第15話「紅に染まる空」

 夕闇迫る校舎に、一日の終りを告げるかねの音が響く。

 追い出しの鐘と呼ばれる音色ねいろに、残っていた生徒たちはそぞろに玄関を出て行った。

 日陽ヒヨウいづるもまた、友人たちと共に靴を履き替え校門を出る。先ほどの一件で打ち解けたのか、既に楞川翔子カドカワショウコは親しげに富尾真也トミオシンヤと並んで歩いていた。

 その少し後ろを、いづるは阿室玲奈アムロレイナと一緒に続く。


「それでですね、富尾先輩! さっきのアル少年が後のシリーズで、00ダブルオーでミハエル・トリニティの声優を務める浪川大輔なみかわだいすけさんなんです。UCユニコーンのリディ・マーセナスもやってるんですよ! バナァァァァジィィィィィィ! って」

「く、詳しいな、楞川」

「わたし、好きな声優はチェックを怠らないのです! 浪川さんはアルの役がデビュー作……まだ小学生だったんですよ? 小学生時代の浪川さん……ハァハァ、ジュルリ」

「……そういえば富野監督も、声優を発掘する天才と言われているが」


 翔子は真也にじゃれついて、その周りをウロチョロとまとわりつきながら一生懸命喋っている。息を弾ませハスハスと声優を語る彼女は、いづるにはいつもの光景だが微笑ましかった。

 そんな二人を眺めつつ、隣の玲奈は少しだけ距離を縮めてくる。

 見上げればすぐ横に、肩の触れる距離に玲奈の微笑があった。

 自然といづるは、先ほどみたガンダムの話題に踏み込んでゆく。


「でも、バーニィって勇敢ですよね。最初はあんなにへっぽこで、一時は逃げ出したのに」

「ええ。ザクでガンダムを、相打ちとはいえ撃破したのは彼が最初で最後よ。サンダーボルトのサイコザクとは、またちょっと違うシチュエーションですもの」


 でもね、と玲奈が言葉を切る。

 彼女の息遣いが、ぐっといづるの耳に近付いたように感じられた。

 玲奈は静かに、呟くように言の葉を選んでくる。


「バーニィだって怖かったのよ。だからあんな嘘を」

「嘘? というのは」

「最後のビデオレター、彼はガンダムと戦ってみたくなったんだ、って……そう言ってたでしょう? あれは多分、ううん……きっと嘘よ」

「そ、そうなんですか? 僕はまたてっきり……バーニィは男だなあ、って思ったんですけど」

「バーニィはね、いづる君。嘘をつくのが下手へたなの。ビデオレター、あの時目を逸らしてたでしょう? 嘘よ、ガンダムと戦いたいなんて。本当はやっぱり、逃げ出したかったのよ」


 一機で戦況をひっくり返すと言われた、ジオンにとっては謎の超高性能モビルスーツ……ガンダム。単機で一軍に匹敵すると知られたガンダムに、ザクだけで立ち向かうのは、それはとても恐ろしいことだろう。

 だが、それでもバーニィはコロニーを核から守るため、賭けに出た。

 分の悪い賭けと知っていても、やれることをやらずにはいられなかったのだ。そしてそれは、ガンダムに乗っていたクリスも同じなのだ。

 当然、あの戦争に参加した誰もが、同じ気持ちで戦っていたのだろう。そうした人の想いを吸い込んで命を散らす、その悲しくも愚かな行為が戦争なのだ。


「……こっ、こんな話するの、いづる君だけなんだからね?」

「えっ?」

「そ、その、えと……ほら! あんまり深い話してると、気持ち悪がられるもの。だから……だから、いづる君だけ。キミだけ、ね?」

「は、はい」


 いづるの顔を隣から覗き込んで、玲奈はニコリと笑った。

 その顔が赤いのは、恐らく夕日が照らしているから。

 だが、いづるには眩しくて、直視できない。

 こんなに近くにもういるのに、その先へはまだ踏み込めない。玲奈が僅かながら友達を作って、その中で自分を特別に見ていてくれる。そのことが逆に、いづるを臆病にしていた。

