奈の穏やかな笑みが好きだ。こういう顔でいつも、彼女に笑ってて欲しい。笑顔が見たいから、彼女を連れて庶民的な普通の生活を送り、彼女のガンダムオタク、いわゆるガノタ的なアレコレにも付き合う。

 玲奈の笑顔だけが見れれば、今はそれでいいと思ういづるだった。


「阿室さん、僕は……僕はですね。父と母と姉がいますが、血は繋がってないんですよ」


 隣で一緒に真也と翔子を見送りながら、ぼんやりといづるは語り出す。

 自分でも進んで話したことはなかったが、気がついたら自然と言葉が口をついて出た。玲奈に何故か、知ってほしいと感じてしまった。自分のことを伝えたかった。


「本当の両親は小さい頃、僕を残して事故で……でも、今の両親と姉が、僕の本物の家族です。そりゃ、ずっと会えてないけど……あと、翔子がいるし、今は富尾先輩も……阿室さんもいてくれますから。だから、とても幸せですよ、僕なりに」

「いづる君」

「アムロ・レイもカミーユ・ビダンも、そりゃ……いい家庭環境とは言えない家の子供でしたけどね。他のガンダムの主人公は……どうなのかな?」

「そうね。両親不在で妹を育ててるジュドー・アーシタ、家庭より仕事を取った母親のいるシーブック・アノー、両親と死別し、優しいけど仕事人間な母一人に育てられたベルリ・ゼナム」

「みんな、結構色々ですよね。そりゃ、色々な人がいるんですから、色々ですよ」


 いづるは笑って、歩き出す。

 当然のように玲奈も、その横に寄り添い並んだ。

 赤になった信号機の向こう側では、商店街へと入るアーケードの前で翔子が手を振っている。その横では真也が、彼女の頭をバスバスと遠慮無く鞄で叩いていた。

 信号が青に変わるのを待ちながら、ふといづるは先程の話の続きを呟く。


「お父さんと、機会があったら話してみてもいいかもしれませんよ? 無理にとは言わないですけど……さっきの電話だって、ひょっとしたらお父さん、なにか話したかったのかも」

「そう、ね……そうだと、いいのだけど。私、父様には絶望できてしまってるのよ」

「……ガンダムで例えると?」

「ベラ・ロナをやれと言うセシリー・フェアチャイルドの父親、鉄仮面とか。妻の仇を取るべく、怨恨えんこん妄念もうねんへと増幅していったパトリック・ザラとか。でも、私だって悪いのよね?」

「悪い人なんか一人もいないですよ、多分。ま、気になったらなんでも言ってくださいよ。僕、いつでも阿室さんの力になりますから」


 信号機が青になり、メロディが流れる中をいづるは玲奈と並んで歩き出す。

 これ以上はもう、いう必要はないし、玲奈も求めていないようだった。玲奈はきっと、自分が言う以上に痛感してて、だからこそ苦しいのだといづるは思う。

 そう気遣える自分が特別ではないことも、いづるは重々承知の上だった。

 少し考え込みつつ、玲奈はいつもの笑顔に戻る。


「いつか、父様と向き合うわ、私。今は無理でも……人が変われるなら、きっといい方向にだって転がっていける筈ですもの」

「ええ」

「それと、いづる君ってトビア・アロナクスみたいなご家庭なのね。……みんな違って当然、みんな色々あるものね」

「ええ、それって誰もが普通ってこと、阿室さんも普通の女の子だってことですよ」


 玲奈は大きく頷いた。

 それでいづるも、彼女が笑みを浮かべたので笑い返す。

 そうして再び四人になったいづるたちは、商店街の賑やかな喧騒へと消えてゆくのだった。

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