第8話「携帯は希望の星だ」

 私立萬代学園しりつばんだいがくえん

 東京都の某所にある、静岡の大財団が出資する共学の高等学校である。生徒の自主性を重んじる校風で、潤沢な予算をやりくりした部活動も盛んだ。そんな訳で、この学校では基本的に「授業中は電源を切ること」を前提として、携帯電話の持ち込みが許可されていた。

 無論、このご時世に理由もなく携帯電話を持たない人間など存在しない。

 日陽ヒヨウいづるはずっと、そう思い込んでいた。

 ――だが。


「皆さん、ごきげんよう。いづる君、いるかしら?」


 とある日の昼休み、さも当然のように響く優雅な声。

 いづるのクラスである一年G組が歓声と感嘆に包まれる。

 なにごとかと首を巡らせたいづるの前には、当然のように阿室玲奈アムロレイナがやってきた。彼女はクラスの誰も彼もをとりこにする容姿で、平然と一年生の教室を闊歩する。

 擦れ違うだけでハートを撃墜される級友たちが、いづるには見えるようだった。


「あ、阿室先輩だ。こっちですよー、こっち! ほら、いづちゃんも!」

「あ、ああ。えと、阿室さん。ど、ども」

「ごきげんよう、二人共」


 そう言って玲奈はスチャリと二人の前で立ち止まる。

 抜群のプロポーションと流麗エレガント所作しょさが、立っているだけで彼女を美の化身に見せていた。そして玲奈は、少し得意げな子供のように無邪気な瞳を輝かせている。

 なにごとかと思ったその時、彼女はポケットからなにかを取り出した。


「見て頂戴、いづる君。翔子さんも。これが私の……そう、私だけのっ、私専用携帯電話よ!」

「ア、ハイ。……携帯は普通、持ち主専用ですよね」

「わー、阿室先輩……ガラケーですねぇ」


 なぜか周囲から喝采が巻き起こり、玲奈は上機嫌で拍手に「ありがとう、みんな」と手を振っている。そんな彼女が熱を込めた視線で見詰められる一方、いづるは先程から男女を問わぬカミソリのような殺意の眼差しで切り刻まれていた。


「昨日、買ってきたの。今まで必要と感じたことがなかったけど……と、友達が、できたから。だから、買ったわ。今日ここに来たのも、私の携帯電話を見せるためよ!」

「え? 阿室さん……もしかして、携帯を今までもってなかったんですか?」

「ひっ、必要なかったのよ……だって、そうでしょう? もぉ、これ以上言わせる気? ……いづる君たちがいるから、買ったんじゃない」


 ちょっとねたようにしながらも、今時ちょっと珍しい二つ折り携帯を手にもてあそんで、玲奈は開けたり閉じたりを繰り返していた。まるで新しい玩具を手に入れた子供のようだ。

 だが、どうしてガラケーなんだろうか……?

 そのことを素直に問うたら、彼女は動揺もあらわにツイと目を逸らした。


「もともと私、携帯って好きじゃないのよ? ……ガンダムには携帯なんてあまり出てこないもの。きっとミノフスキー粒子が戦闘濃度で散布されたら、こんなの通信不能になる筈だわ。エイハブ・リアクターの影響だって受けるに違いないし」

「いや、それないですから……阿室さん、絶対にないですから」

「それにね、遥か未来のガンダム世界より現実の方が進んでるってのが、ちょっと嫌。カミーユだってアングラの文書でエゥーゴを知ったし、シャア大佐だって戦場で出世したのよ?」

「いやいや、意味わからないですって」


 相変わらずガノタ全開な玲奈に、流石のいづるもたじたじである。だが、なんだか子供っぽい一面を見せる彼女がかわいい気もしていた。

 そうこうしていると、幼馴染の楞川翔子カドカワショウコが言葉を挟んだ。


「でもでも、阿室先輩っ! どーしてガラケーなんですかあ?」

「こ、これは、その……そう! スマートフォンなんて必要ないわ。だってあれ……見た目に反して、AGEエイジシステムが搭載されてないんですもの。形はAGEデバイスそっくりなのに」

「あらまあ……で? 本当はどうなんですかぁ」

「……私、苦手なのよね。機械はちょっと、少し、とても凄く苦手よ!」


 翔子の言葉にあっさり白状した、どうやら玲奈は機械がダメらしい。

 だが、彼女は鼻息も荒く二人の前で携帯電話を開いて身構えた。


「でもっ! ガラケーなら私でも使いこなせるわ。スマホなんて必要ないのよ、いづる君。翔子さんも。私の携帯は、クロスボーン・バンガードにボコボコにされたF91の旧式なジェガンとは違うわ!」


 そう言う玲奈はしかし、携帯を持つ右手の親指をボタンへ滑らせ……そして固まる。どうやら、ガラケーすら使いこなせていないようだ。

 たまりかねて翔子が助け舟を出す。


「なにがしたんですか、阿室先輩。……わたし、やりましょぉか?」

「……着メロをダウンロードしたいのよ。それで、インターネットに繋ぎたいのだけど」

「どれどれぇ、ちょーっと貸してみてください」

「流石よ、翔子さん。持ってきてよかった……強い子に会えて――!?」

「電話帳にわたしといづちゃんを登録しつつ着信履歴アポイトメントおよびGPSを再設定……チッ、あと通話時の音量ボリュームに調整の設定を直結、ホームとなるトップページにグーグルを登録しつつ……ネットワーク再構築ガンダム公式サイトパラメータ更新、カメラ機能はフラッシュ等手動に再設定、呼び出し音演奏時間延長修正。音楽ダウンロード接続、システムオンライン、ブートストラップ起動!」