 いづるにはまだ、バーニィのように嘘で自分を支える強さがなかった。


「そ、そういえば、阿室さん。あの」

「ん? なにかしら」

「さっき言ってた、ターンエーって……ターンエーの精神スピリッツって、なんですか?」

「それはね、いづる君!」


 不意に玲奈は鞄を小脇に挟んでVサインを作り、もう片方の手の指で横棒を添える。それは確かにターンエー……「ターンエー」のサインだ。


「富尾君が詳しいと思うけど、富野監督が作ったターンエーガンダムっていう作品があるの。とても面白いのよ? ガンダムでお洗濯したり、牛を運んだりするの!」

「はぁ……」

「いづる君も、黒歴史くろれきしって言葉はしってるんじゃないかしら」

「あ、それは……ネットとかでよく、自分の恥ずかしい過去や消したい思い出について語る時の言葉ですよね」

「そう……ターンエーガンダムが語源よ。黒歴史とは、全てのガンダム作品が戦争の愚挙として語られる記録。全てのガンダムは黒歴史につむがれ、ターンエーの世界に結実するの」


 途方もなくスケールの大きな話だし、まだガンダムに詳しくないいづるには想像すらできない。だが、アムロがシャアと戦い、バーニィが立ち向かった……その記録は遥か遠い未来、黒歴史に収斂しゅうれんされるということなのだろう。

 そして玲奈は、宇宙世紀ユニバーサルセンチュリーに限らず全て……Gやウィング、Xといった作品群もだと語る。

 それは同時に、ターンエーガンダム以降のSEEDシード00ダブルオーもそうであることを意味していた。

 それがいづるにはまだわからないが、玲奈はそう思っているようだった。


「ターンエーの精神っていうのはね、いづる君。全肯定なの。全てを認めること……それは、とても勇気のいる行為だわ」

「全肯定……全てを、認める」

「富野監督はきっと、こう言いたかったのね。最後は全てターンエーに帰結する、だから……だから、それぞれ自由にガンダムを作れ、って。どんなガンダムを作って、それが世間でどう評価されようとも……最後はターンエーの黒歴史となって、一つになるんだって」


 ガンダムを語る玲奈の声は熱を帯びて、普段からの可憐で優美な雰囲気に荘厳な響きを与える。彼女自身が、ガンダムという大きな大きなうねりをべる存在にさえ思えるのだ。

 だが、同時に彼女はただの人間、どこにでもいる普通の女の子だ。

 ガンダムが好き過ぎて友達を作れなかった、そんな少女なのだった。


「えと、つまり……ターンエーって、全てのガンダムの故郷ふるさと、みたいなものなんでしょうか」

「そうね、故郷であり墓所ぼしょであり……最後に行き着く場所よ。どう生まれてどう育ち、どのように世の中を巡ろうとも、最後はターンエーの黒歴史へと着地するの。だから、富野監督はもっと冒険しろって言ってるのよ。きっとね」


 そんな話をしてたら、前を歩く真也と翔子が振り返った。

 タジタジな真也がいづるへと、救いを求めるような視線を送ってくる。だが、その横で翔子のマシンガントークは終わらない。どうやら彼女は、完全に真也になついてしまったようだ。


「いづちゃん! 富尾先輩ってば、子安武人こやすたけひとさんがオモシロ声優だって言うのよ? わたし、イケメンのイメージしかないんだけどなあ」

「愚問だな、楞川。ギム・ギンガナムにアスハム・ブーン……子安武人とはこういうものか! と思わんか? お前はどう思う、阿室っ!」


 自然といづるは、隣の玲奈と笑みを交わし合う。

 夕焼けを歩く四人の、長く長く伸びた影はいつまでも交わり重なりながら家路いえじをなぞっていた。いづるは前よりもまた少し、ガンダムというものへの興味を強め、理解を深めた気がした。

 そんないづるを、結局携帯電話には大き過ぎたので鞄にぶら下げられてる、玲奈のデンドロビウムのストラップが見詰めている。わがままな美女は今日も、いづるを連れ回して引っ張り回して引きずり回し、新たなガンダムの地平へといざなうのであった。

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