第20話「寄り添うふたり」

 山手線や京浜東北線と総武線が交差クロスする、首都東京の巨大ジャンクション……秋葉原駅あきはばらえき

 時刻も四時をまわり、日陽ヒヨウいづるたち五人は帰宅の途についていた。まだまだ明るい五月で、電車内に人影はまばらだ。いづるが空いてる席を見つけて、阿室玲奈アムロレイナ楞川翔子カドカワショウコ来栖海姫クルスマリーナといった女性陣をさり気なく座らせる。

 さも当然のように、玲奈は自分の隣をポンポンと叩いていづるを見上げてきた。

 並んで座れば肩と肩が触れ合い、形良い横顔がすぐ隣にあった。


「ふう、結構遊びまわったな。しかし、何度も対戦では阿室に……ええい、完全な一日にならんとは!」


 そうは言いつつ、一人だけ席がなくて立ってる富尾真也トミオシンヤも楽しそうだ。自然と笑顔が場を満たす。彼は一方的に玲奈をライバル視しつつも、どうやら以前より態度を和らげたようだ。

 電車は秋葉原駅を離れ、いづるをフラットなテンポの音と振動が包む。

 座っても翔子は興奮気味で、相変わらずハスハスと一生懸命喋っていた。


「でも、今日は色々買い物もできたしい、いい一日だったなあ。ね、いづちゃんっ!」

「あ、ああ……お前な、でも、その……あんまし阿室さんを困らせるなよ」

「えー、阿室先輩も喜んでたよ?」


 ヨドバシカメラでめいめいにガンプラを買った後は、翔子の希望でコミックとらのあなに行ったのだ。だから、こんなにも翔子は元気なのである。

 いづるはいづるで、真也と二人で薄い本がアツくなるという、その言葉の意味を体験もしたが。

 そういったサブカルチャーや二次創作に耐性のない玲奈は、ひたすらにおどろいていた。


「わたし、前から探してた同人誌も見つかったんだあ。うふふ、これはお宝本ですよ?」

「だからってな、翔子。その、阿室さんにああいう本を……すすめるなよ」

「えーっ、昔から『ボーイズラブが嫌いな女子なんかいません!』って言うよー? まったく、エロい人にはそれがわからんのですー!」

「エロいのはお前だろ、お前」


 苦笑するいづるを、玲奈の向こう隣から身を乗り出す翔子が、プゥ! と頬を膨らませてにらんでくる。多分、睨んでるのだと思われる……いつものゆるい顔を、一生懸命目元けわしく作ったオモシロフェイスは。

 だが、翔子は目の前で笑う真也にも視線を走らせると、反撃に出た。


「いづちゃんこそぉ、富尾先輩とエッチな本を見てたじゃない。わたし、知ってますよ? いづちゃんは……ムッツリスケベですよね!」

「なっ、ななな、なにを言ってるんだ、翔子。僕は、その、ゴニョニョ」

「フッ、いづる少年……タジタジだな。これが若さか」


 一緒に18禁の扉を開き、フライングで大人の世界に走ったいづると真也。翔子が玲奈を引っ張り回している間、二人は確かにエッチな同人誌をアレコレ物色していた。

 普段アニメや漫画でなにげなく見てるキャラが、濡れ場ベッドシーンを演じている漫画は刺激的だ。

 ガンダムの同人誌も多く、SEEDシード00ダブルオーといった最近の作品が人気のようだった。


「いづちゃんみたいのがさー、ベッドの下にエッチな本を隠してるんだよねぇ?」

「……ハ、ハイ……スミマセン」

「いっつもお部屋お掃除するわたしの身にもなってください? まったくもぉ、めぇ! だよ」


 両親が不在のいづるは、基本的に家事一切をほぼ翔子に頼っている。

 彼女は定期的にいづるの自室を掃除し、目にしたエッチな本はご丁寧に机の上に積み重ねてくれる。お母さんかよまったく! と毎回いづるは気まずい思いをするのだった。

 だが、そんな二人のやり取りに呆れたような、関心したような声を真也が響かせる。


「いづる少年、楞川は甲斐甲斐かいがいしいな……楞川はお前の母になってくれるかもしれなかった人間だ。大事にしろ」

「そ、そぉですか? 僕は、まあ、別に……感謝はしてるけど」


 しかし、目を白黒させる玲奈の手を引き、ロックオン×ティエリアだとかキラ×アスランだとか、あまつさえガトー総受け本なる怪しいものを買って回る翔子のイメージのほうが強い。

