FIRST IMPRESSION

第21話「黄金の朝」

 楽しい時間は光陰こういん矢のごとし……ゴールデンウィークもあっという間に最終日になっていた。

 日陽ヒヨウいづるは最後の一日を自宅でダラダラ過ごすことに決めていた。幼馴染の楞川翔子カドカワショウコが作った朝飯を食べ終えると、居間のたたみの上に寝転がる。勉強もそこそこしていた連休だったが、彼が寝不足なのには意味があった。

 彼はこの連休で阿室玲奈アムロレイナに少しでも追いつきたくて、ガンダムのDVDを夜な夜な見ていた。だが、四クール一年の約五十話を見るのは骨が折れた。


「なんだか、一人だとイマイチよくわからないアニメだな。……学校始まったら、阿室さんに色々聞かなきゃ」


 満腹感も手伝って、朝日の差し込む一階の居間はぽかぽか温かい。二度寝の睡魔が迫る中で、自然といづるのまぶたは重くなっていた。ゆっくり狭くなってゆく視界がぼやけてにじみ、徐々に見るもの全ての輪郭りんかくが解けてゆく。

 このまま眠りに落ちるかと思われたいづるは、眠気が見せる幻想ファンタジーを見た。

 腰に手を当て、自分を見下ろすりんとしたたたずまいが微笑ほほえんでいる。


「あれ……阿室、さん……!? えっ、ま、待って、あれ!? 阿室さんっ!」


 一気に目が覚めた。

 瞳を見開けば、鮮明になってゆく世界の中心に玲奈が立っていた。

 今日の彼女は、膝上のプリーツスカートに薄いカーディガンだ。

 自然といづるの視点はフォーカスを移して、自分を覗き込む玲奈のスカートの中へと眼差まなざしを集めてゆく。


「……白い! 白い、モビルスーツ!? ガンダム!」

「こら、駄目だぞ? そうやってスカートの中なんか見るより、早くお立ちなさいな」


 普段から黙っていれば大人びた印象もあって、深窓しんそう令嬢れいじょうという雰囲気がある玲奈。彼女がまさか、ガンダムのプリントが入った子供っぽい下着パンツを履いているとは驚きだった。

 それでびっくりしていると、玲奈はじとりと半目でいづるをすがめて、顔をムギュリと脚で踏んでくる。今日の彼女は裸足はだしで、あわてていづるはその脚線美をどけて立ち上がった。

