秋葉へ

第16話「強敵、デレません!」

 日本のサブカルチャーが集う街、秋葉原あきはばら

 ここは今や、世界中の観光客が集う日本文化の聖地だ。ポップでキッチュなゴッタ煮感が渦巻き、行き来する人混みを見るだけで一種異様な雰囲気を味わえる。

 日本の中にあって異国情緒いこくじょうちょを通り越し、異世界情緒いせかいじょうちょに浸れる街。

 阿室玲奈アムロレイナがこのゴールデンウィークで行きたいと言い出した秋葉原は、そんな場所だった。

 そして今、日陽ヒヨウいづるは幼馴染の楞川翔子カドカワショウコと共に待ち合わせ場所へ急いでいる。


「急げよ、翔子っ! お前がのんびりしてるから、時間が」

「あーんもぉ、待ってよぉ~! いづちゃん、歩くの速いですー!」


 連休初日だというのに、いづるはこの日が待ちきれなくて随分早起きをしてしまった。朝から入念に身だしなみをチェックし、珍しく自分で私服を選んだ。普段は適当に翔子が言うままのものを着ていたが、今日は違う。

 初夏にも似た陽気の中、秋葉原駅を電気街口へといづるは急ぐ。そのいでたちは、デニムのシャツにジーンズであまり普段と代わり映えがしない。むしろ、擦れ違う誰もがいづるの後ろの翔子を振り返った。


「翔子、だいたいなんだよ、その服」

「えぇ~、似合わないかなあ?」

「そ、そうは、言って、ない、けど。お前、そんなフリフリの服着てさ、なんか……か、かわいい、じゃないか」


 そう、珍しく外出着に凝った翔子は、走る度にふわふわとレースのスカートを棚引かせている。フリルのついたピンク色のスカートに、上はレースが賑やかな感じのシャツだ。ベレー帽なんか被って、いつもの母性丸出しな雰囲気がまるで違う。

 改めていづるは、身近な世話焼きの幼馴染がかわいいことに目を丸くした。だが、敢えて言葉にした声をゴニョゴニョと濁す。


「あっ、ほら! あれ、阿室先輩じゃないかなー?」

「しまった、もう待ち合わせ場所に!」

「んと、時間はまだ少し……阿室先輩、早めに来てたんだねぇ」


 とろとろと喋る翔子を連れて、改札付近の人混みをいづるは進む。

 その先、自動改札の向こう側には既に待ち人が来ていた。

 玲奈のその姿は、当然のように行き交う人々の注目を集めている。なんでも着こなす彼女は、この秋葉原という異次元のような街に完全に溶け込んでいた。どこかアニメや漫画のキャラクターめいた、一種現実感のない美貌がこの秋葉原に不思議とマッチするのだ。

 その服装がまた、とてもいい。

 若草色のワンピースを着て、手には小さな鞄を持っている。

 つばの広い帽子を被ったその姿は、創作物のお嬢様やお姫様を彷彿とさせた。

 自然といづるは脚を速めて、ついには小走りに駆ける。そんな彼に手を引かれながら、ぽてぽてと翔子はついてきた。その手はしっかりと、いづるの手を握り返してくる。

 だが、改札まであと少しというところで、いづるの目に意外な光景が飛び込んできた。


「あっ、あれは……知り合いかな? ……どういう関係だろ」

「あー、んとねぇ、いづちゃん。あれはね、どう見ても……」


 改札を出てすぐ、鉄血てっけつのオルフェンズとかいうアニメの二期放送決定を告げる巨大なポスターの前で、玲奈はツンと澄まして立っている。姿勢よく背筋を伸ばした佇まいは、ただそうしているだけでランウェイの上のトップモデルのようだ。

