第28話「オタク部屋に激震は疾る 」

 その日は珍しく、楞川翔子カドカワショウコがクラスの実行委員で遅くなるという。彼女は、夏休みの後に控える文化祭の係を押し付けられているのだ。そして、富尾真也トミオシンヤも生徒会の仕事があるという。

 そんな中、テキパキ仕事を片付けてしまったのは、阿室玲奈アムロレイナだった。

 彼女と日陽ヒヨウいづるは、珍しく二人きりの帰路を歩く。そして、そんな時に玲奈は「いづる君は今日は、私の家に寄り道するべきだわ!」と、顔を赤らめ迫ってくるのだった。

 そんなこんなで、いづるは久しぶりに二人きりで阿室家の巨大な屋敷へやってきた。


「おかえりなさいませ、お嬢様。それと、いづる。よく来たな」

海姫マリーナ、いづる君にお茶をいれて頂戴」


 相変わらず仏頂面ぶっちょうづらで愛想がないが、礼儀正しい来栖海姫クルスマリーナの歓待を受けるいづる。玲奈はニ、三のやり取りで海姫にお茶の準備をさせると、いづるを連れて部屋へ向かった。

 だが、それは以前に従兄弟の海音寺豊カイオンジユタカと会った寝室ではなかった。

 玲奈は、その奥にある部屋のドアを開いて、いづるを笑顔で招き入れる。


「入って、いづる君。ここが、私のもう一つの部屋よ」

「あ……なるほど。なんか、こっちの部屋も阿室さんらしいですね」


 そこは、一言で言うなら……ガンダム部屋だった。

 天井や壁には、色々とガンダムのポスターが貼ってある。部屋の左右の壁に並ぶ棚には、所狭しとガンプラが飾られていた。本棚の中身も全部、ガンダム関連の書籍が並んでいる。

 こっちが玲奈の素顔で本心、そして本音だ。

 彼女は全校生徒が憧れる優等生のアイドルだが、本当はガンダムが好きなただの女の子なのだった。

 変な安心感もあって、いづるは玲奈が促すままに部屋の奥でクッションの上に座る。

 見れば、机の上には作りかけのガンプラがあって、どうやらそこは机というよりは作業台のようだった。灰色一色に塗られた、ジオン系と思しきモビルスーツが立っている。


「ああ、いづる君。それはサフよ」

「サフ、ですか。えっと、一つ目だからジオンのモビルスーツですよね」

「ふふ、サフというのは名前じゃないわ。サーフェイサー……つまり、下地を塗った状態よ。このあと、上から塗装をしてくの。この間、富尾君のザクを見てたら私もオリジンのキットが作りたくなっちゃって」


 そんなことを話しながら、玲奈はいづるの隣にチョコンと座る。

 みんなと四人で一緒の時よりも、心なしか距離が近く感じたいづるだった。そして、その距離をさらに縮めるように玲奈が身を寄せてくる。

 玲奈は床に手を突くと、身を乗り出すようにしていづるの顔を覗き込んできた。


「いづる君、あの、あのね? その……お願いが、あるのだけども」

「は、はい」

「また、我儘わがままを聞いてほしいのだけど。いいかしら?」

「は、はいぃ!」


 基本的にいづるは、玲奈の言葉に逆らえないし断れない。

 どういう訳か頬を紅潮こうちょうさせた玲奈は、じっといづるを見詰めてくる。その目はうるんで星屑ほしくずが揺れるかのよう。

 どぎまぎとしつつ、いづるは黙って玲奈の言葉を待つ。

 そして、いつもの様に落胆半分、安心半分で溜息を零す羽目になるのだった。


「夏コミよ、いづる君!」

「ア、ハイ……」

「夏のコミックマーケットというお祭りがあって、それに私は行ってみたいの! 前に翔子さんから聞いたわ。同人誌の即売会があるのよ」

「そ、そうですね。はい」

「ガンダムのファンの人たちが、いろんな同人誌を作って持ち寄るの。素敵……なら、買うしかないじゃない!」

「いやあ、阿室さんにそういう趣味が……ま、まあ、いいですけど」


 同人誌、つまり同好の士が集まって作る趣味の本である。

 そしてそれは、いづるの偏った知識では、エッチなマンガ本というイメージしかなかった。翔子が集めている男同士の情事じょうじを描いた作品が念頭にあるので、さらに思い込みは偏重してゆく。

 だが、玲奈が欲しがっている同人誌はそういうものではなかった。


「ジェガンを愛好する方たちが沢山いてね、いづる君! その方たちが合同で……ジェガンの同人誌を出すのよ! ジェガンよ、ジェガン!」

「えっと、ジェガンってのは……どんなキャラだったかなあ」

「RGM-89ジェガン、ジムに代わる連邦軍の量産型モビルスーツよ!」

「え、あ、うーん……阿室さん、それって上級者過ぎませんか? ロボ同士のそういうの……ま、まあ、ダメとは言わないですけど」


 いづるはムッツリスケベ、これはもはや常識。

 そして、それ故に誤解をしていたし、そういう特殊な性癖への知識だけは無駄にあるのが思春期の少年というものだった。

 だが、玲奈が言うのは違うらしい。


「ジェガンのバリエーション解説や、沢山のイラストが載った本なの! 私、それが欲しいわ……最近、ようやくインターネットが使えるようになってきて、色々な人のガンダムイラストを見てきたもの」

「あ、携帯とかパソコン、使えるようになったんですか」

「とても難しかったわ、今でも成功率は五回に一回くらいよ。でも……さらにできるようになったわ、インターネット!」


 そうして玲奈は立ち上がると、ガンプラが並ぶ棚へと向き直る。

 彼女はすぐに、何個かのガンプラを取ってきていづるの前に並べた。


「これがジェガンよ! まずA型とD型、こっちがゼネラル・レビル配備のA2型。で、これがD型のエコーズ仕様。こっちはF91に登場するJ型と、R型Aタイプと、M型Bタイプよ!」

