第29話「玲奈の決断」

 それは、奇妙な誘いで頼みで、懇願こんがんだった。

 日陽ヒヨウいづるは勿論、阿室玲奈アムロレイナの願いとあらば、引き受けねばならない。

 だが、彼女はいづるに手を合わせて拝み倒し、こう言ったのだ。


 ――いづる君、、と。


 そして今、いづるは何故か小洒落こじゃれたカフェテラスで放課後を過ごしている。梅雨入つゆいりが宣言された空はどんよりとくもっていたが、窓際から川の水面を見下ろす席で二人は並んでいた。

 わけもわからずいづるは、自分の緊張感が高まってゆくのを感じる。


「ごめんね、いづる君……こんなこと、いづる君にしか頼めなくて」

「あ、いえ! ……そ、そのっ! 一日だけと言わず、ずっと……ずっと、恋人役でも」

「そ、それは駄目よ……駄目、いけないぞ?」


 玲奈はいづるから視線を逸らすと、指と指とを弄びつつゴニョゴニョと呟いた。いづるにははっきりと聞き取れないが、どうやらまだ友達から進展することはないようだ。


「ずっと恋人だと……同じ名字みょうじになれないんですもの。そこでずっと止まるのは、駄目よ」

「え? 阿室さん?」

「ううん! なんでもないの! それより……ごめんなさい、わがままで。今日だけ彼氏の、恋人のフリをしてほしいの。……私、このままだと結婚させられてしまうわ」


 玲奈は手早く説明してくれた。

 以前会った、従兄弟いとこ海音寺豊カイオンジユタカ……その兄が、玲奈のことを見初めて結婚を申し込んでいるらしい。それも、ずっと前から執拗に。悪い人間ではないらしいが、どうしても玲奈はその人との将来を考える気にはなれないようだ。

 そうこうしていると、黒服を引き連れたスーツの男がやってくる。

 笑顔が眩しい美形で、いかにも青年実業家という感じの好青年だ。


「やあ! 待たせたね、玲奈」


 声もさわやかなイケメンだ。

 自然と玲奈が立ち上がる、それにならったいづるも席を立つ。

 二人は丁寧に挨拶をして、非礼がないように頭を下げた。


「わざわざありがとうございます、マサルさん」

「は、はじめまして……日陽いづるといいます。あの、阿室さんとは」

「勝さん、彼は私の恋人で、真剣に交際させて頂いてるんです」


 いづるは自分が大根役者だいこんやくしゃな自覚はあったが、玲奈は堂々とシラを切って嘘をとおすつもりだ。彼女がいづるにニコリと微笑みかけてくるので、自然といづるも引きつった笑みを浮かべる。

 目の前の美丈夫ハンサムは「ほう!」と意味深な笑みで、いづるに手を差し伸べてくる。

 誘われるままに握手を交わして、いづるは内心ビクビクしつつ震えた。


「私は海音寺勝カイオンジマサル、先日は豊が世話になったね。君も大変だろう? 玲奈は、この子はガンダムが好きだなんていう、珍しいだからね」

「まあ! 勝さん、そんなことを仰らないでください。……それは、そうでもありますが」

「はっはっは! いいんだよ、今時の女の子は趣味も千差万別さ。それに……私だってガンダムには詳しいし、小さい頃は熱中したものさ」


 勝はそう言ってウェイトレスを呼ぶと、なにやら玲奈やいづるの分まで勝手に注文してしまった。そうしていると、玲奈がそっと耳打ちしてくる。


「勝さんは悪い人ではないのだけど……なんでも自分の思い通りになるのが当然と思ってる方なの。あと……私の気を引きたくて、ガンダムファンをやってる人なのよ」


 ああ、なるほどといづるは漠然ばくぜんと理解した。そういう少し面倒くさい人からの、一方的な好意というのは厄介なものだ。なまじ悪意がないだけに、タチが悪い。そういうものから玲奈を守るためなら、少しくらいは骨を折ろうというのがいづるという少年だった。