 母親以上に母親をやってくれて、その上おかしげ趣味全開な幼馴染、それが翔子だ。

 側にいるのが自然過ぎて、全く意識したことがないが……ここ最近、いづるが学園中の男女から酷くうらめしそうな視線で見られるのは、半分は翔子が原因だ。

 そしてもう半分は勿論、玲奈である。


「富尾先輩もぉ、なんかエッチな本、見てましたよね? やらしいんだぁ」

「待て楞川、ち、違うぞ! 断じて違う! ……見るだけしか、できなかったのだ」

「そーですよねー、萬代学園ばんだいがくえんのイケメン優等生、女子の憧れな富尾先輩がまさか……薄い本を買うわけにはいかないですよねぇ?」

「グヌヌ……そうでもあるが! おかしいですよ、楞川さん! 自分ではBL本を大量に買っておいて、俺たち男にはそんな……それはエゴだぞ、楞川っ!」


 二人のやり取りに自然と笑みが零れて、いづるも不思議と身体が温かくなる。だが、それは賑やかで穏やかな雰囲気だけが演出している体温ではなかった。

 ふと気付けば、自分の肩にもたれかかる確かな重みがあって、さらさらと長い髪がくすぐってくる。隣を見れば、いづるに寄りかかって玲奈がうつらうつらと船をいでいた。

 余程遊び疲れたのか、玲奈はガンプラが入ったヨドバシカメラの袋を抱きしめ眠っている。

 彼女のトレードマークのV字アホ毛は、ユニコーンガンダムみたいに閉じていた。

 気付いたいづるは、だんだん話が盛り上がってきた真也と翔子に、静かに「しーっ」と唇に人差し指を立てて見せる。


「っと、阿室は眠ってしまったか……随分はしゃいでたものな、うむ。だから、ねぇ、おやすみ……阿室。フン、こうして寝ている間はかわいいがな」

「わー、阿室先輩寝ちゃったんだあ? ふふ、どんな夢を見てるのかなあ」


 いづるの肩に首をもたげて、静かに玲奈は寝息を立てている。

 無論いづるも他の皆も、彼女がガンダムを夢見ていることを疑わない。

 普段のどこか知的でクールな雰囲気とは印象を異にする、あどけない寝顔にいづるもまなじりが下がる思いだった。眠気を誘う電車の振動は、差し込む西日の温かさと一緒にいづるの想い人を静かに揺らしている。


「きっと、少し疲れたのかなあ。でも、今日は阿室さん、楽しそうだった」

「フッ、同感だな、いづる少年。まあ、色々と傑作ではあったが……俺も楽しい休日だった。ゴールデンウィークとはこういうものか!」

「阿室先輩ったら、人生初のスターバックスであんなにはしゃいじゃってぇ……ほほえましいなあ。すっごく喜んでたもんね!」


 そんなことを話してたら、今まで静かに忠犬のように控えて据わっていた海姫が、静かに口を開いた。それは抑揚よくように欠く無表情な声音こわねだったが、今は不思議と柔らかく温かい。


「今日は感謝する、いづる。翔子。そして……ええと、富野信者とみのしんじゃ?」

「この俺、富尾真也が訂正しようというのだ、メイドさんっ! ……そろそろ名前、覚えてくれませんか」

「あはは、でも海姫さん。今日はわたしたちも楽しかったです。ね、いづちゃん!」


 翔子の言う通りで、いづるも大きく頷く。

 そんな少年少女を見渡し、海姫は少しだけ口元を和らげた。固く結ばれた桜色ピンクの唇がゆるやかな曲線を描いた、それはきっと海姫なりに微笑んだのだろう。


「私は小さな頃からお嬢様のお世話をして、一緒に育ちました。私の父は喫茶ガランシェールが忙しいので、友人同士だった旦那様……お嬢様のお父上が私をお屋敷に呼んでくれたのです」

「へぇ、そうなんだあ」

「お嬢様は常にお強く気丈で、そして向上心に溢れた努力家でした。しかし、今までご友人に恵まれなかったのです……ガンダムだけが、お嬢様の心の支えでした」


 そう語る海姫が、ふと遠い目になった。

 きっと、ガンダムを無邪気に押し付けてきた幼少期の玲奈を思い出したのだろう。ひょっとしたら、海姫がスーパーロボット好きをこじらせたのも、その話となにかしら関係があるのかもしれない。

 海姫はクシャトリアとかいう妙にデカいガンプラの入った袋を、ギュムと抱きしめる。


「本当にありがとう、三人とも。できれば今後も、お嬢様のよき友人でいて欲しい。特にいづる……いい友達でいてやってくれ。今は、それしか私には言えない」

「は、はい……」


 そう、いづるはあくまで玲奈の友達。普通の友達として彼女に普通の高校生活や女子高生の暮らしを紹介する立場なのだ。心を許して通わせていても、そこに男女の思慕しぼの情は……まだ、ない。

 だが、今もいづるの中で恋心はくすぶっていた。

 だから、密着してくる玲奈の体温とあまやかなにおいに、今も少し落ち着かない。

 それでも、海姫の望むことが心からわかるので、今は力強く頷くしかできなかった。


「確かに僕は、阿室さんの友達です……今は友達でしかないし、友達でいてあげたくてしょうがないんです。

「それでもって言えるお前は、いいと思うよ……感謝する、いづる。皆も」


 それだけ言うと、また海姫は黙ってしまった。

 だが、心なしかその仏頂面は以前より緊張感が和らいでいるように見えた。

 いづるたちを乗せた電車は、西に傾きかけた太陽の光を浴びながらホームタウンへと続く。その単調な揺れのリズムに身を任せながら、いづるは自分へと沈んでくる玲奈をそっと支え続けた。

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