 間違いない、本物の阿室玲奈が目の前に立っていた。


「阿室さんっ! なんで僕んちに……え、あれ?」

「あら、約束したじゃない。一緒にガンプラ作りましょう、って。連休も終わりだし、翔子さんに昨夜メールしたんだけど……」

「ええーっ! ちょ、ちょっと待っててください!」

「翔子さん、いづる君にも伝えてくれると言ってたわ」


 慌てていづるが周囲を見渡すと、翔子は呑気に庭で洗濯物を干していた。

 サッシを開いていづるは身を乗り出し、思わず発する声を大きくしてしまう。


「翔子、お前さ! なんか、阿室さんが遊びに来てるって!」

「あ、もう着いたんだぁ。じゃ、お茶の準備するねぇ……あ! エヘヘ、いづちゃんに言うの忘れてたあ。メンゴメンゴ~」

「お前なあ……早く言えよ、そういうことは」

「アムロセンパイガアソビニクルヨー!!」

「早口言葉で言えってんじゃなくてさ!」


 呆れるいづるから目を逸らす翔子、十年以上も続いてきた二人の日常の風景だ。だが、そんなやりとりが面白いのか、後ろで玲奈はクスクスと笑っていた。

 そして、玄関でインターホンの電子音が響く。


「あっ、富尾トミオ先輩も来たかなぁ? わ、わたし、見てくるね~」

「こら、待て翔子! 富尾先輩も呼んでたのか。全員集合じゃないか、まったく」


 洗濯物を干し終えた翔子は、庭から外を経由して玄関の方へと駆けていった。その背中を見送り、いづるは頭をかきながら振り返る。


「なんか、バタバタしちゃってすみません、阿室さん。で、でも……嬉しい、です」

「友達ですもの、遊びに来たり行ったりするものだわ。そうじゃなくて?」

「え、ええ……じゃあ、今日は色々とガンプラのこと、僕に……ん、ふ、ふぁーっ、はぁ」

「あら、あくび? 眠いのかしら」


 じっと玲奈は顔を寄せてきて、真っ直ぐ真正面でいづるを見詰めてくる。

 互いの呼吸が相手の皮膚をで合う、そんな距離だった。

 精緻せいちな小顔が目の前に会って、思わずいづるはドギマギと落ち着かない。


「その、夜は遅くまでガンダムを……昨晩もキリがいいとこまで見ようと思ってたら、真夜中になっちゃって」

「あら、いづる君はなにをみてるのかしら?」

「えと、ゼータガンダムってやつです。阿室さんが前に少し言ってたから、劇場版の三部作じゃなくてテレビ版を。流石さすがにちょっと、量が多くてビックリしましたけど」

「いいわね、テレビ版。衝撃の最終回に、キミはときの涙を見るんだぞ?」


 そう言ってニッコリと表情を崩す玲奈。ここ最近、いづるや親しい者たちにだけ見せるくつろいだ笑顔だ。普段の皆に向ける怜悧れいりな微笑、ツンと澄ました微笑みではない。

 そこには、本当にただガンダムが好きなだけの、いづるの好きな玲奈がいてくれた。

 彼女は小さなかわいいナップサックを下ろすと、中からガンプラの箱と工具を数点取り出す。いづると秋葉原で買った、おそろいのガンダム……ユニコーンガンダム二号機バンシィ・ノルンだ。他にもニッパーとかデザインナイフ、ヤスリとかが並ぶ。

 それを居間の広いテーブルに玲奈が広げるので、いづるは慌てて座布団ざぶとんを取ってくる。

 玲奈はピンと背筋を伸ばして座布団の上に膝を折った。

 惚れ惚れする程に見心地の良い、すらりとしたスタイルの良さが際立つ。


「あれ、阿室さん……このペン、なんです? ニッパーとかはわかるんですけど」

「ああ、これ。これはコピックのスミ入れ用のペンよ。0.8mmという脅威の細さなの……どんなモールドも、ねらるぜ、って感じかしら?」

「なるほど……その、スミ入れってのは」

「ほら、ガンダムって細かい部品のミゾとかくぼみがあるでしょう? そういうところにこの細いペンでスミを入れてあげると、ぐっと出来栄えが引き立つのよ」

「ふむふむ。でも阿室さん、今日のそのガンプラ、真っ黒ですけど」


 箱のイラストには、金のたてがみを髣髴ほうふつとさせる角のガンダムが描かれている。バンシィ・ノルンは黒いガンダムだ。それを玲奈も見て「あら」と小さく開いた口に手を当てた。


「……いづる君のは白いんだから、スミ入れのしがいがあるわよ。貸してあげるわ!」

「あ、ありがとうございます」


 グイと玲奈が突き出してくるので、スミ入れとやらをするための細いペンを手に取る。その時、自然と肌がふれあい、手に手が重なった。

 玲奈の手はすべやかで柔らかく、そして温かかった。

 思わずいづるも玲奈も、互いに一本のペンを握って硬直する。

 自然と目と目が合えば、大きな玲奈の双眸そうぼうに輝く瞳は星屑ほしくずのよう。

 ずっとこのまま、こうしていたい……そう願ういづるの中の永遠は、幼馴染の声で終わった。


「いづちゃーん! 富尾先輩も来たよ……富尾真也トミオシンヤ先輩っ、ザク! 発進どうぞ! なんてねぇ……ほよ? どしたの、いづちゃん」

「邪魔するぞ、いづる少年! 茶菓子など買ってきた、昼はピザを取るのはどうだろう……なに、休日とは常に二手三手先を読んで遊ぶものだ。ン、お前ら……?」


 慌てていづるは玲奈から離れた。

 玲奈もペンをいづるに押し付け、パッと手を離す。

 だが、真也と翔子はニヤニヤと互いを横目に見て笑った。


「富尾先輩、見ましたぁ? もお、いづちゃんてばすみに置けないなあ!」

「こ、これは違うわ、違うのよ翔子さん。隅に置けないというか、スミ入れ用というか……もぉ、本当に違うの。……死ぬほど、恥ずかしいぞ?」

「ハッハッハ、阿室っ! いい女になるのだな」

「ちちち、違うんですよ、富尾先輩っ!」


 こうして、奇妙な雰囲気の中でゴールデンウィーク最後の休日が幕を開けた。

 玲奈は耳まで真っ赤になっていたが、不思議と嫌悪や迷惑を感じさせる表情ではない。それどころか、参ったわねと照れ笑いにいづるを振り返る。

 いづるもうつむき加減に頷いたが、自分でも火照ほてって紅潮こうちょうするほおの熱を感じていた。


「さ、それじゃあみんなでガンプラ、作りましょう? いづる君、ガンプラしながら一緒にガンダムを……Zガンダムの続き、最後までみましょ。ガンダムをみるチャンスは最大限に生かす、それが私の主義ですもの」


 玲奈の言葉に誰もが頷き、この間買ったガンプラがテーブルの上に並んだ。

 いづるも部屋から先日の買い物を取ってくると、紙袋の中から玲奈とお揃いのユニコーンガンダムを取り出す。白いプラスチックに真っ赤なクリアパーツが、自然とおめでたい色合いでいづるを祝福しているかのようだった。

 いづるからDVDを受け取った玲奈は早速居間のテレビをいじりだし、翔子が助け舟を出して再生機へとセットする。最近いづるが聴き慣れてきた、森口博子もりぐちひろこの歌声が流れ始めた。

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