 そうこうしていると、勝は側に立つ黒服の運転手に、なにかを命じて走らせる。

 運転手と思しき青年は「かしこまりました」と、外へ出て行った。


「それにしても、勝さん。最近は御活躍だとお聞きしてます」

「いやなに、それも阿室のおじさんが凄いからさ。うちらは取り巻き、言ってみれば阿室のおじさんのマネージャーみたいなもんだよ」


 阿室のおじさんというのは、恐らく玲奈の父親だろう。

 いづるは未だ、玲奈の家族のことをよく知らない。時々玲奈は、父親のことを話すと寂しげな顔をする。そして、あの阿室家の大豪邸に行っても、一度としてメイド以外の人間に会ったことがなかった。

 運ばれてきたコーヒーに砂糖とミルクを入れていると、いづるへ勝が語りかけてくる。


「君も知ってるだろう? 阿室のおじさんは今も、物凄い研究をしてるんだ。世界中が注目する研究でね。あと、今まで取った特許は、うちの会社で管理してるけど、それはもう――」

「勝さん」

「ああ! そうだった、すまないね。玲奈は家の話は嫌いだった。ハハハ、忘れてくれよ? 彼氏君」


 言われなくても、玲奈の全てを見れば自然と知れる。莫大な富を持った家だ。そして、それだけが玲奈の全てではないことを、もういづるは感じている。

 玲奈を取り巻く環境や現状にいづるは恋をしている訳ではないのだ。

 それを心の中に呟いて、いづるがうつむき加減だった自分を奮いたたせる。真っ直ぐに勝の顔を見やると、勝は気さくな笑みで白い歯を零す。


「殺し合いをした相手と茶は飲めないか? 日陽いづる君」

「えっ? あ、いや、殺し合いだなんて」

「いい反応だ。だが向こう見ずでもある。パイロット気質だな」

「パイロット? えっと」


 突然訳のわからないことを言い出した勝は、チラチラと玲奈を見ながら台詞じみた言葉を切る。そう、台詞……芝居がかったそれは、まるで台詞のような独特の硬さがあった。

 やがて彼は、人懐ひとなつっこい笑みを浮かべて玲奈へと笑いかけた。


「ハッハッハ、ごめんごめん。ガンダムだよ、ガンダムの台詞さ。確か、シャーだったかな? そう、シャーの台詞だ」


 ちらりといづるは、玲奈の方を横目に見やる。

 玲奈はプルプルと震えていた。

 それは、いづるにはわかる……なんとなくわかる。この、目の前の少しイラッとする好青年はもしかしたら……いや、恐らく確実にそうだ。彼は、間違ったガンダム知識をひけらかしているのだ。そして玲奈は、それにツッコミを入れたくてしょうがないのだった。

 だが、玲奈がガノタゆえの自分を押さえ込んでいる間も、勝の言葉は続く。


「私もガンダムが好きでね、そういうところは玲奈とそっくりだ。そう思わないかい? いづる君。まあ、恥ずかしい話だが私もちょっとしたガンダム博士だよ、ハハハ」


 もはや玲奈は、あうあうと口を開きかけては、思い出したようにつぐんでいる。ツッコミを入れたくてしかたがない、間違った知識を無駄にひけらかす人間を前にしたオタクの心境……それそのものだ。

 だが、勝は勝で、そんなことにはお構いなしに言葉を続ける。


「いづる君はガンダム、好きかい? 玲奈の彼氏なんだ、一緒にガンダムするだろう?」

「え、ええ……一緒にみたり、あと、ガンプラを作ったり」

「ガンプラ! いいねえ、私も大好きだよ。いづる君はどのガンダムが好きだい? ドムとかザクとか、いろんなガンダムがあるだろう?」

「え、えと」


 やばい、隣の玲奈が爆発寸前だ。いづるには直ぐに「そもそもガンダムというのはモビルスーツの個体名であって、それらガンダムやドム、ザクの総称をモビルスーツと言うのよ!」と叫びたがる玲奈の気配を察していた。