 そんな彼女の左右から、二人一組の男が声をかけているのだ。

 いづるの目には、心なしか玲奈が眉を潜めているようにも見える。

 そして、翔子の一言が玲奈に起こっている現象をわかりやすく説明してくれた。


「阿室先輩、ナンパされてるぅ~! い、いづちゃん、どうしよぉ~」

「どうしよう、って……助けなきゃ! でも、どうやったら」


 この温かい中、男の片方は革ジャンを着て、銀色のアクセサリーをジャラジャラ鳴らしてる。もう片方は恰幅かっぷくのよいツナギ姿で、巨体を揺するようにして喋っていた。

 男たちの言葉に玲奈は少し困惑しながらも、一言二言やりとりがあるみたいだ。そして、とうとう男の片方が玲奈の背後のポスターに手を突く。

 いわゆる壁ドンというやつで、いづるの血圧は一気に急上昇した。

 もはや黙って見てはいられない、割って入って助けなければ……そう思って踏み出したいづるは、不意に肩を叩かれる。振り向くとそこには、


「待たせたか? いづる少年。まだ時間まで少しあるみたいだが……どうした?」


 振り返るとそこには、富尾真也トミオシンヤの長身があった。Tシャツにカーゴパンツというラフな出で立ちだが、そんな格好でも美男子としての一種のオーラが滲み出ている。

 いづるが指差す先を見て、真也は眼鏡の奥で瞳を大きく見開いた。


「あれは、阿室? ……なんだ、男か」

「なんだ、じゃないですよ富尾先輩!」

「そ、そぉですよぉ……このまま阿室先輩が口説かれたらどぉするんですかあ! 連れ去られたら、エッチな同人誌みたいなことされたら、薄い本が熱くなったらどうするんですかぁ~」


 訳のわからないことをわめきだした翔子とは対照的に、いやに真也は落ち着いている。それがかえっていづるには不思議で、そのことを率直に聞いてみた。


「阿室とは付き合いが長いからな。あいつはいつも目立つ、すぐに男が寄ってくる。だが、並の男ではすぐに撃退されてしまうのよね。今に見てなさいよ、手酷くあしらわれるぞ」

「で、でも……ただ見てるだけなんて」

「なんだ、助けに入りたいのか? いづる少年。騎士ナイト気取り……その過信は自分の足をすくうぞ」


 そうこうしている間に、男たちは自分たちの狭間へと玲奈の細く華奢きゃしゃな身を圧縮してゆく。密着度がいよいよ増した、その瞬間だった。

 帽子を脱いだ玲奈が、りんとした表情で二人の男を真っ直ぐ見詰め、はっきりと何か言葉を放った。その音の連なりは喧騒の向こうで聞こえてこないが、いづるには彼女が意志を言葉に乗せたのが見えた。

 それで、男たちは思わずジリジリと離れ、最後には捨て台詞を吐いて行ってしまった。

 見送る玲奈は溜息を零すと、いづるの視線に気付いて笑顔になった。先ほどの凄みが嘘のように、彼女は帽子を胸に抱いて手を振ってくれたのだった。


「阿室さんっ! 大丈夫でしたか? 今なんか、怖そうなお兄さんたちが」


 慌てて自動改札を抜け出たいづるは、全速力で玲奈の前へと走り寄る。その後には安堵に胸を撫で下ろす翔子と、ほれ見たことかと言わんばかりの真也が続いた。

 三人を見渡し、とりわけ目の前で息を荒げるいづるを見詰めて、玲奈は朝日のように微笑んだ。


「おはよう、みんな! 時間ギリギリだぞ? ……いづる君、走ってきたのはわかってるけど、そんなことは当たり前よ? あっ、当たり前、なんだから。ね?」

「は、はい……すみません。さっきは、その」

「みんなにも恥ずかしいとこ見られちゃったかしら? 私、どういう訳か昔から絡まれやすいの。……そんなに目つきが悪い? それとも、私もああいう人種に見られてる? いやね、もぉ」


 それは玲奈が美しいから……そう思ったが、いづるは口に出せなかった。

 少し唇を尖らせる、拗ねたような顔もキュートだ。

 そして真也はもう、そんなことなど百も承知のようで、呆れたように肩を竦めている。阿室玲奈は美少女なのだが、自分ではそのことをあまり意識していないようだ。


「さて、みんな集合したことだし……いくわよっ、秋葉原!」

「おーっ! ちなみにぃ、阿室先輩は秋葉原は」

「初めてよ、翔子さん。一度でいいから遊びに来てみたかったの……だって、楽しそうなんですもの。お買い物もしたいし。……あら?」


 不意に玲奈が視線を外し、遠く人混みの向こう側を見やる。その先へと首を巡らしたいづるは、かすかにこちらを見ていた気配が消えるのを感じた。

 それは一瞬のことで、玲奈は直ぐに笑顔になると翔子の手を握って歩き出す。


「さあ! まずはゲームセンターというものを試してみたいわ。この秋葉原は電気街。いえっ、あえて言うわ……電脳街であると! 今日は四人で思いっきり楽しみましょ」

「はぁい! ほらほら、いづちゃんも! 富尾先輩もっ! いこいこ~」


 こうして楽しい休日が幕を開けた。

 先ほどの視線が気になりつつも、いづるはやれやれと苦笑しつつ歩き出す真也に並ぶ。翔子を連れてはしゃぐ玲奈は、はちきれんばかりの笑顔で秋葉原の歩行者天国へと飛び出した。

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