 なんだかブツブツ言いながら翔子がズガガガ! と携帯のボタンを押しまくる。

 あっという間に玲奈のガラケーは、インターネットに繋がったようだ。


「はいっ、阿室先輩! これで好きなガンダムの着メロがダウンロードできますよぉ」

「……あ、ありがと。さながらスーパーコーディネイターね、翔子さん」

「えへへ、そうですかぁ? まあ、いづちゃんの服とかもわたしがコーディネイトしてあげてる時がありますけどぉ。いづちゃん、全然オシャレとか気を使わないですから」


 余計なお世話だと思ういづるだった。

 で、翔子から返された携帯を、たどたどしい手つきで玲奈が操作する。どうやら先程、翔子は手っ取り早く手動で自分といづるの携帯番号やアドレスを登録したらしい。

 玲奈は嬉しそうに、まるで子供のように着メロを何度から鳴らしてみせた。


「じゃあ、翔子さんからの着信はこの曲にするわ」

「わぁ、なんかかわいい感じの曲ですね。運動会の行進曲みたい」

「ターンエーガンダムの作中曲、『軍靴の記憶』よ。菅野よう子さんの傑作なの」


 翔子と二人で携帯の小さな液晶画面を覗き込みつつ……周囲のうらやましそうな視線には気付かない玲奈。彼女は、ちらりといづるにも視線を送ってきた。どうも、いづるの着信音も選びたいらしい。ちらちらとこっちを見てくる、あの構ってほしそうな小動物的な愛くるしさがそう訴えてくる。


「えっと、じゃあ……ぼ、僕も着メロ設定して欲しいなあー、僕が電話やメールしたら、どんな曲が鳴るんだろうなー」

「そうよね! そうよ、二人は友達だもの。待ってて、いづる君……キミは、ええと、そうね」


 翔子にあれこれ教えられながら、玲奈は両手でギュムと掴んだ携帯電話をたどたどしく操作してゆく。


「これはどうかしら……ガンダム00ダブルオー、トランザムの時の『FIGHTファイト』よ!」

「阿室先輩、これわたし知ってます! アーアアー♪ ってやつですよね。ニコニコ動画のMADでもよく使われる、処刑用BGMで有名な!」

「それとも、これはどうかしら。ガンダムXエックスの『サテライト・キャノン』も好きなの。月は出ているか……なにも考えずに走れ!」

「なんか、凄いことが起こりそうな高揚感……この曲もたしか、処刑用BGMですよねー」

「ああ、これもいいわね。Gジーガンダムの『我が心明鏡止水めいきょうしすい~されどこのは烈火の如く~』……田中公平先生の楽曲って素晴らしいのよ」

「なんか燃えますね! 熱血って感じですよぉ、阿室先輩。最高の処刑用BGMですぅ!」

「それとも、これかしら? ガンダムWウィングの『思春期を殺した少年の翼』……ヒイロ・ユイの戦闘でよく流れてたわね」

「なんかいいですね、これも! Wってカトルとかデュオがいちゃいちゃするガンダム……わたし知ってます! これも処刑用BGM界の常連ですぅ」


 いづるは盛り上がる二人を前に、ちょっと不安になってきた。

 玲奈はどういう訳か、いづるを無性に処刑したいらしい。

 それはそうと、いづるもスマホを取り出す。


「じゃあ、阿室さん。メアドとか交換しましょうよ。……えと、阿室さんの着メロはなににしたらいいかな。やっぱりガンダムがいいですか?」

「いづる君! 私がいづる君に電話したり、メールすると鳴る音楽の話?」

「そうですけど……」

「だったら、私は『MAIN TITLEメインタイトル』がいいわ!」

「えっと、メインタイトル……なんのメインテーマソングなんですか?」

「勿論、私が『MAIN TITLE』といえば逆襲のシャアしかないわ……いいこと? 絶対にそれにして頂戴。私は今あこぎなお願いをしてるわ……側にいるなら感じてみせて、いづる君!」


 なんだかよくわからないが、検索したらすぐに出てきた。

 その曲を玲奈の着信に設定するとして、いづるはスマホを向ける。


「じゃあ、阿室さん。赤外線通信、お願いします」

「え、えと、待ってね。翔子さん……ど、どうやるのかしら」

「えっと、ここのボタンを」

「こうかしら!」

「あ、違いますよぉ、そうじゃなくて、えと、えっとぉ……阿室先輩、落ち着いて。……うーん、いづちゃん……からメール、送るね」


 酷く原始的な手段で、いづるは玲奈のメアドや電話番号をゲットした。

 それは、周囲でただただ見守っていた者たちにとって、死ぬほど欲しいものだったとは思いもよらない。そして、この日から玲奈は少しずつ携帯電話にも慣れていこうと頑張るのだった。

 因みにこの日の夜、いづるは玲奈から初めてのメールをもらう。

 そのメールをいづるは、生涯決して忘れぬように記憶に刻んだ。

 玲奈から受信したのは「携帯の使い方は完璧にわかったわ、これでいづる君といつでも連絡が取れるのね……とっても便利よ。またなにかあったらメールしてもいいかしら……待ちきれなくても、待つのよ!」というのメールだった。

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