 うずうずを通り越してもう、玲奈はぷるぷると震えている。


「私はね、結構つうだから……大人になるとね、いづる君。ゴテゴテしたガンダムよりシンプルな物が好きになるものさ。最近はあれを作ったよ、ええと……そう、ガンダムエムケーツー!」


 玲奈が既にもう、噴火寸前の活火山みたいなことになってる。

 それでも、愛しの玲奈を楽しませてるつもりで、勝は喋り続ける。


「まあでも、私も玲奈もガンダムにはうるさいからね。やっぱり宇宙世紀うちゅうせいきの作品に限るよ。さっきの台詞のある、そう、シャーの出てくる……ガンダムユーシーが私は好きだね!」


 そこまで言ったところで、先ほどの黒服の運転手が戻ってきた。

 勝は立ち上がって振り返ると、彼からつつみを受け取る。

 その咄嗟の間に玲奈は爆発した。


「ガンダムエムケーツーではないわ、ガンダムMk2マークツーよ! それにユーシーってなにかしら、それじゃまるで珈琲コーヒーだわ。ガンダムUCユニコーンよ!」

「まあまあ、阿室さん……抑えて抑えて」

「わかったでしょ、いづる君っ! 私、生半可な知識が嫌っていうんじゃないの……私の気が引きたくてガンダム好きをやって、それに酔ってる勝さんがイライラするのよ」


 声を抑えてボソボソと喋る玲奈が、半分涙目になってる。

 確かに気の毒だと思いつつ、いづるは玲奈を元気づけるように押し戻してやった。それは、勝がテーブルの上に小さな箱を置くのと一緒だった。


「玲奈はガンプラ好きだからね。珍しいガンプラをプレゼントに持ってきたよ。ワインと一緒さ、古い物もまたいい……そして、わかる人には良さがわかるんだ」


 勝が出したのは、古びたプラモデルの箱だ。そして、それを目にした瞬間、玲奈は驚きのあまり小さくひるんだ。


「えっと……モビルフォース? ガンガル、って」

「やだ……私も実物は初めて見るわ。実在したのね……ガンガル」

「知ってるんですか? 阿室さん」


 玲奈は震える手で、少し変色した箱を持ち上げる。


「これは、モビルフォース・ガンガル。昭和の時代に、ガンダムブームに便乗して作られた……

「へー、昔は法規制とかもゆるかったんですね……言われてみると、ちょっと、なんか……ううん、全然違いますよね」


 そして、次の一言がどうやら玲奈の逆鱗げきりんに触れたようだった。


「私はね、玲奈。君の望むものならなんでも買ってあげられる、そういううつわの男だよ? ボーイフレンドを作って学校生活を楽しむのもいい。けど、将来をもっと大事にしなきゃ。いづる君といったね? 君、家は? 資産はどれくらいだい? 戦いは数だよ、なんてね、ハハハ」


 そっと玲奈が、ガンガルの箱をテーブルに置くと立ち上がる。彼女は、怒っていた。それは、いづるが初めて見る玲奈の怒りだった。

 玲奈は、いつもの優しげな表情を僅かに凍らせ、はっきりと勝に言う。


「勝さん、この際だからはっきり申し上げます。私、友人を……いいえ、大事な人をそんな風に言われて黙ってる女ではありません! 私、結婚しませんから! ……私たちは、どうして……こんなところに……来てしまったのかしら。私たちの、世界はっ!」


 玲奈はいづるの手を取り立ち上がらせると、慌てた様子の勝の、その伸ばした手を振り払う。彼女は激昂げきこうあらわで、そのままテーブルにお茶代を叩きつけると、いづるの腕を抱いて歩き出す。

 玲奈の怒りを肌にビリビリ感じながらも、同時に二の腕を抱きしめてくる胸の弾力が熱い。

 いづるは呆然と立ち尽くし勝を肩越しに振り返って、会釈をしつつ店を出るのだった。

 それが、玲奈が見せた最初で最後の怒り……いづるへの侮辱ぶじょくに怒った姿だった。

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