「……全部、同じですよね」

「違うわ、いづる君! ほら見て、こっちのスタークジェガンに至っては別物でしょう?」

「あ、これ知ってます。フルアーマーっていうんですよね、ガンダムでよくある」

「近いわね、増加パーツで装甲と機動力をUPした特務仕様なの。で、これがCCA版のプロト・スタークジェガン」

「同じですよね! ってか、阿室さん……いくつ持ってるんですか」


 玲奈は嬉しそうにガンプラを並べるが、いづるにはどれも同じに見えた。

 どうやら玲奈は、このジェガンというモビルスーツがお気に入りらしい。そして、それを自分以上に好きで詳しい人たちの同人誌……ジェガンの非公式設定資料集が欲しいのだ。

 玲奈は一個中隊規模のジェガンを棚に戻しつつ、振り返る。


「それに、私……コスプレに挑戦してみたいの。ガンダムの、コスプレよ! どのキャラを……ううん、モビルスーツを着てもいいわ!」

「はあ……それで夏コミに。それなら翔子が詳しいですよ」

「今まで夏は勉強とか、あと軽井沢かるいざわ避暑ひしょとかしかなかったわ。でも、今年は少し遊ぶの! 梅雨が明ければすぐ夏休みよ! ……その前に期末テストがあるけど」

「そ、そうですね。期末テスト……そうだ、忘れてた、テストがあるんだった」


 いづるが憂鬱ゆううつそうにへらりと笑った、その時だった。

 少し恥ずかしそうに玲奈は、頬をポリポリと指で引っ掻きつつ視線を逸らす。

 そして、異変はその時に起こった。


「いっ、いづる君……期末テストの前、勉強見てあげるわ。特訓よ、いづる君は覚えが早いからもっと成績もよくなるもの。わっ、私、つきっきりで……勉強、見るわ」

「はあ、それは……いつもすみません、ありがとうございます。じゃ、じゃあ……んっ!?」


 いづるのスマホが、玲奈のガラケーが耳に痛い不穏な音を響かせた。

 瞬間、グラリときた。

 突然、世界が揺れた。

 次の瞬間には、左右でガンプラを並べた棚がカタカタと鳴り出す。

 地震だと思ったその時には、大きな縦揺れが断続的にいづるの足元を突き上げてきた。

 咄嗟に立ち上がったいづるは、玲奈に駆け寄りその身を抱き寄せる。


「やだ、地震! いづる君、地震よ……いづる君?」

「すみません、阿室さんっ!」


 いづるは迷わず、玲奈を抱き寄せその頭をかばう。

 激しい揺れは強さを増して、棚の上に並んでいたガンプラたちが倒れたり落ちたりし始めた。それをいづるの腕の中から見上げて、玲奈がストンと尻もちをつく。


「いやっ、私のガンダムが! そ、それどころじゃないわ、いづる君。逃げなきゃ、いづる……君?」

「大丈夫です、ほら……収まり始めました。阿室さん」


 徐々に揺れは収まり、ドアの向こうではメイドたちがバタバタと忙しそうに走り回る気配がする。そして、玲奈のガンダム部屋は見るも無残に散らかっていた。どのガンプラも倒れてしまい、酷いものは棚から落ちて床に散らばっている。

 それを見詰める玲奈は、いづるを強く抱きしめつつその場に崩れ落ちていた。

 やがて、揺れが終息するとドアが開かれる。


「お嬢様! ご無事ですか!」

「あ、海姫さん……だ、大丈夫だと、思います。あ! こ、ここ、これは! その!」

「いづる……お嬢様を守ってくれたのか。感謝する」


 駆けつけた海姫は心底玲奈を心配していたようで、珍しく血相を変えた顔でやってきた。そして、いづるの胸に顔を埋める玲奈が弱々しく頷くと、ようやく安堵の表情を見せる。

 そしていづるは、玲奈の体温と匂いに包まれたまま、その場を動けなくなっていた。


「いづる、お嬢様を頼む。私は御屋敷を見て回らねばならん。頼んだぞ」

「あ、待ってくださいよ、海姫さん! ……行っちゃった。あ、あの、阿室さん?」


 その場にへたり込んだ玲奈は、いづるに抱きつき震えながら、動こうとしない。

 弱々しい声だけが、細く小さくいづるの鼓膜を揺らした。


「ごめん、なさい……いづる君。その……腰が、抜けて」

「あ、いえ。大事にならなくて良かったです。……うわ、震度3かあ。見て下さいよ、阿室さん。関東圏で結構揺れたみたいです」


 スマホを取り出したいづるは、改めて室内を見渡す。震度3とはいえ、多くのガンダムグッズやガンプラを集めたこの部屋では大惨事だ。

 いづるに身を寄せたまま、玲奈も力なくまだ震えている。


「いづる君……もう少し、もう少しだけ。こうしてて、いいかしら……」

「え、ええ。それは、構いませんけど」

「駄目ね、私……情けないわ。それに、ガンプラが」

「片付け、手伝いますよ。……阿室さんに怪我がなくて、よかったですよ、でも」


 いづるはそのまま自分も座ると、しがみついてくる玲奈の背をポンポンと優しく叩いた。

 この地震が、ここ最近断続的に続いていた余震のなかでも大きなものだと、いづるは帰宅後のニュースで知る。

 そして、この年の夏に都民を怯えさせた、一連の群発地震が……自分と玲奈の運命を変えることになるとは、この時は想像すらしないいづるだった。

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